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銀色の虹の果てに  作者: ぺんぎ
第一章
7/24

第四話:『人は見掛けに依らぬもの』



 再び場所を移したそこは、武術学部側の校舎に数多く設けられた訓練室の一室。

 小さな体育館ほどの広さの部屋で、数多(あまた)の金属が刃を交える音が鳴り響く。

 そのうちの一つを奏でるのは、金髪の少年が持つ、黄金色の柄の(つるぎ)

「ほいっ、と」

「んっ……!」

 右側から斜めに振り下ろされた刃を別の刃が受け止め、甲高く、しかし重い音が周囲に行き渡った。

 受け止めた刃は、少年のそれとは比べるべくもなく、巨大。

 それを繰るのは、白く細い、か弱き少女の右手。

「やぁっ!」

 少女は少年の剣を弾くと、自らの刃を薙ぎ払った。

「っとと……!」

 少年は身を屈めてそれを(かわ)すと、今度は下から剣を振り上げた。

 しかし少女はいとも簡単にそれを防ぎ、再び反撃に転じる。

(……ふむ)

 一連のやり取りを、少し離れたところから観察する漆黒の少年。

(基礎部分に問題は無い、か。恐らく、そこらの一年より実力は遥かに上だろう……)

 顎に手をやりながら、髪と同じ漆黒の双眸に、主に少女を映し出す。

 その視線の先で、少女が巨大な刃を振り下ろした。

 その切っ先は狙った筈の金髪の少年には当たらず、地面に深く突き刺さって土を撒き散らした。

(加えて、あの力(・・・)か……)

 その光景に、少年は先程の出来事を思い返す――



    †   †   †



 ――話が纏まるのを見計らったかのようなタイミングで運ばれてきた昼食に舌鼓を打ち、一同は各々の授業が行われる教室へと向かう為に二方向に別れた。

 そのうちの片方、アレン、ノア、ステラは、近距離戦闘学の実技に参加していた。

 午前に行われた座学は科を分けずに行っていたが実技は各科に別れて行われ、座学で学んだことや指示された課題を踏まえたうえで、各自が訓練方法を考えるという形式が取られていた。

 そして初日ということもあって午前に決めたメンバーで自由に取り組むことになった三人の訓練は、ノアのこんな一言から始まった。

「ステラとアレンで組み手をして貰う」

「えっ?」

 まさかいきなり自分が組み手をさせられると思っていなかったステラが、そんな声を上げた。

 余談ではあるが、組み手とは本来格闘術における型の練習を指すのだが、ここでは一対一の簡単な模擬戦を意味している(組み剣、と言わないのは、単に語呂の問題からだろう。閑話休題)。

「模擬戦を観ていたのなら俺達の事は大体解るだろうが、俺達はステラの事を何も知らない。況してや同じパーティーを組むのだから、ステラの実力は知っておくべきだ。一応訊くが、肉体強化と武具召喚は使えるだろう?」

 先日の模擬試合でも使われていたが、肉体強化とは自身に魔力を纏わせて身体能力を飛躍的に向上させる魔法で、武具召喚とは武器、或いは防具をこことは違う亜空間と呼ばれる空間に収納、そこから召喚する魔法である。

 肉体強化は魔法の発動よりも維持の方が意外に難しく、基礎学院の頃から条件反射で発動出来るよう訓練させられる。

 というのも、肉体強化をせずにいると、例え下級魔法であろうと当たれば確実に大怪我をするからだ。その為魔導師にとっては重要度が高く、必ずと言って良いほど使用する魔法だった。

 武具召喚は余程質量の大きい物を召喚しない限りは魔力も殆ど消費せず、武器の持ち運びをする必要がなくなるので利便性が非常に高い魔法だ。幾つか制限はあるものの、習得しさえすればあとは武具に魔法文字を刻むだけなので、現代では魔導師タイプ、戦士タイプに拘らずほぼ全ての者が使えると言っても良いだろう。

 しかしその原理を事細かに説明するとなると、非常に多くの言葉が必要となる魔法でもある。というのも、この魔法は実は古代の遺産、『失われし魔法(ロストスペル)』の一種で、地の大陸に保管されている『古き贈り物(アンティーク)』から長い年月を経て、ほんの千年ほど前にようやく紐解かれた魔法なのだった。

 『古き贈り物』とは世界各地に存在する『失われし魔法』や古代の技術が記された書物で、開拓はそれの発見も兼ねているのだが、それが幾つあり、また何故存在するのかは判明していない。古代人達が嘗ての大陸分断を予見して後世の為に残したという説もあるが、いずれにせよはっきりとしたことは五千年経った現在でも判明していなかった。

 兎にも角にも、現代ではこの二つの魔法の習得が魔導師と呼ばれる為の最低条件と言われているのだった。

「それは勿論使えますが……」

 当然それを肯定するステラは、何故か視線を背けた。

「どうかしたか?」

「いえ、その……」

 何かを躊躇うように視線を泳がせると、やがておずおずと口を開いた。

「…………多分これを見たら、お二人とも引いてしまいますから」

 一体何を気にしているのか見当が付かない二人は、それでも首を横に振って断言する。

「大丈夫だって、んなことしないから」

「ですが……」

「それに、それを承知でこの授業を選んだのだろう?」

「うっ……それは、そうなのですが……」

 確かにそれは覚悟していたことだったし、|例えその結果がどうであれ《・・・・・・・・・・・・》、今の自分ならば耐えられるとステラは思っていた。が、その相手がこの二人だとは夢にも思っていなかったのだ。

「………わかり、ました」

 結局、まだ不安げな表情を残しつつも諦めたようにゆっくりと頷いたステラは、右手を前に伸ばして目を閉じた。

「………っ!」

 短く息を漏らすと同時に掌の先に土色の光が集まり始め、それはやがて形を成していく。

 その様子を、ノアは前髪で少し隠れた切れ長の目で見つめた。

(………意外、だな)

 地面に向けて垂直に現れたのは、一振りの大剣だった。

 赤と茶の入り混じった輝きを薄っすらと放つ刀身は、大剣というよりも巨剣と表現した方が正しいほどに分厚く巨大で、人一人を完全に隠してもまだ余裕があるほどの長さと幅を持っていた。

