3章 存在と認識 3
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「……はい、あーん」
「あーん」
留守番とはいえ、食事の世話までしなければならないとは。歴がスプーンを差し出し、アンティークがそれをくわえる。その繰り返しだった。いま他人が入ってきたら、顔から火が出るどころか人体自然発火だ。鉄格子付きとはいえ、密室がこれほどありがたいとは思わなかった。
「熱っ」アンティークがスプーンを振り払い、シーツに粥がこぼれた。
「冷まして!」理不尽な怒りが歴の精神を打ちのめす。
「……どうしたら?」
「ふーふーすればいいでしょうに」
仕方なくそれを繰り返し、拷問のように長い食事が終わった。
「じゃあ、僕はこれで……」
空気のように退出しようとしたが、出口が閉ざされていたことを思い出した。それでは、秤の帰りを待たねばならないのだろうか。
密室。歴の額に、冷汗が走った。
「暑くなったわ、脱がして」
「……!」
アンティークが着ていたのはパジャマではなく、自傷行為の防止を目的とした拘束服だった。袖が袋小路になっているため自身では脱ぐことはできないのだろうが、いくらなんでもやりすぎだろう。
「ダルメシアの帰りを待ったほうが……」
「わたしは汗と待つことが大嫌い」
「脱がせかたとかわからないし」
「いくじなし。昨日の勢いはなんだったの? わたしの役に立ちたいって言ってたわよね」
「昨日は昨日さ! それに」
「文句が多いわ。ひょっとしてあなた、女の裸見たことないの?」
「あるさ! あるけど」
「家族限定」
「ぐっ」
図星だった。
「それに、あなたが食事を与えたんだから当然でしょう?」
アンティークはどこまでも他人のせいにする。このままでは、「私の怪我はあなたのせい」と言いそうな雰囲気だった。
「でも服を脱がすにしても、目隠しすること。でないと、あなたの少なくなった血を更に減らすことになるわ、今がっかりしたでしょ」
「がっかりなんて……してない。してないよ!」
「今の間はなんだったのかしら。いいから早くしなさい」
どこの生き地獄に迷い込んでしまったのか。仕方なく目をつぶった状態で脱がせようとするが、うまくいかない。アンティークに、「鼻息が荒いわ、息を止めなさい」「どこ触ってるのよ、この変態!」などと罵倒されながら、なんとか拘束服を脱がせることができた。
そして、言葉を失った。
アンティークの肌は混じりっけなしの新雪のように美しい。
しかし、その背中には刺青がびっしりと刻まれていた。
「……驚いた?」
「……うん」
「これを見た男の人は、あなたで二人目。一人目は、お父様。これは、ディメンオンの設計図なの」
言われてみれば、ぼやけた幾何学模様は図面のようにも見える。しかし、たとえはっきり見えたとしてもそれを理解することはできないだろう。
「見たのが、あなたで良かった。だって……」
「だって?」
「あなたが、バカだから」
「バカって満面の笑顔で言う言葉じゃないだろ!」
更に文句を言おうとしたところ、入り口で金属の折れ曲がる音がした。
「お嬢様、秤さんが……」
ダルメシアが鉄格子をひん曲げて入ってきていた。
「なにちちくりあってんです?」
歴の時間が止まった。
もう、死ぬしかない。
「目をつぶっていてって言ったのに……!」
目が見えないはずのアンティークは素早くダルメシアに泣きついていた。ダルメシアは何も言わなかったが、全てを分かっていてのことか、それともかける言葉もないのか。歴はどっちでもよくなってきた。
会議室のブラインドを下ろすと、部屋は暗闇に支配された。
「記録映像を見てもらえるか?」
秤の申し出に一同はうなずいた。
スライドに二つの映像が映し出される。ひとつは独楽の出現時の映像、もうひとつはディメンオンが六時の剣を使ったときの映像だった。
「独楽の上空には積乱雲がある。そして、ディメンオンが独楽をしとめた時にも、積乱雲があった」
「時間も遠くはないし、偶然では?」同席した岩城は懐疑的だ。
「いや、この地域の日時、天候で積乱雲は極めて発生しづらい。そして、雲は刻々と位置や姿を変えるものだ」
スライドに映っている雲の形を抜き取ってもう一つのスライドにはめると、その形はぴったりとはまった。確かにここまで来ると、出来過ぎだ。
「確かにおかしいです。風景まで切るはずのディメンオンの剣が、雲には通用しない。秤さん、どういうことですか?」
「秤でいいよ、ミギワ君。それは、『次元が既に切り裂かれている』という逆説の上に成り立つ。アンティーク、次元機は単独で次元跳躍ができないというのは間違いないな?」
「そうね。今までこの世界に侵入してきたのは、全て次元機。グレーイスに元からあったものだわ」
「ならば次元機は次元跳躍の際、何らかの補助を受けていた可能性が高い。仮定を元にすれば、あれは別次元に通じるワームホールのようなものだろう」
「積乱雲を抜ければ、別次元、グレーイスに行けるってこと?」
「あくまで仮定だが、試してみる価値はある」
秤は結論付けるようにスライドを消し、再びブラインドを上げた。
部屋に日光が降り注いだ。歴にはそれが、希望の光に見えた。
倉庫内はディメンオンのあらゆるパーツがばらされ、再組み立てを待っていた。輪郭のぶれたパーツの群れは、所々歪み、ひびが入っていた。
「それでも使えるパーツは使わないと、五体満足ではいられません」
ダルメシアは忙しそうだった。
「装甲は三割半壊、健は約半数が断裂。この強度では、単独での次元跳躍は不可能です」
一言で言えば、満身創痍。連戦の疲れがもろに出たようだった。
「ダルメシア、髪を切ったの?」
彼女はチャームポイントの、そして性能を保証するもう一つのおさげも切り、ショートカットにしていた。涼しげだが、どことなく寂しげな印象も受けた。
「パーツに使いましたよ……うっとうしいから」
「あとは、積乱雲を待つだけか」
敵の来襲を待つなんて、とんでもない。だが、アンティークを救うためにはそれ以外に手段は残されていなかった。