剣人-殺戮奴隷
予想以上に長くなりました。
前回のあらすじ
ラウレを奴隷市場から救う為、治安維持局の奴隷市場摘発の協力要請に応じたナールは、アルフレートとインゴと共に客になりすまし、奴隷市場に潜入。すぐに作戦が開始され、ナール達は手筈通り地下牢を目指す。
「流石に寒いな」
倉庫の床には、霧が氷結したことで霜が積もっている。
倉庫に足を踏み入れたナールは、霜を踏みつぶし、耳触りのいい音を耳にした。
同時に、冷気が服の破れた部分から侵入し、肌を刺す。
「戦えない上層部の連中は死んだかもしれんぞ?」
「かなり手加減した」
演技はもう必要ない。
ナールに続いて、アルフレートと共に倉庫に入って来たインゴの口調も素に戻っていた。口元を隠していたスカーフも外されている。
おっさんの声に似合う話し方だ。へりくだっている時よりもずっとしっくりくる。
「本気を出せばもっと凍らせることもでたが、霧があったからな。湿った服と濡れた皮膚を凍らせるだけで、動きを止めるには十分だ」
魔術を手加減するには、簡単に消費魔力を抑えればいい。少ない魔力で高位の魔術を構築するのは難しいが、詠唱による『安定化』を持ってすれば、高位の魔術も手加減して行使できる。
霧は、ナールがスムーズに倉庫への入り口を作る役割と、インゴの魔術の効率を上げる役割があった。
おかげで手間と消費魔力が少なく済んだ。
「動けてる奴も居るけどな」
白く染まった息を吐きながら、アルフレートが皮肉る。
魔術道具の照明が照らす倉庫内の霧は全て凍り、視界は良好だ。
倉庫はかなり広い。奴隷市場全体の三分の一はある。
たくさんの檻が並び、奴隷が収容されていた。
檻は対魔術の加工がなされているのか、奴隷達は魔術の影響をあまり受けなかったようだ。
対し、従業員達は、突如吹き荒れた風と霧に驚いた状態で凍っていたりと、面白いオブジェと化していた。
動けている者は十人にも満たない。
「レジストか・・・」
凍った従業員達を嘲笑いながらアルフレートが呟く。
人は、ある程度魔術に耐性がある。保有している魔力が、魔術に使われている魔力を弱めてくれるからだ。そして、魔術のほとんどは攻撃だ。闘気を纏っていれば軽減できる。
闘気があまり纏えない者は、自身の魔力を放出し、魔術の構築を乱すことで威力を殺す。
この技術をレジストと言い、インゴの魔術もそれで凌いだのだろう。
防御方法としては一般的ではあるが、魔術の威力と魔力の放出量が釣り合いがなければ、魔術を殺しきることはできない。
レジストで魔術を毎回殺し切るのは魔力の無駄だ。だから、避けられない魔術に対してだけレジストを行い、するにしても殺しきるのではなく弱めるのが基本だ。
「インゴ、一応警告すんだろ?」
「ああ」
治安維持局だと警告したのに攻撃を受けた場合は捜査妨害とみなし、先ほどの警備員のように攻撃しても問題ない。
理不尽だが、相手が信じるかどうかは関係ない。
「俺は治安維持局一番隊所属、インゴ・アヒレス班長だ。この奴隷市場では違法奴隷を扱っていると判断し、これから強制捜査を行う。捜査妨害、もしくは抵抗があった場合、こちらにはお前達を殺傷する権利がある。協力願おう」
暗に従わなければ殺すと言っているのだ。
だが、無駄に抵抗しようとするのが悪党というもの。動ける者が戦闘態勢に入った。
手加減し、中級程度まで威力が落ちていたとは言え、魔術を耐え凌いだ、もしくは、奇襲された状況下で冷静にレジストした連中だ。少しは実力があるだろう。
「アルフレートは正面からの敵の対処。側面は俺が防ぐ。ナールを守れ」
インゴが命令を下す。この場での指揮権は衛兵の彼にある。
ナールもそれに従わなくてはならない。治安維持局との契約だ。
インゴはついでとばかりに、腰に差していた二本の剣のうち一本をナールに押し付けた。
「了解。兄さん、背後から離れるな」
「自分の面倒ぐらい自分でみれるんだが・・・」
ナールの言葉を最後に会話が途絶えると、全員抜剣した。
アルフレートが駈け出す。速い。
ナールも全力で走り、なんとか背中を追う。
インゴも追て来るのが足音でわかった。
