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蝶の笛

作者: 五十嵐 涼

葉桜が陽に照らされ翡翠にも似た輝きを放つ頃、俺はある村へと調査の為向かっていた。宿をとった町から俺の足でも半日ほどで着く距離だったが通常の半値で乗せてくれるとの誘いにつられ、今は駕篭の中で揺られている次第だ。

「お客さん、あの村に何用ですかね?」

前を担ぐ駕篭かきが日に焼けた顔をこちらに向け、よく通る声で話しかけてきた。

(俺は華奢な方ではあるが…それにしてもよく息も切らさず喋れるもんだ)

威勢がいいのは結構だがこの駕篭かき、跳ねる様に走るので俺はカゴの中で右に左に揺られすっかり酔ってしまったではないか。

「ああ、依頼でな。村を調査するんだよ」

額から垂れる冷や汗を着物の袖で拭う。きっと今の俺は日暮れ時の蜉蝣よりも弱々しいものだろう。

「調査って事はお客さん、領主さまに頼まれたんですか?」

「まぁ、そうなるな」

「なるほど、どうりで。いやね、あの村に行く人なんて居ないですからね。村人がこっちに買い物に来る事はあったけども。まぁそれがここ最近では村人も来なくなっちまったけどな」

「ううっぷ」

吐きそうになるのを手で抑えながら思わず顔を地面に向ける。なるほど駕篭かきが言う通り、町から村へと続く道は草があちこちに生え獣道さながら荒れていた。

「ほら、あの事件が起きて以来さ。村人がみんな人さらいにあった事件だよ。お客さんその調査だろう?」

「…あ、ああ」

「噂で聞いたんだが、小さな少女がみんなを連れ去ったっていうじゃないか。おかしな話だろ」

「少女?」

俺は重い頭をなんとか上げる。

(ったく領主のやつ。詳しい事は何にも言わないんだからよ)

「そうそう、6つかそこらの娘って聞いたぜ。その子供、横笛を吹くらしいんだがな。笛を吹くとどこからともなく蝶が集まってくるって話だ。そんでその子供と蝶に誘われる様にみんなどっかに行っちまうんだと。これは山神様の祟りじゃないかってもっぱらの噂さ」

「山神様…ねぇ」

「まぁ噂は噂だが。しかし、よく引き受ける気になったねお客さん」

「高い依頼料を受け取ってしまったからね。やるしかないだろう」

「そうかい。あ、ほら、あそこの村だよ」

駕篭かきが指差した先には大木が茂る山のふもとに家が15件ほど建ち並ぶ集落がみえた。集落の手前は川が流れており、小さな橋が架けられている。

「じゃ、あっしらはここまでで」

そう言うと、駕篭が地面に下ろされ、俺は転がる様に地面へ四つん這いになるとそのまま吐瀉してしまった。

「うえ〜」

「うわぁ、お客さん大丈夫か!?」

後ろを担いでいた男が心配そうに駆け寄ってくる。

「兄貴は走りが荒いから、ほら、薬草飲むかい?」

「あ、ああ、すまん」

何とか顔を上げたその時、俺の着物の隙間からシャラリと音をたて、首にぶら下げていたものが露になった。

「あ!!あんた!」

男は目をむき、その場で固まってしまった。俺達のやりとりを聞いていたおしゃべりな駕篭かきも何事かとこちらを覗く。

「どうした…って、お客さん!あんたキリシタンだったのか!?」

2人の顔はもはや俺よりも真っ青だ。

「禁教令が出たのはあんた、知っているだろ!?なんでそんなもん持っているんだよ」

震える指で俺の首下で揺れる十字架を指差す。俺は黙って立ち上がると乱れた着物を直し、ロザリオを着物の中へとしまい込んだ。

「あ、あっしらは何にも関係ないからな!!ここまで運んだ事は誰にも言わんでくれ!!」

そうとだけ言い残すと駕篭かきは空になった駕篭を引きずる様に来た道を戻って行った。彼らが走り去った後にはもうもうと砂煙が舞っている。

「やれやれ」

禁教令が出て1年少し。江戸から随分離れたこんな町でもすっかり庶民に知れ渡っていたとは。

「しかし、今回依頼してきた領主は俺がキリシタンで或るが故に依頼してきたのだがな」

今回の件は領主自らの依頼だった。寺や神社にはとっくに依頼していたがそれでも解決しないので最後の手段で俺達の「家」に頼んできたという訳だ。

(それにしてもなぜこんな小さな集落一つに領主がここまで拘るんだ?こんな集落、無くなった所で痛くも痒くもなかろうに)

