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3章 存在と認識 1


< 五月十五日 一一〇〇時 立川市 常世邸 >


 雨は一昼夜降り続いた。

 歴は病室の前で、門番のように直立不動の状態を続けていた。

 病室のなかにいるのはアンティークだ。

 これが罰のかわりにならないことぐらいわかっている。単に、気持ちを落ちつかせるための手段に過ぎない。

 彼女のために何かがしたかったのだ。

 秤の屋敷に医療設備があってよかった。でも、問題の根本的な解決にはならない。

 色あせたドアには「面会謝絶」の札がかかっているが、あってもなくても、病室に入る勇気が持てなかった。現実を直視する、その勇気が。

 ギイ、とドアが開いた。

「ミギワ君、入れ」

「……はい」

 歴は覚悟を決め、足をただ機械的に動かして病室に足を踏み入れた。



 病室は窓が開いているにもかかわらず、そこにいると息が詰まりそうだった。

 その場にはダルメシアが立ち、秤が座り、アンティークが横たわっていた。

 ベッドの上のアンティークは動く気配を見せない。シーツが胸のあたりで小さく上下している。それだけが、彼女が「そこにいる」証拠だった。

「……アンティークは?」

「眠っている。しかし、眠りの時間を最小限にしなくては、病状は悪化する」

 眠っていると聞いて、歴は初めてその顔を見ることができた。

 怖かったのだ。

 責められるのならば、まだいい。自分が彼女を傷つけた事実を目の当たりにすることが、怖かったのだ。

「きれいな顔だったのに……」

 アンティークの眼には包帯が巻かれ、顔のそこここが傷ついていた。

今まで見たことがないほど、輪郭がぶれている。どんなに包帯をきつく結んでも、ほどけてしまいそうだった。

 いたたまれなくなり、歴は彼女から視線をそらした。

「瞼の上を切った。血は止まったが、傷口はふさがる気配がない。普通ならば、もう回復の兆しを見せてもいいはずなのだが」

 こんな困った表情の秤を見るのは、初めてだった。口ごもるなんて、彼女らしくもない。そう言いかけたが、その原因を作ったのはまぎれもない自分だった。

「秤が気にすることはないよ。すべて僕の責任だ」

 言葉が空回りしている。口の中がからからだ。

 ダルメシアはいつもの無表情で歴を見ていたが、悲しんでいるのがはっきりと伝わってくる。ロボットなのに、と思うのは差別的だろうか?

「私にも責任あります。サボタージュなんかしなければ……」

 ダルメシアの言葉は終わりまで続くことがない。重い沈黙が部屋に充満した。

「……そう言えば、私には責任はないな。その場にいなかったのだから」

「え?」

 秤は何を言い出すのか。

「そういや私にもないです。機体に乗ってませんし」

「ちょっと、ダルメシアさんもいきなりなんだよ。そりゃ、悪いのは僕だって事くらい」

「ミギワ君のせいだ」

「レキさんのせいです」

 ふたりは人差し指をビシリとこちらに向けている。そのまま目を突く勢いだった。

「……僕のせいです」

 うめくように言うとふたりは気落ちした様子もなく、席を立った。

「じゃあ私たちは休んでくるので、責任のあるミギワ君はここにいなさい。抜け出したら生の神秘と限界を追求するので覚悟するように。被験者は君だ、執刀医は私だ!」

「ていうことは私が助手ですか? めんどくさいなあ……」

 冗談なのか本気なのかわからないことを言い、ふたりはどこかに行ってしまった。

 バタン、とドアが閉められた。ガチャリ。

「ど、どうして病室の鍵を締めるんですか!」

“こんな便利な機能もある”

 さらにガシャンと窓の格子の上から降ってきたのは、鉄格子。これでは病室というよりもトラップだ。歴は抗議の声を上げようとしたが、床を踏むスリッパの音は無情にも遠ざかっていった。

「……どうしよう」

 完全な密室が完成してしまった。自分を出さないことで、いったい秤はどうしようというのか。

「ん」

 もぞもぞと、シーツが動き出した。思わず息を呑み、壁際に後ずさる。

「お……起きたの?」

 声が上ずったあげく、裏返ってしまった。アンティークはゆらりと上体を起こし、

「レキ……どこ?」

と、言った。

 「見えない……」



 くすくすと、アンティークは笑い出した。

「やっと来た。何でそんなに責任を感じているの?」

「……そりゃ、僕がもっとうまくやってればこうはならなかった」

じゃあ、と彼女は前置きする。

「もっと良い方法があったのかしら?」

「あの独楽を捕まえていれば、アンティークは帰れたかもしれない。でもそれどころか、ディメンオンを壊してしまった。ダルメシアなら」

 あはは、とアンティークは笑った。乾いた笑いだった。

「それは違うわ。ダルメシアがあなたをディメンオンに乗せたのは、サボタージュ……違うわね、私が望んでいると思ったから。そして、もし次元機を捕まえることができたにしても、データが残っているかどうか分からない。それよりも、次元剣を使わないとあなたの世界はもっとひどいことになっていた。

