第二話:『銃爪と爪痕』
上級学院の校舎数はとにかく多い。学生数はもとより、五つの学部とそれらに属する学科の数が尋常ではないからだ。少なくとも、学区のほぼ半分を占める敷地のそのさらに半分以上がそれらで埋め尽くされていると言っても過言とは言い切れないくらいには、数がある。
その数多ある校舎群は学部毎のエリアに区切られており、弧を描く敷地に沿う形で、南から芸術学部、技術学部、魔法学部、武術学部、医学部の順で、北へと続いている。医学部が最も北寄りなのは怪我人の排出度が高い闘技場が近いからであり(闘技場にも治療の為の設備や休憩室はあるが、大体は医学部に患者として搬送される)、それに武術学部と魔法学部が続いているのは闘技場の使用率が最も高いからだ。入学式などで生徒が一同に会する大講堂や学園長室もある『本棟』は魔法学部と技術学部の間で、研究院の校舎もここにあり、基礎学院は南西の校門に最も近い場所に位置している。
全ての学部には構造は違えど実習室と称される部屋が多数用意されており、生徒達は授業で学んだ専門的な技術をここで練磨する。
魔法学部と武術学部には、この他に訓練室と呼ばれるものがある。個人的な、或いは半集団的な技術を主とする二つの学部では、運動場ほどもある広い実習室よりもこちらの方が手軽に大勢訓練出来るのだ。
普段はこの時間が授業中ということもあってあまり人はいないが(授業のない生徒が使う時もあるが)、今日ばかりは実技試験当日ということで、訓練室のある広い廊下は大勢の学生達のざわめきで一杯だった。
無数にある訓練室の手前で列を作る生徒達。彼らは今、実技試験を受ける為に待機している最中だ。また、その傍を行く明暗截然たる顔付きをした生徒達は、ちょうど試験を終えたところなのだろう。
そのうちの一人、ディノ=エドガルド=セルヴァの表情は暗かった。
平均より少し上程度の総合成績で『学びの庭』に入学した彼にとって、中間試験とは他の大多数の生徒同様乗り越えなければならない関門の一つだ。連日連夜の試験勉強を終えてすぐ訪れた実技の復習という悪魔の使いに辟易している学友達と同じように、良く言えば優しい、悪く言えば少し気弱な印象を与える渋紙色の瞳には疲労が見え隠れしている。
しかしながら、その双眸を収めた同じく頼りなさそうな(既に何度となく断言されているが)表情が悲壮感すら窺わせるほどに暗いのは、たかだか定期テストの為などでは断じてなかった。
今朝方からだ。こんな歩く傍から地面に深々と足跡を刻んでしまいそうなくらい気分が沈んでしまっているのは、間違いなく今朝、眠気眼で寮の郵便受けの中身と掲示板を見た所為だった。
まず郵便受けの中にあった封筒を取り出して学生部からの物と確認し、続いて部屋へ戻るついでに掲示板に目を通した。学部別に分けられた掲示板の一番上の項目を読んで、エレベーターの中で欠伸混じりに封筒の中身を確認した。そして即座に襲った驚愕のしばらく後から、今のこの気分に苛まれ続けているのだった。
一体どうして。それが一度開いたエレベーターの扉が閉じようとした際、驚愕の残滓に浮かんだ言葉だ。驚愕した時は言葉すら浮かんでこなかった。
運が悪いのか、日頃の行いが悪いのか。どちらにせよ数千分の一という確率に当たってしまった事実に変わりはない。
いや、数千分の一の三乗か。
(あー、どうしよ……)
まったく、どうして選りにも選ってこうなってしまったのか。とディノは鈍い思考を涅色の頭髪と共にもたげる。
一乗目はまだ良い。いつかこんな日を迎えることになるかもと、入学式の直後にある程度の覚悟は済ませていたのだ。
ただ、二乗目と三乗目は納得出来ない。特に三乗目など誰かが意図的に仕組んだとしか思えないくらいだ。
二乗目でも頭を抱えたくなるというのに、まったく本当に……。
「あ、いた。ディノ!」
廊下を行く生徒達を掻き分けて自分の名を呼んだ声に、若干顔を顰めて振り返った。
華奢な身体を自分と同じ黒の制服で包んだ少女が、放った声と同じく人混みを縫って駆けてきた。
「もうっ、なんで朝先に行っちゃったのよ! 必修の教室にもいないし」
辿り着いたのとほぼ同時に少女の小さな口から飛び出したのが不満たっぷりの声だったので、ディノは気付かれない程度に息を吐く。
「最後の確認したかったんだよ。空いてる教室使ってた」
「なら一言くらい言ってくれてもいいじゃない。わたしだって――」
「……どうせすぐに飽きる癖に」
「なんか言った?」
