2章 ダルメシアは無気力 5
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< 五月十四日 〇〇一〇時 立川市 常世邸 >
「面倒」が口癖のダルメシアは、メイドに向いていないのではないかと歴は思う。だが、本人の意思はともかくメイド服は伊達じゃないようだ。
ダルメシアは深夜、しかも戦闘後にもかかわらず、食事の仕度からベッドメイクまで、良く働いてくれた。
どうぞお構いなく、と言おうとしたがさすがに疲れは断る気力を減退させ、歴はシャワーを浴びたあとホールのソファーに自分の身体を深く沈めた。ここで寝てもいい。
ホールの時計は既に日付をまたぎ、午前零時を示していた。
「今日は……二日目だったっけ?」
自分が学生服を着ていたことにいまさらながら気付く。学校に行こうとして、アンティークに出会って、ロボットで戦って、山をさまよって……。
「勘弁してくれよ、塾のかけもちよりきつい」
深く息を吐き出すと、より一層身体がソファーに沈んだ。
「大変だったな、みぎわ君」
風呂をすませたらしく、秤がやってきた。白衣を加工したようなだぶだぶのパジャマを着ている。
「お邪魔するぞ、私の家だがな」
「まあ、そりゃそうですけど」
秤は歴が寝転がるソファーの上に腰を下ろした。ちょうど、足の上に乗った格好になる。
髪を下ろした秤は年相応の少女に見える。ひょっとして、彼女は奇妙な格好で他人にわざと距離を置こうとしているのだろうか。
歴の心中を知ってかしらずか、秤はくだけた口調で話しかけてきた。
「ただの高校生が大冒険だったな」
「君は、違うの?」
「違うと言えば、そうだ。私は、特異体質だから……つまらない話だな」
言いかけて突然中断したようだった。秤は自分の話を避けているのだろうか。
「そういえば」
突然思い出して、歴は反射的に上体を起こした。家族に連絡を取らなければ。
「ここに電話は?」
「あるが、通じんぞ。携帯もアンテナが立っておらん」
「やっぱり。でも、それでもいいかもな……」
あきらめと安心が半々で、歴はソファーの肘掛に頭を乗せた。
「それでもいいって、家族が心配しておらんのか?」
「心配しているでしょうけど、このまま家に戻るわけにもいかないでしょう。学校をサボる、いい口実にもなるし」
「ミギワくんは、学校が嫌いなのか」
「うん。落第寸前でね」
自分が思いのほか気落ちした表情をしていたらしく、秤は気の毒そうな顔をした。
「機転は利きそうなのに、変だな。それに、まだ一学期ではないか?」
「五月病って奴。色々うまくいかないことが多すぎるよ」
歴がため息混じりに言うと、秤の目にかすかに火が灯ったように見えた。
「うまくいかないことが多すぎる。それは裏を返せば、すべてをうまくいかせたいと思っていることから生じる悩みだ。違うか?」
「そりゃまあ、そうだろうけど……」
「今までうまくやってきたのだな。運が良かっただけかもしれんのに」
歴の言葉を秤は鼻で笑った。思わず、ムッとしてしまう。
「そんなこと、見たわけでもないのにわかるんですか?」
「元が傲慢なのだよ。どこまで欲をかいているかは知らぬが、人間関係や成績の一から十までうまくいくはずがないのだ、いくら努力をしてもな」
言っていることはよく分かる。苦手科目を克服するとか言っても好きになることは稀だし、人間関係でも嫌な奴や苦手な奴は必ずいるものだ。しかし、歴の言っていることとは微妙に噛み合わない。
とにかく、日常は居心地が悪いのだ。自分の場所という気がしない。
「あんたみたいに頭のいい人にはわかんないよ」
そう言ってソファーの背もたれに顔を隠し、目を閉じた。秤はまだ何か言いたそうだったが、「おやすみ」と言い残し、階段を上る音が聞こえた。
<????>
外は嵐だった。
「おとうさま!」
秤は周囲の制止を振り切って、外に飛び出した。
突風は研究所を中心に吹き荒れ、そこはさながら人口の台風が発生したようだった。
まだ幼い秤の身体は何かに掴まっていなければ吹き飛ばされることは必至で、建物の柱や機材に身体を押し付けるようにしながら父の元に向かった。チーフ兼出資者である父以外は全員が避難していた。
父が、竜巻に飲まれようとしていた。
「おお、これは……!」
うずたかき竜巻の塔を目の前にしてぶつぶつと独り言をつぶやく父の姿は、まるで背中に何かが取り憑いているようだった。これはわたしが助けないといけない。みんな臆病風に吹かれて、それどころじゃないから。
「とうさま、とうさま!」
背中にしがみつき、必死に声を張り上げる。風鳴りのせいで、声が聞こえないのだろうか?髪を引っ張ってもダメだ。父の視線は、巨大な計測器に釘付けだった。
不意に、嫉妬のような感情が秤の心の中に芽生えた。まるで父親を取られたような気分だった。
かつて父の元を去った母もこういう気持ちだったのだろうか?とにかく父に正気を取り戻させるためにも、計測器は引き離さなくてはならないものだった。
「えい!」
秤は幼い手で計測器のコードを掴み、放り投げた。コードは蛇のようにうねり、コードに引きづられるようにして、巨大な計測器が空気の荒れ狂う渦へ巻きこまれてゆく。父が怒るかと思ったが、次に父が起こした行動は秤を満足させるようなものではなかった。
ああ、と失望の声を上げて嵐の中へ手を伸ばしたのだ。父の指先が渦の端に触れると一瞬で、身体が宙を舞い上がる。
「とうさま!」
秤が最後に見た父の顔はこの世のものとは思えない、まるで神の姿をこの目で見たような歓喜に満ちていた。