菫の栞2 -調査篇-
*
二軒とも空振りだった俺は、得た情報を組み立ているであろう智孝の元に戻る。
「ただいま~」
俺は事務所の扉を開けて中に入ると、応接間から芦田が顔を出す。
「お疲れ様~」
「あーいらっしゃい。芦田さん」
「肌寒くなってきたから外回り辛いんじゃない?」
「まだ大丈夫ですよ。真冬にバイクは辛いけど」
俺はジャンパーを脱ぎながら応接間を横切りデスクに向かう。
「お疲れ様です。コーヒーでいいですか?」
奥の部屋からトレイに紅茶を乗せて智孝が現れた。
「お疲れ様です!自分でやりますからっ」
俺は慌てて首を横に振って、智孝と入れ代わりで奥の部屋に入って行く。
「真人さん。お帰りなさい」
「ただいま」
部屋に入ると依子がコーヒーを煎れていたが、俺を見上げて笑顔をくれる。
(癒されるわぁ…)
俺は緩みそうになった頬を引き締めた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
煎れたてのコーヒーを俺に差し出してきた依子。それを受け取り首を傾げた。
「みんな紅茶なのに、何でコーヒーが?」
今ここに居る三人はいつも紅茶を好んで飲んでいるのに、タイミングよく出てきたコーヒーに疑問を感じた。
「兄さんがバイクのエンジン音がしたから、真人さんが帰って来るって」
「なるほど…」
俺は智孝の鋭さに脱帽する。
「今日は芦田さん来てたんだね」
「はい。月に1回の診察日ですから」
「そっかぁ。調子はどぉ?」
「最近始めた筋トレのおかげで立っていられる時間が増えたんです」
「凄いなぁ!やっぱり日頃の積み重ねは大事なんだよな」
「はい。頑張ります」
「おぅっ。無理しない程度にな」
俺はコーヒーを一口飲んで、依子の車椅子を押して部屋を出るとデスクに座る。 依子は応接間に入り智孝と芦田の会話に加わっていく。
「でも大変だね…通ってる大学でそんな事件が起こってたら智孝が心配で心配でしかたないだろう」
最後の方は智孝への皮肉が込められているのは俺でも分かった。
「そんな事は無いですよ。信頼してるファミリーがいますからね」
智孝は優しい満面の笑みでそう言った。
「いい家族に恵まれたね。羨ましいよ」
「芦田先生もファミリーじゃないですか」
芦田が寂しそうな顔を見せると依子が不思議そうに首を傾げる。
「そう思ってくれてるなら嬉しいよ」
さっきとはまた違った意味での寂しそうな表情が、俺にはどこかひっかかった。
「智孝さんと芦田さんて。ホームズとワトソンって感じじゃないんですか?」
「ほぉ…僕はワトソンくらい役に立ってるのかな?」
「役に立つ立たないじゃないですよ。芦田さんには感謝してもしきれないほどお世話になっています」
「なるほど。じゃあワトソンのポジションを有効活用して、僕も調査に出しゃばっちゃおうかな!」
俺と智孝さんの言葉に、パッと明るい顔を上げた芦田がニッと微笑む。
「と言うと?」
「11月から一ヶ月間、あそこの医学部で解剖授業の助手をする事が決まったんだ」
智孝が首を傾げて尋ねると、嬉しそうに芦田が胸の前で手を組んだ。
「か…解剖…」
「大事な授業なんだよ?」
「そうですね…」
「あの大学から監察医が結構出ててね、中々優秀な人材が揃っているんだよ」
何故か自慢げに言う芦田に俺はウンウンと頷いくしかない。
「知らなかったです」
「まぁ、監察医の卒業大学なんて殆どの人が知らないからね」
同じように頷いていた依子が呟くように言うと、芦田は眉をあげて小さく頷く。
「そう言う事だから、僕は医学部にお世話になるワケだし講師扱いだから聞き出せそうな情報は聞いておくよ」
「なんと心強い」
「へへっ。職権乱用です」
「無茶しないで下さいね」
「うん」
勢いよく突き出された拳から親指が伸びて、芦田のキラキラな笑顔が眩しかった。
約束していた時間を少し過ぎた頃、山路が事務所を訪れた。
「ご苦労様です」
応接間のソファーに智孝と対面する形で座った山路と、その隣に座る佐々木。
「すまんな。こっちも忙しいだろう」
「いえ。大丈夫ですよ」
山路は顎を掻きながら困ったような顔で息をつく。
俺は自分の分を含め4つの紅茶をテーブルに置くと、智孝の隣に腰を下ろした。
「昨日来るつもりだったんだが、諸事情でな」
「いえ。こっちが行かないといけないのに来てもらってるんだし…」
「そちらの方は初めてですね。私はこの事務所の社長をしております斉藤です」
山路と俺が会釈を交わすと、智孝が佐々木に名刺を差し出す。
「これはどうも。ご丁寧に…私は佐々木です」
佐々木は慌てて名刺を差し出し智孝と交換をした。
「最近、新宿署からウチに配属されたんだ。児玉がギックリ腰で休み取ってるもんで、今は佐々木と回ってる」
「おや。児玉さんがギックリ腰ですか…お大事にとお伝えください」
「おお。じゃあ本題に入る」
山路が胸ポケットからビニールに入れられた例の栞を取り出した。
「東陽の役員が変死した事件は知ってるよな」
「はい。取締役の中島さんですね」
