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プロローグ


<皇歴一〇五年 四月二〇日 グレーイス 山岳地帯>


 いつもにまして雪の降る夜だった。

 視界は、夜闇と吹雪のベールに隠されて数歩先が見えない。道の端々に立つ針葉樹林がなければ、土地鑑のない者なら簡単に方向感覚をなくしてしまうだろう。

 その中を兵士たちは整然と、かつ迅速に移動していた。白い軍服は雪の柱に見え、地吹雪に紛れてよく見えない。

 彼らはある建物を目指していた。

 小高い丘の上に立つ、洋館である。

 腰まで積もった雪を掻き分けて道を作った兵士たちは垣根の周囲に小走りで辿り着くと、まるで命を失ったようにそこにうずくまり、動かなくなった。

 洋館は兵士の存在を知ってか知らずか、沈黙を守っている。黒い建物には常夜灯がうっすらと灯っているのが見えた。

 兵士たちに遅れて、巨大な棺桶のようなかたちをした一台の車が到着した。どんな地形でも踏破できる、無限軌道の装甲車だ。巨大な装甲車は後ろに荷台を引きづっていて、長い坂を登り終えると甲高いブレーキの悲鳴を轟かせて止まった。

 装甲車の上部にある分厚いハッチが開き、その中から男が姿を現した。男はいかつい顔を吹雪にさらすなり、大きなくしゃみをして巨体を震わせた。

「何も、こんな夜に駆り出すことはないだろうに……」

 鼻をすすりながら言うが、ここまで来てしまった以上その言葉は何の意味も持たない。部下たちの配置を終えると、男――スリンガー中尉は洋館への突入を開始することにした。あくまで、平和裏に。

 館にあるのは次元航行機。そして、それを製造しているのはオーベルト博士。どちらもこの国の、そして世界にとってなくてはならない人材だった。



 自分たちが来たことは、館内からでも見えるはずだ。にもかかわらず館側から使用人が来るということはなく、全ての住人が引き払ってしまったかのように沈黙を守っていた。

 これでは実力行使をしろ、と言っているようなものだ。

「しかたない、進入しろ」

 スリンガーは前方に配置していた戦車に前進の指示を出す。けたたましいエンジン音と共に動き出した戦車は正門の支柱を蹴散らしながら中庭へ進入した。

 門扉を破壊されたにもかかわらず、それでも館から人が現れることはなかった。

 まさか、館の中は本当に無人なのか。それとも逃げ出してしまったのか。焦りの色を顔に浮かべたスリンガーは、「総員降車!」と指示を出すと、自分も戦車から飛び降りて館に走った。

 ここを逃がしてしまうと、国にとって途方もない損失になってしまう。

 屋根に積もった雪の量から察すると、ここを出たにしてもそこまで時間は経っていないはずだ。この地方は豪雪地帯で、一週間雪下ろしをしていないだけで大抵の屋根は崩れ落ちてしまう。

「隊長!」

 部下の報告によると、屋敷はどこも鍵がかかっている状態だという。中庭に行こうにも、更なるフェンスに阻まれてしまう。

「どういうことだ……むっ」

 フェンスと鍵の破壊を命じようとしたところで、屋敷に動きがあった。

 スリンガーの正面、屋敷本館の扉が音を立てて開いたのだ。

「やれやれ大仰なことだ、スリンガー中尉。夜も更けた、もう少し来訪の仕方に気を着けたらどうかね」

 扉の奥に立つ初老の人物は、手入れを怠って長い白髪を伸び放題にしている。この人物こそがスリンガーの探し求めていた人物、オーベルト博士だった。


 紅い絨毯を無骨なブーツが踏みしめる音が、洋館の中に響いていた。

 広い廊下の中を歩くのは、スリンガーとオーベルトのふたりだけだった。

 廊下の脇には召使いたちが直立不動の状態で沈黙を守っている。きっと主であるオーベルトから命令されたのだろう。こちらも兵士たちは館の外に待機させている。下手にこじれてしまっても、怪我人が増えるだけだと。

 ただし念のため、館の包囲は続けていた。オーベルトが再三にわたり軍の監視から逃げ出していることを考えると、やむを得ない措置だった。

「よくここを探し当てたな、スリンガー」

「おかげさまで、苦労しました」

 スリンガーが応えると、オーベルトは口の端に笑みを刻んでいた。

 軍人であるスリンガーはオーベルトの監視役であると同時に世話役でもあったが、それにしては今までの生活で情が移りすぎたのではないか、とわずかに後悔した。博士との関係は終わり、本来のものに戻ろうとしていた。

 廊下の突きあたりにはドアがあった。無言でドアを開くと、冷気と人いきれが狭い部屋に充満する。部屋には床が抜ける寸前まで機器が押し込められ、壁が見えない。全て軍の研究のための機械だ。

「次元航行機は」

 まずは設計図を抑えなくては。そして、製作途中の部品はどこにあるのか。まさか、処分してしまうわけはないだろう。スリンガーは部下を連れてきていないことに少しだけ後悔した。証拠品を抑えようとするスリンガーに対してオーベルトは渋面をしているが、眼には生徒の悪戯をとがめる教師のような親しみの色がある。