 刃よりも濃い赤茶色の柄は金色に輝く鍔を持ち、必要最低限の長さと持ち主に合わせたような細さは、巨大な刀身と比べるとまるで小枝のように見える。

 正直細剣のような物を想像していたノアには、か細い少女と巨大な剣はミスマッチとしか思えなかった。

「……少し意外だったが、別に引いてはいないから安心――」

「違うんです」

「?」

 実際引いていないのだからとノアはステラを安心させようとしたが、それは本人に依って遮られた。

「問題なのは、これ(・・)なんです」

 そう言って、ステラは片手で(・・・)大剣を構え、まっすぐに振り下ろした。

 振り下ろされた剣はそのまま地面に深く砕き、周囲に土を撒き散らした。十三歳の少女からは考えられないほどの力を以て。

「……私、生まれ付き人よりも凄く力が強いんです。普段は抑えているのですが、興奮した時や戦闘中はどうしても力んでしまって、武器もこの剣以外だとすぐに壊れてしまうんです」

 視線を下に向けるステラは、ぽつぽつと話し始めた。

「小さな頃は力の加減も出来なくて、よく周囲の人達に気味悪がられていました。当然ですよね。女の子なのに、男の子の何倍も力が強いんですから」

 やがて浮かべた力ない頬笑みは、どこか自嘲したような、それでいて悲しげな笑みだった。

(……精霊の加護、か)

 頭の中で呟きながら、ノアは目の前の少女を見つめた。

 大地を彷彿させる濃い茶髪と茶色い瞳。それは、地の精霊にこの上なく愛されている証だった。

(確かに肉体的な力は地属性が持つ特徴の一つだが……)

 火属性の魔法は四大属性で最も攻撃力が高く、風属性は魔法の発動やそれ自体の速度が最も(はや)い。水属性は防御や補助に長け、地属性は肉体的な力と治癒能力に長けているといったように、各属性にはそれぞれ特徴がある。

 光と闇は二極属性と呼ばれ、四大属性よりも基本能力が高く強力な魔法が多いが、その分魔力の消費も著しい。

 そしてそれらの属性に基づいた精霊の加護は、行使する魔法のみならず、加護を授かる者の性格や身体能力などにも少なからず影響を及ぼす。例えば、火属性の加護を授かる者には、活発な性格や運動神経の良い者が多いといった具合に。

 他にも細かい特徴が数多くあるが、要するに地属性の加護を強く授かるステラは、その分他者よりも腕力が強くなってしまったという訳だった。

(それにしても極端な顕れ方だな。幾ら『地の一族』とはいえ……)

 加護の強さは人それぞれだが、強いと呼べるほどの加護を授かる者は、実は世界規模で見るとあまり多くない。特にアレン達のような髪と瞳が完全に同色の者は意外と珍しく、世界中から人が集まるこの学園でも数えるほどしかいなかった。

(これはこれで珍しい顕れ方だが……いや、珍しさでは人の事は言えないな)

 そこまで考えて、ノアは心中で自嘲した。

 二極属性の加護は、それ自体が珍しかった。

 これが他属性よりも強力だからなのか、単に精霊が好む人間自体が少ないからかは判らないが、その中でもさらに髪と瞳が同色のアレンとノアは、この世界で最も珍しい部類に入るのだった。

(精霊達は何を基準に加護を与えているのか……いや、(そもそも)基準などあるのだろうか?)

「やはり、気味が悪いですよね、こんなの……」

「むっ?」

 徐々に思考が別のところへ行き始めたノアの耳に、そんな声が届いた。意識を目の前の少女に戻すと、どうやら少女を見つめたまますっかり黙り込んでしまった自分の姿をそう解釈してしまったらしく、少し目が潤んでいた。

「い、いや、済まない。そんなつもりでは……」

 彼にしては珍しく慌ててそれを否定したが時既に遅く、ステラの瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。

「す、すげぇ……」

「?」

「えっ?」

 先程から何故か黙っていたアレンが、不意に言葉を呟いた。

「すげーよ、ステラ!こんなデカイ剣をあんな軽々振れるなんて!その剣もなんかカッコイイし!」

 何故か大興奮しているアレンは、瞳を輝かせながらステラの両手を握った。

「す、すごい……?アレン先輩は、気味が悪くないのですか?こんな……」

「気味悪いわけないだろ?俺にはあんなことできねぇよ!っていうか他の奴にもできないと思うし、それってステラの才能ってことだろ?だからやっぱりすごいんだって!なっ、それよりもその剣、ちょっと貸してもらってもいいか?」

「あ、はい……」

 そう言うが早いか、アレンはステラから突き刺さっていた大剣を受け取った。

「おもっ!?」

 剣の柄がステラの手を離れた途端、剣は再びアレンの手と共に地面に引っ張られた。

 ステラが剣を必死に持ち上げようとするアレンをぽかんと眺めていると、隣にいたノアが不意に口を開いた。

「ああいう奴だ、あいつは。勿論俺も気味悪いなどとは思っていないし、他の三人もそんな事は気にしない」

 ステラはまだ呆然とした表情のまま金髪の少年に視線を向けていたが、

「……凄い方ですね、アレン先輩は。なんだか、こんな事で悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきました」

 少し間を置いて、そう呟いた。

「……そうだな」

 ノアは小さく頷いた。

「例えどれほど人と違っていても、あいつは何時だろうと無邪気に、一方的に、強引に他人の心に入ってきて、いとも簡単に其処に根付いた不安を吹き飛ばす。あいつの言葉を借りるなら、それがあいつの才能なんだろう」

 言葉を終えると、ノアはステラの頭に優しく手を置いた。

「……ノア先輩は」

「?」

 傍らの少年と比べると随分小さく見える少女は、今度は無表情のままの少年を見上げて、深い闇のような瞳に視線を合わせた。

「もっと、無口な方だと思っていました」

「……その筈なんだがな」

 実際、ノアは今日の自分が常にはないくらい良く喋ると自覚していた。その原因が、昼食の時に幼馴染の少女に指摘されたものなのかは判らないが。

「それに……」

 と、原因であろう少女は言葉を続ける。

「思っていたよりも、ずっと優しいです」

 そう言って、柔らかく顔を綻ばせた。

「……そうか」

 それを見て、良く知らない者には判らないほどだったが、ノアも小さな笑みを浮かべた。

「ぬぉおおぉおおお!!み、見ろ、二人とも!ここまで持ち上げたぞ!」

 不意にそんな声が聞こえて視線を向けると、アレンがなんとか大剣を身体の前まで持ち上げて、腕をプルプル震わせていた。

 余りにも無邪気な様子にステラは思わず噴き出してしまい、ノアが呆れたように声を掛ける。

「アレン、そろそろステラに返してやれ。訓練ができん」

「へっ?あ、あぁ、そっか。わるいステラ……っとおわっ!?」

 すっかり本来の目的を忘れていたアレンは、剣をステラに返そうとした途端バランスを崩し、剣と共に前のめりに倒れてしまった。

「だ、大丈夫ですか!?」

「いっつ~……」

「…………」

 本当に色々な意味で凄い奴だと、ノアは心中で深い溜め息を吐いた――



    †   †   †



(最初はどうなる事かと思ったが、あれに関しては如何(どう)にかなるだろう。然し……)

