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銀色の虹の果てに  作者: ぺんぎ
第二章
21/24

第五話:『時片』

 森の中を、影が素早く駆けた。

 木々の間を縫い、茂みを突き抜け、土を蹴り付ける。荒い息が空気に触れ、断続的な音となって森に伝わる。

 その軌跡を追う影が、もう一つ。

 前方で地を駆る影を上後方から追うそれは、密集した木々の枝を点々と伝い、迫る。

 跳び乗った枝から、別の枝へと跳び移る。足元が下方へ(しな)るように揺れ、僅かの後にまた揺れる。目標を見失わないよう、視線は前方下の地面を素早く移動し続ける。

 互いの距離にはまだ余裕がある。だが敢えてそれ以上を詰めようとはしない。今あるこの距離を、着かず離れず付いていく。既に十分はこの状態を維持していた為、流石に飽き始めていた。

 ところで、

『行ったぞ!』

 標的が所定の場所を通過したのを確認し、声なき声を放った。

 直後、前方を行く影に、横合いから眩い光の管が襲い掛かった。

 突然の現象に反応出来なかったらしく、影は為す術なく直撃を受けた。管が素早く絡み付き、輪となって動きを拘束する。

「もらった!」

 即座に、追っていた影は足場の枝を強く蹴り付けた。

 反動から得た加速を従え、宙を一直線に駆け抜ける。最中(さなか)、右手に集う金色(こんじき)の輝きの中から同色の柄を握り、引き抜くと同時に振り下ろす。

 刃が毛を刈り、皮を裂き、肉を斬って骨へと至り、甲高い獣の叫びを伴って命を絶った。



「まったく、この僕を顎で使うとは良い度胸をしているよ、あの男は」

 さぞご不満とばかりに長い金髪が揺れた。

 普段は全体的にツンツン撥ねている髪は沐浴を終えた直後らしく、微かな湯気と共に背中の中程まで撓垂れ掛かっていた。いつも長くなった左のもみあげを束ねている銀の髪飾りは、今は寝室のベッドの上に転がっている。

「いいだろ、おかげで宿代も浮いたんだし」

「お夕飯……おいしかった……」

 眉を寄せたアルベルトに苦笑を浮かべるアレンの言葉に、アリスも夕食の感想を述べることで同意を示した。こちらの二人も同じく、上気した頬や唇が赤みを帯びている。

 中間試験の実習中である三人は、『学びの庭(ガーデン)』からランドハウスで東へ数時間行った、アトニアという街へとやってきていた。

 当初は課題内容である薬草採集を明日へ回し、森の中で野営場所を確保するつもりでいたのだが、立ち寄ったギルドのマスターから宿代の代わりにと採集対象の薬草を主食とする魔物の狩りを依頼され、早々に採集を終えて酒場兼宿屋兼ギルドという三職兼業を営む建物の上階に宿泊することとなった。

 野宿と暖かなベッドなど天秤に掛けるべくもなく、どうせ向かうのだしと引き受けたアレン達だったが、非常にすばしこい標的を相手に、一度目の遭遇ではあっさり逃げられてしまった。その後各々が提案した作戦で三度(みたび)の逃亡を許し、五度目の対面にて、ようやく依頼を完遂することに成功したのだが……。

「そもそもレディアント、君が安請け合いしなければあんな無駄な労力を消費する事もなかったんだ。何だ、あの惨めな転げ様は」

「し、しょうがないだろ、あいつすばしっこかったんだから……! お前だってカッコ付けてる間に逃がしたんだからおあいこだろ」

「アル、かっこ悪かった……」

「うっ、うるさい! アリス、お前もあの小リスみたいなのに顔を踏み付けられていただろうが!」

「う……」

 みっともない姿を思い出して赤面したアリスは、絆創膏を貼り付けたおでこを両手で押さえながら身を縮こまらせた。

「まあまあ、そのぐらいにしたらどうだ」

 どんぐりの背比べに零された苦笑と共に、三人の目の前にグラスが差し出された。透き通った液体の中で、氷が涼しげな音を立てた。

 カウンター奥の大柄で口髭を生やした男に、三人の視線が行く。

「サービスだ。お前さんらのおかげで助かったからな」

 先程のアルベルトの文句も聞こえていた筈なのだが(寧ろ当人は聞こえるように言っていた)、男は何のことはないとばかりに肩を竦めた。

「ありがとうございます、マスター。晩飯までご馳走になっちゃって」

「……ぉいしかった……です」

 アレンに続いて消え入るような声で先程と同じ感想を述べたアリスだったが、極度の人見知りである彼女の性格を考えると、今日の昼に知り合ったばかりの男への態度としてはかなり頑張った方だった。

「フン、本来する必要のない事だったんだ。このくらい当然だね」

 素直に感謝する二人と違い、アルベルトは言葉通りの態度でグラスを傾けた。

 と、喉を通った液体に少し目を見張った。

「……ふむ、中々良い味をしているじゃないか。これなら水に流してやらない事もない」

 現金な言葉にまたしても苦笑が零れる。

「そいつはありがたい。それこそ無駄な労力じゃなかったってことだ。なんせその味を出すのにお前さんらの採ってきた魔草も一役買ってるんだからな」

「そうなんですか?」

「それもあったから急ぎで頼んだんだよ。あいつは以前からあの森全域を餌場にしてたんだが、最近になって急に食う量が増えたらしくてな、近場の群生地がいくつか全滅しちまったのさ。こりゃまずい、ってんで何度か追い払ったりもしてみたんだが……」

 追い払い役があまり戦いに向いていなかったらしく、逆に襲われた挙句に逃げられたそうだ。その後もあの魔物が嫌う臭いを撒くなど色々対策を立ててみたがどうにも効果がなく、追い払えたところで他の場所が荒らされてしまうという見解もあって討伐に踏み切ったところへ、三人がやってきたという訳だ。

「分からないね。あいつ一匹殺したからといって、森には他にも同種がいる筈だろう? そもそも何故まともな魔導師を雇わなかったんだい?」

 夜の帳に包まれた酒場の席でも、アルベルトの態度は太々しい。

はぐれ(・・・)って奴でな、ここ数年であいつの仲間が目撃された情報はないのさ。それにそれまでの(やっこ)さんは、他の生き物が現れたらすぐにとんずらこくような臆病な奴だったんだよ。だから、ちょろちょろっと何回か追い払ってやれば来なくなると皆思ってたんだが……」

「ハッ、そんな甘い事を言っているから駄目なのさ。魔物を相手にするなら最初から殺す気で挑まなければ、結局やられるのはこっちの方だよ」

「……やられる前に……やる……」

 嘲笑したように肩を竦めたアルベルトに、アリスも小さな声ではっきりと同調した。

「ふぅむ……まあ、その意見の全てが間違ってるとは言わん」

 アルベルトの高慢な態度にも気分を害した素振りは見せず、マスターは自身もショットグラスに注いだ酒を煽った。

「だがな、頼んだ俺が言うのも何だが、殺す必要のない命を絶つことはない。魔物だって生きてるんだ。今回は偶々、あいつの異常行動が森に生きる他の生態系まで脅かしちまうからってだけで、それこそ学問的には人間と同じ魔法生物でもある連中の、何もかもを否定しちゃいかんと俺は思う。お前さんらの言ってることはつまり、近所迷惑を注意しに行くのに刃物を振り回すようなもんなんだよ」

 アレンは視線を二人からマスターへと移した。

「勿論、そんなに単純なもんでもない。連中は生きる為に人間や他の魔物を襲うし、一歩間違えれば俺達は死ぬわけだ。だがそれはお互い様で、むしろ商売だとか研究だとかで必要以上に殺す人間の方がよっぽどタチが悪い。それでも、じゃあ人間も魔物と同じように食う為だけの殺生をすればいいのかって言うと、頷けやしないのが本音ってもんだ。俺達の今の生活は、そういう余計な(・・・)犠牲の上に成り立ってるからな」

 殺した生命(いのち)を直接己が糧とする他の生き物と違い、人間の奪う生命の中には直接的に生に関与しないものも多くある。だがその行為は最早、人間社会という大きな生命にとっては必要なことなのだ。

「本能で生きる中級以下の魔物を相手に、命を張ってまでするにしては、確かに甘い考えだとは思う。だが俺達人間は考える“力”を持ってるし、同じように考えられる上級種とは上手いこと折り合いを付けて来れた。そういう背景も踏まえたうえで、だからこそ、追い払うだけで済むならそれでいいんじゃないかと思うのさ」

 まあそれで怪我しちまっちゃあ元も子もないんだがな、と言って、もう一度、マスターは酒をグイッと飲み干した。

「……ッくはぁ! なんか変な話になっちまったな。酔っちゃいないはずなんだが、どうにもお前さんらみたいなのを見てると若い頃を思い出しちまう。すまんな、大人の手前勝手な理想だ、忘れてくれ」

「フン……」

 みっともないとでもいうように片手で顔を覆い、もう片方をひらひら振るマスターに、アルベルトは不機嫌そうに肘を突いた。

「でだ。魔導師の件なんだが、雇わなかったんじゃなく雇えなかったんだよ」

「?」

 続けようとしたマスターは、一度口を開いてから、急に何かを思い出したように噤む。

「……あー、まあ、お前さんらはガーデンの生徒だし構わんか。それにどうせ意味なんてあってないようなもんだろう、箝口令なんてもんは」

 一人で呟きながら再び酒を注いで、躊躇いごと流し込んだ。太い指先に摘まれたグラスがやけに小さく見えた。

「まあ、一応俺から聞いたってのは伏せといてくれ。一支部の長として色々と責任があるからな」

「はあ……」

 何でも良いが、ヴァルカノの女マスターといい、仕事中に酒を飲むのは一支部の長としてどうなのだろうか。

 アレン達のそんな考えなど知る由もなく、マスターは顔を近付けて少しだけ声を落とした。

「お前さんらも知ってると思うが、ここんとこ魔物の凶暴化が目に見えて進行してるんだよ」

 途端にそれぞれ僅かばかり反応を示した三人だったが、互いの様子に気付いた素振りは見られなかった。

「魔物ってのは普通、自分達の縄張りに餌がありゃそこからは出ない。だが凶暴化した奴らは、率先して餌場から出て人間を襲うらしい。ここいらはまだマシな方だが、北や西じゃ結構な被害が出てるって話だ」