「やっ…山路さんいいんですか?」
「ああ。こいつにはいつも世話になってんだ。後、俺達の誰よりも色んな所に顔が利くんでな」
佐々木が生真面目そうな眉を八の字にして山路に尋ねるが、山路はニッと口角を上げて“それ以上聞くな”と言う雰囲気を漂わす。
「中島氏とはゴルフの約束をしていたんですけどね…残念です」
「ふむ…君の目から見た中島の印象はどんな感じだったんだ?」
「そうですね。彼は若いのにかなりのやり手だったと思いますよ。かなり特殊な接待をしていたそうですが」
「特殊な…」
「その辺りは私の方でも少し調査させて頂いてますが、まだ報告できるまでに至っていません。こちらの殺傷事件の被害者である千葉さんに関しては繋がりが見えましたよ」
智孝が山路の前に差し出した写真に写っていたのは、殺傷事件で重傷を負って入院中の千葉 浩美だ。
少し身を乗り出した佐々木が警察手帳を取り出そうとした。
「ここの会話はあくまで推測だ。書かなくていい」
それを阻止するように手で制止する山路。
「は…はい」
「千葉 浩美さんは中島氏の“愛人”だったようですね」
「愛人…なるほど」
頭が痛いのかこめかみを押さえながら山路は溜息をつく。
「大学の方での調査によると、千葉さんはかなり金回りも良く遊び回っていたみたいですね。後は、金貸しのようなこともしていたとか…手口としては貸した相手に念書を書かせて期限内に返さなかった者には執拗に取り立てを行っていたようです」
「高橋 泉と小野 菜摘もその執拗な取立てに人生を狂わされたんですね…」
智孝は手元の資料を山路に差し出し補足する。俺はその言葉にまだ見ぬ二人の女性の苦悩を考えた。
「高橋?小野?君たちもそこまで辿り着いてたのか…さすがだな」
困ったように笑った山路が佐々木に何かを指示する。
「はい…」
佐々木は胸ポケットから3枚の写真を取り出した。
左から一人は黒縁の眼鏡をかけた大人しそうなお下げの女性。もう一人は肩までの茶色い髪をフワッとさせた愉しそうに笑う女性。もう一人はパッツンと前髪を切りそろえた黒髪ストレートのお嬢様風の女性。
「原田 絵里子。高橋 泉。小野 菜摘」
山路が俺が目で追った順に名前を上げていく。
「原田さんは去年のクリスマスに自殺。小野さんは3ヶ月前の自宅の火事で亡くなっている」
「はい」
ここまでは俺も自分の足で聞き込んだ話と一致している。智孝も穏やかに頷く。
「高橋さんが現在行方不明だ」
「近隣の話によると実家に戻ったって言ってましたけど」
「ああ。一旦は実家に戻ったんだが、一ヶ月前に携帯も財布も何もかも置いて着の身着のまま。突然失踪したんだ」
山路が泉の写真をトントンと叩く。
「失踪…ですか…」
「まぁ…そこで最初の中島氏の話に戻るんだが。中島氏は都内ホテルのスィートルームのベッドで全裸で発見された。死因は服毒だ」
「自殺ではない…と?」
「ホテルの監視カメラに中島氏の部屋から死亡推定時刻に飛び出していく女性が映っていました。飲みかけのワイングラスが二つ。片方には毒が入っていませんでした」
智孝の質問に佐々木が警察手帳を取り出して読み上げる。
「その監視カメラの映像を見せてもらう事はできますか?」
「鑑識の飯島課長に頼んでおくよ」
「ありがとうございます」
「で…これがその中島氏の遺体の傍に落ちていたんだが…」
山路がビニールに入った栞を指に挟んでヒラヒラとして見せた。
「なるほど…それで原田さんに辿り着いたと」
「ああ。これは手作りらしくてな…持ち主は原田 絵里子だったが」
「原田さんは既に亡くなっていた…」
「原田 絵里子の事を調べ出したら次から次へと…」
困ったように少し薄くなった頭を掻きながら、山路はその栞をテーブルに置く。
「そうですね…同じ大学の生徒だけで4人も亡くなっていますね…」
「そうなんだ…今回連行した加藤 由紀は、全く何も話してくれないし…」
「あっ。そう言えば腕時計は?」
二人の会話を邪魔しないように黙っていた俺だが、加藤 由紀の名前を聞いて腕時計の事を思い出した。
「ああ。杉崎君の助言を聞いて腕時計についても調べた。加藤がしていた腕時計は千葉 浩美が周りの友人に配って回った海外土産らしい。同じ物を持っている人は探せばもっと出てくるかもしれない」
「なるほど…量産かぁ…」
俺は大きな手がかりになるのではないかと思っていただけに、空回り感に方を落とす。
「一応そっちも当たってはいるから、ありがたい情報だったよ」
「そぉっすか…」
「ちなみに。亡くなった原田。小野。失踪中の高橋も同じ物を持っています」
警察手帳を覗き込んだ佐々木が、俺達に伝える。
「加藤さんは、今回の投身された吉野さんの件ではどんなポジションなんですか」
「まぁ…目撃者もいる上に本人も屋上に言ったって行ってるからな。容疑者として身柄を確保している」
「一連の事件に関しては完全に否定してますが」
進みそうで進まない。事件の解決への糸口は目の前にぶら下がっているようで、手を伸ばしても届かない。