 意識を二人に向けつつも思案するノアの視線の先で、ステラが再び大剣を振るう。

「はぁっ!」

「――っとぉ!……ふっ!」

 対するアレンは身体を反らしてそれを躱して、右手に持った剣で袈裟斬りを放った。

「ん、くっ……!」

 ステラは迫り来る一撃を防ぐと、

「はっ!」

 今度はアレン目掛けて突きを放った。が、それも再び躱され、またしてもアレンの剣が襲い掛かる。

「ほいっ」

「……っ!」

 攻撃の直後で隙が出来たステラは、しかしそれを余裕を持って剣で防いだ。

(うーん、大剣とは思えないぐらいスピードがあるんだよなぁ……さっきのも今のも、フツーだったら間に合わないし。しかもそれでパワーもあるから結構厄介かもなぁ………でも……)

 剣を交えながらもステラの実力を分析するアレンは、今度はまっすぐに振り下ろした。

「んっ……!」

 それは容易く防がれるが、そうなるように仕掛けたので問題はない。

「うりゃっ」

 なんとも気の抜けるような声を出しながら、そのまま本命である左中段蹴りをステラの右脇腹目掛けて放った。

「きゃあッ!?」

 予想外の攻撃に対処出来なかったステラは、それをまともに受けて横に吹き飛んだ。

「そこまでだ」

 それを合図に、ノアが組み手を止めて二人に近寄る。

「ステラ、大丈夫か?」

 吹き飛ばした張本人であるアレンが、声を掛けて空いている方の手を差し出した。

「はい、ありがとうございます………完敗、ですね」

 ステラはその手を掴んで立ち上がり、制服に付いた砂を軽く払い落とす。

 吹き飛びはしたが肉体強化を使っていたし、アレンも手加減していたので特に痛む個所はなかったのだが、その状態でも実質手も足も出なかった。

 正直少しは剣の腕前に自信を持っていたステラにとって、これは相当ショックな出来事だった。

「いやいや、剣の腕はたいしたもんだって。実際思ってたよりも強かったし」

 かなり落ち込みぎみのステラに、アレンは笑いながら手をヒラヒラさせた。

「確かに、剣術の腕は既に一年生のレベルを超えているだろう。だが、それはあくまでも剣術だけの話だ」

「……どういう事でしょうか?」

 ステラは二人の言葉に顔を(しか)めた。

「つまり……」

 その視線を受けたノアは、手に黒い光を宿すと、

「――おわっ!?」

 突然アレンに斬り掛かった。

「……こういう事だ」

 二人の体勢は、ノアが振り下ろした刀をアレンが剣で受け止め、右の中段蹴りを左手で受け止める形で止まっていた。

「………あっ」

 それを見て、ステラはあることに気付いた。

 それは左右こそ対称だったが、先程ステラが吹き飛ばされた時と同じ形だった。

「体術、ですか?」

 ステラはアレンの中段蹴りで吹き飛ばされたが、アレンはノアのそれを受け止めていた。

 つまり、アレンは反射的に武器以外の攻撃にも対応出来ていたのだ。

 体勢を直したノアが頷く。

「その通りだ。魔物相手に型に嵌った剣術だけでは限界がある上に、外に出れば野盗等と戦う事もあるだろう。そんな相手に只の剣術だけで挑んだ処で、結果は見えている。今回の場合勿論二人の実力差もあるが、それ以上に重要なのはそれに対する警戒心だ。刀剣科の授業だからと肉弾戦を全く想定していなかったから、あんな単純な誘いに引っ掛かる」

 刀を軽く振ってその場から消しながら、ノアは淡々と説明した。

「単純とか言うなよな。とにかく、攻撃手段はいっぱいあった方がいいだろ?相手の身体全体に意識を向けてた方が対処もし易くなるし。まぁそれ以外にも魔法とか気にしなきゃいけないから、実際やってみると結構大変なんだけどな」

 ってかいきなり斬り掛かるなっての、とアレンはふてくされた眼差しでノアを睨んだが、当の本人は全く意に介さず話を続ける。

「魔法に関してはまた今度見る事にして、ステラにはクエストまでにやって貰う事がある」

「やって貰う事……ですか?」

 首を傾げたステラに、ノアは再び頷いた。

「単純に体術を使うと言っても、只攻撃手段として加えるだけでは余り意味が無い。動き全体に取り入れてこそ、初めて有効な手段になる。見た処、ステラは腕力と武器に少し頼り過ぎの処がある様だ。現に何度か躱せる攻撃を無理矢理剣で防いでいたからな。恐らく精霊の加護で強化されているのは上半身の力だけで下半身は他と変わらないから、咄嗟に身体ごと移動する為の脚力が無いのだろう」

「それは……確かに……」

 ノアの指摘はもっともで、確かにステラは隙が出来て攻撃された時は剣を強引に呼び戻して防いでいた。そしてその原因も、彼の言う通りだった。

 あの短い時間でそこまで看破した漆黒の少年に、ステラは驚きを隠しきれなかった。

「そこで、ステラには中級の肉体強化を習得して貰う」

「中級……?あの、肉体強化にも上位魔法があるのですか?」

「まぁ、習うのは二年からだからなぁ。ちなみにこいつは上級も使えるんだよ」

 アレンはノアを親指で差した。

「お前も後少しだろうが」

 自分を指差してくるアレンに、ノアは腕を組んで相変わらずの鉄面皮を向けた。

「んー、あとは最後の部分かなー。でもなかなか進まないんだよなぁ、これが」

「あの、後少しというのは?」

 少し引っ掛かるような会話に、ステラは再び首を傾げた。

「ん?あぁ。上級魔法ってさ、下級や中級とはちょっと習得の仕方が違うんだよ」

「そうなのですか?」

 それは上級学院に上がりたてのステラには初耳だった。

 少女の言葉に、今度はノアが頷く。

「下位魔法が現代語での呪文の詠唱と明確なイメージのみで発動出来るのに対し、上級魔法は一つ一つに精霊との契約が必要となる上に、古代語で書かれた呪文を解読しなくてはならない」

