居酒屋と少年
たくさんの店が栄え迷路のように道が混在する歓楽街が存在する『丹棹町』。
初見の者が一足向けばそこは迷ってしまうのは確実と言われてしまう程に別れ道が何本もあるのだ。ここを通る者は、地図は必須で誰しも持っているのが当たり前だった。
今日も歓楽街は人でいっぱいになり、夜になりつつ明るくなる様子はまさに“蛍の灯火”だった。
そんな中、一人の少年と思しき人影が何を見るわけでもなく、感覚を頼りに人とぶつからないやうに掻き分けながら人波を避けて道を進んでいた。
暗い方へ吸い寄せられるかのように少年は入って行き、ドンドンと裏の道へと進んで行く。
少年は歩みを止め、一つの店に入って行った。
『居酒屋サクマ』。それが店の名前。
そこは知る人ぞ知る人しか知らない名店ならぬ迷店で、道に迷った人が主に来る居酒屋だった。
「おやっさん、いつもの」
「はいよ」
少年は指定されるまでもなく、どこでも座れる自由席の真ん中を陣取り、注文をする。
おやっさんと呼ばれた熊と闘って勝っていそうないかにもな厳つい感じの店主と思しき人物は、少年が入り浸っているかのような注文の仕方をすると、小皿に3センチの分厚さの大根を乗せて少年の前に置いた。
「いただきます」
器用に割り箸で半分に切り、さらに半分に切って一口サイズにして口に運ぶ。
最初の一噛みで大根に染み付いた汁と大根の苦味が絡んで口内に染み渡る。
「今日もいい味だよ。おやっさん」
「ありがとよ」
少年は飲み込んでから称賛の言葉を述べ、それに店主はお礼を言う。
「ここに来るのは結構だが。あまり入り浸ってると、変なのに絡まれるぞ」
「それっておやっさんのこと?」
「バカ野郎。裏で働く輩のことに決まってんじゃねぇか」
「わかってるよ。心配をありがとう。でも本当に危ない時はおやっさんが守ってくれるでしょ?」
「できる範囲でならな。できないことはできないからな」
「うん。それでもいいよ。僕だってもう守られてばっかじゃいられないしね」
「ほお。ならもうツケはしなくていいんだな?」
「それはそれ。これはこれ、だよ」
「まったく。親父にそっくりになりやがって」
少年は最後の一切れを口に含みゆっくりと味わって咀嚼する。
店独特の汁の味と大根の苦味が絡んでできる絶妙な味加減が少年の舌を喜ばせる。
「おやっさん、おかわり」
「はいよ」
小皿を受け取り再度汁を切った大根を乗せて少年に渡す。
「よくもまあ大根ばかり頼むよな」
「だっておやっさんの大根美味しいから」
「他のもたまには食ってほしいけどな」
「僕の通はここの大根なんだ」
そう言って少年は笑い、また綺麗に大根を四等分に切り分けて一口分を口を運ぶ。
「それで、最近はどうだ?」
「告白された」
訊かれて平然とそう答える少年の言葉に店主は特に驚きもせず訊問を続ける。
「告白って女にか」
「そうだよ。男になんか告白されても嬉しくないし」
「どんな娘だ」
「ん?可憐で儚い感じがして、それなりにかわいい女の子だったよ」
「それで、どうした?」
「どうしたって?」
「返事だよ返事」
「断った」
「なんだよ。勿体無い」
「別にそうでもないよ。後輩だしね」
「尚更勿体無いぞっ」
「……なんでおやっさんが熱くなるのさ。というか、僕は頼りになる姉みたいな人がいいの。だから年下は却下」
「そうかい。ならさっさと相手見付けてちちくり合えってもんだ」
「それができたら苦労はないよね」
苦笑して一口。
学校ではモテる方だが、それは少年にとっては特に喜ばしいことでもなかった。
「ま、僕は花より団子。勉強に時間を費やすさ」
「だったらここにいねぇでさっさと帰んな」
「大根食べたらね」
少年は将来出稼ぎして今お世話になってる家の主に負担にならないように恩返しをするという漠然とした、それでいて優しい人生設計を立てている最中だ。
それは店主も知っていて、応援をしたいと思っている。
これは、手先は器用だが人との接し方が不器用な少年某斗樹と、『居酒屋サクマ』の店主である佐久間健一郎と客の人達が出会い交流してゆく、そんな物語である。
「このおでんの汁、何の出汁使ってるか知ってるか?」
「死んだ鶏だろ?」
「嫌な言い方すんな。鶏ガラと言え、鶏ガラと」
「……どっちも同じだよ」
「有り難みが違うんだよ」
「はいはい」