02
二日後。ウィンターは、〈アサルト〉のコクピットにはいり、ヘリに吊り下げられて作戦ポイントへと向かっていた。エネルギー節約のため、機体は本起動しておらず、コクピット内は真っ暗であった。唯一の明かりが、ウィンターが資料を読むために使っている懐中電灯である。
準備は滞りなく進み、予定通りの決行となりそうだ。問題があるとするなら、機体習熟もへったくれもない状況である、というところか。使いたい武装を咄嗟に使えるように、急な攻撃も思い通りにかわせるように、資料をなめるように見、できるかぎりミスが生じないようにはしている。が、見て覚えるだけでは限度があり、実際にさわって機体の反応を確かめないことには、不安は残るばかりである。
幸い、先ほど確認した範囲ではコクピットのインターフェイスはウィンターが慣れ親しんできたものに酷似しており、なんとなくでもどれがどの動作につながるかは分かるようになっている。先ほどリナが胸を張っていたので、ここも彼女の仕事と見て間違いないだろう。感謝しなければならない。
リナといえば、今回の作戦は、テストの様子を逐一確認するため、彼女がモニターするようだ。武装の使用感とか、いちいちその場で聞かれるのだろうか。戦闘中に横槍を入れられるようなものではないか。冗談ではない。
『まもなく、予定ポイントに到着します』
機械的な処理が加わった、男の声がする。〈アサルト〉を輸送している、ヘリのパイロットだ。知り合いではない。作戦の指示を聞くために、通信機器だけは動かしていた。
『その、問題はないですか? 乗ったこともない機体だという話ですが』
了解、と答えようとしたら、見知らぬパイロットにまで心配された。余計なお世話である。問題だらけだ、と返してやりたいところだったが、おそらくこの通信はリナも聞いているはずだ。あいつが悪いわけではないが、多分傷つくだろう、と判断し、やめた。
「心配いらない」
ウィンターはここで、機体を起動させる。グォォォォン、という重低音がコクピット内に響き渡り、まずモニターが光った。メインシステム起動中、という文言が表示され、各部が正常に動き始めたという報告が、次々に出ては消える。機体が、徐々に目覚めていく。
『こちら、本テストのオペレーターです。テスト内容の最終確認を行います』
別の声だ。新しく通信に参加してきたオペレーターは、説明を始めた。敵基地を襲撃、これを壊滅させ、〈アサルト〉の有用性を示せ。これはテストである。そういったところだ。最終確認というだけあり、既に知っていることだった。ここで知らない情報が出されていれば、むしろ問題だろう。
『……まもなくテスト開始です。準備はよろしいですか?』
「大丈夫だ」
よろしくない、機体の操作を試させろ、と言いたくなったが、こらえた。文句を言うなら、この無茶な設定をした上層部に言うべきだろう。
『では、機体を切り離し、通信を終了します。ご武運を』
ヘリのパイロットからだ。彼の仕事はここまでである。あまり近づきすぎて、ヘリごと落とされても問題だし、当然だろう。
「了解」
返事をしたと同時に、がくっ、と衝撃が来る。この時点で、機体は完全に起動を完了していた。モニターには、メインカメラからの映像が送られてきている。ここまで送り届けてくれた翼から放されたことを感じながら、ウィンターはふたつの操縦桿を握り締めた。
「……っ」
一瞬の浮遊感。それから重力に従い、ただ落下していく。
――敵と交戦する前に、移動だけでもマスターしないと。
ウィンターの脳裏には、先ほどまで食い入るように読んだ資料の記述があった。
ぐっ、とペダルを踏み込む。肩と腰につけられた四基のバーニアが唸りを上げ、重力へ逆らおうとする。これまでのHFの常識では落下速度が縮まる程度であったが、〈アサルト〉は見事に抗い切った。モニターに映る地上が、遠い。
飛んだ。HFが、人が、空を。
確かに、〈アサルト〉は今、飛んでいる。重力エネルギーに打ち勝つほどの出力を持つとは、やはりぶっとんでいる。