「治安維持局という証拠を見せろ!」
すぐに動ける従業員が一人立ちはだかる。
が、
「《水霧》」
「なっ!?」
「おらよっと」
インゴの魔術が従業員の顔の周りを霧で覆い、視界を再確保される前にアルフレートが意識を刈り取った。
いい連携だ。
インゴの魔術の腕ならAランク冒険者としても通用するのではないだろうか。
「本当に案内役だけになりそうだ・・・」
ナールは楽観的なことを言うが、残った者もそう簡単に行かせようとはしない。
三人が正面から足止めに入り、二人が離れたまま魔術の詠唱を始めた。
「止まれ!!」
「『風よ』」
「『氷よ』」
唯一遠距離攻撃ができるインゴは、無詠唱魔術で妨害に入った。
「《氷柱》」
「ぐあっ!?」
「ぎゃっ!?」
詠唱をしていた二人が悲鳴をあげる。
床に積もっていた霜から細長い氷の棘が形成され、二人の両脚を背後から貫いていた。
これで動きを封じた。
「《水》。《凍結》」
動けない二人の顔面に、攻撃にもならない低威力の水を浴びせ、容赦なく凍らせる。
脚を負傷し機動力を奪われ、顔面は口ごと凍らされ詠唱すらできなくなった。
上手い、とナールは感心する。
最小限の魔力消費で敵を確実に無力化した。
逆に、 悲鳴もあげられずに倒された二人は、その場に留まって魔術の詠唱を続けており、魔術師としての戦い方がなっていなかった。
(一人目が瞬殺されたことで警戒して、慣れないが接近する必要のない魔術での攻撃を選んだのか)
ナールが推測しているうちに、正面に立ちはだかっていた従業員は一人減っていた。
アルフレートは、口笛を吹き始めるのではないかと思うほど余裕そうな表情で、残った二人を倒しにかかる。
横に振るわれた剣を姿勢を低くして避け、相手の脚を動けなくなる程度斬り、返す刀で首を狙う。
従業員はギリギリでそれを防いだが、がら空きになっていた鳩尾に蹴りを叩き込まれ、霜の絨毯に沈んだ。
残り一人。
従業員は既にアルフレートを剣の間合いに捉えており、剣を振り下ろしている。
アルフレートは、振るわれた剣の側面を剣で叩いて軌道を逸らし、先ほど倒した敵の剣を蹴り上げ、掴み、相手の腹に突き刺す。
剣が貫通し、従業員の背中から切っ先が顔を出した。
「ぐあぁっ!?」
「急所は外したから、安眠しろ」
剣の柄で相手の側頭部を強打し、意識を刈り取った。
二人を倒すのに十秒も要さなかった。
ナールの楽観的予想は的中し、案内役が出る幕はなかった。
「怖いほどに順調だな」
「何か引っかかることでもあるのか?」
ナールが走るペースを乱すことなく漏らした不安そうな呟きに、インゴが反応する
順調だ。
その順調さに違和感を覚えるとすれば、
「アルフレートの後釜として、実力者を雇っていると思ったんだが・・・Aランクのアルフレートが負けたことを考慮して、冒険者自体を雇うのを止めたのか?」
「兄さん、そんなことで冒険者を雇うのを止めたりしねぇよ」
アルフレートはナールの辛辣な言葉を聞いても、気分を害することなく返す。
いつかの意趣返しのつもりだったのだが、負けた気がした。
「ただこの倉庫の警備じゃなく、事務室でも守ってんじゃねぇか?」
冒険者への依頼は、冒険者ギルドが斡旋している。つまり、ギルドが仲介役をしているということだ。
それによって、依頼主と冒険者間に金銭トラブルが起きることはまずなく、用心棒を定期的に補充する必要がある奴隷市場なども、人員を安定補充することができる。
そういったメリットが大きい為、冒険者を雇うのを止めるとは考えにくい。
ちなみに、事務室の入り口は二階の階段傍にあり、位置は倉庫の真上だ。奴隷の購入手続きなどもそこで行われており、奴隷市場の幹部もそこに居る。
「連中にとって命より書類の方が大事らしい」
「高い奴隷の収容は、この倉庫じゃなく事務室の奥にある檻の中だ。奴隷商人にとって大事なのは金になる奴隷だけだ。それに事務室には、客も出入りするしな」
吐き捨てたインゴに、自分が知る奴隷市場の内情を解説するアルフレートの表情から嫌悪感が見てとれた。
確かに胸糞悪い話ではある、とナールが肯定していると、到着した。