「あの小さいののように、食欲が増したのか……?」

「そうだったらまだ良かったんだがな……」

 神妙な面持ちで口元に手をやったアルベルトに、マスターは滅入ったように溜め息を吐き出した。

「違うんですか?」

 今度は訊ねたアレンへと頷く。

「直接戦り合った奴らが言うには、襲い方が『喰う為』ってより『殺す為』って感じだったらしい」

「? それってなんか違うんですか?」

 喰う為にはまず殺さなければならない。確かに生きたままでも食べられるが、抵抗されてはスムーズに事を運べないので大抵の生き物はそうするだろう。

 イマイチ両者の差が解らないアレンに、

「大違いだよ、レディアント」

 長い金髪を掻き上げて、やれやれといったようにアルベルトが答える。

「例えば君が狩りをしていたとしよう。獲物を見付けたらまず何をする?」

「何ってそりゃ、まず気付かれないように気配殺すだろ? そんで確実に仕留められるタイミング………あっ」

 途中で言わんとしていることへと至った。

「そう、まずは獲物に逃げられないよう気配を殺し、そして一撃で仕留める事だけを考えて行動するのが普通だ。余計な部位を傷付けたくはないし、抵抗されれば自身も負傷してしまうかもしれないからね」

 確かにその通りだ。負わせた傷が多いほど食べられる部分は減るし、相手が抵抗する間もなく殺せれば消費する体力やリスクも減ることになる。野性というものは、本能でそれが解っているのだ。

 つまり、魔物から襲い掛かってきて戦り合った(・・・・・)などという状況が頻繁に発生していることこそが、食事を目的としているのではないことを示していた。

「野性の獣がそれ以外の選択肢を採る時というのは、大抵決まっているものさ。自分より大きな獲物を群れで狩る時か、縄張りを犯した侵入者を排除する時だ」

 補足して、アルベルトはマスターへと向き直る。

「そして今回のケースはそのどちらでもない。そういう事だろう?」

 マスターは深刻な表情で頷いた。

「その通りだ。開拓や依頼で魔物の縄張りに入った連中からも件の報告は上がってるが、街道や平原みたいな何もない場所でも行商人の荷馬車なんかが襲われてる。この街みたいな防壁のない村が襲われたって話もあった」

「それ、本当ですかっ?」

 まさか。野性の魔物が人の住む場所を襲ったなどという話を、アレンは生まれてこの方聞いたことがなかった。

「こんな話冗談でできるか。幸いその村に滞在してた魔導師のおかげで死人は出なかったそうだが……」

「不幸中の幸いというやつか。しかし芳しくない状況だね。道理で魔導師の姿を見ない訳だ、雇えなかったのはそれが原因という事か」

 アルベルトは背後へ視線をやった。

 既に月も天高々と昇っているというのに、薄暗い照明に照らされた酒場は閑散としていた。アレン達を除けば客はほんの数人という閑古鳥でも鳴きそうな物寂しさは、態々声を潜める必要性が疑われた。

「そういうこった。正直、ギルドや『明くる朝(ディスカバリー)』専属の魔導師だけじゃ対応しきれてないのが現状でな。この街に滞在してたフリーの魔導師もほとんどそっちに駆り出されてる状況だ。それにそんな事件が度々起きてるもんだから、魔物の積極的な排除に肯定的な連中が声を大きくしてやがる……」

 忌々しげに、追加の酒を飲み干した。

 少し気拙い空気が場に漂う。

「それにしたって、少し街に人気がなさ過ぎじゃあないかい?」

 話題転換の意図があったのかは判らないが、アルベルトの言葉で話が逸れたことに内心助かったと息を吐いて、アレンはそれについて考えた。

 確かにアレン達がやってきた昼日中でさえ街の雰囲気はどこか静寂に包まれていたし、陽が落ちてからは尚のことだった。幾ら魔導師が出払っているとはいえ、この街の住人までいなくなった訳ではなかろうに。

「それについては……まあなんだ、ちょっと別の要因があってな」

「はっきりしない言いようだね」

 どこか歯切れの悪い言葉に、アルベルトは短く鼻を鳴らした。

「なんかあったんですか?」

「やっかい……ごと……?」

「おい、言っておくがこれ以上の面倒事は御免だぞ、僕は」

 面倒な雰囲気を察知したらしく、いち早く牽制が入った。

「いいじゃんか。飯と飲みもんまで奢って貰ったんだし、報酬的には釣りが余ってるだろ」

「ふざけるな。食事と入浴を済ませた後でまで働く気はない」

 軽い気持ちで言うアレンに嫌そうな顔をして、長髪の少年はバッサリと切り捨てた。

「安心しろ、お前さんらに頼むことはもう何もない。それに、こいつはちょっと学生にゃあ荷が重過ぎる」

 マスターの苦笑混じりの台詞でとりあえずの結論が出たところで、アルベルトの不機嫌顔が若干和らいだ。

「元より頼まれる気なんてないよ。それで、何が起きてるんだい?」

「やっぱ気になるんじゃねぇか」

「アル、素直じゃない……」

 散々言ってからの台詞を、アレンは肘を突いて、アリスは前髪に隠された眼に呆れのような色を僅かに乗せて横から突っ付いた。

 ともあれ、二人も気になるところなので、続きを促すようにマスターを見た。

「……まあ、ちょっと待て」

 断って、三人分のグラスを持って奥へ行った。おかわりを注いでくれているらしい。

 再び満たされたグラスを三つ差し出すと、一度酒を煽ってから、焼ける息を吐き出した。

「……どうにも最近は、色んなとこが騒がしい。凶暴化だとか、そういう事件が頻繁に耳に入ってくる」

 徐に話しながら、空になったグラスをじっと見つめて、指先を弄ぶ。

「だがこの件に関しちゃ、今すぐどうこうできるもんでも、一介の学生が何かできるもんでもない。近々、国かギルドか『明くる朝』か、どっかから正式に調査隊が派遣される予定だ。そんくらい慎重にならなきゃならん問題ってことだな」

「随分と勿体付けるね」

 回りくどい言い方に焦れたアルベルトが不満げに言った。

「そう急くな。別に秘密事ってわけじゃないんだ、ちゃんと話してやる。むしろこれは、一般人にもきちんと説明しておくべきだと俺は思ってる。知らなかったじゃ済まない話だからな」

 先程よりも一層深刻な様子に、アレンは固唾を呑み込んだ。隣で緊張感に居た堪れなくなったアリスがストローに口を付けた。

「ことの始まりは……そうだな、今年に入った辺りか。この辺りは偶に出る濃霧が酷くてな、街の住民ならまず出歩かないくらい視界が悪いんだが」

 薄暗い照明が作り出す雰囲気は、怪談のそれだ。

「ところがある日、そんなことなんて知らん他所もんが妙なことを言ったんだ」

「妙なこと?」

「ああ。そいつは水の大陸出身で、北っ側の街から渓谷を通って来たんだが、そこでその濃霧に出くわしたみたいでな。危ねぇし、魔物に見付かっちまうとまずいから迂闊に動けないってんで、仕方なく収まるまでじっとしてたらしい」

 霧などの自然現象には普段よりも濃密な魔力が介在している。下手に動かずとも大気魔力だけで生きていけるだけに、そこを根城とする魔物も多い。

「だがその霧が中々面倒でな、晴れるまで濃度がほとんど変わらないからまったく身動きが取れないんだ。やることもないし、霧でなんも見えねぇから身ぃ縮めてただボーッと前を眺めてると、そのうち意識までボーッとし始めてくる。ああやばい、寝ちまいそうだと思ったその時だ。霧の向こうに影が見えたそうだ」

 周囲を取り巻く灰に近い色の幕が一点、ぼう、と黒ずむ様が脳裏に浮かぶ。

「そいつは真っ先に魔物が出たと思って身構えた。当然だな。意識はしっかり起きてたわけだ。だがしばらくしてそれが人影だと気付いた。ホッとして、呼び掛けるか考える。一人で待つのに飽き飽きしてたんだろうな」

 何をするでもなくただ霧の向こうを眺めているというのは、確かに退屈な時間だろう。男(とマスターが明言した訳ではないが)が話し相手を欲したのは至極当然の思考だった。

「ところがだ。呼び掛けるか迷ってるうちに、人影がどんどん増えていったんだ。もしかしたら野盗の類いかもしれないと思って声を掛けるのをやめて、息を潜めて見守ることにしたそうだ」

「まぁ、賢明な判断だね」

 盗賊のような輩もいるところにはいるものだ。特に視界の限られる渓谷などは、彼らにとって絶好の狩り場となり得る。

「影はどんどん増えていく。複数なんてもんじゃない、それはもう一つの集団だ。何も見えない向こう側で塊になった影が濃くなって、そんで薄くなってって……」

「どうなったんです?」

「最終的には消えちまった。忽然とってよりは、自分が向かう予定の方向へ移動してったように見えたんだと。あんな早朝にそんな大勢が渓谷を渡ってきたなんて、今日はなんか祭りでもあるのか、って聞いてきたんだが、そんなもんはなかった。なにより、その日は一層人が少なくて、そんな団体さんが街へ来た覚えもなかった」

