菫の栞6 -調査篇-
依子を除いたメンバーがいつもより少し早めの朝食を取り、事務所の応接間に集合していた。
「おはようございます」
「「「「「おはようございます(ざまーす)」」」」」
それぞれのトーンで挨拶を返すと、寝起きの寝癖全開な香里を見た八代が櫛を投げ飛ばす。
「相変わらず意味の分からない物持ち歩いてるわね…」
「櫛なんて紳士の嗜みだろうが」
「あら。小汚い紳士だこと…」
「誰が小汚いだ。ワイルドな男の良さが分からないとは…香里もまだまだガキだなぁ」
「一生分からなくてもいいわ」
櫛で髪を梳かして香里はポイッと乱暴に投げて八代にそれを返した。
「では会議を始めます。進藤さん」
紅茶を一口飲んだ智孝さんのハリのある声で緊張感が一気に膨らみ、進藤さんが俺達の前に資料を差し出す。
「じゃあ私から。あの倶楽部では3つのコースがあります。1つ目がデートのみのデート嬢、2つ目が性的交渉のある高級娼婦、3つ目がモデル」
「モデル?」
「うん。デッサンとか写真のヌードモデルとか」
俺は最後のモデルの意味が分からず眉を寄せると、香里が右手を後頭部に添えて腰をくねらせてモデルらしきポーズを取った。
「モデルはお触り禁止なのか?」
「そうよ。脱ぐだけ。モデルって言うのはあの店の一番表の顔なのよ。一番最初に入って来た女の子はね、初めにモデルで脱ぐの慣らされて脱ぎ慣れちゃうと少し稼ごうって思ってデート嬢や高級娼婦になっちゃうらしいわよ」
「ふぅん…お前も脱いだのか?」
「いてっ」
ニヤニヤ笑う八代に履いていたクロックスを投げつけると、それを避けた八代とパコンとそれを頭にヒットされた裕貴。
「私はデート専門よ」
「既に1200万も貢がれてますよねぇ」
「せっ…1200万?!」
「へへっ」
裕貴が分厚いレンズの黒縁眼鏡を押し上げて香里の収入を告げると、俺は思わず声を上げてしまった。
「話戻すわよ。倶楽部の会員はコースを選択。そのコース内にいる好みの女性を選択して料金を前払いで全額支払う」
「料金設定はありませんでしたが」
「コースによって料金は変わりますが、デートの基本料金は指名料込みで2時間20万延長は30分毎に5万。そこから女性に5万バック。デート中にもらったお小遣いは丸々ポケットin。高級娼婦の基本料金は2時間50万。そこから女性に30万バック。プレゼントやお小遣いは同じくポケットin。モデルの基本料金は2時間5万そこから3万バック。プレゼンとやお小遣いはあまり貰えないみたいだけど」
資料を目で追う智孝さんが香里に尋ねると、香里は自分が持っている情報を細かく出していく。
「店の抜きが15万や20万くらいで女にそんなに稼がせるのか?店そんなに儲けないよな」
女性の名前と月々支払われている金額を指でなぞり、女性優位な店の経営スタイルに首を捻る。
「あくまで最初の基本料金ね。人気出れば値段も上がるし、人数こなせば歩合で貰える。儲けられる子と設けられない子の差がここで生まれる。ここで出るのが“薬”」
「会員から徴収している月々の会費と抜きだけでは、確かに小さな利益でしかありませんね。儲けている女性は自分の収入で薬を店から買っているんですね」
「その通りです。店から給金として支払った金を薬で集金しています。だから売れない子は薬欲しさに資金繰りに右往左往して売人に直接体を売ったり…自殺する子も…」
「なるほど…だから薬がセットで着いてくるんだな…」
「あくどい商売してますね…」
朝から頭が痛くなるような話に俺は深い溜息を吐き、裕貴は心底嫌そうな顔をした。
「そろそろ。私にも薬の話が回ってきそうなので、調査の進行を早めてもらえると助かります」
「了解しました」
報告を終えた香里はソファーに座り、コーヒーを手に取り息を吹きかける。
「では。森下君」
「はい。では皆さん昨日の動画をチェックしてくれましたか?」
続いて智孝さんが指名した裕貴が、パソコンのキーボードを操り間仕切りのスクリーンに動画が映された。
「生前の原田 絵里子さんです。続いて小野 菜摘さんです」
スクリーンに映る昨夜見た動く原田と小野の姿に、八代が「こっちが好みだな」と小野を指さす。
「節操なし…」
香里が呆れて唾を吐きそうな勢いだ。
「付き合ったのかな」
「え?」
「小野 菜摘。ほら“告白に行くんでしょう”って撮ってる子が言ってるだろ」
「はい…」
「“菜摘なら大丈夫だよって”」
俺は昨日から胸につっかえていたモヤモヤした気持ちを口に出す。
「恋人の…存在ですか?」
「はい…コレ撮ったの一年前でしょう。菜摘なら大丈夫って事はOK貰える確率高かったって事ですよね」
「なるほど」
智孝さんが腕を組み顎を支えて何か考えているようだ。
「コレ撮った人分かるか?」
「えっと…町田 亜沙美さんのはずです。ウチの大学法学部3年。小野さんと同じマリンスポーツ同好会のメンバーです」
「法学部…町田ね」
裕貴が学生名簿の数枚の資料の中から彼女の名前を指差す。