使われていない檻が、壁を隠すほど置かれている。ここは倉庫の右奥で、地下牢の入り口は檻の先だ。
使われていない檻を置いているだけに見えるが、檻の中に入ると、違う檻に入れるようになっており、檻の中を通って壁際まで行くと、精巧な隠し扉がある。
入り口はその隠し扉だ。知っている者が居なければ探すのに時間を要してしまう。
違法なものを扱っているだけあって、念入りなことだ。
「ここか。ただの檻置き場だと思ってたぜ」
やはり働いていたアルフレートすら思いもよらなかったようだ。
倉庫の右奥は檻置き場としてしか使われておらず、従業員すらあまり寄り付かないらしい。
倉庫内は檻が多く置かれており、死角が多く、誰かが出入りしていても気づきにくいようになっている。
「ナール」
「ああ。退がっていろよ」
インゴに呼ばれたナールは、剣を鞘に納めると右手から刀を生み出しつつ前に出た。
遠慮なく檻を斬り始まる。
隠し扉まで檻の中を進むより、一直線に道を作ったほうが圧倒的に早い。
一振りで数本の鉄製の格子が斬られ、切断された格子がただの鉄の棒となって、床に転がっていく。
「凄まじい斬れ味だな」
「ドラゴンの鱗も斬れんじゃねぇか?」
アルフレート達が会話しているうちに道ができ、あっという間に壁が見えるようになる。
ナールはただの壁に向かって刀を四回振るうと、壁が、元い壁に見える隠し扉が切り抜かれ、地下牢へ続く階段が現れた。
破壊された隠し扉も魔術道具で、魔力を登録した者でなければ開かない仕組みだ。魔力には一人一人違った波長があり、それで判断されるようになっている。
「破壊して大丈夫だったのか?」
「寝てる従業員で開くかどうか確かめるのか?」
アルフレートの問いかけに、インゴは正論を返す。
どの従業員の魔力が登録されているのか分からないのだ。片っ端から試していたのでは時間がかかる。
「まあ確かに。それに兄さんが待てるとも思えねぇしな」
「そうだなーーーーー《水球》」
インゴは肯定すると、いきなり振り返り《水球》を放った。
《水球》は、彼とアルフレートに迫っていた《火球》を相殺し、水蒸気となって消えた。
「《火球》」
お返しとばかりに放たれた《火球》が、隠れていた残党を焼く。
絶叫が響くが、アルフレートはそれを振り返り確認しようともせず、地下牢の入り口で焦ったそうに待つナールの元へ歩いて行った。
「焦んなよ兄さん。防犯システムが作動してっかもしんねぇんだ」
「俺が脱走した時は何もなかったがな」
「油断しないことだ。アルフレート、先頭に立て。次が俺、後ろがナールだ」
インゴも相手の生死を確認せず歩いて来た。
もう少しで他の衛兵も到着する。
その前に証拠を消されないように、地下牢を抑えるのが仕事だ。残党の処理は後続の部隊に任せればいい。
そして、案内役はもう必要ない。ナールも戦闘に参加することになる。役割は背後からの攻撃の対処だ。
三人は並ぶと薄暗い階段を降り始めた。
⌘
「臭えな」
下に向かうにつれ、臭いが気になり始める。
「口で呼吸しろ」
「そしたら今度は吐き気がすんだろ」
「だっら息を止めたらどうだ?」
「死ぬぜ。つぅか兄さん、俺に辛辣じゃね?」
「お前ら軽口を叩くな。しかも俺を挟んで」
ナールの軽口は落ち着いて余裕が戻ったからか、それともラウレに関する焦燥や苛立ちの転化か。
場違いな会話をしているうちに、階段は踊場を経て、奴隷市場と平行に造られた地下牢に着いた。
倉庫は奴隷市場の奥。つまり、地下牢の奥は奴隷市場の入り口方面にあることになる。
通路の幅は二メートルも無い。剣を振り回すには狭すぎるだろう。
「酷えな・・・」
「いつからこんな所を・・・」
初見の二人は嫌悪感を露わにする。
ナールも嫌悪感が湧かないわけではないが、今はラウレへの心配の方が勝っているのか、牢に視線を走らせるだけで何も言わなかった。
「兄さん、先走るなよ。安全確保が先だ」
「ああ・・・」
それを察したアルフレートに戒められた。
焦る気持ちを改めて抑えつけ、大人しく引き下がる。
「先に言っておくが、奴隷を巻き込みかねない魔術は極力控えて、水魔術中心の攻撃をする」
