菫の栞8 -調査篇-
**
俺と佐々木は斎藤探偵事務所に、今回の会社役員変死事件と大学生売春・薬物所持・殺傷・殺人未遂に関与す人物として警察でも追っていた高橋 泉が飛び込んできたと斉藤家の進藤氏から連絡を受けて飛び出した。
「加藤 由紀は薬物反応が出た上に、急な幻覚症状で発狂して警察病院に入院中…千葉 浩美も薬物反応が出て…腹部の傷の回復を待つ為に警察病院に入院中…そして、高橋 泉の登場」
「関係者が続々と集まって来ましたね」
助手席で盛大な溜息を吐いた俺に、運転中の佐々木も小さな息を吐く。
「浩美は黙秘ですし…由紀はあの状態ですし…」
「進藤氏の話によれば、高橋は二人に比べてちゃんと話が出来るようだ」
「しかし…何であの探偵事務所に逃げ込んだんでしょうね」
「知らねぇなぁ…」
「警察は…あてにならないと思われていたんでしょうか…」
「滅多な事言うもんじゃねぇ。警察に来れない事情があったんだろうよ」
俺はクシャクシャに潰れた煙草を一本取り出し咥えた。
「あ。あの店に近々ガサ入れ入りますよ」
「あの高級売春宿か」
「はい。あの店で売春の斡旋と薬物の受け渡しが行われています。未成年や若い女性に酷い事をしますよね…」
「そうだな…」
「どうしたんですか?山路さん」
「あぁ?」
「いや…このヤマが解決に近付くかもしれないのに…」
「ああ…何だかなぁ。俺はいまいちピンとこないんだ」
「ピンと…?」
「俺の刑事の勘がなぁ…」
「はぁ…」
ピンとこない。その言葉が一番似合う今の気分だ。
今の捜査方針に納得がいっていない。そもそも会社役員の変死事件現場になぜ去年自殺した女子大生の所持品が落ちていたのか。
原田 絵里子を追って大学を調べたが、原田は友人らしい友人もおらず。あの栞を渡すような間柄の人間もいない。あれが売り物ならば誰の手にでも渡り誰が持っていてもおかしくはない。しかし、あの栞は原田の自作で原田自身しか持っていなかった。それが何故あんな場所に。
「着きましたよ」
「おお」
佐々木が地下の探偵事務所専用駐車場に車を止めて、降りるように促す声をかけてきた。
俺は覆面パトカーを降りて、いつものようにエレベーターに足を向ける。
エレベーターを降りていつものように事務所の扉に手を掛けた。
「邪魔するぞー」
「失礼します」
いつものように扉を開けて声をかけた俺に続き、佐々木も小さく挨拶をして入る。
「お待ちしておりました」
受付に立っていた進藤が俺達に姿勢のいいお辞儀をして出迎えた。
「高橋 泉さんは?」
「こちらに」
進藤に応接間に導かれ応接間に入ると、ソファーから立ち上がって挨拶をした智孝に俺も頭を下げる。
向かいのソファーに座る女性が顔を被って項垂れていた。
「高橋 泉さんです」
智孝が座っている女性を指して紹介してくれる。
「高橋さん。本庁の山路です」
「佐々木です。ご同行お願いします」
警察手帳を開いて見せた俺達を、怯えたような瞳で泉が見上げてまた顔を伏せた。
佐々木が高橋の肩を掴んでソファーから立ち上がらせて連行して行く。
「こちらもどうぞ」
進藤からDVD-ROMを受け取り、俺は智孝に手を挙げて小さく頭を下げる。
「お前達はどこまで調べ上げてんだ?」
「まだ大筋くらいですよ」
「ふっ…相変わらずだな。じゃあまたな」
「はい。ご苦労様です」
智孝が頭を下げると、俺は苦笑しながら事務所を出てエレベーターの前で待っていた佐々木と連れ添われた高橋と合流する。
佐々木が運転席に乗り込み俺は高橋と後部席に乗り込む。佐々木の運転で直ぐに地下から雑居ビルを出るが、高橋はずっと項垂れて自分の手を揉むように忙しなく動かしていた。
「山路さん」
「ん」
暫く黙って車を走らせていた佐々木が赤信号で停車すると、俺をバックミラー越しに見るから短く返事をする。
「高橋さんは…どんな罪で罰せられるんでしょう」
「んぁ…そうだな…それは取調べしてから…」
「ぃ…いやぁっ!?」
「っ?!」
今までおとなしく俺の隣に座っていた高橋が、突然頭を抱えて暴れだす。
「なっ?!どうしっ…」
バン!!
