3章 存在と認識 4
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< 五月十六日 一二〇〇時 立川市 市街地 >
歴が久しぶりに訪れる街は、日常と非日常が混在していたに。
倒壊したビルの残骸のおかげで路面は埃っぽいが、それでも歩けるだけましと言えた。まだ街の半分は瓦礫に埋まっていて、その間に人々は何をしていたかと言うと、線路の修復だった。インフラの復旧は何にも変えがたいもので、鉄道さえ通れば復旧は加速度的に進むものらしい。
街までの道は岩城に送ってもらった。しかし街に近付くほど渋滞は増し、途中で降ろしてもらった。渋滞を作り上げていた半数の車両が自家用車、しかも他県のナンバープレートだったのはいただけない。
歴は、早足で歩く秤の背中に問い掛けた。
「……岩城さんじゃなくて、なんで僕なんですか?」
「岩城は別件で仕事、ダルメシアはディメンオンの修理中。となると、ヒマなキミしかあるまい」
「でも、アンティークを置いてくるのは」
「本当なら認識への影響上アンティークも連れてきた方が良かったのだが、いかんせん彼女は人見知りが過ぎる……少しは軟化できたか?」
「できるわけないじゃないですか」
「せっかく二人きりの時間をやったのに。その分じゃ、キスもしておらんな?」
「子供の秤さんに言われたくないよ」
「ふむ。キミくらいの年齢になれば、思考の半分以上を異性の事に費やすのではないか?」
「秤さんはそういう風になった事はないの?」
「あんなのはただの病気だ。望むなら、処方箋をやってもいいぞ。抗精神薬、おまけに期間に応じて記憶も飛ばしてやる」
「……いいです。青春に悩みはつきものですから」
「それならいい。さあ、着いた」
二人の目の前には、駅前のケーキ屋があった。雑誌で見たことのある、人気店だ。
「片道二時間かけた目的がこれですか?」
「気に入らんのなら回れ右してもいいのだぞ、ミギワ君? 昼飯抜きであの峠はきつかろうな」
「お供します」
歴は店内に入った。
窓にはひびが入っていて、その外には斜めになったビルがある。ディメンオンと次元機の共犯だ。
ランチタイムのせいか、店内は込み合っていた。ビルが壊れようが、日常は進んでゆくということだろうか。歴は混雑を避けるため、紅茶とコーヒーだけを持っていち早く席を確保した。ケーキを持ってくるのは、秤の役割と事前に決めていた。女性客がメインのこの店は、食べ放題が売りだからだ。
「ここはすぐに在庫がなくなるのだ。ランチタイムだしな」
「ランチタイムって、昼食はケーキですか」
「パンがないのだろ」
皿には、一口サイズのケーキがうずたかく山を作っている。ショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキ、フルーツケーキ、タルト、ロールケーキ、カップケーキ、マシュマロ、モンブラン、ティラミス、シュークリーム、エクレア、アップルパイ、ミルフィーユ、ドーナツ、マフィン、ゼリー、イスパハン。ありとあらゆる古今東西のケーキが一個の巨大な激甘の構造物としてそこに君臨していた。
「さぁ、どれでも好きなものを取れ」
「じゃあ、これを」
いちばん上から取らないと、この山は崩壊する。
自分は、辛党というよりは甘党の部類に入ると思う。しかし、ケーキを五つまで平らげたところで,歴は観念して席を立った。
「どこへ行くのだ、ミギワ君?」
「……コーヒーのお代わりを」
「時間の無駄だな。ならば,もう一皿とって来てくれ」
「まだ食べるんですか?」
感心とあきれが半々で秤を見るが,当の本人はケーキの山を征服しつつある。黙ってもう一度,ケーキを待つ人の列に並んだ。
「アンティークにもお土産買ってこなきゃな……」
することもないので、外を見る。まるで爆撃の後のように街には瓦礫が溢れているが,その一方で被害を受けなかった建物も存在する。うちらは関係ないとばかりに通常営業をする店舗は、人間のしぶとさを現しているようだった。
そこで、歴は目を見張った。
硝子の向こうを歩く人影に、歴は見覚えがあった。
小柄な体格、細めの手足。くりっとした感情豊かな瞳にショートボブの髪。
なぜ今の今まで心配してこなかったのだろう。探さなかったたのだろう。それは自分の唯一の妹、夕だからだ。
「夕!」
歴は衝動的にトレイを置き、列から離れ、ドアをくぐる。嵐のような全力疾走で、店員の咎める声は耳に入らなかった。