絵日記
「きょう、ママとおねえちゃんと、ゆうえんちにいきました。
パパは、いっしょにいくって、やくそくしたのに、ゆびきりしたのに、
おしごとにいってしまいました。
かんらんしゃのなかで、ママがないていました。」
弟の佑樹が書いた絵日記が、破り捨てられていた。
夏休みの宿題なのだと言って、一所懸命に書いていたものだ。
観覧車の絵の下に、たどたどしい文字が並んでいるのを見て涙が出た。
いたずらばかりするし、すぐに殴ってくるし、
口も達者で憎たらしい事ばかり言うけど、
まだ小学二年生だ。
お父さんが帰ってこない理由は、
きっとよく分かっていないのだと思う。
それでも小さな胸を痛め、幼い頭で考えて、
この日記は学校には出せないと思ったのだろう。
その胸の内を考えるとまた涙が出た。
あたし自身、だいぶナーバスになっているんだと思う。
佑樹がスクールバスでスイミングスクールに出かけた後、
あたしはお母さんに呼ばれた。
「美香はもう中学生だからね」
お母さんはそう切り出した。
予想はついている。
その場から逃げ出したい衝動を、あたしはぐっと抑えた。
夏休みに入る少し前、
お父さんが仕事に出ている昼間に知らない女の人が来た。
白い帽子の似合う細くて綺麗な人だった。
お母さんは普段着のままで、その人とどこかへ出かけた。
すっかり日も暮れてから戻ってきた時には、
目は真っ赤で口もきけないほど、疲れきっていた。
あたしは佑樹と二人でカップラーメンを食べて、
子ども部屋に入った。
いつもはうるさい佑樹がやけに神妙な顔をして、
あたしの傍で大人しくしていた。
「ごめんね」
ここ一ヶ月ですっかり老け込んだ気がするお母さんは、
何度も繰り返した。
お母さんのせいじゃないのは分かってる。
一番辛いのはお母さんだってこともわかってる。
それでもあたしは、転校するのは嫌だなあとか、
苗字変わるのは嫌だなあとか、
自分の事ばかり考えていた。
お父さんの事は、ずっと大好きだった。
小さい頃から休みの度にいろんな所に連れて行ってくれたし、
家では将棋を教えてくれたり、勉強をみてくれたりもした。
初潮が来てからは一緒にお風呂にこそ入らなくなったけど、
友達が言うみたいに、不潔とか汚いとかって思ったことはない。
背が高くてお洒落で何でも知ってて、
本当に尊敬していた。
お母さんはどっちかというと古風な人で、
女は一歩下がって夫についていくというような
考えを持っているタイプだ。
自分の身のまわりはあまりかまわず、
夫のため、子どものため、家族のためが第一で、
趣味といえばガーデニングとお菓子作りぐらいという、
絵にかいたような専業主婦だ。
あたしはお母さんみたいな生き方は出来ないなとは思いつつ、
やっぱり尊敬していた。
子どもはみんなそうだと思うけど、
うちの家族は仲良しで、一番すてきな家族だって、
心からそう思っていたのだ。
夏休みが終わる頃には、正式に三人家族になる事になった。
佑樹にはまだ話していないが、彼なりに何かしら察しているのだろう。
今日も佑樹は真っ白な絵日記を前に頭を抱えている。
「本当のこと、書けばいいじゃん」
あたしは佑樹の頭を撫ぜた。
どうしようもないことっていっぱいあるんだなあと思う。
あたしは早く大人になりたい。
すべての事が自分で解決できるようになって、
佑樹を守ってあげたい。