「ボーッとし過ぎて夢と現実が曖昧になっていただけだろう?」

 やれやれと、アルベルトは肩を竦めた。

「俺も最初はそう思ったさ。『あんた、寝惚けて夢でも見てたんじゃないのか』ってな。そいつもそのうち、やっぱり気のせいだったのかもって思って納得することにしたんだ」

 だが、と続ける。

「だが何日か経って、同じような話をまた耳にした。翌月も、その翌月もだ。だが一向に、そんな団体客は街に来なかった」

 奇妙な話だった。目撃者は大勢いるのに、誰もその実態が解らないのだ。

「なんだか気になったんで、俺は実際にその場所へ行ってみることにした。同じ時間に、最初にその影を見たって奴を連れてな。ひと月も経ってない話さ。大体の感覚だったが、街から結構離れたとこだった。そんで、しばらくすると案の定霧が出てきたんで、例の影が現れるのを待った。退屈そのものだったが、俺たちは話もせずにじっと霧を見つめ続けた。そしたら……」

「そしたら?」

「出やがったのさ。影の塊だ。しかも証言通り、人影みたいなのが歩いてるみたいに街へ向かって移動してるんだ。危険だったが、俺たちは後を付けた。見失わない程度の距離で、気付かれないよう足音を殺してだ」

「…………」

 アリスがまたストローを口元へ持っていった。

「結構長い時間を歩いた。影はゆっくり移動してたんだ。いい加減緊張で息が詰まりそうで、相方の方もそれは同じだった。必ず正体を突き止めてやると意気込んでたからなんとか持ってたみたいだったが、慣れない行動で疲労は限界だった。やむを得ず中断を考えて、そんで、決断した時だ。霧が一層深まったんだ」

「まさか……」

「ああ、見失っちまったのさ。大失態だ。だがどうしようもなかった。まるでその一帯の霧が全部集まったみたいな物凄い濃霧で、立ち往生するしかできることがなかったんだ。しばらくして霧が晴れた時にゃ、影の正体はどこにも見当たらなかった」

 やりきれんとばかりに、マスターは頭を振った。

「じゃあ、結局何もわからなかったんですか?」

「いや、不幸中の幸いか、そこはちょうど分かれ道だったんだ。そのまままっすぐ行けばこの街へ着くが、折り返せば別のところへ道が伸びてる場所さ。そんで街へ戻っても、案の定影の正体らしき奴らはいなかった」

「なら、影はそのもう片方の道へ行ったという事だろう」

 結論付けたアルベルトに、マスターは視線を向ける。

「そういうことになるだろうな。だがそのもう片方の道は、しばらく行くと封鎖されてて通れなくなってるんだ。何より、その先にある場所に俺は寒気を覚えて、すぐさまギルドの本部に調査を申請した」

「……どこに繋がってるんですか、その道って?」

 アレンが恐る恐る訊ねると、マスターは必要もないのに身を乗り出して一層声を落とした。

「『嘆きの丘』だ」



        †   †   †



 クロウリア=アイズロットは世に名を残したの人物だった。

 大陸分断前から続くとされる一族の末裔である彼は、優秀な魔導学者として様々な研究成果を公表し、その際に得た財を以て、若くして国やその他の研究機関の助力を得ずとも研究に不自由のない生活を、ひっそりと送っていた。

 彼は光と闇の大陸の北東部へ差し掛かる渓谷の先、ダリルクレイという街で生まれ育った。()り抜かれたような断崖に掛けられた吊り橋を渡ったところにある、この人口三百人余りの街は、その先に(そび)える小高い丘の両脇から吹き付ける身と心を震わせるような風から、しばしば『嘆きの丘』という通称で呼ばれることもあった。

 アイズロット家の大屋敷は、この丘の上から常に街を見下ろしていた。いつ崩れてもおかしくないような場所に屋敷を立てたのはクロウリアの曾祖父だったのだが、早くに亡くした両親の影響で研究にのみ明け暮れていたこともあり、街の住人は滅多に人前に出ない彼を変人と呼び、遠巻きにしていた。

 アイズロット家には一人の召使いがいた。若く美しい彼女が何故クロウリアのような変人の世話を焼いていたのか知る者はいなかったが、彼女は自身に向けられる奇異の視線など気にせず、毎日クロウリアの為に街へ降りて買い物をし、他愛のない世間話に僅かばかり興じ、道端で擦れ違った小さな子供達に微笑んで、主人の許へと帰っていくという日々を過ごしていた。

 ある日――住人達が丘の上の屋敷の主人の顔をはっきりと思い出せないくらい、クロウリアが人前に姿を見せなくなって久しいある日――召使いの女性が街へ降りて来なかった。その数年間で初めてのことだった。

 体調でも崩したのだろうか、と彼女との世間話がすっかり日課となっていた商店の店主は首を傾げた。主人の方はともかく、愛想の良い召使いの女性は他の住人からも親しまれていたので心配だったし、あの変人が病人の看病を出来るとは思えなかったので、お見舞いの品でも持って行こうと思い、屋敷へと向かった。

 屋敷の住人以外が丘を登るのは、一体いつ以来だったろうか。果物の入った籠を提げた店主は、昼間だというのに異様な雰囲気を醸し出す屋敷の玄関の呼び鈴を、相当の勇気を振り絞って鳴らした。

 ところが、待てども呼べども誰かが出迎える気配はなかった。そもそも本当にクロウリアがここに住んでいるのかさえ疑いたくなるほど屋敷は静まり返っており、中を覗こうにもカーテンが締まり切っていたので、店主は仕方なく丘を下った。

 ……それ以降、店主が召使いの女性と世間話をすることはなかった――



        †   †   †



「……なにそれ?」

 男は突然語り始めたもう一人の男に首を傾げた。

 語る男は、うつ伏せに寝転んだまま目の前に広げた本の表題(タイトル)を読み上げる。

「んー? 『嘆きの丘の惨劇 リーヴス=ハイリップ著』」

「どっから持ってきたの、そんな本?」

「図書館」

「っ!?」

 極普通の答えだったのだが、訊ねた男は耳を疑った。

「行ったの!? いつ!」

「昨日お前が酔って寝てる間にー」

 声を荒らげる男に、寝転んだ男は振り向きもせずだらけた声を返した。

「ずるいッ、ボクだって行きたいのに我慢してるんだよ!? 自分だけずるい!」

「だぁーって退屈なんだもんよー」

 喚き声に適当に返しながら、ごろりと寝返りを打った。

 足元で「ずるいずるいボクも行きたい絶対行くーッ!」と駄々を捏ねる男を無視して本のページを捲り、続きを語る。

「『丘は街へと、不吉の風を運ぶ――』」



        †   †   †



〈集団失踪事件?〉

 繰り返された言葉に頷く。

〈そっ。ええっと、何年前だったかしら……私達が生まれる前なんだけど、そんなに昔の話でもないわ〉

 緋色の明かりに照らされる洞窟を進みながら独りごちた。誰かとの会話のような口調だったが、ある程度広がったそこには傍から見ても彼女しか居らず、また名のある魔導師がその場を見たとしても念話の魔法を使っているようには感じられなかったので、その言葉が独り言なのは確かだった。

 ……少なくとも、第三者から見た限りでは。

〈年がら年中吹いてる風が月に何度かだけ止む時があって、陽が落ちると霧が街を覆うそうなのよ。それで朝になって霧が晴れると、決まって街の誰かがいなくなってる〉

〈それが、最初の(・・・)事件?〉

〈正確にはそのもっと前に一人失踪者がいたんだけど、事件の性質的にはそういう事になるわね〉

 他者には決して届かない声に、シャルは肯定の声を返した。

〈三度目辺りから街の人達も流石に法則に気付いたみたいで、捜索隊を結成する一方で、霧の出る晩は決して外に出ないようにしたそうよ〉

 しかしそれでも、その次の霧の日にも誰かが姿を消した。

〈ギルドとかには調査依頼しなかったの?〉

 素朴な疑問を浮かべたヘスティアは不思議そうに訊ねた。

〈国には依頼していたみたいだけど、その頃は国側でも色々と問題があったらしくて、中々調査隊が来なかったそうよ。場所が場所だっただけに『嘆きの丘』は元々他の街よりも閉鎖的な街柄で、国やギルドにあまり頼ってこなかった事も原因の一つじゃないかしら〉

〈なんでそんなとこに街なんか作ったんだろ〉

〈さあ。渓谷地帯だし、鉱物資源が沢山採れたんじゃないの?〉

 そんなことを訊かれても自分が知る筈ないだろうと、シャルは肩を竦めた。

 いつもの他の面々と違い一人で実習に臨むことになったシャルだったが、この火の精霊のおかげで寂しく一人旅とはならなかった。

 一人なら無言のまま突き進むか、或いは返る当てのない独り言を並べるしか時間を埋める術はないが、連れ立つ者がいればそれも雑談へと変わる。ヘスティアがお喋りな性格をしている分(自我を得た精霊がみなそうなのかは判らないが、神聖視さえされている存在の全てがそうであって欲しくはないと、何故かシャルは願ってしまった)、沈黙の出番は余計になかった。

 すっかりお馴染みとなった口喧嘩を交えつつ、他の面々はどうしているだろうかという話向きへ方向転換した際に、そう言えばアレンの向かった街が『嘆きの丘』に近いことを思い出したのが今の話の切っ掛けだった。『丘』そのものではなく、そこで起きた凄惨な事件について、小首を傾げるヘスティアに順を追って説明していたところだ。

