表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/21

菫の栞7 -調査篇-


 講義中は依子(よりこ)の席は教授の前で比較的安全な場所だ、俺はその時間を使って学内で聞き込み調査をしていた。

「法学部の町田(まちだ) 亜沙美(あさみ)さん?」

「は…はい…」

(つる)だけが巻き付いた藤棚(ふじだな)の下で本を読んでいるショートヘアの赤いフレームのメガネを掛けた女性に声を掛けると、驚いたような目で俺を見上げて眉間に皺を寄せる。

学内で2件も事件が起きているんだ、いきなり声を掛けてきた男に怯えるのは仕方ない。

「あ。俺、小野(おの) 菜摘(なつみ)さんの…」

「ああっ!彼氏さんでしょう?」

「え…」

「菜摘から聞いてた通りだ…素敵な人って言ってたから。でも何で今頃?」

読んでいた本をパタンと閉じた亜沙美は、俺の手を掴んでブンブンと振った。

俺を“小野 菜摘の彼氏”と思い込んでいるんだろう彼女は、勝手に話を進めてしまう。

「えっと…」

「本当…残念でしたよね…菜摘と結婚の話までしてたのに」

「ああ…(結婚…)」

原田(はらだ)さんの事はどうなったんですか?」

「原田さん…」

「妹さんかもって話」

「ちょ!ちょっと待って!ごめん。俺、小野さんの彼氏じゃないんだ。こう言うモンです」

俺は亜沙美の言葉を遮って名刺を取り出して、亜沙美の様子を伺う。

「探偵…さん?」

「うん。今の話、もう少し詳しく話してもらえない?」

「あ…はい」

幾分緊張した面持ちになった亜沙美が、俺を吟味するように見上げて小さく頷いた。


 *


 午後9時。今日仕入れた亜沙美からの情報を事務所にいた智孝(ともたか)さんと進藤(しんどう)さんに報告をする。

「なるほど…小野 菜摘さんの恋人は原田 絵里子(えりこ)さんのお兄さんかもしれないと?」

「町田 亜沙美の話では菜摘は大学を辞める直前に、恋人に腹違いの妹が居てその妹が大学で投身自殺をした原田 絵里子だと言う事を聞いたらしいです。そして菜摘は聖夜祭のチケットを売り(さば)けず借金を背負い売春行為を強要されていた事実は…当たり前ですが、恋人に隠していたそうです。絵里子は投身自殺…菜摘も焼死…その恋人の名前や年齢職業は菜摘からは聞いていなかったそうです」

「明日、原田 絵里子さんのご実家でその“お兄さん”の事も少しお話を聞きましょうか…」

「はい」

俺は手帳を閉じてテーブルに置かれていたコーヒーを一口飲んだ。

 カタン…

事務所の扉が開く音に素早く進藤さんが応接間から出入口に体を滑り出す。「どう言ったご用件でしょう」進藤さんの言葉に外部の人間だと確信した。

智孝さんは奥の社長席に座り、俺はマグカップを持って自分のデスクに座る。

「た…助けて…」

女性の震えた声が間仕切り越しに聞こえた。

俺は直ぐに智孝さんに視線を向けると、デスクの上で手を組んでいる智孝さんが俺を見て小さく頷く。

立ち上がり応接間を抜けて、俺は出入口に顔を出す。

「ぁ…」

入口の前に立っている女性は雨も降っていないのに嵐の中にでも居たように、鎖骨程までの髪をボサボサに振り乱し衣服には泥のような物が飛び散って所々汚れていて肌はガサガサで唇は真っ青。

