徒然なるままに人生を綴る。
m(_ _)m
こんにちは。本文をお読みになる前にを注意書きをお読みください。すみません。
※1この作品は、いつもの変上 狂未の作品ではありません。
※2この作品は創造されたものではなく吐き出されたもの。文章も内容も綺麗ではありませんのでご了承ください。散文です。ご了承出来ぬ方はお手数では御座いますがページをお戻りくださいませ。
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人は時々思うだろう。
何故、自分は生きているのか…何の為に…誰の為に…生きているのか…自分は生きていて楽しいのか…生きていて幸せか…または、幸せな事があるのか。楽しい事があるのか。それは誰にも分からない。
人は皆、知りたいはずだ。今までどれだけの人が悩み苦しんだのだろう…
ある者は、人は生まれながらに罪を持っていると言う。またある者は人生とは苦であると言う。全くもってその通りだ。人生で、楽しい事なんて全然ない。むしろ苦しい。悲しい。辛い。そんなことの方がずっと多い。
人はこれを改善しようと様々な物を考え出し創り出してきた。
しかし人の幸せが増えない。それは、辛いことや苦しいことだけを改善してきたからだろうか?その面もあるかもしれないが、人はそれと同時に、(またはそれを創り出したことで)幸せを創り出してきた。なのに…なんで…私達は幸せを感じられないのだろうか…
我々は呪われている。
いくら幸せが身の周りにあろうとも更なる幸せを求めるように、呪われている。この呪いは神か仏か、はたまた悪魔か、それとも妖怪か、または霊か天使か…もしくは、それ以外の何者かによって、否、何者かによるものでないのかもしれないが、掛けられている。
この苦しみから逃れる為に、ある者はサイクルから離脱を図ろうとし、またある者は神に祈った。しかし実際、彼等の記憶のある内に、つまり彼等が彼等でいる間に彼等は救われていない。
少なくとも私は、死んでから救われたくない。「今」そう。今生で救われたい。「必要は発明の母」とはよく言うが、今まで誰一人この「必要」は、何も生んでくれなかった様だ。
そうだ。クスリなんて手段がある。しかしアレもアレで酷い。自分が自分でなくなる。自分が無くなる。自分が亡くなってしまう。それでは自殺と同じだ。
少なくとも私は、例の呪いによって欲深い。私は、私のままで私の記憶を保って救われたい。幸せでありたい。苦しみたくない。辛くなりたくない。悲しみたくない。
どうすれば良いのだろう…永遠の命か?それとも過去に戻ってやり直すか?どちらもダメそうだ。
永遠の命を手に入れたところで何になるのだろう。私は死にたくはないが、生きたくもない。人生にタイムリミットがあるならば、それに従って死にたい。多分、きっかけがないと私は死なない。私の「死にたくない」という感情を打ちのめす程のきっかけがないと私は死にたくない。かと言って、生きたい訳でもない…こんな優柔不断な者に永遠の命なんて与えて、何になるのだろう。キッパリ物事を決められる人に憧れて、たまにキッパリ決める事があるが、大体後悔する。どうして考えなかったんだ、とか何で即答してしまったんだとか。物によってはいくら考えたって後悔する事もあるだろうが…まぁとにかく私はきっかけがないと死ねない体質と性格だから、永遠の命は欲しくない。
次にタイムスリップだ。もうやりたくて仕方ない。過去に戻ってあんなこと、こんなこと。全部やり直してみたい。けど実際、私は思ってしまうのだろう。元の方が良かったのでは?と。本当にどうしようもない優柔不断な奴だ。どうすればクヨクヨしないで済むのだろう…多分、タイムスリップをしても己が性格故に私は悩み苦しむ。もう勘弁だ。人生なんか一回で懲り懲りだ。前世とやらがあるのなら、取り敢えず永遠に生きていてもらいたい。そうすれば私は生まれずに済む。自分勝手な考えだ。おっとそうすると前世の自分が永遠に生きていたがらないだろうから…そのまた前世の前世が永遠に生きてもらって…駄目だ。卵と鶏のようになってしまう。卵と鶏といえば…
輪廻転生という考え方は、個人的に信じたくない。自分なりに要旨をまとめると、「我々は永遠に苦しむ。」という衝撃的な事だ。無宗教で良かった。(※これら記述は宗教そのもの、またはその崇められる神、または仏様、そして宗教を信じる方々を侮辱したり軽蔑したり誹謗、中傷している訳では御座いません。)
あー…もうやだ。
汚い言葉を使うものではないが…
人生はクソゲーだ。
※この作品は全て作者の独り言であり、実在する人物、団体等には一切の関係はなく、また実在する人物、団体等に誹謗中傷することを目的として作られたモノでは御座いません。ご理解をお願い致します。