もうすっかり見えなくなった駕篭かきらの残り香にフンと鼻息を鳴らすと、俺は腐りかけた橋を渡り集落へと向かった。

「さてさて、どなたかおりますかね」

居ない事を知っていながらも一応俺は一軒一軒引き戸を開けて回る。家の中は主がまだ居た頃そのままに、編み掛けの藁や、作り途中の傘などが置いたままだ。しかし、その一方で作りの良さそうな着物や鏡などこんな村には似つかわしくない物も見受けられた。

「町で傘売りをし生計をたてていたのか?それにしちゃやたら羽振りが良過ぎる」

首を捻りながらも集落の奥へと進む。俺が歩く度にざり、ざりと響く草履の音が余計に静けさを際立たせた。

(どの家も外観はどこにでもある貧しい農村のそれと違いないが、家の中の調度品があまりにも不釣り合いだ。この村、なんかあるな)

「ねぇ」

急に背後から甲高い声が俺を呼び止める。振り返るとそこには、いつの間にか赤い着物姿の少女が立っているではないか。歳の頃は5つか6つくらいだろうか。

「何をしているの?」

少女の手には木で出来た小さな横笛が握られていた。

「お兄さんはここの村の人じゃないわね」

結われていない肩まである髪はとても艶があり、しかし、それとは反対に肌と目は生気を感じられない程乾いていた。

(少女の着物の刺繍、それなりに値がはるものだろう。この子は村の子なのか?)

俺を見上げていた少女が、チロリと割れた舌を出す蛇の様に気味の悪い笑みを浮かべる。

「ああ、この着物?素敵でしょ。あの家の子供が着ていたから私が貰ったの」

彼女は俺が扉を開けたままにしていた家の一つを指差した。

「あの家の人は?みなをどこにやった?!」

「まぁ、どこに行った?じゃなくてどこにやった?と聞くのね」

袖の端で口元を隠しクスクスと笑う。その姿は獲物を捕らえた獣の余裕の笑みに見えた。俺は思わず着物の上からロザリオを掴む。

「ねぇ?あなたもここに来たって事は誰かに消えて欲しいのよね?」

「??消えて??一体なんの事だ?」

しかし、俺の問いには答えず彼女は持っていた横笛に唇をつける。ふうと息を吹き込むと笛からは木々のざわめきの様な、川のせせらぎの様な、何とも言えない音が奏でられた。

「不思議な音色だ…」

音色に惹き付けられたのか、色とりどりの蝶が少女の周りに集まってくる。

「あなたの罪、みせてもらうわ」

「!!?」

頭から風呂敷でも被せられた様に突如辺りが真っ暗になった。



「はっ!」

目が覚めると俺はいろりの前で横になっていた。俺の体には女性ものの着物が掛けられている。

「ま、まさか」

俺はその着物に見覚えがあった。いや、見覚えがあったなんてものじゃない。何故ならこの着物を、この場面を、脳を焦がすほど記憶に焼き付けているからだ。

「そんな馬鹿な!ここは!!俺の家じゃないか!!」

飛び起き、真っ先に俺の寝ていたすぐ真横の畳に手を当てる。

「まだ…暖かい…」

手の平から伝わった温かい感覚は、俺の全身を凍らせた。これから起る事を俺は全て分かっている。それでも、俺は家を飛び出し、同じ過ちへと向かって行った。

家を出て松林を抜けると辺りはゴツゴツとした岩肌へと姿を変えていった。ざぁんという波音と共に潮風が体にまとわりつく。

「居ないでくれ!!頼む!!!」

そう言いつつも、俺はある岩壁を目指す。

(やめてくれやめてくれやめてくれ)

だが、俺の願いも虚しくぼんやりと人影が俺の視界に映ってしまった。

(やはりあの時と同じじゃないか!!)

