天気雨
あの時、あの場所で、
バッタリ出会ってしまったのは、
本当に偶然だった。
今思えば何食わぬ顔で
通り過ぎればよかったのに、
ふたりは同時に足を止めてしまった。
私はテニスをした帰り道で、
女の子の連れがいた。
見た目からして、随分と年の離れた彼との関係を
彼女にどう説明したのか、
よく思い出せない。
きっと訝しげな表情を浮かべながら
帰って行ったであろう彼女の、
後姿だけはよく覚えている。
「外で会うのって、初めてかな」
彼女の後姿が豆つぶのようになってから、
ようやく彼が口を開いた。
ちょっとはにかんだような
笑みを浮かべている。
「こんなに明るい時間に会うのも初めてだね」
私もぎこちなく頬をひきつらせた。
私たちはいつも夜が来てから、
狭くて薄暗い部屋の中で会う。
私が見る時にはもう、
上着はクロークに預けられ、
ネクタイは緩められている。
そして私はそのネクタイを、
ゆっくりと外していく。
それがどんなネクタイだったかなんて、
記憶している余裕はない。
私には限られた時間の中で、
しなくてはならない事がたくさんあるから。
彼は私の大事なお客さんだから。
ネクタイをきちんと締めて、
会社のロゴが入った袋を抱えた彼は、
別人のようでもあり、
やっぱり彼そのものだとも感じた。
何より「みかちゃん」と呼ぶ、
少しくぐもった声が
すべてをフラッシュバックさせてくれた。
空はピーカンに晴れてひどく暑かったのに、
突然、雨が降り出した。
どの雲が降らせているのか悩むくらい、
空はそのまま青かった。
あなたは慌ててスーツの上着を脱いで
会社の紙袋にかぶせる。
あっという間に私たちは、
ずぶ濡れになっていた。
私のアパートは、
そこから歩いて10分ほどのところにあった。
不思議と迷ったり困ったりはしなかった。
私の部屋に彼がいる。
それはきっと神様がくれた風景だ。
「悪いね」
彼は、恐縮しながら私のタオルで頭を拭き、
私は、彼の濡れたシャツに一心不乱にアイロンをかける。
ただそれだけなのに、
胸ははじけそうに高鳴っている。
彼は時々時計に目をやりながら、
私の指先を自然に追っていた。
彼の視線が指先から外れ、
私の身体に滑り始めた。
その時は確かに、店の女の子とお客じゃなかった。
私は彼の腕の中で、
ただの「女」になっていた。
それから彼は、
二度とお店には来なかった。
突然の別れは、あの天気雨のせいだ。
寂しくて哀しくて、毎日めそめそ泣いていた。
彼なりのけじめなのだろうと、
10年たってから、ようやくそう思えた。
私もすべての過去に蓋をして、
明日、お嫁に行く。