確かに、剣を振るうのにすら苦労する通路で火魔術を使えば、爆風で奴隷達を巻き込みかねない。
インゴに言われたことを頭の隅に留めると、警戒しながら進んで行く。
奴隷達は全員生きているようだ。生気が残っている奴隷も一部いるはずだが、ナール達を奴隷商人と勘違いしているのか、助けを求める奴隷はいない。
それにしても異様だ。
ラウレは見つからないが、作戦は順調すぎる。
入り口をあれだけ念入りに隠すだけ隠して、侵入対策を怠っているとは考えにくい。
証拠隠滅も行われていないようだ。
「ラウレはおらんな・・・」
「防犯システムもねぇのか?」
そんな呟きを漏らした時、足音が響き、地下牢の奥に逃げ込むように遠ざかった。
地下牢は一直線だが薄暗く、足音の人物を目視することはできない。
「インゴ、魔術でも打ってみろよ」
「誰かわからない状態で攻撃するのは軽率だ」
「じゃあじっくり追い詰めるか」
「一直線だ。魔術とか矢が飛んで来たらどうする?」
「叩き落とすんだよ」
ナールの懸念をアルフレートが一蹴する。
頼もしいことだ。
三人は再度進み始める。
ナールはラウレのことが気になるのか、背後の警戒をしつつ、牢の中をたびたび確認していた。
そして、妙な奴隷を見つけた。
他の奴隷が痩せ細っているというのに、屈強な体つきをしている男の奴隷だ。
『入荷』したばかりという予想を持ったが、生気が無い左右の眼の焦点がバラバラで、奴隷になったばかりとは考えにくかった。
違いは体つきだけでなく、身につけているボロ布は同じでも、首輪のデザインも大きく違った。他の奴隷の首輪を『無骨』と言うなら、その首輪は『禍々しい』。
「?」
ナールは嫌な予感を覚え、前を行く二人を呼び止めようとする。
「なあ、おいーーーーー」
「お前ら馬鹿だよ!!」
だが、地下牢の奥から発せられた罵声に遮られる。
ナールも地下牢の奥を見ると、どこかで見た顔が引き攣った状態であった。
「あ、アルフレートッ!!今から隠蔽工作を手伝ってくれるなら、助けてやるッ!!」
「はぁ?立場わかんねぇのか?」
アルフレートを嫌っていたあの奴隷商人だ。
霧が入り込んで来たのを見て、地下牢に逃げ込んだのだろう。凍らずに済んだようだ。
「寝返らねぇよ」
アルフレートは奴隷商人の申し出を当然のように断る。
「はっ!やはり馬鹿だな!!こんな奥までノコノコと入って来てッ」
奴隷商人は頭に血が上っているのか、会話が少し噛み合っていない気がする。
「どうせ俺達は捕まったら処刑だッ!」
「だから何言ってんだ?悪くて、腕切りした後ずっと牢獄だ」
「お前は知らないから、そんなことが言えるッ!!もういい、使うッ!どうせ死ぬんだ。お前達も道連れだ・・・」
最後の気が狂ったような呟きを聞いて、アルフレートは自爆を危惧した。
「自爆すんじゃねぇだろうな!?」
「はっ!『運が良ければ生き残これる』なんてぬるいッ!!」
ナールの嫌な予感が強まった。
ーーーーー作動していない防犯システム。
ーーーーー屈強な奴隷が居る理由。
ーーーーー捕まったら処刑。
ーーーーー道連れ。
ーーーーー使う。
「・・・!」
確信はないが、答えが出た。
(だとすると、一人とは考えにくいッ)
ナールはインゴの腕を掴むと怒鳴りながら走り出した。
「アルフレートッ、今すぐ退がるぞッ!」
「何言ってーーーーー」
「お前達もッ、地下の奴隷もッ、衛兵もッ、全員死ねッ!!!!」
インゴはバランスを崩しかけるが、すぐに立て直しナールを引き止めた。
「どういう意味だ!?説明しろッ!!」
「全力で走ればわかるッ!!」
そう言うと、彼はインゴの腕を離して走り出した。
半信半疑と言った顔だったが、アルフレートとインゴも走り出す。
「『殲滅しろ』ッ!!」《殺戮奴隷》」
言葉の直後、バキィンッ!!とアルフレートが丁度通り過ぎた牢の鉄格子が弾け飛んだ。
「ッぶねぇ!?」
そして、同じ音がもう一度、奴隷商人の近くの牢から鳴る。
「やばそうだな・・・」
立ち止まったアルフレートの視線の先に居たのは、ボロ布を纏ってロングソードを持った二人の男。