長い髪を好き放題風に遊ばせ、崖の際で静かに佇むのは一人の女性だった。小袖が捲れ、透き通る程に白い足がチラチラと見え隠れしている。

「ゆき!!」

俺の叫び声に彼女はふわりと微笑む。しかし、俺が手を伸ばせば届きそうな位置まで近づくと彼女はいやいやと首を横に振り一歩後ろに下がった。それを見て俺は慌てて足を止める。

「弥七、ここがよく分かったわね」

全身が痺れる様な甘い声。幼い頃からずっと一緒だったというのに、彼女の声はいつだって俺の胸を熱く揺さぶる。

「ここは俺達2人だけの場所だから」

切れ長の瞳を潤ませ、彼女は一つ頷く。

「そう、子供の時みんなに内緒でよくここで遊んだよね。この崖は危ないから行っちゃいけないって言われていたのに」

「ああ」

彼女の半歩後ろはもう足場がない。その下には荒れ狂う波が待ち構えているだけだ。

「子供の頃からずっと弥七と一緒で。だから大人になっても一緒だと思っていたの」

「ああ…」

あまりにも幼く純粋すぎる瞳に耐えきれず、思わず目を逸らす。彼女の瞳は間違いなくこう言っていた。どうして他の女と婚約をしたのだと。

「でも仕方なかったんだ。俺は幼い頃に両親を亡くし、ずっとゆきの家に世話になっていただろ。おじさんとおばさんが好意で進めてくれたお見合い話を断るなんて…。それに俺はあの娘を気に入っているよ」

こんなのただの言い訳に過ぎない。分かっている。分かっているが、ゆきが俺の為に良縁を断り続けているのも知っていた。だから、ゆきに幸せになって欲しくて。ただそれだけだった。

「俺ではユキを幸せにしてやれない。お前に飯すら満足に食わせてやれない」

歯を食いしばり面を上げると、魂を抜かれた様に表情を失ったユキの目から涙が溢れていた。

「ゆき………」

「ねぇ、弥七、弥七は私が欲しくないの?」

「馬鹿な!!!そんな訳あるか!!!お前以外いらない!!」

思わず俺の口から本音が出てしまう。

(なんて馬鹿なんだ!これではゆきが俺を忘れる事が出来なくなる!)

これ以上言ってはいけないと自分を律する為、拳をぎゅっと握る。

「そう。その言葉、聞きたかった」

微かにゆきの目が輝きを放った様に見えた。そして、彼女は細い指で自分の着物の共襟をぐいと開く。

「ゆき!」

絹の様なきめ細やかな白い肌と共に小さな膨らみが陽のもとにさらされる。ゆきの体を照らす光にすら嫉妬心を憶えるぐらい俺はその膨らみの感触をこの手に覚えていた。

「弥七にあげたいの。この体も心も全部一つ残らず」

「………」

「全部あげるから。だから、ほら、受け取って」

長きに渡り籠に閉じ込められた白鷺が大空にやっと羽ばたき出す様に、ユキはふわりとその身を空へと投げた。

「ゆきぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!」

伸ばした手はゆきの指先すら擦る事なく、彼女はそのまま遥か下の海へと消えていった。

「なんて事を!!!なんて事をするんだぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!」

拳で力いっぱい足元の岩を殴りつける。皮膚をブチブチと裂く鈍い音と共に赤い血が滴り落ちた。

「うそつき」

「!?」

振り向くと、あの村に居た少女が立っているではないか。

「な、なんでお前がここに」

「あなたの記憶の中にお邪魔しているのよ。それにしても迫真の演技だったわね」

少女はくっくっと八重歯を見せ蔑んだ笑いを浮かべる。

「なんだと!?貴様!!」

俺は血まみれで力なくだらりと垂れた右手をぶら下げ、もう片方の腕で彼女の首を掴み掛かった。

「あなた、こうならないと本気で思っていたの?本当は彼女がここから飛び込む事を知っていたんでしょ?」

「黙れ!!!!!!」

「そして自分も一緒に飛び込む気だった。なのにあなたと言ったら。いざとなると自分は飛び込めずにおめおめと生残っちゃって」

「黙れ!!!黙れ!!黙れ!!!!」

少女の首に俺の手がぎゅうぎゅうと食い込んでいく。みるみるうちに少女の顔は赤く鬱血していくというのに、彼女は薄ら笑いを浮かべこの状況を楽しんでいる様だった。

「くくく、罪と共に生きている事になんの意味がある?愛するものに先立たれ、それでも生残っているお前は生き恥以外の何だといういのだ?」

「うっ…」

それは俺がいつも自問自答している言葉ではないか。

(この少女は俺の映し鏡とでも言うのか?)