「どうして現代語ではいけないのですか?」

「それは……えっと、なんだっけ?」

「……阿呆が。今日の授業でもやっていただろうが」

 呆れて溜め息を吐いたノアに、アレンは頭を掻きながら乾いた笑いを零した。

「魔法というのは本来、人ならざる者達が使っていた力だ。ならば、それが彼らの言葉を以て使役されるのは当然だろう。古代語というのは、彼らが使う言葉を(いにしえ)の魔導師達が魔法を行使する際に使い、現代の人々が勝手にそう呼んでいるだけだ。そして、使役する魔法が強力であればあるほど、精霊達にはより正確に伝わらなければならない。つまり誤った情報が伝わって魔法が暴発しない為に、現代でも上級以上の魔法には古代語が使われているという訳だ」

「なるほど………という事は、古代語が話せる方は精霊や魔物とも会話が出来るのでしょうか?」

 納得してさらに疑問をぶつけたステラに、ノアは首を横に振る。

「確かに、その理屈でいくとそういう事になる。が、呪文の詠唱なら兎も角、実際に会話が出来る人間など殆どいないだろう。古代語の研究を行っている学者達でさえ、極一部しか使えないそうだ。単純に言語を学ぶのとは少し違っていて、相応の魔力を持っていないと文字を読む事すら出来ないからな。因みにアレンの『もう少し』というのは、あと一節分で解読が完了するという事だ」

「そうなのですか……ノア先輩、なんだかお詳しいですね?」

「そりゃあ、こいつの趣味も入ってるからな」

「趣味、ですか?」

 アレンの言葉に、ステラが小首を傾げた。

 すると、アレンは何故かニヤッとした笑みを浮かべた。

「そ。考古学」

 途端に、ステラの頭に仏頂面で古い資料の山と向き合っているノアの姿が浮かび上がった。

「……似合いますね」

「だろ?」

「………そろそろ話を戻しても構わないか?」

 妙に納得している二人を無視して、ノアは話を本来のところに戻す。

「兎に角、ステラには中級の肉体強化を完全に習得して貰う。ステラ、下級の方を使ってみろ」

「あっ、はい」

 言われて、ステラはすぐに身体に少量の魔力を纏った。

「良し。その状態から更に倍、魔力を纏わせろ」

「はい………!」

 指示に従い、ゆっくりと、自分の感覚でさらに倍の魔力を引き出す。

 感覚で表現するなら、透けて見えるほどの薄い布が、シャツくらいの生地に変わったような、そんな微々たる厚さの魔力が、身体全体を包み込んだ。

「これで、良いでしょうか」

「あぁ。先ずはそれを最低二十四時間、寝ている時でも纏えるようにしろ」

「にじゅう……!?」

 何かとんでもないことを、しれっと言われてしまった。

 身体を包んでいる魔力の壁は薄いがそれでも維持し続ければやがて疲弊していくだろうに、それを一日中しろと言うのだから無茶も良いところだった。

「大丈夫だって。どうせ最初は二時間ぐらいでへばるから」

 とアレンは笑ったが、全く大丈夫な気がしないのは誰が聞いても明らかだった。

「これからは兎に角出来るだけ長い時間それを使い続けろ。無理だと思ったら休憩しても構わん。只ひたすら、さっき言ったノルマが達成出来るまで続けて貰う」

「うぅ……分かりました………」

 さっきは優しかったがやはり根は厳しいのでは?という疑念を、どうやらステラは拭い去れそうになかった。



    †   †   †



 放課後。

 魔法学部側の校舎に設けられた教職員用の研究室が詰められたフロアにて、緋色の髪の少女が腕を組んで仁王立ちしていた。

「遅い!」

「しゃ、シャルちゃん、まだ授業が終わってから十分くらいしか経ってないよ?」

「そーそー。ちょっと長引いてるだけかもしれないし」

「いーえ、駄目よ!か弱い女の子三人を十分も待たせるなんて、それはもはや犯罪よ!」

 それを宥める銀髪の少女と青髪の少女を、怒り心頭の少女は燃えるような瞳を宿した目を吊り上げて一蹴した。

 現在三人はSクラスのクエストを受ける為の許可を貰いに担当であるダグラスの研究室前に来ていたのだが、放課後になって十分が経っても残りのメンバーがやってこないので、とうとうシャルが痺れを切らし始めたのだった。

 そんな理不尽な、と乾いた笑いを零すイリスとアクアは、今にも発火しそうな少女をこれ以上刺激しないように話題を変えることにした。

「そ、そういえば、ステラが言ってたもう一人の子ってどんな子なんだろ?」

「そ、そうだね。リオン=ウィンジア君、だったよね?なんだか強そうな名前だね?」

「どんな奴かはともかく、ある程度は実力があって欲しいものよね。まぁ、こればっかりはステラの心当たりとやらを信じるしかないんだけど」

 言って、シャルは肩を竦めた。

 実を言うとそのステラの実力も、三人は五限で残りの二人と一緒になった時に聞いた程度しか知らなかったのだが、そこら辺は(シャルにとっては腹立たしいことに)学年一位のノアと、実技に関してはトップクラスのアレンの言葉なので信用していた。

(ま、そのステラのお薦めだし、少しは期待出来るのかしらね)

 仮にそれほど実力がなくても問題はないのだが、やはり組むからには少しは高望みしたいというのが本音であった。

「あの~……」

「あら?」

 不意に、一人の少年が声を掛けてきた。

「ここって、ダグラス=ギルバート先生の研究室で合ってます?」

「そーだよ~。あっ、ねぇねぇ。もしかして、あなたがリオン君?」

 初対面なので一応敬称を付けて訊ねたイリスに、少年は軽く頷く。

「はい、初めまして。リオン=ウィンジアです。よろしくお願いします」

 ぺこりとお辞儀をして挨拶した少年を、シャルは少し目を細めて観察する。

(…………なんか、弱そ~)

 アクアより五センチほど低い身長に、線の細い身体付き。少し長くてボサボサした暗緑色の髪は所々が撥ねていて、同じ色の瞳を持った締まりのない顔は、なんだか弱々しい感じがした。そして、

(………何でマフラー?)