屈強な体つきをしている反面生気がなく、両眼の焦点がバラバラで、よく見るとデザインが大きく違う奴隷用の首輪が着けられていた。
ナールが不審に思った奴隷だ。
あの場に留まっていたら挟み打ちだっただろう。
「危うく挟み討ちだったな」
「助かったぜ、兄さん」
「礼には及ばーーーーー」
バキィンッ!!とナールの言葉が遮られる。
かなり後方ーーーーー階段付近の牢からだ。
「礼には及ばん・・・」
「言い直すなよ、兄さん」
「やばそうなのと三対三か・・・?」
「お前らに三体も割くと思うか!?一体で十分だよ!!」
奴隷商人の言葉通り、階段付近の牢から出てきた奴隷が階段を上がって行く足音が聞こえた。
アルフレートが安堵の声を漏らした。
「助かったな・・・」
「上へ行ったぞ!?」
「隊長が居る。任せておけば問題ない」
「姉貴なら問題ねぇな」
アルフレートとインゴはハンネローネに任せるつもりのようだ。
姉弟揃って強者らしい。
確かに、上には後続の部隊も居る。任せても大丈夫だろう。
「前の敵に集中しろ。来るぞ」
インゴの声に反応したかのように、カメレオンのように左右別々に動く奴隷の眼が、ぎょろりとナール達を捕捉した。
*
「二階事務室、制圧完了」
「奴隷市場の最高責任者、一人を除いた幹部の拘束を完了」
「用心棒を含めた従業員も大半を拘束しました」
「客に負傷者はいません」
「一階倉庫の制圧を確認。地下牢への入口も発見しました」
「貴族や商人達から苦情が殺到しています」
エントランスで作戦の総指揮をとっていたハンネローネの元には、次から次へと報告が入る。
作戦は極めて順調。
貴族や商人から寄せられる苦情が、現状最も厄介なほどだ。
「従業員は、幹部以外全員移送用の馬車に乗車。満員になり次第、第一支部と第四支部の監獄へ連行してください」
「地下牢へ突入し、地下牢を制圧。状態が危険そうな奴隷達から運び出し、治療してください」
「来店していた方々には事情を説明。そのあと名前や身元を確認してからお引き取り願ってください」
ハンネローネは伝令役の衛兵達に的確に指示を出していく。
客の名前や身元を確認するのは、奴隷市場が違法奴隷を取り扱っていたからだ。奴隷市場との共犯の可能性も捨てきれない。
指示を出された衛兵達は、短く返事をするとハンネローネに背を向け立ち去っていく。
作戦は極めて順調。
もう既に作戦の九割は完了している。
作戦がこのまま順調に終わることを願いつつ、彼女は部下の背中を見送った。
「ハンネローネ隊長ッ!」
そんな時だ。
部下の一人が血相を変えて走って来た。問題が起きたのだろう。
願った矢先にこれだ。
ハンネローネは内心嘆息しつつも気を引き締め直した。
「話がしたいと、エクニス殿下が奴隷市場の二階でお待ちです!」
エクニス・スタイン・グランドガラ。
部下が付けた『殿下』という敬称通り、王族だ。アジェナの中心に建つ王城に住んでいる、例のクズである。
悪いことではあるが、想定内だ。
彼が来店していることは作戦前から確認済み。
それでも尚作戦を実行したのは、ラウレをできるだけ早く保護するというナールの都合を優先したからだ。
衛兵側で唯一地下牢の入り口を知る彼の協力理由をみすみす失うわけにもいかなかったのだ。
「了解。すぐにでも出向きましょう。イェニー副隊長。総指揮代理として指揮をとってください」
「任せてください」
隣に立っていた女ーーーーーイェニーの返事を聞くとハンネローネは報告をした部下を伴って、奴隷市場の二階へ向かった。
話せば事情はわかってくれるはずだ。
グランドガラという国の法律は、王が中心となって決めている。
人を攫って奴隷にしてはいけない。
決めた法の一つであり、それを、決めた者の親族が破るなど民衆や貴族達から反感を買うだけだ。
「大丈夫。作戦は極めて順調です」
これから王族に会うというのに、ハンネローネはさして緊張することもなく、いつも通りの様子で歩みを進めた。
*
アルフレートは剣を下段に構えた。
防御の姿勢。
守ることに集中し、反撃は背後のナール達に任せるつもりのようだ。
「『変幻せし水よーーーーー』」