 と、

「!」

 手に灯した明かりの前方で何かが動く気配を感じ、身を反らした。

 直後、照らされた空気が鋭い音と共に裂かれた。

 鼻先を過ぎ去った影へ、シャルは振り向き様に腕を伸ばした。

 灯火が、(かざ)された掌から緋色の弾丸となって吐き出された。暗い岩の食道を熱が駆け、ほんの僅かの間照らし出す。しかし、手応えはない。

〈シャル、上ッ〉

〈分かってる……わよッ〉

 掛けられた声に返すと同時に腕を振り上げる。足元から炎が立ち上った。

 が、それも躱された。(ほむら)が影の実体を(あらわ)にする。蝙蝠(こうもり)のような生物だったが、飛翔の仕方はまるで(はやぶさ)だ。それが二匹、どうやっているのか、それなりに広いとはいえ洞窟内を素早く滑空していた。

 炎の柱を避けたそれらはシャルの背後へと廻り込み、軌跡を交差させながら牙を剥き出しにする。

〈――甘い!〉

 吠えて、頭上へと伸ばしたままの腕を後方へと振り回した。

 腕の動きに合わせて、前方で立ち上ったままの炎から緋色のカーテンが広がる。

 それに巻き込まれる形で、二匹の蝙蝠が炎に包まれ、焼け墜ちた。

〈……もうっ、何なのよさっきから! 今ので何匹目?〉

〈えーっと、いま二体だったからこれでちょうど十体目〉

 両の指を折ったヘスティアからの返事にうんざりしながら、シャルは再び明かりを灯した。

 目的の街まで行くにはこの洞窟を通らなければならない。しかしどうにも、魔物との遭遇率が高かった。

 いや、この洞窟も魔物の棲処なのだからそれは当り前なのだ。問題なのは、明らかに普段とは強さのレベルが違うことだった。

 もっとも、この間の火山ほどではないので今のところは危険度も低いのだが、

〈いい加減こっちも疲れるんだけど〉

〈そりゃ、あんな風に振り回してたら疲れるに決まってるじゃん〉

 嘆いた傍でそんなことを言われたので顔を顰めた。どちらかというとこちらの方が問題だ。

〈そりゃ私だって前みたいに無動作で出したいけど、間に合わなかったら洒落にならないじゃない〉

 『力』を取り戻した時のようにただ想像するだけで炎を喚び出すのは、改めて実行しようとなると魔力を練るのに少し時間が掛ってしまう。先程のように素早い魔物相手だと、その僅かの隙が命取りとなるだろう。

〈腕の動きで指向性を持たせるのは別にいいんだよ。その方がやり易いだろうし〉

 例えば着弾点を指差したり、目の前に手を翳したり。漠然と思い浮かべるよりも実際の動きに合わせて何かしらの動作をした方が想像し易く、魔導師が魔法を発動させる際に身振り手振りが多くなるのは事実だ。シャルのように自在に炎を操るとなれば、それこそ通常の魔導師よりもその手法が合っていると言って良い。

〈でもさぁ、魔力の練り方に問題があるからいちいち余計な体力と魔力使ってるんだよね~。むしろ自分が振り回されてる感じ〉

〈……そんな事言ったって、急には出来ないわよ〉

 やれやれといった風に肩を竦められて、シャルはムスッとした。

 『力』の扱い方を教わり始めてから毎日口酸っぱく言われていることだが、やはり未だに上手くは出来ない。流石に自分が情けなくなってきた。

〈はぁ、あの時どうやってたのかしら……〉

 数日前の自分に問い詰めたところで、曖昧な答えしか返って来なかっただろうことは確信出来た。

〈そっちの方は鍛錬しかないかなぁ。あ、そうだ。名前も考えなきゃね〉

〈名前?〉

 何のことかと、首を傾げた。

〈あの時使った魔法の名前。あれ以上いじる気はないんでしょ?〉

〈ああ……〉

 思い至って、焔の蜥蜴に放った火の鳥を脳裏に浮かべた。

 あれ自体は、ただその時に自然と思い浮かんだものを形にしただけだ。それが凶暴化した竜族の上級種の炎すらも飲み込むほどの効果を持って生まれたのは、まさに偶然の成せる業だろう。それとも、想いの成せる業だろうか。後者の方が格好が付くので、そういうことにしておく。

 魔力の扱いに慣れない今は再びあれを使うことは出来ないが、ヘスティアの言う通り、あれ以上あの魔法の中身を弄るつもりはなかった。

〈そうね、あれはあのままで良いと思う〉

〈なら、やっぱり名前付けてあげないとッ〉

 子供の名付けの時のような口調だった。

 実際、名前は付けた方が良いのだろう。『力』を取り戻したシャルの炎は名を呼ばずとも充分強力だが、人間の扱う魔法の性質上魔法名というものはその中核を成しており、あるのとないのとでは効果のほども目に見えて違う筈だ。

〈そうねぇ……〉

 そんな声を、洞窟内に漂わせる。

(名前……名前か)

 オリジナルの魔法というのは直接の繋がりを持つ自身を加護する精霊の属性でしか創れず、その繋がり故に、魔法名が古代語である必要はない(というのが一般的な認識だが、シャルが思うに、言葉が意識せずとも古代語へと変換されているからだろう)。世に知られている魔法名が古代語でなければならないのは、それらが他人が他の精霊の力を借りて使えるよう手が施された、言うなれば汎用版だからだ。

 だから現代語で、何か良いのはないかと考えを巡らせる。

 自分で魔法を創ろうとしたことは何度かある。が、何れも失敗に終わっているので、その際付けた名は縁起の良し悪し的に使いたくはない。

 あまり複雑なのは呼び辛いので駄目だ。そういう意味ではアレンの『剣技』は好例なのだが、それにしたって響きとか意味とかにもう少し拘りというものを持ちたいのが心情だ。

 悩む。悩む。しかしどれもしっくり来ない。

 ああ、子供に名前を付ける時の感覚はこんな感じなのかなと、ふと頬が緩んだ。

〈……まあ、考えとくわ〉

〈そっか。いい名前、浮かぶといいねッ〉

 宙で後ろ手を組んだヘスティアも、そう言って微笑み返した。

〈で、なんの話だっけ?〉

 止まっていた脚を再び動かす傍ら、人差し指の当てられた頬が傾いた。

〈ええっと……〉

 シャルも同じように、こちらは顎に当てて、どこまで話したかを思い出す。確か街で捜索隊が結成された辺りで話が途切れた筈だ。 

〈ああ、そうそう。捜索隊を作ったのは良いんだけど、結局何の手掛かりも見付からなくて、むしろ被害者は増える一方だったのよ。霧が出る頻度も増えていって、ようやく国からの調査隊が来た時には街の人口の三分の一近くが消えていたらしいわ〉

 「事件」そのものが起きたのは二十三年前から二十二年前に掛けてのこと。自身が生まれる以前の話なのでシャルも資料や人づてにしか知らないが、それでもほぼ正確に詳細を憶えているのは、彼女が歴史に人並み以上の関心を持っているから、という訳ではない。

〈ところがよ。最初に調査に派遣されたのはほんの数名、しかも訓練上がりの新米兵士ばかりだったの〉

〈えっ、なんで? 住人の三分の一ってスゴイ数だよね?〉

〈解らないわ。その辺りは詳細もあやふやで、どの資料にも憶測しか書いてなかったの〉

 驚くヘスティアに、シャルも眉を寄せて頭を振った。

〈とにかく、それでも正式に調査が始まったわ――〉



        †   †   †



 ――調査隊はまず予め(もたら)された情報を参照しながら街中を調べ始めたが、新兵が多いからか、どうにも緊迫感が感じられなかった。しかも街中は既に住人達が結成した捜索隊があらかた調べ回った後だったので、当然ながらこれといった成果は見られず、不安だけが増していった。

 ふと、空を仰いだ新米兵士が訊ねた。

 あの屋敷は何だ、と。

 街の責任者が指された方へ視線を向けると、小高い丘の上に(そび)える屋敷が目に付いた。

 年老いたその男は思った。あそこは確か、変わり者の研究者が住んでいる屋敷だ。もう随分とその姿を見ていないし、彼の世話役だった愛想の良い女性もいつの頃からか見なくなってしまっていたので、恐らくもうくたばっているのではないだろうか。

 ……随分と? 随分ととはどのくらいだろうか。あの屋敷の主人が姿を現さなくなって、そしてその召使いが姿を消してから、一体どれほどの歳月が経ったのだろう。いつの間にか自分も他の住民も、あそこに屋敷があったことを記憶の片隅からすらも消し去っていたことに気付いた。

 いや、それが何だというのだ。そもそも幾らあの屋敷が大きくとも、人口の三分の一もの人間を収容出来るとは思えない。

 老人はそんなことはいちいち説明せず、ただあそこには研究者が一人とその召使いの女性が一人住んでいる筈で、街との交流は一切なく、そしてまだ調べてはいないとだけ答えた。

 何故それを早く言わないと偉そうに怒鳴り散らしたその兵士は、他の兵士に報せもせず、たった一人で屋敷へ向かおうとする。

 老人は慌てて引き留めた。既に陽は沈み掛けていたし、何よりその日は耳に付くあの音が響いていなかったのだ。

 だが兵士は頑として忠告を聞かなかった。瞳に目の前の手柄しか映していない彼は老人の手を振り解き、丘へと駆けていった。


 調査隊の隊長が宿の外を見遣った時には、街は灰に近い色の幕に包まれていた。

 これでは流石に調査は出来ない。仕方なく今日はこれで切り上げようと隊員を集めたのだが、一人が見当たらなかった。

 一体どこで油を売っているのかと、後でこってり絞ってやることを胸に誓って他の隊員を解散させようとした時――

 悲鳴が街に響いた。

 すぐさま、調査隊は外へと飛び出した。視界を妨げる濃霧に目を細めて、どこから声がしたのかと周囲を見渡す。隊員達の証言からおおよその見当を付け、抜剣(剣に限らず、彼らの間では臨戦態勢に入ることをそう呼んでいた)して駆け出した。

