第一話
☆
「あー、ちょっとよろしいですか…その、通報が…」
申し訳なさそうに、と言うよりも完全に怯えながら社会的死の宣告をしてくる衛兵。
現代日本で言うならば職務質問というやつである。ここのはもっと過激だけども。
この衛兵くんは自警団の系列だが、それなりに権力はある所の制服だ。
複数の衛兵に付き添われての詰所ご案内確定である。
街に入ってから5度目の通報、か…。
この街の連絡網は一体どうなっているんだ…市民の最速が馬で電話もメールもないのに、この短期間で5件…伝達能力にも機動力にも優れているなんて素敵デスネー。
また、「住所不定無職です。でも自分の足にしがみつく兎の獣人で幼女な彼女は養女なんです。違法奴隷とかじゃないですから、確かにガリッガリでアザもあるんですけど、暴力はふるってません。きちんと養ってるんです」と説明しなければならないのかと思うと気が遠くなる。
今は善良な一般市民(無職)なのに…。
自分の顔が不審者どころか化け物レベルで強面だとでも言うのか、そうか、やっぱりそうなのか。
「うぅ、く、詳しくは、つっつ、詰所で伺います」
悲哀を感じていると、いつの間にか衛兵がびくびくしながら我が養女を安全圏に隔離させようとしていた。
青年の手が養女に触れる前に「やめろよ、うちの子は面倒なんだ!」と止めようとしたが遅かった。
「ひぃやあああああああああああああああああぁあああぁ!!!しんじゃぅうぅああああぁあああああぁ!!!」
引き離される気配を感じて金切り声を上げる珍しい獣人幼女。
集まる視線、駆けつける衛兵、高まる疑念。
誠実そうな衛兵の青年が伸ばす手を半狂乱で拒絶するやせっぽっち幼女。しがみつかれるゴロツキのようなおっさんの俺。
正直に言おう、現状は敵一個師団の中央に放り込まれたより悪い。
平凡な身なりの人の徹底した軽蔑や恐れの視線は下手な戦場より恐ろしいと思う。
完璧に詰んでいる。
ああ、今度こそ捕まるんだろうな…。
この世界の刑事法は苛烈だから死ぬかもしれない。
☆
年甲斐もなく仕事を「辞める」と癇癪を起こしたのは三月前の事だった。
生前の親友が中学の時に書いていたありきたりな小説みたいにファンタジーな異世界転生を遂げて早37年。
前世の自分は寂しさに耐えかねて飼ってる亀に「ヨメ」と「ムスコ」と名前をつける程度には痛いお一人様で、孤独と戦う45歳中間管理職の凡人だったらしい。
それに比べれば今世は大分マシ…と言いたい所だが、どうだろう…。
確かに、前世では亀としか付き合いのなかった寂しすぎる交遊関係は解消されたし、この身体のスペックは異様に高い。
まあ、それを補って余りあるほど難があるのだが。
まずその筆頭は見た目。
前世であれば、隣に引っ越してきた人が今の自分と同じ様な顔をしていたら即日夜逃げするくらい恐ろしい風体なのだ。顔が整ってる整ってない、ではなくそんなのはどうでもいいから土下座して逃げたくなるらしい。
自分でも夜の水辺に映った顔に驚くから否定できない。
…今世の見た目はともかく。
三月前の俺は、9歳年下の弟みたいな幼馴染みに引き摺られるようにして立ち上げた傭兵団で副団長をやらされていた。それも十二分以上に軌道に乗り蓄えも貯まったのを機に、兼ねてからの夢だったパン屋にでもなろうと一念発起。
傭兵団から引退したのだ。
なぜパン屋というのは傭兵になる前に親が営んでいた店、正確にはあの頃の平穏に憧れているんだろうと思う。
もう血生臭いのも痛いことをするのもされるのも、それをなんとも思わなくなるのも、嫌だ。
この世界は日本よりもずっと生死が近く、善悪の色彩も鮮明だ。あの平和な場所では遠い存在だった最も当たり前の原理は常に傍らにある。
殺せとも殺すなとも、悪いとも良いとも言わない。思わない。
それでも、時間が経つにつれて慣れることだけはどうしようもなく嫌だと思うのだ。