ナールと入れ替わり、立ち位置が最後尾になったインゴが詠唱に入ると、奴隷が一直線に伸びる狭い通路をよたよたと歩いて来た。
一体だけだ。
もう一体は最初の位置ーーーーー奴隷商人の近くから動かない。
通路が狭い為、二人並んで剣を振るうことができないからだろう。
良い意味でも、悪い意味でも一対一の状況になりやすい。
三対二という数の利点を活かしにくいが、魔術師であるインゴは後方からの攻撃に徹することができる。
歩いて来る奴隷の足取りは重鈍だ。
腕は体の動きに合わせてぶらぶら動き、片手に持っていた剣もつられて揺れる。
魔術の格好の的になりそうで、本当に戦えるのか疑問だが、奴隷商人の台詞からして、油断していいとも思えない。
アルフレートと奴隷の距離は十メートルもない。すぐに剣を振るい合うことになるだろう。
だが、すぐに剣を振るい合うという予想は悪い形で裏切られた。
気付くと、奴隷はアルフレートの目の前に居た。
「ッ!!??」
十メートルしかなかった。逆に言うと十メートルもあった。
一瞬でその距離を潰された。
アルフレートは、咄嗟に剣を跳ね上げ横に構える。
直後に上段からの一撃がぶつかり、巨大な落石を正面から受け止めた様な衝撃が走った。
「ぐぅッ!!」
堪えきれず膝をつく。
片手だというのに無茶苦茶な馬鹿力だ。
受け止めた体と剣が壊れなかったことが不思議なくらいだ。
「アルフレートッ!!」
彼が膝をついたことで生まれた、頭上の空間。その瞬間だけは、ナールと奴隷との間に遮蔽はない。
それを利用して、生み出した二メートルはある異常に長い剣で横薙ぎを放つ。
鉄格子を紙のように切り裂きながら迫る剣を、奴隷は上体を左に反らし避けた。
瞬発力を考えれば、バックステップで範囲から逃れることもできたはずだが、それをしなかった。
回避の行動をとった為、アルフレートにかかっていた力が抜け、彼に攻撃の機会を与えることになる。
剣を傾け、鍔迫り合いになっていた相手の剣を流すと、アルフレートは逆袈裟斬りを放つ。
奴隷は上体を左に反らし、体勢を崩しており、左ーーーーー背中側から迫る剣は防げない、はずだった。
「なっ!?」
奴隷の予想外の動きにアルフレートは驚愕する。
奴隷は、流された剣の切っ先を迫る剣より奥の床に着けた。そのまま着けた剣を支えにバク転、スレスレで剣を避け鉄格子に着地、剣を跳ね上げる。
「『ーーーーー敵を貫かん』ッ!!」
瞬発力に馬鹿力、それらに加え回避行動。全てが無茶苦茶だ。
避けられない剣が迫る。
が、大丈夫だ、という確信がアルフレートにはあった。
「《水槍》ッ!!」
声と共に水の槍が三本、アルフレートの脇や頭上を通り抜けた。
インゴの魔術だ。ナイスタイミングすぎる。
奴隷は鉄格子を蹴って再び空中へ。剣を振るい二本を斬り壊し、一本を回避した。
斬り壊された《水槍》はただの水に戻り、床を濡らした。
対して、回避した《水槍》は、そのまま廊下の奥に立つ奴隷へ襲いかかる。だが、彼はそれを迎撃することなく避けた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!!」
悲鳴が響く。
避けられた《水槍》が奴隷商人の脚を貫き、突き当たりの壁に縫い止めていた。
《水槍》の速度は矢とそう変わらない。奴隷商人では避けられなかったのだろう。だというのに、自分の奴隷に守ってもらえないとは哀れすぎる。
ナール達は悲鳴をあげた奴隷商人を無視して、空中に居る奴隷を追撃した。
ナールの横薙ぎ。
受け止めることなく、空中で身を捻りながら剣の側面を叩いて回避。
アルフレートの斬り上げ。
剣で受け、攻撃の衝撃を利用して後ろへ退がる。
ここでやっと距離が開いた。
だが、ナール達には魔術師が居る。
「《水球》ッ!」
鉄格子を背に、廊下の両端に避けたナールとアルフレートの前を《水球》が飛んで行く。
一つではない。
奴隷に向けたインゴの掌から、次から次へと生み出されては発射される。
《水球》は初球魔術と言えど、当たれば殴られる以上の衝撃が走る。当たりどころが悪ければ失神するだろう。
だが、奴隷に対しては効果は薄かった。