 それなりに経験を積んだその男でも、濃霧の中の疾走は方向感覚を狂わせた。況してや訓練上がりのヒヨっ子達は、既に何人かが背後にいない。こんな役立たずしか寄越さなかった上の連中への舌打ちもそこそこに、とにかく駆けた。

 不意に、霧の向こうが揺らいだ。隊員にも急停止を指示し、身構える。

 現われたのは人らしき影だ。ふらふらとした足取りでこちらへとやってくる。不意打ちに備える男の後ろで喉が鳴った。

 少しして、その影が幕から抜け出した。見当たらなかった隊員だった。

「何があった!」

 男は呼び掛けた。その隊員の顔に貼り付いていた恐怖が、何か尋常ならざる事態が起きたのだと明言していた。

 上官を見付けた新兵は、おぼつかない足を止めた。顎を震わせ、声にならない声を絞り出そうとする。

「………っ、ばけ、も――」



 視界の先で深紅が弾け、飛び散った。



 目の前で何が起きたのか、男は理解出来なかった。飛散した液体が頬に付着し、呆然とした瞳がただその光景を映し出す。

 そこにいた兵士だったものが前のめりに倒れた。遅れて、他の隊員が悲鳴を上げた。

 霞み掛かった地面が赤く染まる。その兵士の名を叫びながら駆け寄った部下が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。混乱と絶叫が霧を塗り潰す。

 何だ? 一体今、目の前では何が起こっているというのだ。

 男の問いに答える者はいない。だがその答えを持つモノが、気付けば目の前にいた。

 女だ。長く美しい髪に、流麗な体躯に、どこか愛らしさのようなものを匂わせる女性だ。

 いや、女性だった(・・・)。おどろおどろしい長髪を垂らし、抱けば折れてしまいそうな細身を奇怪に曲げ、瑞々しい唇から血を滴らせるそれは、どれだけ世辞を吐こうとも女とは――人間とは呼べない存在だった。

 男はそれ(・・)の右手を見た。肉体を失くした部下の首がこちらを見つめていた。それ(・・)の足元で何かが転がった。あれは、眼球か? 誰の? 解っている。ひしゃげた頭部から血を撒き散らした新米兵士のものだ。

 男は動くことさえ出来ていない、一人取り残された部下を突き飛ばした。何でも良いからそいつの金縛りが解ける切っ掛けが欲しかった。

 これまで培ってきた経験と、生物としての本能が叫んでいたのだ。魔物ではない、これ(・・)は危険だと。誰かが国へ報せなければならないと。そして自分の役割はそれではないと。

「行けッ!!」

 それしか言えなかった。言う必要がなかったのではなく、精神的にそうしたかったのでもなく、物理的にその一言が限界だった。

 口を開くのとほぼ同時に、女の形をした化け物が大口を開けた。意外と人間らしい綺麗な歯並びだったが、それは男にとっては不運だった。噛み千切るのにはあまり向いていないのだ、人間の歯というものは。

 背後で人の気配が遠退く。

 声の発生源を塞き止められながら、男はせめてもの抵抗として手に持った剣をそれ(・・)の背中に突き立てた。どうせなら皮膚も人間らしくあってくれと、誰にでもなく願う。

 幸いなことに、それ(・・)の皮膚の硬さは自分と同じだった――



        †   †   †



 さて、どうしたものか。

 自室の執務用机に肘を突いて、シドは思案する。

 視線の先にあるのは一通の書類だ。どうも封鎖されている筈の『嘆きの丘』に何者かが出入りしているらしく、その調査依頼がギルドから『明くる朝』の本部へ、そこからさらに自分のところへ廻ってきたのだ。

 二十二年前の事件――『嘆きの丘の惨劇』という名を史上に深々と刻み込んだあの事件には、当時自身も関わっている。どころか、そこで活躍した四人のうちの一人がシドであり、以来『四雄』と讃えられるようになった切っ掛けそのものだった。

 その『四雄』唯一の現役魔導師でもあるからこそ、管轄外にも拘らずお鉢が廻ってきたのだろう。

 早急に調査し、必要とあらば現場の判断で対応せよとのお達しだが、正直乗り気ではなかった。そんなものはこの国の魔導騎士団がやれば良いことで、開拓が主立った仕事の『明くる朝』のやることでも、学園の長がやることでもない筈だ。

 いや、こちらへ廻ってきた理由は理解している。あの事件はその凄惨さが目に付くが、実際には国側の対応にこそ問題があり、早期に調査隊を派遣していればあそこまで酷いことにはならなかっただろうことは一目瞭然だった。だからこそ、情報が拡散して古傷をほじくり返されたくないのだろう。

 それに、当時あれに関わったアルモニアのお偉方が、民衆にひた隠しにしていることもある。何もしらない魔導騎士団の兵士を、大々的に国から派遣する訳にはいかない筈だ。

 また、組織の上層部に当時の「封印」作業に携わった者がいた記憶もある。今回の一件を知った彼らは内心脂汗を掻きながら、噂話の域を出ないうちに早急且つ秘密裏に処理し、そのうえで正式な調査隊を派遣するよう、同じく事情を知るその者らに依頼したに違いない。なんとも規模の大きな隠蔽(いんぺい)工作だ。

 何色にも染まらないガーデンとは逆に、何色にも染まるのが『明くる朝』だ。独立しているとはいえ各国とは持ちつ持たれつの関係である以上、こういう「お国の事情」が舞い込むことはしばしばあることだった。

(面倒な……)

 自分の尻くらい自分で拭けないのかと嘆いた。

 ギルド側からの協力は得られそうにない。あちらはあちらで今は凶暴化した魔物の対処に追われているし、寧ろそちらからも協力を要請されていたくらいなのだ。特に被害の大きな西と北には既に手を打ってはいるものの、それだけでどこかの手が空く状況ではなかった。

 シドが今動かせる手駒は別件で殆ど動かしている。となると自分が行くしかないのだが、こちらにも都合というものがあるのだ。

『俺が行こうか?』

 頭に声が響いた。

「馬鹿を言え。今お前に動いて貰ってはこちらが困る」

『ならどうすんだよ?』

 それを今考えているのだろうと、声なき声にも乗せず、言外に舌打ちした。

 どうすべきか。無視してしまえたらどれほど良いだろうかと、現実逃避ぎみに考える。

 秘密裏にとなれば、あまり人数は掛けられない。こちらはこちらでこの件に一般の魔導師を関わらせたくはないので、その点だけは都合が良かったが、タイミングの悪さがそれを上回っている為に苛立ちしか浮かばない。

 ふと、手元に纏められた園内報告書が目に付いた。中間試験の直前である今、その準備に追われている各学部だが、実習に外部との調整を要する学科は特に忙しなく、確認の印を押す書類だけでも既に机半分で山脈を作っていた。

 そこから抜き出し、空いたスペースに纏めておいた書類を手に取って眺めながら、顎に手を添える。

 先日の新入生クエストの一件で半ば予定通り(・・・・・・)アレン達を凶暴化の調査グループへと加えたが、今回の件に当てる訳にはいかない。あれからまだ数日しか経っていないので訓練も何もあったものではなく、アレンどころかノアでさえ、単独で任せるには心許なかった。イリスか、シャルが「力」を使いこなせるのならば問題はないだろうが、どちらにせよ今回の件は関係ない(・・・・)のだ。

 ついでにノアから聞いた話を思い出したが、それも今は関わりないことなので一旦は思考の隅においておく。

「……ふむ」

 使えそうな手駒へと思い至った。

 ちょうど良い、あいつらを使うか。現状でどの程度使えるかの物差し程度にはなるだろうし、本人達にとっても悪い話ではない筈だ。何せ、関わりの度合いでならアレン達よりも深いのだから。

(無いよりはマシ、程度のつもりだったんだがな……)

 静かに自嘲して、書類を机の上へ放るように置いた――



        †   †   †



『――う夜が明けた筈なのに、霧が収まらな――民の話では連日連夜続い――過去にもなく――』


『――態把握の為、霧の中を巡回した。危険では――が、敵の正体、数共に不明の為――』


『――巡回中に敵と遭遇。――は人の形を取っているが、身体能――異常なまでに高く、また外皮は人間と変わ――いものの、腹部に剣が刺さったままの活動ぶり――異様にタフだと思――。理性、知性といったものは感じられな――』


『――たにもう一体確認。――がやられた。姿形は同じく人――たが、男性を模しており、最初の一体よりも力が強く、素手で地面を砕い――』


『――退中、濃霧の所為で逸れてしまっ――向感覚がおかしい。やむを得ず空き家に身を潜める事に――』


『――時間は経った気がした。外出を禁じた住民の安否が気になる。あの力なら扉の施錠など――だが一箇所に誘導する時間がなかっ――どうしようもなかった――』


『――人間の居場所――るのか、化け物が窓に貼り付いてこちらを見た。だが一向に破ら――配はない。壊せない? いや、あれほどの腕――ら容易な筈だ。では何故? 解らないが、これは打開策と――』


『――このまま身を潜めるだけでは――が明かない。残った隊員が何人いるかは知らな――、みな新兵の筈だ。期待は出来ない。少しでも情報を集めなければ――』


『――再び屋外へ。――の化け物は諦めたのか、そこにはいなかった。屋根から見付からないよう――子を窺う。やはりあれだけではなかった。既にそこら中に化――』


『――霧の向こうに明かりが見――細な現在地は解らないが、随分と高い位置に――灯台か? いや、あの光り具合は家屋の――』


『――見付かった。数が多過ぎる。このままでは――』



        †   †   †



 どうにも寝付けないアレンは、ギルドの宿泊施設の屋上にいた。

 建物自体はそれほどでもないが、それでも大抵の家屋が眼下に収まるくらいには高さがある。そこから一望出来る街では、セフィロトの輝きでそれほど暗い夜を味わうことのないガーデンと違い、頭上から降り注ぐ月明かりが薄く光の幕を垂らすのみだった。