 もう四月だというのに、少年は藍色のロングマフラーを解けないようしっかりと首に巻いていた。

 と、そこまでいったところでイリスの声が聞こえ、ハッと意識を会話に戻す。

「よろしくね?わたしがイリス=レディアントで、こっちの二人が」

「シャーロット先輩にアクア先輩、ですよね?みなさんのことはステラから聞いてます。って言っても、さっき授業で一緒になった時に聞いたんですけど」

 リオンは照れたように笑いながら、ボサボサの頭をポリポリと掻いた。

「へぇ~。ステラ、わたしたちのことなんて言ってたの?」

「えっと、赤髪の背が高くて綺麗でかっこいい人がシャーロット先輩、青髪の可愛くて優しそうな人がアクア先輩で、」

「うんうん」

 イリスは頷きながら自分の評価に期待するが、

「綺麗な銀髪の、背が小さくて可愛らしい人がイリス先輩だって言ってましたよ」

 なんとなく子供扱いされている気がして、一気に肩を落とした。 

「………なんか、背のところをすごく強調された気がする……それになんだかおんなじ可愛いでもアクアと違って子供っぽい響きがするし」

「って、僕に言われても……」

「まぁ妥当な評価じゃない?ステラも見る目あるわね」

 自分の評価に全く文句がないシャルは、先程とは打って変わって上機嫌になっていた。

「そんな風に言われると、お世辞でも嬉しいよね」

 それとは逆に、少し顔を赤くしながら控え目な微笑みを浮かべたアクアに、シャルはやれやれと溜め息を吐く。

「アクア、あんたは謙遜し過ぎ」

「そうだよ!アクアが可愛いのは全世界共通なんだからっ!」

 いったいどこから生まれた共通意識なのかは分からないが、イリスは自信満々に言い放った。

「そんなことないよ。でもありがとう、二人とも」

 お世辞抜きで褒めてくる二人に、アクアはにっこりと柔らかい笑顔を返した。

(あぁ………癒される………)

(心のオアシス、いただきました……)