あなたの決断は、あなたの世界にとって正しい。それは、事実よ」

 そこで一旦言葉を区切り、

「帰る次元座標が無くなっていたのはミスでもなんでもなかった。

きっとディメンオンには、元から片道切符しか用意されていなかったのよ。戻っても事態が好転するわけではないもの。製作者……お父様は、私にここで暮らして欲しかったんだと思う。私自身は不安定でも、ここは能天気なまでに平和だから」

「……アンティークのお父さんは、この世界の事を知っているの?」

「そこまではわからないわ。もしかして、次元跳躍は一種、自殺に近いものがあったのかもしれない」

 アンティークは包帯越しに歴を見つめた。

 表情には、暗い決意があった。

「だからお願い。これ以上衰弱する前に、私を殺して。こんなの耐えられない。目も見えず、この身体には痛みと無力しか残されていないのよ。こんな私はどこにもいなくていい。だから……」

 最後まで言葉にできずに、アンティークはうつむいた。

 歴はどうしようもない、怒りに似た感情が自分の中から湧き出て来るのを感じた。なぜかは分からないが、とにかく、自分の中で気持ちが溢れてくるのを押さえることができない。

 歴は思わずアンティークの肩を掴んだ。

「どこにもいなくていいだなんて言うなよ。君のためにみんな心配している。僕だって、代わりになりたいくらいだ。君の存在を消すことは、僕が許さない」

 俯いていた顔を上げたアンティークは、口元が変なふうに笑っていた。

 アンティークは、今までダルメシアに看病ではなく監視をされていたという。

「私の自殺を止めるためにね」

 どこに隠していたのかナイフを取り出すと、彼女は言った。

「これ、お父様にもらったのよ。何かあった時には、これで自殺しなさいって。それでもあなたは、私を止める理由があるのかしら?」

「ある」と歴は言った。

「僕はまだ、約束を果していない。君を元の世界に帰すという約束だ。そのためだけに、僕は命を拾ったんだから。君が死ぬというのなら、僕にも考えがある」

 歴はアンティークからナイフを強引に引ったくった。持ち方が悪かったのか、手のひらを傷つけてしまった。

「約束を果せない以上、僕は死ぬ」

 刃を自分の左手首に当て、思いきり引っ張る。

 ビッ。

 ぞっとするような音がして傷口から血が染みだし、勢いをどんどん増してゆく。歴の手首から止め処なく溢れ出す血液は、アンティークの前で床にぼたぼたと落ちつづけた。

「……レキ、痛くないの?」

「痛いさ。でもこんなのどうということない、時間が経てば感覚をなくして死ぬんだから。さぁ、君の番だ」

 こんなことをしているのは自分の身体ではないような気がする。しかし痛みは明らかに自分の身体を苛み、痛みだけが明確な歴は自らの感覚を確かめるように一歩、踏み出した。

「やめて」

 彼女の唇は、そう発音した。まさか死ぬのが怖いのかと思ったが、それは違った。

「なんであなたが死ぬのよ……まるで私のせいみたいじゃない!」

 倒れるようにアンティークがすがりついてくる。彼女の服に血がベタリとついた。

 まだ温かく、生臭い。汚いものだな、と思った。自分の血なのに。なぜか掃除のことを気にしていると足元がぐらりと揺れた。次の瞬間、歴は床の上にへたり込んでいた。

 どこかぶつけたわけでもないのに、頭がガンガンする。歴はベッドに背中を預け、姿勢を楽にした。

「……そうさ、君のせいさ。君が死ぬ時、僕も死ぬ。そうすれば、安易に自殺はできない。名案だろ?」

「卑怯よ」見ると、アンティークは泣いていた。包帯が濡れている。

「なんとでも言ってくれ。ああ、痛かった」

 傷口は思ったよりも深く、血の止まる気配がない……やりすぎた。もしかしてこのまま死ぬのかな、とぼんやり思っていると、アンティークがそばに寄り、シーツで二の腕を縛ってくれた。

「僕の死は、延期されたのかな?」

「無期延期よ。まったく、なんで病人が健常者の手当てをしないといけないのよ」

「今は、怪我人さ」

 アンティークはほんの少し、笑ってくれた。

「……アンティーク、一つ聞いていい?」

 どうぞ、と答えを待った後、歴は話を切り出した。

「きみの病気は、何?」

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