「まったく、少し落ち着かんかねスリンガー。別に逃げはせんよ」

「失礼しました、博士。なにせ急のことだったので……あれは完成したのですか?」

 スリンガーは長身を折り曲げて謝辞を述べた。拘束しているとはいえ、あくまでこちらは協力を乞う立場にある。

「試運転がまだじゃ。安全が確保されない限り、おまえたちに渡すわけにはいかん」

 裏を返せば完成はしているということだった。オーベルトの答えは、スリンガーの予想していた通りだった。スリンガーは安堵したが、岩のような表情を変えることはない。

「ならば話は早い。帝都に運びましょう、あれは……?」

 言いながらスリンガーは中庭を見た。

 中庭にはケージがあり、そこで建造されているのは、巨大な人型の機械だった。次元航行機である。鎧を着こんだ巨人のようにも見え、「航行機」と言う名称がスリンガーには場違いに思えた。

 次元航行機の洗練された四肢と滑らかな鉄肌にまだ戦いの跡は刻まれていない。しかし、どこかが通常と違う。窓越しの眺めに眼をこらすと、機体の表面は細かく震えていた。足元からは地吹雪が巻き起こり、側の機器類が雪をかぶっている。

「まさか、もう起動しているのか!」

 博士を振り返ると、どこか愉快そうな表情を浮かべている。博士は機体を指差して叫んだ、

「ただでは渡さぬぞスリンガー。欲しくばあれを止めてみよ!」

 博士の自己陶酔に付き合っている時ではない。スリンガーは窓を開けて外に向かって「動きを止めろ!」と声を張り上げるが、吹雪の音にかき消された。

 それでも部下たちは状況に気付いたらしく、ワイヤーガンを構えていた。先端に鉤爪が装備されたワイヤーが発射され、試作機の動きを止めるべくグルグルと巻きつく。しかし試作機は超鋼筋を織り込んだワイヤーをいとも簡単に引きちぎり、移動をはじめる。

「どこへ行く気だ……走って逃げるにしても、限界があるぞ」

 突然館を囲む外壁がハンマーを叩きつけるように、外側から壊れた。白煙を上げるその向こうには、スリンガーが持ってきた人型の機械、次元機の姿があった。通信を聞いて部下が勝手に起動させたのだろうが、それをとがめる気にはなれなかった。

「用意がいいなスリンガー、次元機を持ってきたか」

 オーベルトが耳障りな笑い声を上げる。

 次元機はまだ相手が本調子にならないうちに動きを止めようと、丸太のような腕で組み付いた。対する次元航行機も、次元機の腕を掴む。ずんぐりとした次元機と、すらりとした体躯の次元航行機。

 両者は組み合ったまま、洋館の前でピクリとも動かない。いや、動けないのだ。

「力比べをするつもりか」

 スリンガーは固唾を飲んで見守るしかなかった。

 結果はすぐに現れた。次元機の腕はひしゃげ、たまらず後退しようとするが次元航行機はそれを許さず、壊れた腕を掴んだまま思いきり次元機の腹部を蹴り上げた。

 衝撃に抗するように次元機の腕が限界まで伸び、そしてちぎれた。傷口から大量に飛び散る赤い体液が洋館の窓を染め、反射的にスリンガーは腕で顔をかばうが、幸い体液は飛んでこなかった。

 恐る恐る、外の様子を見てみる。

「なんということだ……」

 オイルの血だまりが雪を真っ赤に染め、次元機の関節とフレーム、そして藁束のような人工筋肉が湯気を上げて転がっていた。館の向こうに転がる本体は、両腕を失って起き上がることができない。悲鳴のようにと甲高く叫ぶモーターの音は、無力な次元機をより一層哀れなものにしていた。

 相手にも、その赤い体液は返り血となって付いていた。だが、さして気にした風もない機体は、勝ちどきを上げるようにさらに身体を震わせた。震えは周囲を巻き込み、館は地震に見舞われた。

「うわっ!」

 あまりの震動にスリンガーは床に尻餅をついてしまった。だが博士は少しもよろめくことがない。まるで、地震が博士の意図するもので、内から湧き上がってくるように。

 風鳴りに似て、しかし全く異質な音が空間をふるわせた。それははるか天空から聞こえてくる、なにかの呼び声だった。

 激震と呼ぶにふさわしい次元航行機の震えは、自身の像をぶれさせ始めた。この光景を、スリンガーはみたことがある。次元機が、崩壊寸前に起こすエンジンの臨界――。

 蜃気楼のようなものが瞬時に視界を包み、眼が幻惑される。機体の周囲を囲むケージが音を立ててちぎれ飛び、館になだれ込む。反射的にスリンガーは博士を背中でかばっていた。ここで死なれては困る、機体は新しく作りなおせばいい。設計図は博士の頭の中にあるのだから。

 視界が元に戻った時、そこに機体はなかった。遥か上では、一筋の光が天空に吸いこまれていくのが見えた。

「……逃しましたね?」

 博士が首をすくめるのが答えだった。おとなしく機体を渡せばよいものを。任務に従って、スリンガーは博士を連行しなければならなかった。

「替わりの次元航行機を作ってもらいます、ご同道ください」

 今消えたものは次元航行機一号機、ディメンオン。他の世界へ次元跳躍で移動することができる、この世界の根幹を揺るがす発明だった。

 気を取りなおしてスリンガーはオーロラのような航跡がまだ残るうちに、消えた方位の特定と追撃の準備をはじめた。

 溜息が白く夜空を染めた。


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