だから、これ以上、傭兵は続けたくない。
……まあ、それはだいたい建前で。
本音としては疲れただけである。
いやさ、実際、シリアルもシリアスもしっかり考えているんだ。
でもなぁ…それより、前世から蓄積された中間管理職的精神疲労の方が大きくて。
無理難題を上と現場の意見を擦り合わせつつ、それっぽい結果出すのは大変なんだよ…大変なんだ、うん、大変。誰も誉めてくれないけどな。
今では大陸に名を馳せた傭兵団の副団長の実態と言えば、人として終わってる幼馴染みの団長とキチガイや荒くれ者の世話だった。
幹部の連中なんて降伏した捕虜を虐殺しようとしたり、解剖しようとしたり、拷問しようとしたり、生け贄にして邪神召喚しようとしたり。
酷いときは某国の王都を火の海にしようとしたこともあったし、ゾンビを増殖させてパワーレベリングを戦場でやる作戦立てたりもしたし、面白半分にモンスタートレインをして大陸全土に集団掃討令を出させる寸前まで持っていった奴もいる。
はっきり言ってたちの悪い、いや、悪すぎる社会不適合者の集団だった。
それだけならまだいいが、如何せん実力も人の領域ギリギリだから手に終えない。
適切な人間関係の構築どころか、人との会話を成立させるのさえできない挙げ句生活もまともに送れず、常識も通じないような連中なのだ。
俺が連中をかろうじて纏めていられたのは、その中でも最強としか言えぬ幼馴染みが幼少期の刷り込みでどうにか手綱が取れていたことにある。
わんこな夜叉が女子高生巫女のおすわりに逆らえないノリを思い浮かべてくれればだいたい正解だ。あれとは違って命令する側にもストーリーにも華はないが。
ちなみに、俺自身の実力から言えば戦闘力的には一番弱い諜報部隊の隊長にも勝てない自信がある。
もうこの傭兵団が消えれば世界の人的災害は半数になのでは、と何度思い詰めたことか。
阿呆しかいない傭兵のお守りをするのは、疲れた。
疲れた俺にはそろそろ癒しが必要だと思う。今回の引退はそういう意味でも丁度良かったのだ。
そう、癒しと言えばもう、あれしかない。
…あれ、なんというか、その、よ…嫁。
嫁が欲しい。
別に美人じゃなくても能力や家柄がなくてもいい。
怯えないでお話しできる、そんな女性が嫁に欲しい。
ヨメもムスコもいないし、本当に寂しい…どうしてこの世界のミドリガメは毒性があって繁殖力旺盛で自然環境にさえ影響及ぼす第一級危険生物なんだろう。いや、日本でも外来種でいい立ち位置にいなかったけど。
山中で見かけてミドリガメ…せっかく「ゴサイ」と「ムスメ」って名付けて連れ帰ったら国をあげての掃討戦になったもんなぁ…。
ゴサイもムスメも処分されてしまったし、もうミドリガメの救いは期待できないとわかっている。
ミドリガメは駄目でも、何か他の生き物を飼おうと考えていたのだが、今世では知的生命体以外の動物には蛇蠍の如き嫌われようで、「ヨメ」すら手に入らないのだ。
ドラゴンですら相棒以外には嫌われる有り様だし…「ヨメ」とか「ゴサイ」とか冗談でも唯一の親友にそのようなふざけた渾名をつけれるはずかない。
職場には女性自体いないし、前世よりも生活レベルが下がったと言える。
ということで、ちょっとしたミスを切欠にして適当な後任に副団長を押し付けて傭兵稼業から足を洗わせていただいた。
幼馴染みも最近は落ち着いてきたと思えなくもないし、きっと大丈夫…おそらくなんとかなるとおもいますたぶん。
近隣では名前どころか顔が売れ過ぎていて再就職には向かなかったので、現在は向いの大陸まで行ってから丁度二月と半と言ったところなのだが。
一向に、就職できない。
いや、アウトローな武闘派集団や軍事関連のお誘いはある。腐るほど。
だが、せっかく傭兵から足を洗って一般市民になったというのにどうしてまた危険な職業に就かねばならないのか。
もとから、災害で両親を亡くした幼馴染みを食わせるために傭兵になったのだ。