「おいっ!?高橋が逃げた!!」
「っ!?」
停車中の車から飛び出した高橋を追うように、俺も車から飛び降りる。
「山路さん!」
佐々木の切羽詰った声が背後から聞こえたが、俺はそれを振り返る事もなく信号の角を曲がった高橋を追う。
「待てっ!止まれっ!高橋っ!」
角を曲がり細い背中を追いかけるが、点滅する赤い光と横切る電車の車両に進路を塞がれて振り返りもしないまま小さな影になっていく。
pipipi… pipipi…
上がる息をなんとか抑えて鳴り響く携帯をポケットから取り出す。
《山路さん!○△交差点にっ!高橋が!》
「はぁはぁっ…電車に捕まった。はぁっ…すぐ向かう!高橋を押さえろ!」
《はいっ!!》
電車が通過し終え遮断機が上がり始めたと同時に俺は痺れる足を引きずって飛び出した。
佐々木の情報通り、大きな筋に出る為に路地を通り交差点に出る。
「止まれぇ!」
大通りだが通る車も少なく佐々木の声が響き渡り、俺は歩道橋に視線を向けると高橋が歩道橋を走っていた。
佐々木が解きょうを登り切った瞬間。小さな身体が注を舞った。
ドッ!! キィィィッ!!
鈍い音の後に耳を劈く金属の摩擦音に息を飲みほんの一瞬だけ目を閉じてしまう。
「っ!?」
ハッと目を見開いて俺は暗闇に舞う塊を見つめ、自然と動いた足に体が引っ張られるように妙な動きで走った。
左右を確認して道路の中央分離帯までなんとか走っていくと、見るも無残な肉の塊と化した高橋が横たわっていた。
「山路さん!」
「くっそ…一課と鑑識呼べ」
「はっ…はいっ」
直ぐに駆け寄ってきた佐々木に支持を出し、俺は数台停車している車の誘導を始める。
「…薬で錯乱でもしたか…」
忌々しさに舌打ちをして何台か通した後、佐々木に車をこちらに移動させ一角を通行止にした。
**
山路さんから高橋さんの事故の連絡を受けた。
「証言を録画したDVDをご覧ください」と言っておいたがが、きっと被疑者死亡のまま送検になるだろうと智孝さんは言う。
「自分が移送中の被疑者を事故で死亡させてしまうなんて、刑事になって初めての失態だ」と忌々しそうな声で電話をしてきた山路さんだった。
「一体…何があったんでしょうね」
「薬の副作用で錯乱してしまったのでしょうか」
事務所の中にも落胆の色が広がっている。
カチャ…
「ただいま戻りました」
「何だぁ~ミスしたって?」
裕貴と八代が事務所に入ってくるなり、デスクに座っている俺の頭をグリグリと掴んだ。
「いででっ!やめろよっ!」
「高橋さんの所持していた携帯の通話記録が入手できました」
俺が暴れて八代の手を振り払うと、社長席に座っていた智孝さんに裕貴が紙の束を差し出す。
「お疲れ様。ありがとう」
「あの携帯自体は飛ばしでした。着信者の方も飛ばしなので、相手の特定が出来ませんでしたが…ここを見てください」
その書類を見ようと俺も智孝さんの傍に寄ると、智孝さんが見やすいように書類をデスクに置いてくれた。
「この1件だけ別の番号から着信してます。そして持ち主の特定もできました」
「本当か」
「はい。持ち主は江上 領。あの高級娼館の運転手です」
「リョウ…」
高橋の口からも聞いた“リョウ”と言う名前の人物の存在に俺達は顔を見合わせる。
「リョウ?その男なら昨日会ったぜ」
「本当ですか」
「ああ。ホテルにお姉ちゃん送ってきた男だ」
「運転手に会ったんですか?」
八代の言葉に智孝さんは首を傾げた。
「お姉ちゃんのチェンジ頼んだ時に、ちょこっと揉めてな。はははっ」
「どのような人でしたか?」
「ん~普通のチャラい兄ちゃんだったよ」
香里のデスクにある紙と鉛筆を掴んだ八代は、シャッシャと何かを書き出す。
「髪は杉のコーヒーの色と同じくらいだったかな。ほれ」
ヒラッと宙を舞った紙には一人の人物画が描かれていた。
「なっ…あんたそんな特技が…」
「相変わらず、よく描けていますね」
宙を舞った紙は智孝さんのデスクの上に落ち、俺は追うように紙を覗き込めば特徴もない普通の青年の顔が描かれている。
「警察も証拠品の携帯から直ぐに江上さんに辿り着くでしょうから、僕たちはもう少し違う角度からアプローチしてみましょうか」
「違う角度?」
「森下君。明日と明後日は大学が休みでしたね?」
「はい。今回の事件で学祭が無くなりましたから明日と明後日は一日空いています」
「ああ。明日は学祭があるはずの日だったか…残念だったなぁ」
裕貴の言葉に俺は学祭の為にフルートの練習をしていた依子の事を思い出す。
「では、明日は朝から警察病院の方へ行ってもらえますか」
「分かりました。千葉さんと加藤さんの面会ですか?」
「それもありますが…彼女達の護衛を」
「「護衛?」」
俺と裕貴は声を揃えて聞き返してしまう。
「はい。もし…何か起きるのであれば。明日か明後日です」
「分かりました」
確信めいた色を見せる智孝さんの表情に、裕貴は大きく頷いた。
「真人君は明日、僕と原田さんの実家へ」
「はい」
「八代さんはあの店の摘発の準備をお願いします」
「へぃ」
それぞれに任務を与えて、智孝さんは紅茶のカップを手に取りフゥと息を吹きかける。
「では。本日は解散」
智孝さんの一声で全員が事務所から散って行く。
『俺が探偵になった理由 菫の栞 ―調査編―』 【完】