ほんまもん
初めてもらったバイト代で、
夫婦茶碗を買ってきた。
たままた通りがかった陶器市で
安く売っていたのだ。
「今日はなんのお祝いや?」
お母ちゃんは茶碗を手にとって
しみじみと眺めてから、
いきなりぼろぼろと涙を流した。
いくらなんでも感激しすぎだろうと、
あたしはちょっと引いた。
お母ちゃんは大きな音を立てて鼻をかみ、
前掛けで涙をぬぐってから、
話し始めた。
長くなりそうな気配に、
あたしは覚悟を決めて
ケイタイの電源を切る。
途中で鳴ったりすると、
怒り出すに決まっているからだ。
時代が一気に20年ほど遡った。
お父ちゃんとの馴れ初めなら、
何度も聞かされて覚えてしまっている。
またかと思わず耳をほじった。
「あんたももうすぐ二十歳やろ、
二十歳いうたら大人や、
そろそろええやろ」
いつもと違う口調で
お母ちゃんはそう念を押した。
「道ならぬ恋や、今でいう不倫やな」
あんまりびっくりして、
私はお茶でむせた。
「お父ちゃんは老舗の旅館のな、
婿養子やったんやで」
「婿養子?」
お母ちゃんは、大きくうなづいた。
「ほな結婚してたっていう事?」
婿養子という言葉が
ピンとこなかったので、
とんちんかんな言葉が出た。
「だから、道ならぬ恋やて、
いうたやないか」
お母ちゃんの顔が上気している。
「政略結婚、させられてたんや」
ずいぶん大袈裟な話になってきた。
証人がいないから、
真偽のほどは確かではないが、
通いで仲居をしていたお母ちゃんに、
お父ちゃんが一目ぼれしたらしい。
お金が自由にならないお父ちゃんからは、
プレゼントのひとつもなかった。
今でもヒカリモノに
興味のないお母ちゃんは、
どうでもよかったんだと思う。
そんなある日、
お母ちゃんは自分の給料で
夫婦茶碗を買った。
「たまたま陶器市で
みかけただけやったんやけどな」
あたしは笑い出しそうになるのを
ぐっと堪えた。
お母ちゃんの部屋にやってきたお父ちゃんは、
さっきのお母ちゃんと同じように、
しみじみと眺めてから涙を流し、
それから「堪忍な」と手を握ったという。
「ぬくいなあ・・このぬくもりだけは、
ほんまもんや」
まだ若かったお母ちゃんには、
「よう意味がわからへんかったわ」
というが、
ふたりで手を握り合ったまま、
いつまでも泣いていたのだという。
それからどうしてこうなったのかが、
一番聞きたいところだというのに、
お母ちゃんはもうすっかり自分の世界に浸って
ときめいている。
いつの間にかあたしが買った夫婦茶碗は
大きなハンカチに包まれていた。
お父ちゃんの病室に持っていくんだと、
お母ちゃんが目を細めた。
「きっとようなるで」
あたしもなんだかそんな気がしてきた。
「あんたも見つけや、ほんまもん」
お母ちゃんが、ファンデーションも
つけていないしみだらけの顔に
真赤な口紅を塗りながら、
にやっと笑った。