 キラキラと眩いばかりの笑顔に、二人はほのぼのと顔を和ませた。

「って、そう言えば肝心のステラは?一緒じゃないの?」

「そうだった!さっきの評価をきちんと訂正してもらわないと!」

 我に返ったシャルは、リオンが先程授業で一緒だったと言っていたことを思い出した。同じく我に返ったイリスは、まだ先程のことを根に持っているらしい。

「えーっと、授業じゃ一緒だったんですけど、なんか先に行っててって言われて……あっ、でもそろそろ来る頃だと――」

「お、おまたせ、しました……」

 後頭部に手をやりながら答えるリオンの後ろから、不意に少女の声が掛かった。

「あっ、ステラぁ?なんでわたしだけあんな……」

 先程の自分の評価に一言文句を言ってやろうとイリスがそこを覗き込むと、

「……どうしたの?」

 壁に手を着いている茶髪の少女は何故か少しボロボロになっていて、今にも倒れそうなくらい疲れ切って息を切らしていた。

「い、いえ……少し、疲れただけで……たいした事は……」

「少し疲れただけの人は、そんな風にゼェゼェ言わないわよ。何やってたの?」

 軽く溜め息を吐きながら、シャルは腰に手を当てた。

「す、少しぶつかり、過ぎただけで……あの、それよりもアレン先輩と、ノア先輩は……?」

 そうなった原因を訊いたのだが、どうやら今訊いても無駄だと悟ってそれに答える。

「まだ来てないわ。ったく、あの二人はホントに何してるんだか……」

「もしかして、もう先に入ってたりして」

「………無くは無いわね………良いわ、どっちか判らないけど、とりあえず中に入りましょう。これで中にいたらあいつらには後でケーキを奢って貰いましょう」

 イリスの言葉に目を細めたシャルは、三回丁寧にノックをしてから扉の取っ手に手を掛けた。

「いなかったらどうするの?」

 首を軽く傾げるイリスの目の前で、

「そんなの、勿論奢って貰うわよ」

 シャルは当然とばかりにそう言って、扉を開いた。どうやら二人がケーキを奢ることは確定してしまったらしい。



「失礼します」

「おっ、やっときたか」

 少し広めの長方形の部屋に入るとそこには案の定二人がいて、アレンが待ちくたびれたと言わんばかりの声を上げた。

「……ねぇ、質問があるんだけど、研究室前に集合って言った筈なのに、どうしてあんた達は先に中に入っていたのかしら?」

「えっ?着いたら部屋に入って待つんじゃなかったっけ?」

「だから言っただろう。何度も言う様だが、人の話はちゃんと聞け」

「つまり、アレンがいつものように人の話を聞かずに、いつものように勝手に中に入った訳ね。私達が外で待ちくたびれてるとも知らずに」

 アレンのきょとんとした声に反応して、シャルの周囲の温度が徐々に高まっていった。

 それを察知して、ノア以外全員の顔が青ざめた。

「お、おい、シャル?こんなとこで魔法は……」

「さ、さすがにそれはまずいよ、シャル!お兄ちゃん、早く謝って!」

「へっ?あ、あぁ……!ごめんシャル!この通り!」

 慌ててシャルを宥めるイリスに促されて、アレンは両手をパン、と合わせた。

「………良いわ。とりあえずあんたは後で全員にケーキを奢る事」

「えぇ!?なんでだ……ハイ、ワカリマシタ」

 どうしてそうなるのかと文句を言おうとしたが、その途端に鋭い目で睨まれたのでアレンは大人しく言う事を聞くことにした。

「………そろそろ話を始めても良いか?」

 一段落したところで、部屋の奥から声が掛かった。

 そこには、教員用の長机に肘を突いて苦笑いしているダグラスの姿があった。

「あっ、はい。すみません」

 それに気付いたシャルは、少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら頷いた。

「さて、話は四限が終わった時にアレン達から聞いたが、お前達、本気でSクラスを受けるつもりか?」

 全員の顔を見渡しながら確認するダグラスに、アレン達は頷くことで肯定の意を示した。

 ダグラスは短く息を漏らして話を続ける。

「ふむ……まぁ四年生の五人は成績からして問題はないだろう。バランスも取れているしな。後は一年生の二人だが……」

 そこまでいって初めて、アレンは見知らぬ少年がその場にいることに気付いた。

 リオンがその視線に気付いてぺこりと小さく頭を下げてきたので、アレンも笑顔で頷き返した。

「正直、一年生は入学試験の成績しか判断の材料がない。従って、二人に行く意志があるかどうかで決めようと思っている」

 ダグラスに視線を向けられたステラとリオンは、互いに視線を合わせて頷き合う。

「大丈夫です」

「僕も」

 ダグラスはしばらく二人をじっと見つめると、やがて小さく笑った。

「良いだろう。実は学園長からは既に許可が降りていたのだが、意志のない者に危険の伴う事をさせる訳にもいかんのでな」

 そう言いながら机に置いてあった用紙にサインをして、一番近くにいたノアが受け取る。

「クエストまでにはまだ時間があるが、どこに行くか慎重に決めて、その間にしっかりと準備を整えておくように。アレン達は一年生の二人をちゃんとサポートしてやれ」

「はい、ありがとうございます。では失礼します」

 シャルが代表してお礼を言い、七人は部屋を後にした。



    †   †   †



「中級の肉体強化の訓練?そんな事してたの?」

 研究室を後にしたアレン達は、そのまま学内のカフェにやってきていた。

「はい。ですが思っていた以上に維持が難しくて、それに集中し過ぎてしょっちゅう人や物にぶつかってしまって……」

「ふーん、それであんなにボロボロだったのね」

 先程ステラが疲れ切っていた原因に納得して、シャルはテーブルに置かれたショートケーキを一口食べた。

「まだ一時間も持たなくて、授業が終わったら次の教室に行くのも大変なんです」

 その向かいに座っているステラも、溜め息を吐きながら自分のチーズケーキを口に運ぶ。途端に、その顔が驚きに染まった。

「美味しい……!」

「でしょう?ここ、実は隠れた名店なの。ピーク以外はそんなに混まないから、美味しいデザートがゆっくり食べられるのよ。ちなみに私のお勧めはこのイチゴのショートケーキ。シンプルだけどこれが美味しいのよ」

 はい、とシャルが差し出した一切れを、行儀が悪いと考えたのか、ステラは一瞬躊躇いながらも手を添えて口で迎えた。

「ん~~~~!これも美味しいですぅ!」

 頬に手を当てて幸せそうに顔を綻ばせるステラを見て、シャルも笑顔になる。

「もう一つ注文しましょうか。すみません、イチゴのショートをもう一つお願いします。あっ、あとチョコとモンブランと、この本日のお勧めっていうのも」

「ちょっと待て」

 通り掛かった女性店員に次々と注文していくシャルに、横から待ったが掛かった。

 声の主に、シャルはキョトンとした顔を向ける。

「何よ?」

「何よ?じゃねぇよ!」

 声の主―アレンは、テーブルに手を叩き付けて勢い良く立ち上がった。

「確かにケーキを奢る約束はした。だからそれ自体にはもう文句は言わねぇよ………だけどな!俺はそんなに頼んでいいなんて一言も言ってねぇし、何よりなんでノアはいいんだよ!納得できねぇ!」

「むっ?」

 ビシッ、と指差した先では、ノアが黙々とチョコケーキを食べ続けていた。

「あら、私は一つだけなんて言った覚えは無いわよ?それにあんたが人の話を聞かずに先に中に入ってたのが悪いんだから、あんたが責任取るのは当然じゃない」

「だからってちょっとは遠慮ってもんをだな……!」

「そーだよ、シャル?あんまり頼み過ぎたらお兄ちゃんがかわいそうだよ」

「………イリス、お前の目の前に置いてあるその色取り取りのケーキたちはなんなんだ?」

「えっ?これは、その……………てへっ」

「てへっ、じゃねぇ」

「いたっ!?」

 自分の目の前にある大量のケーキを指摘されたイリスは、語尾にハートマークが付きそうな感じで可愛らしく頭を小突いて舌を出したが、残念ながらアレンには通用せず額にチョップを喰らった。

「もうそれ以上頼んでも俺は払わないからな」

「えぇ~!?この後チョコケーキ一ホール頼もうと思ってたのにぃ!」

「どんだけ食べる気だよ!?」

 相変わらずこの細い身体のどこにそんなに入るのかと呆れたアレンは、不意にニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。

「なぁイリス、お前最近ちょっと太ったんじゃないか?ほっぺたとか」

「うえっ!?そ、そんなことないよ!普通だもん!」

 と言いつつも、イリスは両手で頬をぺたぺたと触って確かめる。

「いやいや、なんか前よりもふっくらしてきたと思うぞー?まぁここ最近祭りやらなんやらで買い食いばっかしてたからなー、しかも大量に。そりゃあ太りもするかー。いやー、母さんが見たらどう思うかなー。俺も太っちょの妹はなー」

「うぅっ……」

 アレンはわざとらしく声を大きくして額に手を当てた。

「こりゃ今度こそ永久に甘えるの禁止されるかもなー。まぁでもイリスが食べたいんじゃあしょうがないよなー」

 流石にここまで言えば少しは控えるだろう、と手の隙間からちらりとイリスの様子を確認すると、

「……………ぅっ」

 いつの間にか、イリスは膝の上で拳を握って俯いていた。

「………あれ?おーい、イリスー?」

 予想していたのと違う反応に、嫌な汗が頬を伝った。

 少し言い過ぎたか?と、アレンが顔を覗き込もうとした瞬間、

「………お兄ちゃんの、ヒック…………ばかぁああぁあああ!!」

「ぶへぁっ!?」

 イリスはアレンの顔面を思いっ切り殴り飛ばすと、目に涙を浮かべながら店から走り去っていってしまった。

「ぐっ……おい、イリス!?待てって!」

「アレン!!」

 慌てて追い掛けようと立ち上がったアレンを、突然シャルが引き留めた。その顔は、常にないほど真剣な表情をしている。

 それを見て、アレンは少しバツが悪そうな顔をして後頭部に手をやった。

「……わかってるよ。ちょっと言い過ぎ――」

「財布、置いていきなさい」

「鬼かお前は!?」

 真面目な顔で支払いの心配をするシャルに全力でツッコんで、アレンは急いでイリスの後を追っていった。勿論財布はテーブルに置いて。

「あの、よろしいのですか……?」

 泣きながら去っていったイリスを心配して、ついでに有り金を財布ごと置かされてそれを追い掛けたアレンを少し不憫に思って、ステラがおずおずと訊ねた。

「良いのよ。どうせアレンが謝って甘えさせたら、機嫌なんてすぐに直るんだから」

「はぁ……」

「そんな事よりも、そろそろやる事やっちゃいましょう。そこの三人、こっちに詰めてちょうだい」

 あっさり二人を放置して、シャルは他の三人を呼び寄せた。どうやらノアとアクアも先程のようなことには慣れているらしく、至って平然とケーキを食べていた。

「何をするんですか?」

 自分が注文したマロンケーキを綺麗に片付けたリオンが、イリスが座っていた席に着きながら訊ねた。

「とりあえず、まずはどのクエストを受けるのか決めないとね。アクア、リスト持ってる?」

「うん。ちゃんと全員分もらっておいたよ」

 アクアは足元に置いてあった紙袋の中からかなり分厚い冊子を七冊取り出すと、それを全員に配っていった。

「これは?」

「全クエストの一覧表と詳細よ。最初の数ページにクラス別で目次が載ってるから、そこから自分が良いと思った物を一人一つずつ選んでちょうだい」

 冊子を受け取ったリオンとステラは、Sクラスの部分をパラパラと捲っていく。

「へぇー、その地域の特徴とかも書いてるんですね。でもこんなにいっぱいあるとどれを選べばいいのかわかんないや」

「そうですね。Sクラスだけでもこんなにありますし……」

 困った顔をする二人に、アクアがいつも通り柔らかい頬笑みを向ける。

「だいたいみんな、自分が得意な属性を基準に距離と内容を比べて決めてるよ。Sクラスにはないけど魔物の討伐とかもあるし、あんまり適当に決めちゃうと後で大変だから慎重にね?」