「小野さんの実家は八王子でしたね?」
「はい」
「八王子署に知り合いがいます。もしかすると何か収穫があるかもしれませんので話を聞いてみます」
何かを思いついたように智孝さんは資料をテーブルに置いた。
「では、本日も気を引き締めて」
「「「「「はいっ(はぁい)」」」」」
智孝さんは立ち上がり全員の顔を見渡してから、鞄とコートを持って颯爽と事務所を出て行った。
「さて。私はもう一眠り…」
「僕は大学に行きますから」
「俺はお姉ちゃん漁りに♪」
「杉崎さん。今日は宜しくお願い致します」
「了解しました」
香里は事務所から出て部屋に戻ったんだろう。裕貴は眼鏡を押し上げて専用部屋から鞄を持って事務所を出て行く。八代はソファーに座ったまま髭を弄りながら倶楽部の女性従業員の写真を眺めて、進藤さんは俺に姿勢良く頭を下げて事務所を出て行った。
「さて…」
みんなの資料をまとめて奥の給湯にある資料棚に直して、俺は依子を部屋まで迎えに行く事にする。
「なぁ杉~」
「はい?」
事務所を出ようと扉に手を掛けると、八代が声を掛けて来た。
「姫は。護られてばかりのか弱い姫様じゃないから気をつけろよ」
応接間から顔を出した八代は、どこか愉しそうに笑う。
「どぉ言う意味?」
「ああ見えて強情だし、じゃじゃ馬姫だって事」
「じゃじゃ馬…ねぇ」
依子の顔を思い浮かべても、まるで反対の言葉に首を傾げて事務所を出た。
階段で依子の部屋まで行くとノックをしようと腕を上げる。
「おはようございます」
「おっ…おはよう」
歩美が絶妙なタイミングで扉を開くから、ノックをしようとしたままのポーズで俺は口元を引きつらせた。
「おはようございます」
依子が顔を出して俺を見上げて挨拶をして、歩美から鞄を受け取った俺は依子の車椅子のグリップを握ってエレベーターに向かう。
「今日は香里さんが夕飯を作ってくれるらしいですよ」
「えっ?香里が?香里の料理とか初めてだな…」
「お上手ですよ。お兄さんがフレンチのシェフで、味を盗んだと言っていましたから」
「兄貴いるんだ」
よく考えるとココの従業員の家族構成とか聞いた事ないけど、香里は妹だと漠然と思えた。
「真人さんは…ご兄弟は?」
「俺?兄貴と妹の三人兄妹」
「三人ですか。賑やかでしょうね」
「賑やか…まぁ煩いな。特に妹が年頃でピィピィ言ってるなぁ」
「おいくつですか?」
「22歳。現役大学生だよ」
他愛ない会話をしながら駐車場に着いた俺達は、依子に手を差し出し後部席に移動する手伝いをする。
「ありがとうございます」
お礼を言って後部席に収まった依子のシートベルトを締めて、俺は車椅子をトランクに乗せると運転席に乗り込んだ。
車を発信させてビルから出ると、芦田の車とすれ違い短くクラクションを鳴らされた。
「あ…芦田先生」
既に通り過ぎてしまった後だったから、俺はバックミラーでチラッと確認した。
「今日は兄さんと芦田先生。郊外のパーティーに参加するって言ってましたから」
「パーティーねぇ」
「情報収集にはパーティーが一番手っ取り早いそうです」
「なるほど…智孝さんにしか出来ない仕事だな」
赤信号で停車して何気なくサイドミラーを見ると、赤いネイキッドの250ccバイクに乗った男性がこちらの車を頻りに気にしている。
「紺のフルフェイス・左サイドに白い蛇と数字の5・赤のネイキッド250・男性」
《なっ…なんですか?いきなり》
「メモしててくれ。尾行られてる」
ブレスレット型の無線で裕貴に一通りの特徴を伝えると、驚いたようにペンを走らせる音が聞こえた。
《紺のフルフェイス?左サイド白蛇と数字の5?赤の…?》
「ネイキッド250に乗った男」
《メモしました。本当に尾行られてるんですか?》
「それは到着してみたら分かる」
《ナンバー見れたらお願いします》
「あのなぁ。後ろ走ってんだから見れるワケないだろ」
「真人さん?」
「あ。悪い」
信号が変わり依子の声に車を発進させると、チェックしていたバイクが一定の距離を取って後を着いてくる。
「学園祭は来週末だったよな」
「はい…でも、今回の事件で無くなりそうです」
「あぁ…大学側も配慮するよな。依子ちゃんの演奏楽しみだったのに」
「近々、ボランティアの方々と施設で演奏しますから。宜しければそちらに来て下さい」
「施設?」
「はい。児童施設に出向いて朗読会や演奏会を定期的に」
「なかなかアクティブだな」
「“沢山の人と触れ合いなさい”って兄さんに言われていますから」
「そうだな。色んな人間を見る事はいい事だと思うよ」
バックミラーでバイクの男性を確認しながら、俺は大学の敷地内駐車場に入った。
バイクの男は門の前で止まり、こちらを伺っているようだ。
「依子ちゃん。今日は授業が終わったら真っ直ぐ帰るよ」
「はい。分かりました」
トランクから車椅子を取り出し、移動の為に依子に肩を貸しながら言うと何かを察したのか少し固い笑顔で素直に頷いた。