奴隷は、次から次へと飛来する《水球》を全て斬り落とし、少しずつ接近して来る。
インゴはすぐに違う魔術を唱えた。そして、詠唱に入る。
「《氷柱》ッ!!『変幻せし土よーーーーー』」
水属性の魔術が斬り落とされたことにより、床溜まった大量の水の一部が凍り、無数の棘をその場に生やす。
奴隷は真上へ跳んで避けたが、《氷柱》はまだ伸びる。
天井を蹴り、アルフレートに少し接近を果たすことでやっと逃れた。
《氷柱》は天井まで伸び、通路を塞いでいた。
「来いよッ!!」
叫びながら迎え撃とうとしたアルフレートを間合いに捉えようと、奴隷が踏み込む。
「《土柱》ッ!!!」
そこへ、天井から円柱状の太い土の柱が生える。大人二人でやっと囲めるほどの太さだ。
アルフレートの眼前を通過したそれは、ドゴォンッ!!!!と地下牢に轟音を響かせた。
だが直後、《土柱》に銀閃が走り、向こう側から崩れる。
「今のも反応するか!」
「やっぱ『押し込んで蜂の巣作戦』だ」
「・・・」
インゴの驚愕にアルフレートが軽口で返すが、ナールは無言だった。
そうしているうちにも再度攻防が始まり、またなんとか退けるが、奴隷には傷一つ負わせることができなかった。
「キリねぇぞ」
「一直線の廊下で、あの瞬発力から逃げられるとも思えないしな」
インゴの魔力も、アルフレートとナールの体力も有限だ。このままでは押し切られかねない。
かと言って、奴隷の強さを鑑みれば、後続の部隊は足止めされているだろう。援軍は望めない。
「・・・二人共、俺に考えがある。インゴ、時間を稼いでくれ」
ナールは、そんな八方塞がりのような状態になってやっと口を開いた。
「よしわかった」
インゴが魔術を使い、時間を稼ぎ始める。
「《水球》ッ!!《水矢》ッ!!」
《水球》だけでは長時間の足止めは困難と判断したのか、《水矢》も織り交ぜる。
掌から《水球》だけでなく水の矢も形成され、連続で発射されていく。
《水矢》は《水槍》の威力を大幅に落とし、代わりに連射性を上げた魔術だと思えばいい。
一発では急所に当たらない限り致命傷にはならないが、当たって動きが阻害されることがあれば、連鎖的に魔術を叩き込まれることになる。
インゴの読み通り、奴隷はやむおえず足を止めた。
それを確認しつつ、ナールは話し始めた。
「・・・アルフレート。相手の体勢を崩した状況で、一人であと一歩のところまで追い詰められるか?」
「やってやるよ」
即答だ。
頼もしい。
「追い詰めたら思いっきり首を傾げろ」
「りょーかい」
次はインゴだ。
「インゴ、一本で構わんから、さっきと同じ《水槍》を撃てるか?」
質問に、インゴは魔術を維持したまま答えた。
「無詠唱でできるぞ」
「なら、アルフレート、少しでいいから最初は足止めしろ。インゴ、アルフレートが奴隷と接触したら撃ってくれ」
「わかった」
インゴはすぐに肯首するが、アルフレートは面倒くさそうにする。
こんな状況でも余裕で何よりだ。
「足止めもかよ・・・」
「できんのか?」
「はぁ。やりゃいいんだろ?作戦が終わったら酒でも奢ってくれよ?」
「構わん」
いつの間にか交渉になっていたが、まあいい、とナールは割り切っていると、インゴは当然の疑問を投げかけた。
「どうする気だ?」
「信じろよ・・・だが、失敗すれば誰かが死ーーーーー」
「『信じろよ』って言った後に、弱音なんか吐くな」
インゴに大胆にもやってみろと言われたナールは面食らうが、すぐにその表情を獰猛な笑みに変えた。
「信じろ!」
「よし。アルフレート、三つ数えたら撃つのを止めるぞ」
「へいへい」
インゴはそれ以上追求することはせず、カウントを始めた。
ナールは作戦を了承してくれた二人に内心感謝しながらカウントを聴く。
何をするか言わなかったのは、言えば反対される可能性が高かったからだ。
成功しても三人の中の誰かが死ぬ、などというような内容ではないが、自分が負傷するのは必須で、失敗すれば誰かが死ぬかもしれない。
「三」
それでも実行し、目の前の敵を屠るらなくては、
「二」
(ラウレを助けることなどできんッ!!!)