 夜も更けてきているというのもあるが、肌にこびり付く風は、弱々しくも息苦しさを感じさせる。

 『嘆きの丘の惨劇』については、シャルやノアのように細かくはないが、一応知っている。住民や近辺の街には既に今回の噂が行き渡っているらしく、あの事件を連想してしまって住民は外出を控え、外部からの人間が寄り付かなくなっているらしい。やけに街が静寂に包まれていたのはそれが理由だ。

 静まり返った宵闇には、靴底が建物の石面と接触している僅かな摩擦音さえ重く響き渡る。

 だからか、背後の気配にはすぐ気付いた。

「……なんか用か?」

「おや、てっきり阿呆のように呆けているのかと思ったが、意外と目は覚めていたようだね」

 軽口を言ったアルベルトがわざとらしく肩を竦めたのが解った。

 反応を示さないアレンに、小首が傾げられる。が、アルベルトではない。感じた気配は二人分あった。

「アレン、どうか……したの……?」

「……何でもないよ」

 最早当たり前にその隣にいるアリスに、静かに頭を振った。

「おおかた、さっきの話の事でも考えていたのだろう」

 短く鼻を鳴らしたアルベルトは、やれやれと言う。

「言っておくが、ここで君が何をどう考えようと解決はしないよ。あの男も言っていただろう。そんな事は近々来る調査隊にでも任せておけば良いのさ」

「……そうじゃねぇよ」

 予想が外れて、眉が寄った。

「なら、一体何について乏しい頭をフル稼働させていたんだい?」

 一々挑発的な台詞を選んでくるが、慣れているアレンの機嫌は損なわない。アルベルトは大概誰にだってこうなのだ。

「…………」

 すぐに答えないアレンに、急かす声はなかった。見慣れない様子を不審に思っているのだろう。

 その間に、アレンも言葉を選ぶ。

「……俺さ、初めて魔物と戦ったのは基礎学院の六年生だった」

 整理し切れていないのに、つい口に出してしまった。

「一時期世話になってたギルドにまた行くようになって、上級学院に上がるからって、前体験で大人と一緒に下級魔物の狩猟依頼を受けたんだ」

 イリスと出逢った日も魔物には遭遇しているが、あれはとても戦ったとは言えない。なのでその日が、アレンにとっては初めての戦闘だった。

「危なくなったら助けてやるってことで、とりあえず俺だけで戦ってみたんだけどさ、あん時は必死過ぎて、もう頭ん中グチャグチャだった。正直、すげぇ怖かったのを憶えてる」

 初めて魔物と相対すればその反応が普通だ。だがそれ以前の経験が、目の前から襲い来る恐怖をより肥大化させた。

「気付いた時には、相手が覆い被さってた。そいつはピクリとも動かなくて、その腹に俺が握ってた剣が突き刺さってるのがわかった。一緒にいた人に助け起こされてからようやく、『ああ、俺、生きてるんだ』って思ったよ」

 しばらく経ってからも、身体の震えが治まらなかった。血生臭さに吐き気がして、実際嘔吐すると、胃から出たモノと一緒に恐怖も吐き出された気がした。

「気分が落ち着いてから、その魔物をどうするのか聞いたんだ。毛皮は服を作る人に売って、肉や内臓の食える部分は食品業者に売るか市場の競りに出す。骨とか牙は装飾品か武具の製造業者に卸して、そういうのに使えない部分は、魔物の研究施設に安く売ったり、肥料の足しにするって言ってた。今回はそれが目的だからって」

 今回は。その言葉に何の引っ掛かりも覚えなかった。

「それから、言われたんだ。普通狩りが目的じゃない時に魔物と戦ったら、いちいちそういうことはしない。荷物になるし、魔物の死体は腐敗が早くて何もしなきゃ二、三日で土に還るから、自然を汚すこともない。だから必要な分だけ食糧にして、残りは置いとけばいいって。それが普通なんだって」

 そう、普通だ。当り前のことなのだ。誰だってそうしていて、だから自分も、これからはそうすれば良い。

 そう思って、そうしてきた。学園の実習で色々なクエストを受けたが、目的に拘わらず魔物は現れ、戦い、倒し、必要であれば糧とした。恐怖も血の臭いも、その中で自然と薄れていった。

「だから、あのマスターみたいな人がいるなんて思いもしなかった。あんな風に、なるべく殺さず、追い払うだけで済ませようとしてる人がいるなんてさ」

『――追い払うだけで済むなら、それでいいんじゃないかと思うのさ――』

 先刻聞いたこの言葉が、アレンの心に言い知れないしこりのようなものを生んでいた。

 考えもしなかったことだ。そもそもまず、追い払うという選択肢自体が自身の中になかった。命が懸かっているのだから、そんな余裕なんてある筈がない。

 いや、余裕ならあった。最初の頃はともかく、今は下級どころか中級の魔物との戦いでも心にゆとりを持てていた。にも拘わらず、向かってくる魔物を全て倒してきたのだ。

 ……そう考えたところで、またしても何か、魚の小骨のようなものがつっかえた。

「……君があの男の言葉をどう咀嚼しようと僕の知った事ではないが、」

 その感覚の正体を探っている間に、アルベルトが言った。

「敢えて訊いてあげよう。それで君はどうしたいんだい?」

 本人の顔は依然として背後にあるというのに、蒼い瞳が冷たくこちらを射抜いているのを感じた。

「彼の言葉に賛同して、これからは手心でも加えてやるかい? 別に止めはしないが、向こうが殺す気で襲ってくるのは変わらないと思うけどね」

「そういうわけじゃ、ないけど……」

「なら、下手な考えは持たない事だね」

 斬り捨てるように、言葉は続く。

「あの男の言い分は確かに聞こえが良いかもしれないし、同じように主張する連中がいるのも事実だ。まさに人間にしか出来ないお優しい考えで涙が浮かぶよ」

 皮肉たっぷりな台詞だが、嘲笑っているようには聞こえなかった。

「だが状況に応じて相手の生き死にを選ぶなどというのは、奪った命を全て背負う覚悟のない、臆病で傲慢な者の考える都合の良い甘えだと僕は思うけどね。そもそもの話、何故彼らは魔物の縄張りに踏み込んだ? 殺したくないのなら、最初から戦わなければ良いだろう」

「それは、開拓とかで……」

「世界の繁栄の為かい? 滅んだとされる、誰も実際に見たことのない世界の為に? そうだね、今でもそう信じている人の方が多いし、あの男もそれは間違いないのだろう」

 闇へと放る視線をどこへでもなく逸らしたのが見抜かれた気がした。

 滅んだとされる二つの世界へ生命の力を送る。あの巨大に過ぎる大樹はその為にあり、そして開拓という行為は、より多くの生命の力を生み出すべく世界を繁栄へと導く手段だとされている。そう信じているからこそ、多くの人々は危険へと踏み込めているのだ。

 だがそれは大人達の話だ。若い世代になるにつれてその意識が極端に薄れていっているのが目に見えて判るし、アレン自身、世界の繁栄について真剣に考えたことはなかった。

「けれど、君は本当に理解しているのかい? 世界の繁栄とは何かを。何故生き残ったこの世界に生きる者達を殺してまで、そうしなければならないのかを」

「……アル……」

「……何だって?」

 言っていることの意味が理解出来なくて、振り返った。

 そこにいたのはやはりアルベルトとアリスだ。間違いない。基礎学院から一緒で、何度か同じクラスで過ごして、上級学院では常にクラスメイトとして接してきた友人達だ。

 なのにアレンは、そこにいた二人に違和感を覚えた。

「世界の繁栄とは何を指す? 文明の発展かい? 人間社会による秩序かい? それは人間という種の繁栄とどう違うと言える? 人間が自らの生活領域を拡大し、他種族を殺すのは、果たして本当に世界の繁栄の為の犠牲と言えるのかい? ……殆どの人間ははっきりと頷けやしない筈さ、何せ知らないのだから。知らないが、それでも結局はそうだと口にする。そうする事が正しいのだと信じているからこそ、やり方に差異はあれど、盲目的なまでにし続けるだろう。これまでも、これからもね」

 ほんの数歩で並べる位置にいる二人が、遠く感じる。まるでそこへ至るまでの空間が、目に見えないところで酷く捻じ曲がっているかのようだ。

「僕自身、何が世界の繁栄なのか理解しているとは到底言えない。だが確実に言えるのは、僕はその為に魔物を殺すのではないという事と、魔物側はその解を知っている筈だという事だ。でなければ人間と同等以上の知性を有する彼らの上級種族は、とうの昔に同族殺しの報復に牙を向けているだろうさ」

「アル……」

 アリスが今一度、今度はほんの少しだけ強く、アルベルトの袖を引っ張りながら遮った。

「………?」

 二人の間で、蒼と灰の瞳が重なるその一点でだけ、沈黙という言葉が交わされる。その中身が解らないアレンは眉を寄せるしかなかった。

「……話が逸れたね」

 軽く息を吐いて、アルベルトは脱力したように肩を下げた。

「あの男も言っていたが、魔物は縄張りを侵した人間や他の魔法生物を喰らう。そして人間は開拓や生活の為にそこへ踏み込み、襲い来る魔物を、あるいは自ら進んで殺す。だがその先にあるのは世界の繁栄ではなく、人間という種の繁栄だ。つまり、人間側の目的が少し特殊というだけで、それは生存競争の一環なのさ。魔物同士でだって縄張り争いくらいするだろう?」