「なるほど。それで、決めたらその後はどうされるのですか?」

 ステラはその説明に頷くと、今度はそう言って小さく首を傾げた。

「全員決まったらその後は………これよ!」

「………あの、これは……?」

 シャルが取り出したのは、一枚の紙。

 紙には七本の直線が縦に引かれていて、一番下の部分が少し折られていた。どうやらこの状態から各々で横線を書き足していくらしい。つまり、

「見ての通り、あみだくじよ」

「慎重に決めるっていうのは……?」

 きっぱりと言い放ったシャルに、リオンは先程のアクアの言葉を確かめたが、

「どうせ得意な属性とかは皆バラバラなんだから、話し合ったって決まらないわよ。それよりもこっちの方が平和的且つ手っ取り早く決まるわ。さっ、ちゃっちゃと決めちゃいましょう。アレンとイリスは放っといても大丈夫でしょう」

 シャルは自分の分の冊子を広げると何か良さそうなのはないかと探し始めてしまった。ノアとアクアも既に作業に入っており、シャルの発言を聞き流しているところを見るに、どうやら今回に限ったことではないらしい。

「………僕たちも探そうか」

「そうですね……」

 二人は上級生達の手慣れた様子に呆気に取られながらも、それぞれに合った内容のクエストを探し始めた。



「………それじゃあ、良いわね?」

 シャルの言葉に、他の四人はコクリと頷く。

 その視線の先で、シャルは短く閉じた紙をゆっくり開いた。

「………………………」

 十の瞳が、その紙に引かれた少し複雑に入り組んだ線を右に左にと辿っていく。

「あっ、ハズレです……」

「わたしも」

 まずはステラとアクアから、そんな声が上がった。

「………僕もだめかぁ。残念」

 次に、リオンが顔を上げて後頭部に手をやった。

「と、いう事は……」

 それを聞いたシャルは、急いで紙に書かれた自分の名前から伸びた線を辿っていく。

 残りは自分とノアのみ。それを意識した途端に妙な対抗心が湧き出てきた。

(当たれ、当たれ、当たれ………っていうかノア外しなさい)

 自分のアタリよりもノアのハズレを祈る時の方が心の声が強くなっていることには全く気付かずに、シャルの視線はどんどん下へと降っていく。

(外れろ~、外れろ~、外れろ~、外れ……あっ)

 祈りというよりも怨念に近い何かを飛ばしていると、その視線が最下部で止まった。

「当たったぁ~!」

 それを確認した途端、シャルは紙を持ち上げて歓声を上げた。

「おめでとう、シャルちゃん」

「おめでとうございます!」

 アクアとステラが笑顔で祝福し、

「えっと、確か先輩が選んだのって……」

 その隣で、リオンがシャルの選んだクエストの内容を確認する。

「あった。えーっと、火の大陸、キネリキア山にて『紅蓮華(ぐれんか)』の葉を三十キロ採集……これって、新しく開拓された地域にあるんですよね?」

「そうよ。どうせならまだ誰もやった事の無いやつにしようと思ったの。そっちの方がより実力が試されるから、はっきりとアルベルトの馬鹿に負けを突き付けられるじゃない」

 それに、となんとも不穏な理由を笑顔で語るシャルは続ける。

「そっちの方が面白いじゃない」

 瞳を爛々と輝かせる姿に、ステラとリオンが抱いていた真面目そうなイメージが少し崩れていっていることを、シャルが知る由はなかった。

「君にしては中々の選択じゃないか。そしてその言葉、そっくりそのまま返させて貰うよ」

 不意に、店の奥からそんな声が聞こえてきた。

「………あんた、いつからいたのよ」

 そこから現れた見慣れた顔に、シャルは深い溜め息を吐いた。

「フン、悪いが後から来たのは君達の方だ。まったく、折角静かに紅茶とケーキに舌鼓を打っていたというのに、話し声がデカ過ぎて雰囲気が台無しだよ」

「………先回り」

「なっ!?おい、アリス――」

「アルは、甘い物は食べられなむぐっ」

「ふーん……」

 アルベルトはぼそっと事実をバラしたアリスの口を慌てて塞いだが、シャルの不敵な笑みに気付いてピタリと動きを止めた(口を押さえられたアリスの顔が茹でダコのように真っ赤になっていることには気付いていなかった)。

