異界執事の仕事日記
海の月3日水曜日 一日目
私が異世界転移してかれこれ半年、この日記帳も今日から二冊目でございます。果たしてこれが帳と呼べるのか……私には辞書のようにしか見えませんが、まぁ日記帳なのでしょう。
本日は普段通り5時に起床し、この半年で着慣れた燕尾服を着用しました。やはり執事たる者どのような時でも隙を見せず主の要求に応じるべきだと私は思います。常に冷静沈着に最上の結果を出す、心の隙間を作り出さないためにも装いから普段の態度から気を遣わればならないのです。
身支度が完了すれば給仕室に向かい殿下のモーニングティーを準備します。本日のティーは今朝の市で手に入った南方の珍しい茶葉で、何やらフルーティーな馨しい香りが致します。これは殿下もお喜びなされておりました。また市に出ていれば買わせましょう。いや、取り寄せも……。
殿下は朝が弱くいらっしゃいますが何やら今朝は一人でご起床なされておられました。これは要チェックでございます。
殿下の本日のお召し物は金の刺繍がふんだんに施された黒。王妃殿下譲りの美しい金髪を良く引き立てています。最近成長期のようですぐにサイズが合わなくなりますが、これはなかなか素晴らしい。
朝食はパン、生ハムとパプリカのシーザーサラダ、魚介のスープ、アウラのムニエル、アルルでございました。しかし殿下はサラダがお嫌いのようで、顔を終始顰めておいででした。
本日の殿下のスケジュールは歴史、地理、ダンス、算術に午後からは剣術と馬術の稽古です。しかし、歴史の担当家庭教師が「いつまで経っても殿下の姿が見られない」と訴えてきました。どうやら今朝のご起床といい何やら匂います。
「私はそう簡単に騙されませんよ、カルディオル殿下」
白い大理石でできた王城の屋根の上で、一人の男が不敵な笑みを浮かべ、双眼鏡で周囲を見回していた。
この国では…いや、この世界では見られない濡れ羽色の髪と同色の瞳を持つ燕尾服姿の男は、少し影のある精悍な美貌を無表情に変える。
それでも惹き込まれる妖艶でエキゾチックな顔立ちは男を魅力的に見せていた。
この男こそ先ほどの日記の筆者であり、彼の立っている王城に勤める使用人であり、第一王子殿下の側仕えであり、かの殿下の護衛でもある。
「フッ、まだまだ詰めが甘いでございます。私からは逃れられませんよ」
なぜ彼がこのように屋根の上で怪しい言動をしているか、それは彼の仕事対象である殿下に起因する。
家庭教師に申告された彼は殿下が取る行動を推測し、今日より城下町で催される聖誕祭を思い出し、殿下が祭りに向かうものと判断する。
そして彼は城外へ出る為に殿下が城門に向かうだろうことを予測し、その経路上に潜伏しているであろう殿下の姿をこうして高所から探しているのだ。
いや、もう殿下は探し終えていた。
噴水近くの茂みに彼の黄金の髪を見つけた彼は屋根を軽く蹴って空中で二回転すると片手に魔法陣を出現させる。
それは風の上級魔法で、空気が圧縮された翼のようなものを背負うと優雅に飛翔した。
「殿下、お勉強はどうなされるのでございます?」
彼の姿を見て逃げ出そうとする殿下に優しく声を掛けると、ビクッと身体を震わせて固まった。
恐る恐ると振り返った殿下は少しキツめの利発そうな美少年で、年の頃は7歳ほどだ。
「いや、そのだな、それは決して街に行こうとしているわけではなく…………」
「私めはまだ何も言っておりませんが?」
「うっ!?」
「そうでございますか。街に行くつもりだったのですね」
「メイ〜〜〜〜」
父親譲りの真紅の瞳を潤ませて懇願するように上目遣いになる殿下に大きな溜め息をこれ見よがしに吐き出す。
この殿下は少しヤンチャな問題児で、何やら城外の街に興味があるようなのだ。
まぁ民の暮らしを見ておくことは殿下のためになるし、国民の受けもいいだろうことは分かる。
しかし護衛も付けず脱走してまで向かおうとするのは如何なものか。
それでもなんだかんだとこの王子に甘い彼は柔らかな苦笑を浮かべて頷くのだ。
「仕方ありませんね、私が護衛をするので少しだけなら行っても構いませんよ」