俺の手が緩むと彼女はコホンと咳払いをし、着物を整えた。

(俺は確かに分かっていたのだ。心のどこかでゆきとこの崖から飛び込もうと思っていたのではないか。ゆきだってそれを望んでいたはず。しかし、実際は手を伸ばしただけだった。いや、あの手だって本気で伸ばしたのか!?一瞬の躊躇もなかったのだろうか。俺は…俺はゆきを見捨てたのか…)

「彼女も待っているわ、さ、私と一緒にきて」

少女は目を細め俺に向けて手を差し出してきた。

「ゆきが待っている…ゆきのもとへ行かなければ」

少女の手を握ろうとしたその時、胸のあたりがチクリと痛んだ。

(なんだ?)

着物の中に手を入れると俺の胸に吸い付く様に角張った十字形のものが—−

(ロザリオ!!)

ロザリオを通して先生の言葉が俺の体内で螺旋を描き駆け巡っていく。

『罪がない人間はいません。しかしながらその罪を向き合わず自ら命を絶つ事で裁きから逃れようとする者はあまりに罪深い。己の罪と向き合い、そして改心なさい』

俺はゆきを失ってから幾度となく自殺を試みていた。身も心もボロボロだった、そんな時出会ったのが司祭である先生だ。

(なんて事だ!!俺はこんな子供に心惑わされ、教えを忘れる所だった!)

「どうしたの、さぁ手を取って」

苛立った口調で少女が言う。俺は心を鎮め深く深呼吸をするとロザリオを少女の前に突きつけた。

「俺は先生と誓った!俺は俺の罪から逃げないと!!償い続けると!!」

「そ、それは!!!うぎゃあぁぁぁっぁぁぁぁぁ!!」

少女の体から墨より黒い煙が立ち上る。それと同時に腐敗した肉が焼けた様な酷い異臭が鼻をついた。

「うっ、やはり貴様、悪霊か」

苦しそうに地面をのたうち回る少女に気を取られると、いつの間にか辺りは先程の集落に姿を戻していた。右手の傷もすっかり無くなっている。

「ここは…戻ってきたのか」

「ひぎぃぃぃぃぃ」

少女は藻掻きついでに地面の砂を掴むと俺の顔めがけて投げつけた。

「うわっっ、なにしやがる!」

顔についた砂を払い、口の中からペッペっと吐き出す。顔を上げた頃には少女の姿はその場から消えていた。代わりに黒い焼け跡が血痕の如く点々と続いている。

「山へと逃げたか」

俺も後を追って集落の奥にある山へと向かった。

「まだお天道様は傾いていないというのに、ここは薄暗いな」

一歩踏み出す度にじゅわりと湿り気を帯びた苔が草履にくっつく。足場が悪いので左右にある木を支えにしながら何とか奥へと進んでいった。

「しかし、ここに生えているキノコや草はどれも毒性の高いものばかりじゃないか。これは自然に生えていたというより」

明らかに故意に栽培されていたとしか思えない。

「やはりこの村は…」

「そうよ」

頭上から声が聞こえ見上げると、大木の太い枝の上に少女が立っていた。しかも彼女の後方には大人5人は入りそうな巨大なさなぎが幹にへばり着いている。

「あなた、なぁんにも知らないでここに来たのね。いいわ教えてあげる。この村はね、暗殺集団の村よ」

少女は先程黒こげになった筈なのに何故か着物までもすっかり元に戻っていた。

「ここに生やしている毒草を使って、あるいは忍びみたいに寝床に入り込んで。この村の人間は人殺しの為だけに集められた人間達よ。そして恨みが在る者、誰かに消えて欲しい者はこの村に来て依頼するのよ」