 毛皮を剥いで服にし、牙を砥いで武器にすることに、アレンはこれまで疑問を抱いたことはなかった。それが当たり前だったし、周りの人間も何も言わなかったからだ。だからこれまで数え切れないほどの魔物を倒してきても、襲ってくるから、依頼だからと何も思わなかった。

 そして、あのマスターのような出来るだけ魔物を殺さずに済ませたいと考えている人がいるのを知って、戸惑いを感じた。

 だがアルベルトは、それらの行為を世界の繁栄ではなく、種としての繁栄の為の手段、生存競争の一環だと言う。人間という種の特殊性から考えれば、直接血肉としなくとも、魔物の縄張り争いと変わらないのだと。

「魔法生物とそうでない者の垣根こそあれ、世界が分断してからの生物というのはそういうものだ。己が生きる為に他種族と争い、殺し合って、勝者のみにそれが許される。これらは本能に刻まれ無意識に認めてきた、互いが対等であるという証だと僕は考えている」

 それはまさに、弱肉強食の世界。種の存亡を懸けた争い。生物が自然と導き出した理だ。その理の中で生きるからこそ、対等だと言えるのだろうか。

「何も僕は、魔物を根絶やしにすべきだとか、そんな低俗な考えを持っている訳じゃあない。ただ、命というものは等しく同価値であるべきなんだ。対等で、そして生に真剣であるからこそ、生き残った側はどのような形であれ奪った命を背負わなければならないし、糧として犠牲となった命は怨嗟を抱かずにいられる筈だからね」

 犠牲。その言葉にアレンは、ほんの数日前の、古の火竜と出逢った時のことを思い出した。

 今自分達の生きるこの世界は、嘗て失われた多くの生命の上に成り立っている。だが殆どの人間はその自覚なしに日々を過ごしているのだと、あの時初めて自覚した。

 そして今日、普段何気なく生きるうえでの犠牲すらも当然あるものとして、自分が意識していなかったことに気付かされた。だからマスターの話に、余計に戸惑ってしまったのだ。

「だがそうではなく、あの男や同じ考えの奴らの言う余計な(・・・)犠牲の上に散々生きていながら、確かな事も言えない癖にこれからも世界繁栄などという曖昧な目的の為に自らの手でそれを強いる者に、殺さなくて済むならなどと口にする資格はない」

 しかし目の前で話す友人は、その犠牲を背負っている。アレンのように無自覚ではなく、マスターや他の多くの者のように曖昧でもなく、一つの確固とした信念の下に、確かに背負っているように感じた。余計な(・・・)犠牲など何一つないのだと、そう言わんばかりに。

「一つでも殺すのなら、一つも殺さずにいるべきではないんだよ、僕達人間という生き物は」

 空気が、言い知れない何かに震えた。

「アルベルト……」

 この少年は、一体何と戦っているのだろうか。

 何故、そんなに冷たい声で、「倒す」のではなく「殺す」と口にするのだろうか。

 その蒼い瞳には、一体今、何を映しているのだろうか。

「……一つ、聞かせてくれ」

 だがそれよりも、アレンはどうしても聞いておきたいことがあった。

 アルベルトは答えない。ただその沈黙が、アレンには続けろと言っているように思えた。

「魔物と戦うことが世界の繁栄の為なのか、ただの生存競争なのかはわかんねぇけど……」

 アルベルトなら、そう思った。これほどまでに確たる考えを持っている彼なら、この疑問に対する答えを持っているのではないか。

 だから、訊く。

「人間同士が争うのには、何の意味があるって言うんだよ」

 先日ルナから聞いたステラの過去。そして脳裏に蘇る、幼き日の忌まわしい感覚。

 盗賊のような、法を外れた者とのことではない。至って平和に暮らす、しかも幼い子供の中でのことだ。冗談や遊びとの区別すら曖昧なのだろうそれらは、しかし心を陰湿に、こびり付くように傷付ける。傷付けられる本人にとっては、深刻極まりない争いなのだ。

 それだけではない。決して少なくない数の人間が、ほんの些細なものから命に関わるほどのものまで、様々な状況下で日常的に誰かと争っている。遠い昔には大勢の人が戦争で殺し合っていたし、今は表面上落ち着いているが、先日のシドの話ではちょっとした切っ掛けで崩れてしまうかもしれないような、酷く危ういものなのだという。アレンが生まれる何年か前にだって、戦争まではいかずとも大きな騒動があったと聞いている。

 他の生物は、同族同士で争ったりしない。では何故人間という種族だけがそうするのか。そこに何か意味があるというのか。その答えが、幾ら考えても出てこなかった。

 だが、アルベルトなら或いは……

「…………」

 答えを模索しているのか、アルベルトは口元に手をやって考え込んでいる。

 ちらりと、視線が隣へ向けられた気がした。

「……悪いが、その問いに対する答えは持ち合わせていないね。君が何を思ってそんな事を訊ねたのかは知らないが」

「………そっか」

 少し期待していただけに、落胆は大きかった。

「訊きたい事はそれだけかい? なら僕は失礼するよ。長話が過ぎたようだ」

 踵を返して、アルベルトは屋内へと戻る。

 最中(さなか)に長い金髪を掻き上げ、

「明日も遅くはないんだ、あまり夜更かしするようなら置いて帰るから、そのつもりでいる事だね」

 そう言って、姿を消した。

 そういえば、結局何しに来たのかは判らなかった。

「……アレン」

 と、珍しく一人残った(本当に珍しかった)アリスが呟いた。

 綺麗な黒髪に隠された灰色の瞳が、アレンを見つめる。

「あんまり……難しく考えたら……だめ……」

 ゆっくりと、途切れ途切れに話すのは、彼女の内気過ぎる性格故だ。聞いている側が自然とそのペースに合わせてしまう為か、話の途中で遮るのは彼女が仕える幼馴染みしか見た覚えがない(そもそも他の連中とまともに話しているのさえ見たことがなかった)。

「アレンは、自分ができること……やりたいことを……やればいい……アレンなら、きっと間違えないから……」

 いつかどこかで聞いたような台詞に、少し面食らった。

「……そう、かな」

 けれどあの時と違い、それはすんなりと心に染み込まない。

 アリスには悪いが、今はとてもそう思えなかった。

 ルナとの会話からずっと考えていたのは、先程訊ねたことだけじゃない。それについて自分がどうすれば良いか考えたが、まるっきり答えらしきものが浮かんで来ないのだ。

「なぁ、アリス……」

「……なに……?」

 だからつい、訊いてしまう。

「頑張って頑張って、これ以上ないってくらい頑張って、それでも誰からも認めて貰えなかったらさ……どうする?」

「ん……もっと……がんばる……」

 ほんの僅かばかり考えて、すぐに答えてくれた。

「頑張り過ぎて、それが原因で誰かの夢を壊しちまって、そんで周りから完全に見放されたら?」

「ん………」

 今度は少しだけ、視線を下げた。その様がなんだか唸っているようで、こんな気分じゃなければ可愛らしく思えただろう。

「……それでも……がんばるしかない……と思う……」

 視線を戻した際に髪が流れて、絆創膏の貼られたおでこが覗いた(アレンもアルベルトも治癒魔法は不得手なのだ)。

「……諦めたら……全部が無駄になる……自分の努力も……奪った夢も……全部……なくなるから……」

「……だから、続けるしかない?」

 こくりと、アリスは頷いた。

「前に……アルが、言ってた……」

 人の一生などというものは、いつだって取り返しの付かないことばかりだ。

 だからこそ、一度心に決めたのならやり遂げる必要がある。

 認められないなら認めさせれば良い。

 何かを奪ったのならそれを背負えば良い。

 繋がるものが何もないのに途中で諦めるなどという行為は、それこそ全てを無為に帰す最も愚かな選択なのだと。

「そう、言ってたのか?」

 再びこくりと首が振られた。一体どのような流れでそう言ったのか、とても気になる。

「アレンは、そばにいてあげれば……いいと思う……」

 アレン自身の話かもしれないのに、アリスの言いようは別の誰かの(てい)だった。

「そばにいて……いつも通りのアレンで、いてあげれば……その子も……がんばれると思うから……」

「いつも通りの、俺……」

 三度、少女は頷いた。

「そろそろ……戻る……おやすみなさい……」

 考え込むアレンの返事を待たずして、アリスは去っていった――



        †   †   †



 ――アルモニア王政府に届いた報告は波紋を呼んだ。

 濃霧に包まれた街に正体不明の化け物が出現し、派遣した調査隊のうち、隊長他二名が死亡。生き残った兵士はアルモニア王国、及び魔導騎士団兵則に則り緊急特別権限を行使、住民への外出禁止令を発令したうえで、住民の警護と敵の情報収集を試行することを伝えた。

 そして速やかなる救援を要請されたところで、通信が途絶えた。

 念話の魔法は中級魔法の中でも習熟難度が高い。故に今回の調査隊で習得していたのは死亡した隊長のみだったが、それとは別に、編成された部隊には同様の性質を持つ魔導機械が与えられる。

 使用者の練度や体調次第で効力に差の出る魔法と違い、魔導機械とは一定の効力を使用者に依らず発揮可能なのが利点だ。生産性が理由で最大効力に劣るとはいえ、長距離用の通信機には『嘆きの丘』から王都までの距離程度なら十分すぎるくらい、強力な魔石が組み込まれていた。