「一」
カウントを終えると共に、インゴが魔術を撃つのを止めた。
最後の《水球》を斬り壊した直後、奴隷の姿が消え、遅れて床の水が飛び散る。
ほぼ同時にアルフレートが立ちはだかり、ナールの目では捕捉できない攻防が始まった。
ガギンガンギンガンガンギンギンガンッッッ!!!!
奴隷の位置がその場に固定される。
「インゴッ!!」
「《水槍》ッ!!!!」
呼びかけに応えるようにインゴが魔術を唱え、掌から《水槍》が形成され、発射された。
このままだとアルフレートごと奴隷を貫くことになるが、その間にはナールが居る。
彼はその場で半身になり、左手を胴体の前を通して右ーーーーーインゴへ向けた。正確には、インゴから放たれた《水槍》に、だ。
「《曲》ッ!!」
「!?」
インゴの驚愕した顔が見えた。
当たり前だ。《水槍》はナールの左手を呆気なく貫いてしまっていた。
中指と薬指の間から掌が割れ、血が《水槍》に混じる。
ナールは激痛と絶句したインゴを無視して、技を行使する。
「曲がれぇぇぇッッッ!!!!」
裂帛の気合いと共に《水槍》を摑み、縦ーーーーーー下から上へ裏拳気味に薙ぎ、振り切る。
《水槍》は途中からナールの手を離れ、天井へ向かって飛んだ。
だが、天井へはぶつからない。
強烈なスピンをかけながら放物線を描いて、天井すれすれの所を通過すると、そこを頂点に降下を始めた。アルフレートの頭上を越え、その先の奴隷に襲いかかる。
両眼が左右別々に動いている為、視野が異常に広いのか、奴隷は直前に気づいた。
気づいたのが直前。軽く床を蹴って退がったのでは間に合わない。だからと言って本気で床を蹴って退がれば、 廊下を塞いでいる《氷柱》の餌食になる。
それでも奴隷は跳んだ。
必要最低限の力だっただろうが、このままでは串刺しになる。
奴隷は、《水槍》が先ほどまで立っていた床に穴を穿ったのを見ながら、足を着け、ブレーキをかけようとする。
が、足は床の上を滑った。
「!?」
インゴが魔術で床の一部が凍らせていた。
ナールの予想外の行動を見て驚愕していてなお、冷静に魔術で援護してきた。本当にいい腕だ。
滑ってバランスを崩した奴隷を、アルフレートが追撃する。
一撃目で剣を弾き、二撃目を放つ。
バランスを崩し剣を弾かれ、躱すことも剣で防ぐこともできない奴隷はやむおえず、迫る剣を剣を持っていない方の腕で受けた。
滅茶苦茶な馬鹿力を実現していた闘気を纏った腕だ。切断されたが、剣の軌道が大きく逸れる。
奴隷は痛がる素振りなど見せず、体勢を崩したままカウンターの突きを放とうとした。
アルフレートは防衛線だ。彼が戦闘不能になれば、奴隷を食い止める者が居なくなり、戦線は間違いなく崩壊する。
詰みだ。
カウンターが放たれる。
しかし、変わらない。
決定打を逃し、今にもカウンターを受けようとしている状況に置かれても、アルフレートの表情は、余裕一色だった。
その理由は、 余裕の表情の向こう側にあった。
作戦通りに、首を思いっきり傾げることでどかす。
アルフレートの後方には、右手を親指と人差し指を立てた状態で突き出し、奴隷を銃で狙い撃つような構えをとるナールが居た。
「すまんな」
いつの間にか床に広がっていた水溜りは全て無くなり、彼の人差し指の先に、ビー玉サイズまで高圧縮された水弾があった。
「死くらいしか、救いを与えられん」
ナールは躊躇なく水弾を撃ち出す。
撃ち出された水弾は、一瞬で音の壁を越えると奴隷の頭を爆散させた。
読んでくださってありがとうございますm(_ _)m
次話が気になる方もいると思いますが、リアルが忙しくなる時期・・・銀双の執筆も考えると更新はまた間が空くと思います。いつものことですが(笑)
いや、申し訳ないです。
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@Hohka_noroshibi