「なるほどね」

俺が驚いた様子もなく彼女の言葉を受け止めると、少女はニタッと笑った。

「ふふ、お利口さん。じゃあ、どうして今の領主が10人兄弟の一番末っ子だったのにあの城を受け継ぐ事が出来たのかも分かるわね」「兄弟がみな都合良く死んでくれたって訳か。で、そのからくりがこの村なんだな。それにしても、何故に今更この村人を襲う事になったんだよ」

俺の問いに少女は子供らしいあどけない顔をし、戯けてみせた。

「まぁ!悪霊が村を襲う事に理由を聞くなんて面白いわね。ここは人の怨念がたまり易い。そしてそれは私の養分となるわ」

「悪霊らしい台詞でなによりだね。胸くそわるい」

俺はこみ上げてくる胃酸を地面へ吐き捨てる。

「それはどうも。でも、最初は私も形すらまともに保てない様な小さな悪霊だったのよ。やっと人の子一人を襲う事が出来る様になった頃、ちょうどこの村で病が流行った。偶然悪事が重なっただけなのに何を勘違いしたか村人達は祟りだ、なんて言い出して。祟りを沈める為に頭領の娘を生け贄としてこの木の下に埋めたの」

少女は優しく頭を撫でる様に巨大な木の幹をポンポンと叩いた。

「娘の思いは誰よりも重かった。仲間と思っていた者達に、いえ、それよりも自分の父親と母親に惨たらしい殺され方をした憎悪。両親は真っ先に病弱な彼女を生け贄に差し出すと言ってのけたのよ。私の大半は娘の魂で出来ているといっても過言ではないわ。この姿だって彼女のものだし」

少女の声に呼応しているのか、さなぎの中で何かがモゾモゾと蠢いた。

「ほら、みんなが中でお待ちかねよ。あなたも早く中にお入り、罪深き人よ」

少女が笛に口を当てる。

「うぐっっ!くそっ!!」

笛は鼓膜に突き刺さる様なきぃきぃという高い音をたててきた。両手で耳を塞いでも頭痛がする。

「私があなたの罪も貰ってあげるから、ほら来なさい」

「ふざけんな!俺は自分の罪から逃げたりはしない!!」

俺はロザリオを外すと震える手で力の限りそれを少女に向かって投げつけた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

見事ロザリオは少女の額に命中し、彼女は木の上でうずくまる。

「やっ、やった」

笛の音から解放され、深いため息と共に髪の隙間から流れ落ちる汗を拭く。

「くっくっく、なぁ〜んてね」

不気味な笑い声を上げ少女はすくっと立ち上がった。

「なっ!」

「なんでわざわざあなたをここに誘い出したと思っているのよ」

彼女の額にめり込んでいたロザリオが押し出され、そのまま下に落下する。少女の背中からは触手の如き管が背後のさなぎと繋がっていた。

「ここに養分が或る限り、あなたに私を消し去る事はできない」

かすり傷一つ無い綺麗な額を指先で撫でながら少女が勝ち誇った声をあげる。

(くそぉ、ロザリオが効かないなら…一体どうすれば……)

このままでは何度投げた所ですぐに治癒されてしまう。打つ手が無くなった俺は肩をすぼめ視線を落とした。すると、ちょうど木の幹あたりの土が盛り上がっているのに目が止まった。

「この下には!そうだ!」

俺は胸の前で十字を切ると幹の前で跪いた。

「あははは、なにそれ!命乞いのつもり!?」

高らかに笑う少女を後目に、俺は素手で土を掘り起こし始めた。さほど固くない土だったがそれでも時々小石が指先に突き刺さり痛みが走る。

「ちょっと!何しているのよ!やめなさい!」

少女がまた笛を吹く。耳を塞ぎたくなるのを堪え、それでも俺は目をひんむきながら手を止める事なく掘り続ける。鼻腔にちりっと熱い刺激を覚えると、地面にはポタポタと血が落ちていった。

(くそっ!!鼻血くらいなんだ!!)