 その通信が、途絶えたのだ。予想だにしていなかった事態は重役達と魔導騎士団長の背筋に冷たい筋を這わせた。

 住民、及び生き残った調査隊の安否は不明のまま。緊急会議では住民を一所に避難させるべきだったという空疎な意見も出たが、報告にあった化け物が複数いた場合、僅か数名で残った三分の二の住民全てを護れはしないし、またそれほどの人数を収容可能な場所の確保自体が難しく、移動にどれほどの時間を割けるかも解らないのだ。

 通信の時点では判明していなかったが実際化け物は複数おり、住民を家屋に立て籠もらせて自衛を促すという判断は、寧ろ新米にしては良くやったと賞賛すべき対応だった。

 敵に関する情報が不足していた為、適切な増援部隊の編成は困難だった。また当時、神殿騎士団との不和が原因で大陸中で起きていた暴動沈静化の為に、一般兵から魔導騎士団まで、多くの人員をそちらへ割いていたことも理由の一つだった。

 已む無く、アルモニア王政府はギルドへの協力を仰いだ。

 これを受理したギルド側は、さらに『明くる朝』へも協力を打診。ギルドより三名、『明くる朝』より一名、計四名の特級魔導師達が編成された救援部隊の許へ派遣された。

 特級魔導師とは、あらゆる組織に於いて共通する魔導師階級のうち、ギルド依頼難度Sクラス相当の任務の単独遂行を許された者を指す。真偽のほどは定かではないが、一説ではその実力は原種を除いた竜族の最上級種の群れとさえ渡り合えるとされている(上級種の群れなどまず見ないので、眉唾であることに疑いは持てないのだが)。

 本人達が自主的にパーティーを組むことはあるものの、それほどの魔導師達が、四人という少数とはいえ共同で派遣された事実に双方の持つ事態への深刻さが窺え、また同時に、アルモニア王政府に事態収拾への確証を与えた。

 そしてその期待通り、四人の魔導師達は彼らの肩の荷を下ろし、人々から「四雄」と讃えられるようになった。が、彼らの躍動ぶりはここでは語りきれないので、またの機会に存分に語ろうと思う。

 今回の事件について、公式記録には以下のように書き記されている。

 アルモニア王国軍魔導騎士団は、ギルド連盟、『明くる朝』の協力の下、正体不明の怪物の脅威に曝されていたダリルクレイ――通称『嘆きの丘』の住民、二百余名の救出に成功した。

 また救援部隊が魔導科学者、クロウリア=アイズロットの屋敷にて大規模な人体実験の痕跡を発見、怪物は行方不明となっていた住民達だったという事実が判明した。異常発生した霧はその活動補助の役目を担っており、長期間体内へ取り込んだ場合、人体に何らかの悪影響を与える恐れがあるとされた。

 王政府はダリルクレイの放棄、住民の近隣の街への移住を指示し、霧が完全に収まるまで魔法的な「封印」措置を施したうえで、立ち入りを禁じることを決定した。

 非道なる実験の犠牲者は百余名にまで上り、行方不明者の調査隊として派遣されていた魔導騎士団員六名の遺体は、遂に発見出来ないままとなった。

 なおアイズロット氏本人は、怪物討伐の際に故人となったことが確認されている――


 

        †   †   †



「『――クロウリア=アイズロットは世に名を残した人物だった。「嘆きの丘の惨劇」を引き起こした張本人として、残虐非道なる狂人として、人々の記憶に深々とその名を刻んだのだ。 リーヴス=ハイリップ』」

 寝転んだ男は本を閉じた。

「……つまんね」

 酷く不満げに、ごろりと仰向けになった。

「なんだかんだ言って全部読んだじゃん」

「だーって他にやることねーんだもんよー」

 呆れたように頬杖を突いているもう一人の男にそう言って、大の字に手足を広げる。

 天井は真っ黒だった。

「あー、なんかねぇかなー」

「ヒーマー」

 揃って、うだうだ。

「おっ」

 と、寝転んでいた男がそんな声を出した。

 反動を付けて起き上がる。

「いーいこと思いついた」

「なになに?」

 期待の眼差しを向けるもう一人の男に、ニヤリとした笑みが向けられる。

「まあ見てろって」

 床は、真っ黒だった。



        †   †   †



 我ながら柄にもないことをしたのは解っている。

 だから未だに気分は晴れず、纏わり付いてくる空気がいちいち鬱陶(うっとう)しいのだ。

 苛立たしげな雰囲気は案の定読まれた。

「……アル、さっきのは……危ない……」

 それも沈黙とかその類ではなく、窘める方で。

「……解っている。だから最後は(ぼか)したろうが」

 珍しく強気な語調(それでも表面的には大人しいが)にバツが悪くなったアルベルトは、視線を一昨日の(・・・・)方角へ逸らした。

 それでも言わなければ気が済まない自分の愚かしさが恨めしい。

「だがな、あいつが他の連中と同じようにいるのが面白くないのは、お前だって同じ筈だろう」

「それは……そう……けど……それとこれとは……別問題……」

「別なものか。自分が生きる世界の事だ」

 そうだ、自分達はこの世界で生きているのだ。生かされているのだ。なのに大半の連中は、そこに何の疑いも持っていない。知った側(・・・・)からしてみれば、それは酷く滑稽で、嘆かわしいほどに哀れな姿だというのに。

 別にアルベルトは、他の連中がそうであることについては正直どうでも良かった。気付けないのであれば一生そのまま過ごしていろと思うだけだ。

 けれど、アレンがそれらと同じように過ごしているのは我慢がならなかった。そんな奴に負けた自分が惨めにさえ思えてくるではないか。

「……知らなくていい……こともある……」

 アリスはやはり否定的だ。意外と彼女は、従者の癖に主人の意見に従順ではない。

「アレンは、知らなくても……いいこと……巻き込むのは……だめ……」

「そんなつもりはない。だがあのまま放って腑抜けて貰っても困るという話だ」

 あのままマスターの話に感化されて、手前勝手で矛盾した考えを持つのだけは御免だ。それは最早、アレン=レディアントですらない。

「大丈夫……」

 しかし、アリスはそう口にする。

 視線は前を向いている。正面からぶつかる風で(あらわ)になっている幼さの残った顔を、アルベルトは隣から見遣った。

「アレンは、きっと大丈夫……アルが、心配してることには……ならない………」

 風音が常に耳を打っているというのに、どこか確信に満ちた言葉はしっかりと届いた。

「……フン、どうかな。あれは案外、自分のことになると意思が弱いと思うがな」

「案外……でもないと思う……」

(……こいつは本当に、妙なところで辛辣だな)

 普段気弱な癖に変な部分で手厳しい少女に、アルベルトは口の端を僅かに引き攣らせた。

「まあ、あれ以上は何も言わないさ。言うなれば切っ掛けだ」

「気付くかどうかは……アレン次第……?」

「気付いたところで、あいつにはどうしようもないがな」

 そう、例えこれが切っ掛けでアレンが知ったとしても、何が出来るという訳でもない。こちら側(・・・・)へなんて来れやしないのだ。

 ならば、先刻の自分の行動に、自身の心的不満の解消以外の何かがあろう筈もないだろう。

「アレンは……そう…………でも……」

「?」

 今度は良く聴き取れなかった。馴染みのある少女の名前が聞こえた気もする。

 訊き返そうとしたが、

「……着いた」

 という言葉に遮られた。

 前方へ意識を戻し、アルベルトは緩やかに立ち止まった。

 眼前に広がる不明瞭な景色を、覗き込む形で見下ろす。

「どのくらい残っている?」

 傍らで同じようにしているアリスに訊ねた。

「帰りも含めたら……四時間くらい……アレン、朝早いから……」

「フン、殊勝な事だ」

 短く鼻を鳴らしつつ、実習中だろうと鍛錬を欠かさないことへの感心と、本人にとっては身に覚えのない疎ましさを声に乗せた。

 進む足を止めても、風は髪を荒らし回る。耳を(さえず)る音が実に不快だ。

「……欠片(かけら)の反応は?」

 眉を寄せつつも、視線は正面下方から外さない。

「わからない……ここからだと……あれが邪魔……」

 曖昧な答えと、その原因に苛立たしく舌打ちした。頼むのならもう少しマシな前情報くらい寄越して貰いたいものだ。

 頭上から降り注ぐ月明かりが、視線の先へと吸い込まれる。

「まあ良い、さっさと終わらせて戻るぞ。あいつが起きる前にシャワーを浴び直したい」

「お昼まで……寝ていい……?」

「どうせ明日は帰るだけだ。適当に理由を付けても何も思われないだろうさ」

「わかった……がんばる……」

 高く(そび)える岩壁の間を、風が鋭く穿(うが)つ。

 その先の、暗霧(あんむ)立ち籠める魔境から、溢れている。

 それは音だ。

 それは亡者の音だ。

 亡者に()り切れなかった者達の声だ。

 長い時を経ても消えない呪縛の中で、依然として蔓延(はびこ)る亡者達の、嘆きの叫びだ。



「まったく、この僕を顎で使うとは良い度胸をしているよ、あの男は」



 亡霊よ、待っていろ。

 お前達に一人残らず、安らかなる眠りと、その為の墓標を与えてやろう。



お久しぶりです。


今回の話は物語的には進展なしという、読者様方から刺されそうなことをしてますw

まあこれも必要な話なんです。受け入れよ←

今回でちょっとだけ、本当にちょっとだけ、エルスペロの世界の仕組みや歴史、その裏側について語ってみました。

それがどうアレン達に関わってくるかは……作者にもわかりませんw(嘘)

まああんま詳しく言ったところでなんで、その辺りはぼかしときますw

あとわかりづらかったかもしれませんが、今回時系列が多少前後してます。これはミスじゃなく敢えてですので、あしからず。


次話からは通常の時間軸通り、ステラ達の話が再開します。乞うご期待。


ではでは(`・ω・´)ゞ

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