ペダルを踏みっぱなしで、機体が徐々に上昇を始めていた。目標はあくまで地上施設だ。これ以上高度を上げても意味はないだろう。
「ウィンター、試作強襲機〈アサルト〉」
つぶやき、ペダルから足を離した。再び機体が落下し始めようとする。さぁ、次は前進だ。
「――作戦を遂行する」
宣言。同時に、左の操縦桿を前へ倒し、ぐっとペダルを踏み込んだ。真下を向いていたバーニアユニットがぐいと動き、後方へと火を吹く。とんでもない発想で生み出され、ぶっつけ本番のテストを行うという数奇な運命をたどることとなった試作機〈アサルト〉が、人型として初めて、空を翔けた。
その時まで、基地は平穏であった。襲撃はなく、たまに敵の偵察部隊が深入りしてくるだけだ。そういう奴らは、数の暴力で押しつぶせば、あっけなく撃破できる。いわば、ぬるま湯に浸かっているようなものであった。
この状況は、規律を重んじる軍隊にとって、悪影響を及ぼすことになる。多少命令違反をしようが侵入者を撃退できることは、上意下達の軽視に繋がる。基地司令がHFを過小評価しているのに対し、基地の主力がHFである、という矛盾も、これには深く関わってきた。加えて、基地司令は別件があるとして地下の開かずの間に閉じこもり、この頃は基地の方針に全く口を出さなくなっていた。
腐敗の始まりである。副司令はあまりの惨状に行方をくらまし、残ったのはHF運用のために慌てて集められた、軍人のなんたるかを知らない者たちであった。
レーダーの索敵範囲になにかないか見張る人員も、気楽な面持ちであった。談笑し、配給された菓子を食べ、楽しいひと時を過ごす。その様を誰も咎めないどころか、混ざっていたりまでする。彼らの仕事は、それで終わるはずだった。
ふと、ひとりがレーダー表示におかしな点をみつけた。はじめは汚れかとも思ったが、違う。未確認の兵器だ。
「すいません、レーダーに反応が……」
と、途中まで言いかけた彼は、点を目で追いかけようとして絶句した。明らかに速い。戦闘機でも飛んできているのかと思ったが、それにしてはその点は単機であることを示していた。単機で基地に突っ込むなど、HFでさえ無茶がある。
「どうした、いくらなんでも報告くらいはしっかり――な、なんだこれは!」
「は、速い!? 戦闘機か?」
「馬鹿を言え、基地に単機で突っ込んでくる戦闘機があるか!」
彼の声に釣られて周りの者もレーダー表示を覗き込み、その速さに驚愕する。そうこうしている間にも、未確認機はどんどん基地へ近づいてきていた。
「くそっ、HF隊を出せ! 守りを固めろ!」
「打って出なくていいのか! 相手はたかが単機だぞ!」
「間に合うものか! 向こうが早すぎる!」
すぐさま命令が飛ぶが、突然の事態に基地は混乱していた。打って出ろ、いや出るな、と、指示が錯綜する。
結局、基地が保有していたHFは八機全てが出撃したが、現場にも突撃すべきと判断した者がいるらしく、一機が先行する。
「ええい、あの馬鹿を連れ戻せ!」
怒号が飛ぶが、遅かった。
『なんだこいつ、速すぎる……っ! 誰か!』
という通信が、先行した機体から送られてくる。しかし、他の機体は基地防衛を優先し、動けない。
「基地のカメラ、未確認機をとらえました!」
「モニターに出せ! 付近の砲で援護しろ!」
一応の上官のその一声で、モニターの映像がひとつのカメラのものに切り替わる。その瞬間。
『う、うわぁぁぁぁっ!』
先行したパイロットの、悲鳴。直後、爆発音がし、映像は黒煙に包まれた。
「くそっ!」
瞬く間に、一機やられた。この基地が活動を開始してから、機体の損失が発生するなど、これまでになかったことだ。
カメラは、黒煙の中から何者かが飛び上がるのをとらえた。その動きを追いかけ、映像も基地上空へとうつりかわる。
「な、なんだ、あの機体は……!」
その場の誰もが、息を飲んだ。機体頭部のバイザーが、ギラリと輝く。カメラに映った純白の未確認機は、肩と腰のバーニアを吹かし、空から、基地を見下ろしていた。