菫の栞5 -調査篇-
「では、八代さんの持って帰ってきた情報をお願いします」
「おっ」
煙草に火を着けた八代は胸ポケットから小さなUSBを取り出し、隣の裕貴に手渡す。
受け取った裕貴はパソコンにそれを差し込みキーボードを押す。間仕切りのスクリーンに数枚の写真が映され外国人女性と日本人男性。どれも違う人物の写真だ。
「この女がこの国に薬を持ち込んで捌いてやがる」
「この女性は?」
ジャケットの胸ポケットからシャキッと取り出した特殊警棒でスクリーンの女性を指す。
「“カルメン”イタリアマフィアの女幹部だ」
「マフィア…ですか」
「コルネリオ・ダルベルトの情婦だったが、物凄い勢いで昇った女だ」
「コルネリオ・ダルベルト…イタリアでも1、2を争うファミリーですね」
煙草の煙を吐き出した八代は、「いい女だったぜ」と付け加えた。
「まったく…物好きですね」
智孝さんは息を吐くように笑う。
女性と日本人男性の手元をズームしていくと、何かを渡しているのが分かった。
「えっ…何…マフィアの幹部と…」
「俺は無類の女好きでな。落とせない女はいねぇよ」
「いつか殺られんぞ…」
「馬鹿言え。俺の希望は腹上死だよ」
俺が呆れて声をひっくり返すと、八代はハンと俺を馬鹿にしたように口角をあげる。
「下品すぎる…」
「なぁんだぁ~お前まだどうt…」
「うるさいなぁ!?」
とてつもなく嫌な顔をしていた裕貴がポツリと呟くと、八代がニヤニヤと笑って裕貴の頭をグリグリすると腕をブンブンと振り回す。
「話を戻しましょう」
「私の方で薬のルートを詳しく調べてみます」
「進藤さん。お願いします」
智孝さんが進藤さんと話を進めて、ゆっくりと進藤さんに会釈をした。
「八代さん。あなたには大好きな女性とお仕事してもらっても構いませんか?」
「おっ。喜んで」
特殊警棒をポケットに直した八代は、左手で敬礼をしてみせると煙草を灰皿に押し付ける。
「進藤さんの仕事量が増えてしまったので、真人君には進藤さんと交代で依子の送迎をお願いします」
「えっ。あぁ。はい…後は?」
「いえ。特には」
俺は思ったよりあっさりと単純な仕事を頼まれて気が抜けた。
「なんだぁ?こいつに姫任せてんのか?」
「ええ。彼は優秀ですから」
驚いた様子の八代が俺と智孝さんを交互に見れば、智孝さんニコッと微笑んで八代さんから俺に視線を向ける。
「へぇ…杉ぃ」
「ぇ?」
「お前。男が好きなのか」
顎の髭を指でなぞりながら、八代が訝しげに俺を見上げた。
「…はぁ?!」
「姫に興味がねぇなんて、男としてはどぉよ」
「姫って…依子の事だよな」
「ああ。ウチのお姫様」
「興味って…いやっ。俺は普通に女好きだし」
「じゃあ年上とか人妻好きか?」
「別にそんなこだわりねぇよ」
くだらないやり取りをしていると、事務所の扉が開いた音がする。
裕貴はスクリーンの映像を消し、ノートパソコンを俺に差し出す。俺はそれを受け取り香里のデスクに置く。
「夕飯の準備が出来ましたよ…あっ」
応接間に顔を出した依子は八代を見て驚きに目を見開く。
「ひぃ~めぇ~!?」
突然八代が顔の筋肉を目一杯緩めて、ヘラッと 笑ったかと思えばそれは正しくロケットのように勢い良くソファーから飛び出した。
「ハァーウスッ!!」
「うげっ!?」
今まで聞いた事もない怒声と今まで見た事もない速さで八代のこめかみに回し蹴りを繰り出した智孝さん。その回し蹴りを一瞬の判断で腕で防御して受けた八代はソファーにドカンと沈み込む。
「すっげ…」
俺は今目の前で繰り広げられた一瞬の攻防戦に固唾を飲んだ。
「社長と八代さんは常に本気でぶつかりますからね」
危険を察知した裕貴は事前にソファーから逃亡していた。ある意味こいつも凄い。裕貴は俺の横で腕を組んで何度も頷いた。
「八代さん。おかえりなさい」
「ただいまぁ~姫ぇ~」
ソファーの上で悶絶している八代に依子が声を掛けると、相当なダメージを受けたであろう八代がニヘニヘと笑い依子に手を振る。
「大丈夫ですか…」
「平気平気!姫の顔見たら全ての苦痛から解き放たれるぜ」
依子が車椅子を進めて八代を覗き込むと、八代は腕をブンブンと振り回す。
「食事にされますか?」
「そうしようか」
依子の問い掛けに智孝さんが返事をすると、全員が仕事モードからプライベートの表情になった。
事務所の戸締りをしてビル内にある食堂に全員が揃うと、依子の作った夕食をみんなで囲む。
「いやぁ~やっぱり姫の手料理はどの高級レストランより美味い!!」
「ははっ。相変わらず八代さんはお世辞が上手ですね」
「姫が俺の為だけに作ってくれる日がいつか来ればいいのになぁ」
「人生どう転んでも、八代さんの所にお嫁にはやりませんよ」
「ちっ」
智孝さんと八代のやり取りは、テンポもよく見ているこっちが可笑しくて笑えてしまう。
「食事中に失礼します。明日の会議は何時に始めましょうか」
「明日は、僕の時間の都合になってしまいますが9時でいいでしょうか?」
食堂の入口に立っている進藤さんがスケジュール帳を開き、スケジュールを書き込む。
「「はい」」
「うーい」
俺と裕貴が返事をすると、八代も遅れて手を挙げた。