「ゴホンッ!……それで、君達がこのいつ爆発するか分からないダイナマイトみたいな女とその愉快な仲間達に、不幸にも巻き込まれてしまった一年生かい?」

 アルベルトは大きく咳払いをすると、そこにいた見知らぬ二人に憐れむような視線を向けた。

 いきなり話を振られたリオンとステラは、お互いに顔を見合わせておずおずと頷く。

「えーっと、一応、はい……」

「あの、あなたは……?」

 ステラの問いに、アルベルトは得意げに髪を掻き上げた。

「僕かい?僕の名は――」

「変態ストーカー貴族よ」

「違う!アルベルト=ルクス=ラディウスだ!誰が変態だ、誰が!」

「ストーカーは訂正しないのね。でもストーカーも変態もそんなに変わらないから結局変態ね、あんた」

「だから違うと言っているだろう!」

 完全に変態扱いされてしまっているアルベルトは声を荒らげて訂正するが、シャルは全く聴く耳を持たない。

「もう、うるさいわね。ただでさえ見たくもない顔を一日に三回も見せられてうんざりしてるのに、耳元で騒がないでよ。それで、何の用なの?」

 シャルは心底鬱陶しそうな顔をして、さっさと本題を話すよう促した。

「どこまで横暴なんだ君は………はぁ、現地でのルートを決めておこうと思ったんだよ。被ってお互いが邪魔し合うよりは効率が良いだろう?」

 結局訂正出来ずに項垂れながら、アルベルトは要件を伝えた。

「あら、あんたにしては気が利くじゃない。それじゃあ私達は山の東側から行くわ」

「フン、この僕の考えなのだから当然だろう。では僕達は西側から行くとしよう」

 シャルが珍しく害のない意見に感心していると、アルベルトはそれを切っ掛けに本来の調子を取り戻していく。

「まぁ、せいぜい当日まで入念に準備しておく事だ。あまり差があり過ぎてもつまらないからね。それじゃあ、僕達はここらで失礼するよ」

 去り際に店の雰囲気ぶち壊しの高笑いを上げながら、アルベルトはアリスを従えて店を後にした。

「………なんていうか、面白い人ですね」

 苦笑するリオンに、シャルは呆れた声を出す。

「どこがよ、騒がしいだけじゃない。まぁ、あんなのでも一応Sクラスを受けられるだけの実力はあるんだから、人は見掛けに依らないっていうのはホントよね」

「そういえば気になってたんですけど、先輩たちの中じゃ誰が一番強いんですか?」

 リオンのふとした質問に、四年生の三人は一瞬キョトンとするが、

「うーん、総合的にバランスが良くて強いのは、やっぱりノア君じゃないかな?」

 と、まずはアクアが小首を傾げながら、

「まぁ、私とかアクアは接近戦出来ないしね。でも、」

 次にシャルが頬杖を突きながら、

「魔法しか使えないが、圧倒的にイリスの方が強い」

 最後にノアが淡々と結論を出した。

「そうなんですか?」

「あぁ。正直、下手をすると魔法だけで瞬殺され兼ねない」

 三人共それに納得しているようで、ステラとリオンは内心かなり驚いていた。

 確かに飛び級をするくらいなのだから常人以上の実力があるとは思っていたが、まさか学年トップクラスのこの三人が口を揃えるほどとは思っていなかったのだ。公開授業の時も魔導薬学以外は特に目立っていなかったし、何よりも普段があれ(・・)なので仕方がないと言えばそうなのだが。

 イマイチ納得出来ていない二人に、アクアが少し困ったような顔をする。

「イリスちゃんが来たのは基礎学院の五年生からで、それまではずっと入院してたらしい(・・・)んだけど、初めての魔法の授業でみんな自分の一番得意な魔法を見せることになったの。さすがにみんなイリスちゃんが何かできるって思ってなかったから、先生も自然とイリスちゃんの番を飛ばそうとしたんだけど、イリスちゃん、自分の番が来てすぐに詠唱破棄で魔法を使ったの。それも上級魔法を」

「何でもアレンが言うには、入院中は時間が有り余っていたから絵本気分で魔導書を読み漁っていたそうだ(・・・)。五年前であれなのだから、今が如何なっているのか想像も出来ん」

 アクアとノアは先程から「らしい」や「そうだ」などが多いが、イリスの身の上を知らない二人は当時アレン達が予め決めておいた設定をアレンの口から聞いているだけなので、口調がはっきりしないのは仕方のないことであり、そもそもアレンに妹がいたこともその時に初めて知ったのだった(勿論それも設定の一つなのだが、二人は事実として捉えている)。

(っていうか、実際はその時点で精霊魔法とかも使えたんだけどね)

 その話題を冷や汗を掻きながら聞いていたシャルは、内心で乾いた笑いを零していた。

「それよりも、リオンこそどうなのよ?一応どのくらいか知っときたいし、それなりに実力があった方が助かるんだけど?」

「えっ?」

 突然話を振られてキョトンとしたリオンの表情が、続けて苦笑いに変わる。

「あー、まぁ、そのうち………でも、自分の身は自分で護れると思うんで、先輩たちも気にしなくて大丈夫ですよ」

「何よ、はっきりしないわね。見たところ風の加護が強いみたいだけど、戦闘スタイルとか武器は?魔法はどのくらい使えるの?それから――」

「あっ、帰ってきた」

 少し言葉を濁したリオンにシャルはさらに詰め寄ったが、それはアクアの声に依って遮られた。

 入口の方に視線を向けると、今にも盛大な溜め息が漏れそうな顔をしているアレンと、その腕にしがみ付いて満面の笑みを浮かべているイリスが帰ってきた。

「二人とも、おかえりなさい」

「たっだいまー、アクアっ!」

「ただいま……」

「お帰り。で?今回はどんな条件を出したの?」

 すっかり疲れ切った声を出したアレンに、シャルは頬杖を突いた。

「えへへぇ~。あのね、日曜日に二人っきりでお買い物しに行くの」

「あら、良かったじゃない。欲しい物いっぱい買って貰いなさいな」

 至福の極みといった感じの笑顔を浮かべるイリスに、シャルも笑顔を向けた。

「あの~、イリス先輩って……」

「超とドが付いてもまだ足りないくらいのブラコンよ」

「やっぱり……」

 すっかり上機嫌のイリスに笑顔を向けたまま聞こえないように返された呆れ声に、リオンとステラは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「あっ、ねぇねぇ二人と―――どうかしたの?」

「い、いえ!何でもありませんよっ?」

「そ、そうそう!」

 突然声を掛けられて苦笑いを隠しきれず、二人は慌てて取り繕った。

「そう?あっ、それより、二人とも二十四日って何か予定ある?」

 イリスはその様子に首を傾げたが、特に気にせず話を続けた。

「いや、特に何も……」

「何かあるのですか?」

 質問に答えつつ、二人は話題を無事(?)逸らせたことに内心でホッとしていた。

「実はね、その日はお兄ちゃんの誕生日なの。で、授業が終わったらみんなで誕生パーティーをするんだけど、よかったら二人にも――」

「行きます!」

 話の途中にも拘らず、ステラが勢い良く返答した。

「あ、ありがと。リオンは?」

「うーん、まぁ特にすることもないし、ステラも行くんなら……」

「ホントに?ありがとう!」

 自分のことのように喜ぶ少女に、リオンも自然と顔が緩む。

(本当にアレン先輩が大切なんだなぁ……)

 そう思った途端表情が憂いを纏ったが、一瞬の出来事だったので誰にも悟られずに済んだ。

「良かったね、イリスちゃん?」

「うん!お料理、いつも以上に気合い入れて作らなきゃ!」

「イリス先輩が作られるのですか?」

「言っとくけど、この子の腕は相当なもんよ」

「ステラはお料理するの?」

「一応一通りの料理は作れますが、特別得意という訳では……」

「あっ、じゃあ今度お願いがあるんだけど――」



「…………なぁ、ノア」

「……何だ?」

 すっかり盛り上がっている女子を横目に、アレンがボソッと声を掛けた。

「……俺たち、なんか影薄くないか?」

「………………」

 ノアは黙って新しく頼んだチョコケーキを口にした。



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