約束
「俺、全然大丈夫だからさ」
将太が嘘をついた。
「大丈夫だよ、すぐに元気になるから」
すがりついて泣き叫びたい気持ちをぐっと抑えて、
あたしも笑顔で嘘をついた。
優しいくて哀しい嘘。
消毒の匂いが何もかもを消してしまうような、
無機質な白い病室で、
ぐるぐる巻きの包帯から目だけ出てる将太は、
全然大丈夫なんかじゃなかった。
買ったばかりのスカートを
裏返しにはいている事にすら
まったく気付いてなかったあたしも、
平気でいられるわけがなかった。
あたしたちは、
どんな言葉を登場させればいいのかも
考え付かないほどに動揺して、
ただただお互いの手を握りしめ、
その温かさだけに、
存在を確認しあった。
面会時間の終りを告げに来た看護婦さんに背中を押され、
あたしたちは約束どおり、
涙を見せずに別れた。
そしてその夜、
将太はひとりで逝ってしまった。
バイト先で知り合ったあたしたちは、
ごくごく当たり前の
なんだかんだや、すったもんだを乗り越えて、
お互いにかけがえのない存在になった。
お金がないだの、単位がとれないだの、
ごくごく当たり前の些細な葛藤はあったものの、
今思えば気楽な大学生活を終え、
それぞれに就職をした。
就職先は将太は千葉で、あたしが横浜で、
ごくごくよくあるプチ遠距離恋愛になった。
新人研修の日々が続き、
平日には滅多に会えなかったけど、
週末には疲れた身体引きずって、
あちこち遊びに行った。
若さにまかせた強行スケジュールで、
スキーや格安海外ツアーにも出かけた。
一緒に過ごせる時間が短くなってから、
あたしたちは、ずいぶん沢山の約束をした。
朝起きた時と寝る前には、
必ずメールすること。
待ち合わせには遅刻しないこと。
煙草はすわないこと。
二人でいる時には、時計を見ないこと。
喧嘩したまま別れないこと。
それから・・・絶対に嘘をつかないこと。
そこまであたしが並べた所で将太が言った。
「泣かないこと」
あたしは別れ際に、いつも泣いてしまう。
「あっこの泣き顔が一週間、
目に焼きついて離れないって、どうよ」
あたしは慌てて涙を拭きながら笑顔をつくった。
「将太が営業車で事故を起こしちゃったの」
職場にかかってきた電話は、
二週間ほど前に挨拶に行ったばかりの
将太のお母さんからだった。
会社に何と断ったのか、
どこをどう歩いたたかすら分からないまま、
あたしは病院に辿り着いた。
ふっくらしておおらかそうだった
将太のお母さんは、
憔悴しきって一気に別人のようになっている。
大好きな将太の優しい目が、
包帯の隙間からちょっとだけ覗いている。
「昨日の夜、東北道でね」
まさか、そんなばかな、ありえない、しんじらんない、
そんな単語ばかりが
頭の中をぐるぐると回って、
お母さんの話に無表情で相槌を打つことしかできない。
「中央分離帯にぶつかったって」
お母さんは嗚咽を漏らした。
まさか、そんなばかな、ありえない、しんじらんない。
「居眠りしてたのね・・・」
そうだ・・先週末も疲れた顔をしてた将太を、
あたしがわがまま言って連れまわした。
別れ際にも電車の中で居眠りしていた。
次の日、出張なのだと言っていたのに、
それで将太は運転中に・・
あたしは自分を責めて責めて責めまくった。
「誰も巻き込まなくて、よかったわ」
お母さんの涙声が、いつまでも耳に残った。
将太が往ってしまってからもずっと、
あたしはずっと自分を責め続けた。
何度も将太の後を追おうと思った。
それさえ出来ない自分を蔑み、
生きていることが、
罪だとしか感じられない日々が、
ただただ過ぎていった。
「これであなたも区切りをつけて、
幸せになってちょうだいね」
将太の三回忌によんでくれたお母さんは、
優しい笑顔で私に言った。
帰り道、ふと思い立って、
最後の夏にふたりで行った森のレストランを、
訪ねてみた。
「また一緒に来ようね」
ラズベリーパイを食べながらした
約束を思い出したのだ。
思い出の中と変わらない風景に圧倒されて、
あたしは思わず空を仰いだ。
頭の上を旋回する、二羽の小鳥が視界に入った。
そうか、お前たちはつがいになったんだね。
ずっと我慢していた涙が、今頃こぼれた。