ボソリと呟くと、葡萄茶色の大きな瞳があからさまな不機嫌さを帯びた。
「別に。それより試験どうだった? まぁフィーナのことだから赤点はないだろうけど」
「当たり前よ。ディノは人より自分の心配をしとけばいいの。……どうだったの?」
当然とばかりに腰に手を当てた少女は、片側を結った短めの葡萄色の髪を揺らしながらこちらを窺い見た。同い年の子よりも背が低いからか、それとも自分が少しだけ高めだからか、上目遣いのようになる。
「まぁ、なんとかなったよ。まだぎこちなさっていうか、違和感みたいのはなくならないけど……」
「……そっか」
答えると、少女は安堵なのか不満なのか判らない息を吐いた。
デルフィナ=ノビア=オリソンテ、フィーナは幼少からの友人だ。家族ぐるみの付き合いからして、幼馴染みという間柄にカテゴライズされるのだろう。ディノに付いてくるように一緒にガーデンへやってきたし、寮の部屋も向かい合わせになるよう選んだ(選ばされた)くらいだ。
彼女が、二乗目だ。正確にはその片割れというか、要員というか、要因というか……。
「……何よ?」
変わらず憂鬱な表情のまま視線を注ぐと、デルフィナも眉を寄せた。この眼付きになったら危険信号だ。さっさと取り繕わないと被害は肉体的損傷にまで及ぶかもしれない。
「いや、なんでも――」
すぐさま視線を外した直後、不意に響いた鈍く大きな音と共に校舎が僅かに揺れて、言葉を遮られた。
廊下にいた生徒達が、一斉に何事かと動揺する。
「なんだ、今の……? 地震か?」
「いや、向こうから聞こえたぞ」
慌ただしい声色に釣られて、その場の視線が一方向に向けられる。咄嗟に身体を寄せたデルフィナの肩に手を起きながらディノもそちらを窺い見ると、一つの訓練室の周辺が一際ざわめいているのが遠目に見えた。どうやらその部屋で行われている実技試験で何かあったらしい。
防音に加えてある程度の耐魔法・耐衝撃措置が施されているにも拘らず軽い地震並みに揺れるとは、中で何があったのか少し想像が付かなかった。少なくとも、自分が全力で壁に魔法をぶつけたとしても隣接する部屋くらいにしか音は届かないだろうし、校舎を揺らすなんてまず無理だ。
再び、ディノの思考が憂鬱に駆られる。
(いるんだな、世の中には……)
凡人には到底辿り着けない領域を易々と踏み越えていく、天賦の才を持った者が。
思えば、彼女もその一人だった。
「ビックリした。何があったんだろ……」
騒ぎのあった方へと視線をやりながら、デルフィナは寄せていた身体を離した。
「さあ。それより僕もう行くよ? 次戦闘学だから向こうの校舎だし」
「わたしだってそうよ。あ、っていうかこれ! もう見た?」
本来の用件を思い出したデルフィナは、制服のポケットからぐしゃぐしゃになった紙を広げて見せた。
すぐに自分が今朝読んだ物と同じ内容の紙だと確認して、ディノの気分は再び沈む。見たも何も、彼女の用件を察していたからはぐらかそうとしていたのにと、解決法を導き出せていないままの現状に心底うんざりした。
「……見たよ。一緒の班だね」
「……それだけ?」
「…………」
押し黙る。視線を俯けても見えるデルフィナの表情は、辛さと憤りが入り混じったようなものだった。それがまた、ディノの心に暗い陰りを生む。
「わたし、さっき先生に事情を言ってディノだけでも班替えを頼んだの。でもダメだって、そんな理由で班を替えてたらキリがないって。……そんなって何よ!? あいつがディノにしたことは――」
突然、言葉を切ったのと同時に、デルフィナの表情が変化した。
最初は驚いたのだろう。大きな瞳を納めた目が限界まで見開いた。そして、瞳に映った光景を脳が理解するのに時間が掛かったのか、また理解に至ったことで別の光景まで思い出してしまったのか、驚愕に満ちた幼い表情が、徐々に、明らかに、激情に染まっていった。
憎悪という名の、激情に。
まさかと、ディノは後ろを振り向く。
あったのは、知らない顔と、見知った顔だった。
知らない顔は二つ。一つは暗い緑の髪と眼をした男子のもの。もう一つはオレンジ髪に薄茶色の猫のような瞳の女子のもの。まだあどけなさの残ったそれらからするに、恐らくは同じ一年生だろう。
そしてデルフィナの見開いた目が、それ以外は本当に視界から消え失せているのではないかと思えるくらい凝視しているのは、残りの一つ、見知った少女の顔なのだと確信出来た。