高橋(たかはし)(いずみ)?」

「おっ…お願い!助けて!殺されるっ!」

「中にお通しして」

奥から聞こえた智孝さんの声に、進藤さんは取り乱す高橋 泉を応接間に通すようにエスコートする。

「…進藤さん。彼女にタオルを」

「はい。どうぞこちらに」

俺は濡れた彼女と微妙な距離を取り、進藤さんが泉にソファーをすすめると給湯室に入っていく。

「高橋 泉さんですね」

「…は…はい」

奥から現れた智孝さんに、顔を上げずに立ち尽くす泉。

「殺されるとは?とても物騒な話ですね」

智孝さんはソファーに腰を下ろして、営業用の表情(かお)を作った。

「ぁ…私…人を…殺して…それから…狙われて…殺され…」

「落ち着いて下さい。人を殺した…とは?」

震える声が痛々しく震える肩をきつく抱きしめ、泉はその場にへたり込んでしまう。

「さぁ、ソファーにお掛け下さい」

タオルを泉の肩に掛けて進藤さんが彼女を立ち上がらせると、ソファーにゆっくりと座らせた。

「私…友達を…刺して…」

「友達とは?」

千葉(ちば)浩美(ひろみ)…」

「千葉 浩美?!」

「ひっ!?」

「杉崎君…シッ」

浩美の名前に俺が声を上げると、泉は頭を抱えて怯えた。すぐに智孝さんが唇の前に人差し指を立てて押し当てる。

「台湾産の桂花茶(けいかちゃ)です。開花直後の金木犀を採取して中国紅茶に混ぜて香りを写した物です。ラズベリー葉を少し混ぜ優しい風味になっています」

進藤さんがコトッと泉の前に湯気立つ紅茶を置くと、智孝さんの前にもいつもの紅茶を置き俺のデスクにコーヒーを置いた。

俺は自分のデスクに座り、智孝さんと泉の会話に耳を澄ます。

「千葉 浩美さんを刺したのは貴女ですか?」

「…はい…まさか…死んじゃうなんて…」

「千葉さんは亡くなっていませんよ」

「えっ…」

智孝さんの言葉に泉はバッと顔を上げて、目玉が溢れるんじゃないかと思うくらい見開いた。

「千葉 浩美さんは重症でしたが、命に別状はありません」

「うそ…だって…千葉さんも吉野さんも死んで…加藤さんを殺せないなら…次は私だって…」

「もっと詳しく教えていただけませんか?」

ガタガタと震える泉は、智孝さんの顔を見つめて口をパクパクさせている。

「手紙が…」

泉は所持していた鞄からボロボロの紙を取り出す。

「拝見してよろしいですか?」

手元の紙を見た智孝さんが控えめに手を差し出せば、泉はその手に手紙を乗せた。

「…あの事をバラされたくなければ、千葉浩美を殺せ…」

「あの事?」

読み上げた智孝さんの言葉に、俺は気になった事を口に出す。

「高橋さん。この…“あの事”とは?」

「ぁ…」

水分の無くなったパサパサの口をパクパクと動かす泉は、目も泳いでいて動揺を隠しきれない様子だ。

「正直に話てくれないと…俺達何もできませんよ」

俺が出来るだけ穏やかなトーンで声を掛けると、泉は肩を落として頭を垂れる。

「私が…小野(おの)さんの…家に火を…つけた…っ」

顔を両手で被って泉は肩を震わして泣き出した。

「なっ…」

「…でもっ…小野さんは死んでたのっ!私が殺したんじゃ…」

突然の告白に目を見開いた俺は智孝さんを見ると静かに頷く。縋り付くように顔を上げた泉が智孝さんの腕を掴む。

「落ち着いて下さい。ゆっくり説明してください」

進藤さんが取り乱す泉の肩を掴んで、智孝さんから手を離させてソファーに座らせた。

「あの日…小野さんの家に連れて行かれて…そこで…男性が3人いて…仕事を…して」

「仕事と言うのは、売春ですね」

「…はい…」

ポソポソと噛み締めるように話しだした泉に、智孝さんが小さく頷く。

「仕事してる最中に…小野さんが急に苦しみ出して…そしたら2、3分で動かなくなって…そしたら男性がみんな逃げちゃって…」

太腿の上で握った泉の拳が小刻みに震える。

「私…一人になって…小野さん死んじゃってるし…怖くなって…」

「それで?」

「それで…送迎のリョウさんに話したら…火を…着けろって」

「リョウさん…」

「集合場所から指定の場所まで送ってくれる、店の運転手です…リョウさん意外にも3人居たと思います…」

「なるほど…そのリョウさんに言われて、高橋さんがご自分で小野さんの家に火を放ったんですか」

「はい…キッチンにあった油をリビングに撒いて…炙った時に使ったライターでカーペットやカーテンに…」

口元を覆って嗚咽を吐き出す泉が、パサパサに乾いた頬に涙を流す。

「そうですか…今の話を警察でもできますか?」

「…はい」

小さく頷く泉は爪が食い込む程拳を握っている。

「高橋さん。ところで何故この事務所に助けを求めに来たんですか?逃げ込むならば警察の方が安全ではないですか?」

「それは…電話で…“斎藤探偵事務所に行け”って…」

「それはどなたからの電話ですか?」

「この携帯に…掛かってくる…知らない人…」

智孝さんの心地よいトーンでの質問に、泉が鞄から随分古い形の携帯電話を取り出した。

「その携帯は高橋さんの物ですか?」

「いいえ…」

「では。どなたの?」

「知りません…私が引越しする少し前に小包で送られてきて…それから…小野さんの事をバラされたくなかったら…千葉さんと吉野さんと加藤さんを殺せって…殺せなかったら…私を殺すって…」

「その携帯を拝借してもよろしいですか?」

「…はい」

震える手で泉は携帯を智孝さんに渡すと、智孝さんは進藤さんにそれを渡す。

「お預かりいたします」

進藤さんはそれを手に奥に入って行った。

「その電話の相手は男性ですか?女性ですか?」

「分かりません…声が…変えられていて…」

「そうですか。ところで、千葉さんを刺したのは高橋さんですね」

「はい…」

「では、吉野さんを屋上から突き落としたのは高橋さんですか?」

「ちがっ…吉野さんはっ…私があそこに着いた時には…既に飛び降りて…」

「分かりました」

少しずつ落ち着きを取り戻してきた泉は、智孝さんの言葉に対する反応がよくなってくる。

「今まではどちらで身を潜めていたんですか?」

「…男性を…誘って…ラブホテルを…転々と…」

「なるほど…そうですか。しかし、何故その相手は、ウチの事務所を指定したんでしょうね…」

「分かりません…」

「高橋さん。貴女は売春…死体遺棄、放火、殺人未遂これらの許しがたい所業で罰せられます」

「っ…は…い」

紅茶のカップを持ち上げた智孝さんは、フゥと一息溜息とも取れる息を吐く。

「高橋さん。時計は?」

「時計…?」

俺は泉の腕に例の時計が無い事に気付き、自分の腕をトントンと叩いて尋ねた。

「店で貰ったか千葉 浩美さんに貰ってない?時計」

「あぁ…あれは、千葉さんを刺した時に金具が壊れてしまって…大学のゴミ箱に…」

「あの日…捨てたんですか」

「はい…」

(じゃあ、あの時ココを監視していた黒ずくめは…)

躊躇わず頷いた泉に、俺は顎をさすって首を捻る。

「お待たせしました」

進藤さんが泉から借りた携帯を持って現れると、その携帯を泉の目の前に置いた。

(じき)、こちらに本庁から山路(やまじ)警部補がいらっしゃいます」

「先ほど、私達に話をした事を警察でもう一度お話していただけますか?」

「…はっ…はいっ…」

進藤さんの報告に智孝さんがもう一度伺うと、ガバッと顔を覆って泣き出した泉。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