食事を終えて地下のジムで軽く運動をしていると、八代がラフなスエット姿で現れた。
「おぉ。優秀優秀」
「なんすか?わざわざ茶化しに来たんすかぁ」
軽くダンベルを上げ下げしながら、俺は八代を見上げた。
「いやぁ。おやっさんから仕事熱心な優秀な若者が入ったって聞いてたから楽しみにしてた」
「おやっさん?」
「進藤のオヤジ」
「ああ。おやっさんって…イメージじゃないな…」
「色んな意味で俺の師匠だからなぁ。おやっさんなんだよ」
「ふぅん…」
サンドバックをトントンとリズミカルに殴る八代。
「進藤さんが師匠なのに、何であんたは紳士にならなかったんだろうなぁ」
「おいおい。俺は紳士だぜ?目の前の女性は必ず口説く」
「そっちの紳士に流れてったワケか」
「杉はどぉなんだよ」
「どぉって?」
俺はダンベルを置いて肩を回しながら聞き返す。
「女だよ。姫にしても香里にしても美人揃いだぞ」
「同僚には興味ないな」
「じゃあやっぱり、熟女や人妻?」
「今まで年下しか付き合った事ないですよ」
「何人だよ」
「そんな事あんたに言う必要ないだろう」
「俺も男の性関係なんて興味ねぇ」
「じゃあ聞くなよっ!」
タオルを掴んで立ち上がり首に巻いた俺は眉を寄せる。振り返りニッと笑った八代。
「明日から杉の替りに“倶楽部サンタモニカ”に潜入してくる」
「女好きのあんたには、もってこいの仕事だろ」
「ああ。写真見た限りだと…レイコちゃんが好みなんだけどなぁ。明日居るかな」
「知らねぇよ」
「杉は姫の護衛だろ」
「ああ。進藤さん忙しいらしいから」
「持って行け」
八代が俺に向けて何か黒い物体を投げてきた。
「なっ…」
「安全第一」
パシッと手の中に収まったのは20センチ程の特殊警棒だ。
「使い方間違ってる」
「俺は日本語が一番苦手でな」
がははと豪快に笑って八代はジムから出て行く。
「安全…第一…か」
思わず笑みが零れてしまった俺は、結構八代が気に入っているんだと思う。
頭からシャワーを浴びながら、一連の事件を考え直していた。
そもそも俺がこの事件に関わったのは、大学構内で起こった殺傷事件に立ち会った事。
殺傷事件の被害者であり警察病院に入院中の千葉 浩美は売春を斡旋、麻薬使用。変死した会社役員の愛人だったが未だはっきりしていない原田 絵里子の自殺に関与している可能性がある。
投身事件の被害者である吉野 浩平は死亡している為、売春への関わりは分からないが麻薬所持・使用と原田 絵里子の自殺に関与している可能性がある。
麻薬の後遺症で警察病院に入院中の加藤 由紀は売春と麻薬所持・使用。原田絵里子自殺にも関与している可能性がある。
三人の写真を思い出しながら、俺はシャワーのお湯を止めた。
下着とTシャツを身に着けてフェイスタオルで頭をガシガシと拭き、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出す。
原田 絵里子と同時期に大学を辞めて、実家に戻り焼死した小野 菜摘は状況的に売春と薬物使用の疑いがあったが死人に口なし。
同じく高橋 泉は行方不明になっているが、売春と薬物使用の可能性がある。しかし疾走中にも関わらず千葉と吉野の事件の日に大学構内に現れた。
「はぁ…高橋 泉は何処に潜伏してんだ…」
ソファーに座り頭をガシガシと拭けば、散らばる一つずつのピースの輪郭がボヤけて見える。
「何だ…繋がってんのか…繋がってねぇのか…分かんねぇな」
トントン
「真人ぉ~」
部屋の扉を叩き香里が声を掛けてきた。
「ん」
スエットを身に着け俺は部屋の扉を開けると、高そうなドレスと宝石を身に纏った香里が俺の目の前にUSBを差し出す。
「生前の原田 絵里子と小野 菜摘の映像」
「何で」
「調査の情報だからでしょうが、明日の会議までに目を通して置きなさい」
「ん。ありがと」
掌を差し出すとそこにUSBを乗せた香里がヒラヒラと手を振って背を向ける。
「お疲れさん」
「明日は休みだからゆっくりするの。ヘマしないでよ」
「しねぇよ」
香里が部屋に戻るのを見送って、俺は部屋の扉を閉めて手の中のUSBを見つめた。
ソファーに座りローテーブルのノートパソコンを開き立ち上げる。
《ちゃんと押さえないと…音…出ませんよ》
《ありがとうございます。こうでしょうか?》
《私も…そんなに…上手く…ないから》
「依子…」
生徒手帳で見た写真より幾分柔らかい原田 絵里子と、フルートを持って微笑んでいる依子がディスプレイの中で動いている。
《菜摘ぃ~こっち向いて!》
《いいよぉ…恥ずかしいってばぁ》
《この後、告白に行くんでしょう?その意気込みは?》
《えっ…えっと…頑張ります》
《菜摘なら大丈夫だよ!ドンとアタックしてきなさい!》
《うん!》
ビデオを撮っている女性の顔は映っていないが、とても幸せそうに頬を染めて微笑む菜摘の姿がディスプレイの中でイキイキと動いていた。
「やりきれないよな…」
二つとも右下に表示されている日付から2年前の学園祭の様子らしい。それぞれ今を楽しんで過ごしている女子大生が自殺と焼死。俺は胸に込み上げるモヤモヤした感情に想い溜息を吐く。