菫の栞6 -事件篇-
午後の講義を前に裕貴と落ち合い、依子と三人で昼食を取る事にした。
「嗚呼…あの話は結構話題になりましたからね」
食後にコーヒーを飲みながら裕貴に山路の事を話すと、思い出すように遠くを見つめる。
「原田さんは、あの建物の屋上から飛び降りて自殺したんですよ」
裕貴が学食のテラスから背の高い木々の間に見えるレンガ壁の建物を指した。
「医学部の…?」
「よく知ってますね。原田さんは医学部の学生だったんですよ」
俺の言葉に驚いた裕貴は付け足すように説明をする。
「私には…彼女が自殺をするような人だとは思えなかったのですが…」
「まぁ…人は見た目じゃ判断できないからなぁ」
医学棟を見つめて呟いた依子に、ウチとソトでは全く違う裕貴に視線を送りながら言う。
「真人さんも硬派そうですけど。女好きっぽいですよね」
「健全だろうが」
「威張るトコですか…そこ」
裕貴は呆れたように溜息をついた。
「真人さんモテそうですものね」
「今までモテた覚えは無いけどね…」
依子の優しい微笑みに心が痛い。
「話戻しますよ」
「おぉっ」
「この大学では毎年恒例の“聖夜祭”って言う学生主催のクリスマスパーティーがあるんですけど、その催しの中でミスコンみたいなのがあってそのミスコンに原田さんが選ばれたんです」
「へぇ…可愛い子だったのか」
「どちらかと言うと…地味で目立たないし、お世辞にも可愛いとは言えないですね」
俺はミスコンに選ばれた事で勝手に可愛いと思い込んだが、裕貴の差し出したノートパソコンに写し出された飛び降り自殺の事件記事に載っている原田の写真は度のきつそうな眼鏡に仏頂面をしたミスコンとは縁遠い女性だった。
「何で彼女がミスコンに選ばれたんだ?まずはノミネートとかあるだろう」
「まぁ…学生主催だと言う所がポイントなんですけど、本来ミスコンは学園祭で全校生徒や来客の投票で決まる正式なミスコンです。聖夜祭のミスコンは…ある意味、公開処刑的な感じなんですよ」
「公開…処刑?」
口ごもる裕貴の言葉に、依子は驚いて聞き返す。
「依子さんは参加した事なかったですよね…聖夜祭は名前の様に聖なる夜の祭なんかじゃないんです」
「なるほど…」
「まるでサバトみたいなモノです。みんなが悪魔に見える」
「裕貴は参加したのか?」
「最初の30分くらいで耐え切れず抜けてしまいましたけど…」
思い出すのも辛いと言った顔で裕貴は顔を伏せてしまう。
「その二日後に原田さんは亡くなったんだろ?その聖夜祭が原因かもしれないんじゃないか」
「僕も最初はそう思ったんですけど…全員がね、口を揃えて言うんですよ。原田さんは聖夜祭に居なかった…って」
「はぁ?ミスコンしておいて?そんなの全員が虐めを隠蔽する為の口裏合わせだろ」
「僕だって今でもそう思っていますけど。誰にその話を聞いても“本当に知らない顔”をするんです。あの目は本当に知らない人の目です…」
俺は納得がいかず眉を寄せて不機嫌そうに裕貴の話を聞く。
「原田さんが聖夜祭に来ていた事を覚えていて、主張するのは僕だけなんです」
「何だよ…それでお前も原田さんが居た事をうやむやにしたのか?」
「自分の記憶に自信が持てなくなったんですよ…もしかしたら僕の勘違いだったのかもしれないと思えてきて…結局警察の聴取では…」
それ以降裕貴は口をつぐんでしまう。
「裕貴さんは何も悪くありませんよ」
「なるほどな…集団心理だそれは仕方ない。ところで裕貴、その聖夜祭の主催は誰なんだ?」
「えっと…」
俺達の言葉に情けない笑顔を見せた裕貴はパソコンでWEBページを開く。この大学の紹介WEBページの中にある“生徒主催のイベント”のページ。
「去年の主催は、千葉…浩美」
「ふぅむ…」
「あ…後は、加藤 由紀と吉野 浩平が居ます」
「ヨシノ…」
「はい。今朝、事務局でこの吉野について調べたんですけど。現在休学中なんです」
「休学か…何か関係があるんだろうか…」
俺と裕貴が頭をつき合わせてパソコンを覗き首を捻る。
「あの…」
「ん?」
不意に依子が俯いたまま声を掛けてきた。
「何か…事件が起きているんですね」
「えっ…」
依子の消え入りそうな言葉に、俺と裕貴は顔を引き攣らせる。
「原田さんの事以外に…何か調査してるんですよね」
「えっと…」
「それで真人さんはここに潜入している…」
「違う。いや…違わないか…あー…でも違う…」
「意味分からないですよ…」
何故か寂しそうに依子が言葉を紡ぐと、俺は慌ててそれを遮ってしまう。