「やれやれ、無茶ばっかりしおって」

背中越しにハスキーな女性の声が聞こえた。しかし、俺が振り向くより早く笛の音が止み、木の上の少女が悲鳴を上げる。見上げると少女の首には柄の部分が十字架で出来た短刀が突き刺さっているではないか。

「短刀だから抜けるのに少し時間がかかる。今のうちに、さ」

また背後に気配を感じ、だが俺は振り向くことなく答えた。

「ありがとよ、銀華」

「この貸しは高くつくぞ、弥七」

そして気配はすうっと消えていった。

(頼む!出てきてくれ!!)

俺は力任せに土を掘り返し、そしてある感触に辿り着いた。指先に当たる感触を頼りに表面の土を払う。

「あった!」

そこに現れたのは殆ど白骨化した遺体だった。着物が女子ものだという所から間違いなく彼女、頭領の娘のものだろう。

「辛かったろうに。両親を許せず、自分を許せず。こんな土の中でずっと苦しかったろう?もう、良いんだ。全てを許してやれ。さすればキミも許される。キミはこんな小さな体でよく頑張った」

やさしく薄く肉の残ったほお骨を撫でる。

「やめろ!!!それに触れるな!」

首に刺さった短剣をやっと抜き去り、少女がおぼつかない足元で木から飛び降りた。

「やめないね、消え失せな」

俺は懐に入れてあった小瓶を取り出すと中に入った液体を遺体に振りかける。

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」

火柱にも近い黒煙をあげ少女の体はボロボロと灰になっていく。

「本体に聖水をかけられちゃさすがにひとたまりもないだろ」

木の上にあったさなぎも同じく煙をあげるとドロッとした液体と共に無数の人骨を吐き出し、消えていった。

「ふぅ」

灰が風に吹かれキラキラと輝きながらどこかへ飛んでいってしまった。それを見送り、掘り起こしてしまった死体に再び土を被せようとしたその時、骨となった手に何かが握りしめられているのが見えた。

「なんだいこれ」

手を広げてみると羽化の途中でこと絶えた一匹の揚羽蝶だった。

「この娘も、揚羽蝶も外の世界で羽を広げる事なくこの村で死んで行ったのか…」

遺体の上にロザリオを置き、俺はふわりと布団を被せる様に土をかけていった。

「さてと」

手に付いた土を払い、落ちている十字架の短刀を拾うと、俺はすぐ後方にある木の影にそれを向ける。

「あんたらさっきからそこで腰抜かしているけど大丈夫かい?」

そちらに近づくと2人の男は小さな悲鳴をあげたが、彼らは地面にべたりと尻を付けたまま動けずにいた。

「やっぱりあんたらか」

日に焼けた筋肉質な男達は俺をこの村まで送ってくれた駕篭かきだ。ただ、2人とも今は腰に刀を提げているが。

「どうせ領主に頼まれたんだろ?俺がキリシタンだからか?」

「あ、あっしらは何にもしらねぇよ!むしろ、あんたの首に提げているのを見て知ったくらいだ!あっしらはただ、ひ弱そうな男を村まで送って事が済んだら取っ捕まえて帰れば報酬をくれるって」

「ああん?誰がひ弱そうだって?」

「ひぃぃぃぃ。あっしらは嫌だったんだよ!なのに無理矢理刀なんて持たされて行けって脅されたから」

筋肉隆々の男2人が抱き合って震える姿に俺は肩を落とす。

「なさけねーなー」

すると木々がざわざわと騒ぎ、またあのハスキーな女の声が何処からともなく聞こえてきた。銀華だ。

「弥七、領主はそいつらだけじゃなく、村の入り口に浪人を放っているよ」

「だろうな。退治させるだけさせておいて。都合の良い奴らだぜまったく」

「人は大いなる力を持つ者を、崇め、そして恐れる。自分を許し、そして彼らも許しなさい。それが力を持つ者の定め」

「はいはい。神のご加護があらん事を」

胸前で十字を切る。

「山を抜けていくのが安全だ。弥七、南に進め。私は上から近隣を偵察する」

また木々がざわめくと銀華の気配も消えた。

「さ、俺は行くよ。あんたらもしくじった事がバレるとまずいから適当に逃げるんだな」

まだ震えている2人をしっしと手で払うと、俺は薄暗い山の奥へと進んで行った。








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