もうその幼馴染みは自立しているのだし、戦うのも好きではない。
だが、容姿と年齢の問題で一般の就職はできそうもない。
「どうも、盗賊の首領です」って挨拶したら「やっぱり〜(蒼白)」ってなる様なゴロツキ感満載のゴツいおっさんを誰が雇おうか。
しかも、この世界はギルド有りの徒弟制がある社会だ。
奉公に出て弟子入りしてから収入を得れるようになるまで、大体10年近くかかる。職人商人階級の人間なら7歳で奉公に出るので、遅いどろこの話ではない。
農民になろうにも土地もノウハウもない。農民は農民で領主の財産扱いになるため、下手な農地に傭兵上がりの自分が入るのは不和にしかならないだろう。
それ以前に怪しいからって農村には近寄らせてもらえないんだけどな。
もはや、選択肢など自由業しか残されていない。
ギルドに入らずパン屋になろうとしたら、開拓するしかない。
最近の収入なんて山に分け入っての狩りのみである。ある意味モン◯ン…上手く肉が焼けても女の子の声降ってこないけど。
実は今も山を歩いて適当な獲物を探している最中だったりする。
実入りのいい大型動物や魔物を中心に探していた。魔物は魔素で居場所が割れることも多いのでわかりやすい。既に六頭ほど狼モドキの魔物を仕留めてあるので、しばらくの食い扶持は稼げたことになるがなんとなく山から下りる気にならない。
麓に下りてからしばらく行けば街があるからさっさとそっちに行けばいいんだが…そうやってうだうたと獣道を進んでいると微かな悪臭が鼻をついた。
間違いなく、ものが焼ける臭いだ。
山火事なら山火事で危険だが、これはその類いではないような気がした。
ありふれた悲劇が思い浮かび、無意味だとわかっていてもそのまま臭いのする方へと向かう。
指定された水晶に反応する便利な電子カードに近い身分証明があるにしても、個人情報がわかるだけで戸籍はそんなにしっかり管理されているわけでもない。監視カメラやセンサーなんてものは普及してないし、交通網も拙い。
そうなってくると、事情を抱えた人間は山奥に集落を作ることが多く出てくる。
生のまま焼かれた生き物の臭いが強くなった。
煙は残っていないが、火の気配も蹂躙の傷痕もまだ残っている。なんの集落かはわからないが、たいした魔法や魔素の残滓は感じない。魔物ではなく盗賊あたりに襲われたのだろう。
すぐに切り開かれた小さな土地が現れた。
予想通り、何もかも奪われて集落だってだあろう残骸が散らばり、火が燻る。よくある光景だった。
毎回、こういう景色を見る度に何をするでもなくやるせない気分になる。いちいち助けたりするわけでもないのに、自分から飛び込んでしまうのはなぜだろうか…いや、慣れないことに安堵したいんだろうな。
見てしまった以上、そのままにするのは良心が痛む。時間もあることだし、と無駄な同情を嫌う弟分の幼馴染みに無意識の言い訳しつつ作業に取り掛かる。
人や動物のものとおぼしき亡骸はより分けて埋めることにした。火葬が望ましいのだが、はやりこの状況では遺体に火をかけるのは躊躇われる。
「…ぁ」
集落の隅の、生焼けの区画を機械的に片付けていると吐息に近い掠れた声がした。
魔素の量が少なく、生存者は存在しないと決めつけていたがどうやら違ったようだ。
声のした方を探せばそこは貝塚のようなごみ捨て場があった。窪みの下に、半ばごみに埋もれた形で小さな女の子が横たわっていた。
落ちたのか、隠れたのか。
流石の盗賊も生ゴミのごみ捨て場は見なかったのだろう。傷を負いながらも女の子は生き残った。
煙にやられたのか、真っ赤に充血した虚ろな目。
最初にこういう目を見た時は息が詰まって、動けなかった。
一体、いつからこれを見ても固まらず動けるようになったんだろう。
ごみの中からそっと引き出してやり、川で身体を浄める間も、焦点の合わない目を閉じることは一度もなかった。