「いや…だから。確かにある事件について調査をしてる。でも、それはメインじゃない」
「…?」
「俺は純粋に依子ちゃんとの学園生活を楽しみたいだけ。そのオマケで調査してるんだ」
テーブルに肘を着いて頬杖をつき正直な気持ちを伝えた。
「っぐ!!」
テーブルの下で裕貴に思いっきり脛を蹴られて俺は身悶える。
「大丈夫ですか?」
依子は何が起きたのか分からない驚きに目をパチクリさせた。
「大丈夫…テーブルに足ぶつけただけっ…」
ひぃひぃと脛を撫でながら裕貴を睨みつける。
「まだ正式な仕事じゃなかったから、依子さんには伝えていなかったんですけど。山路刑事が動くような事件だったら正式な仕事になりそうですね」
裕貴は自分だけ仲間外れにされているような疎外感を持った依子に、「下見」だと嘘をつく。
「そうだな。正式な仕事になったら、依子にも頑張ってもらうぞ」
「真人さん!」
「何だよ?依子ちゃんは事務所の一員なんだろう?」
「…そうですけど…」
「私…頑張ります!」
俺は依子に自信を持たせたくて仲間だと言う事を伝えるが、裕貴の本心では依子を巻き込みたくないのだろう。しかし依子は俺の言葉に満面の笑顔を返してくれた。
「依子ちゃんには依子ちゃんの得意分野で頑張ってもらうから、絶対無茶はしない事」
「はいっ」
依子は本当に嬉しそうに大きく頷いた。
「知りませんよ…」
聞こえるか聞こえないかの声で裕貴は冷ややかな目で俺を見ながら呟く。
こうなった以上、俺はニッと笑って返すだけだ。
「さて、僕は講義に行きますから。また…」
紙コップに入ったコーヒーを一気に飲み干すと、裕貴は鞄に荷物を詰めて立ち上がる。
気付けば周りの席には昼食を取りに来た生徒で一杯になっていた。
「俺達も行くか」
「はい」
依子の紙コップを掴んで自分の空になった紙コップに重ねると、刺すような視線を背中に感じて俺は振り返る。
何人かがこちらの様子を窺うようにチラチラと見ていたが、賑わう人の波の中に一人。黒みの強い茶色い髪を一つに結った神経質そうな女性と目が合った。
女性は俺の視線に気付くと、踵を返して人波に消えてしまう。
「やっぱり真人さん目立つんですよね…」
「は?」
「みんな気になってるんでしょうね。依子さんの恋人か?とか」
裕貴は俺の肩に手を掛けて耳打ちするように小声で言うと、鞄を肩にかけて手を振って颯爽と歩いて行く。
「なっ…」
「どうしました?」
持っていた紙コップをグシャッと潰してしまうと、依子が首を傾げて見上げてきた。
「何でもない…」
近くにあったゴミ箱に潰れた紙コップを投げると、見事にIN。
俺は依子の車椅子を押して講義のある教室に向かうように歩き出す。
教室に向かうには中庭を通ってスロープになっている非常通路を上がっていく事になる。
「きゃあ!!」
緩やかなスロープを上がっていると、女性の悲鳴が聞こえた。
俺は平坦部で安全を確かめて車椅子のロックをかける。
「ちょっと動かないで待ってろ」
「はい」
依子もどこかソワソワした様子で小さく何度も頷いた。
俺は出来るだけ依子から離れないようにスロープから身を乗り出して辺りを確かめる。
この建物の屋上部分から下を覗きこむ女性が見えた。遠目だからはっきりとは分からないが多分さっき学食で見た女性だ。
彼女の視線を追うように下を覗き込むと、地面に人が倒れている。体格からして男だろう腕や足が在らぬ方向を向いている所からして多分落下したんだろう。
もう一度屋上を見上げると、さっきの女の姿は無くなっていた。
「裕貴」
俺は腕に着けている新しい無線機のボタンを押して声を掛ける。
『はい?何ですか?』
「第2校舎の非常スロープまで来てくれないか。人が死んでる」
『はぁ?』
「俺は依子ちゃんを安全な場所に連れて行かないといけない。救急車は…一応呼んでくれ」
『分かりました…』
一先ず俺は依子の車椅子を押して講義の始まっている教室に向かう。
「何があったんですか?」
「多分…屋上から人が落ちた」
「えっ?!」
「裕貴が救急車と警察を呼んでくれてるから、俺は依子ちゃんを教室に連れて行ったら…警察に見た事を話さないといけない。あの場所に行くから」
「…分かりました」
不安そうに見上げて来る依子に俺は困ったような笑顔しか向けれなかった。
教室のバリアフリースペースに車椅子を滑らせ、席についた依子の目を見て小さく頷く。
「気をつけて…」
「ちゃんと迎えに来るから、勝手に動き回らない事」
「はい」
俺は弱々しい依子の笑顔を背に受けて教室を出て行った。