いや、見知ったなんて程度のものではない。他の物が見えよう筈がない。その人物とディノが関わったが故に、ディノも、デルフィナも、そしてその人物自身も、狂った運命に引き摺り込まれたのだから。
ステラ=ユィ=エル=ティエラが、そこにいたのだから。
† † †
『―中途入学の試験まではまだ時間がある。それまでに気持ちを整えておけ―』
そう告げて、昨夜ルナとマルスは自治区に取ってある宿へと帰っていった。夕飯を一緒に食べ損ねたことでルナの頬が膨らんでいたのには、幸い(?)気付く余裕はなかった。
食事も摂らないままベッドに潜り込んだステラの頭の中では、姉と兄の言葉が延々巡り続けていた。
姉は、自分ならすぐに同期となる筈だった医院の生徒達を追い越せると言ってくれた。本当に自分にそんな実力があるかは分からないが、それはつまり、姉の期待でもあるのだろう。
兄は、そうすることが自分への罰だと言った。本当に一度逃げ出した場所へ戻ることが罰になり得るのかは分からないが、それはつまり、兄も自分がしたことを許していないということなのだろう。
ステラ自身、自分がしたことは長い歴史を持つ一族への冒涜だとさえ思っているし、″それもあって″こちらへ来たのだ。再び医者の道を歩むことが贖罪なのだとしたら、そうすべきなのかもしれない。
では、果たして本当に、元の居場所へ戻っても良いのだろうか。と寝返りを打って考えた。
マルスの言う通り、どこへ行こうとも自分がティエラの者であることに変わりはない。故にガーデンへやってきたばかりの頃は、これ以上一族の名を汚すまいとする想いでいっぱいだった。
そしてそれと同じくらい、自分の腕が人を救うのではなく壊すことに長けているという事実に、自身の『力』そのものに引け目を感じていた。医学部に入らなかったのも医学関連の授業を取っていないのも、みなその為だ。
だが今は――あの灰色の火山で命懸けの冒険をした今は、少なからず『力』に対する引け目に関しては気持ちが薄れていた。
言ってくれたのだ。こんな自分でも幸せを見付けて良いのだと。証明してくれたのだ。こんな自分でも誰かを救えるのだと。あの力強い緋色の眼差しが、自身の身体に纏わり付いていた錘を少し取り除いてくれたのだ。
だから、戻れと言われた瞬間、少し心が揺れた。
では何故、首をまっすぐ縦に振れなかったのか。
理由は、解っている。
『―あの事を、気にしているの?―』
朝、寝不足のまま実習の通知に、そこに記された名に目を通した途端、玄関先で答えに詰まっていたところへ掛けられた、去り際のルナ言葉が蘇った。
ステラが犯した罪は、何も身内にだけ影響のあるものではない。生命を一つ奪い掛けたのだ。当然、害を被った者には人生を左右するほどの影響を及ぼした筈だ。
それを忘れて、自分だけのうのうと元の暮らしに戻っても良いのだろうか。
実技試験の最中も、次の試験の為にリオンとミリーと一緒に移動している最中も、鼓膜を揺らす会話を弾いてそのことばかりが思考を占拠する。
仮に――もし仮に、害を被ったその人物や周囲の人達が、ステラが何事もなかったかのように医院へ通い出したのを知ったら、どう思うだろう。気にするな、過ちは誰にでもあると、過去のことは水に流して背中を押してくれるだろうか。
いや。間違いなく、怒りを露わにする筈だ。ふざけるな、あんなことをしておいてと、声を荒らげて拳を振り翳す筈だ。
――答えは、否だ。
戻って良い筈がない。それが自身への罰なのだとしても、それが彼への贖罪だなどと、一体誰が思えるというのだ。
現に、今目の前にいる少女は憤慨している。綺麗な瞳に憎しみを宿して、ステラを睨み付けている。彼女と彼の間柄を知っているからこそ、ステラにはその理由が良く解っていた。
「――お前ッ!!」
「フィーナ!」
「――ッ!」
葡萄色の光に身を包んだデルフィナが、掌に集まった同色の光の中から何かを抜き取り、襲い掛かった。一見して薙刀のような、槍の穂先が刃状になったような武器だ。
咄嗟に召喚した身を覆い隠しても余りあるほどの大剣で、ステラは振り下ろされた一撃を辛うじて受け止めた。
互いの刃が擦れ合う音と共に、デルフィナの怒声が廊下に響き渡る。
「どの面下げてディノに会いにきたッ!! 今更謝りにきたとでも言うつもり!?」
「ッ、……!」
重い。
華奢な身体からは想像出来ないほどの衝撃を加えた一撃ではなく、受け止めた先に見える葡萄茶色の瞳に満ちた怒りが、包み隠さず心に重く圧し掛かってきていた。
「お前なんか、ディノと同じ目に遭わせてやるッ!! お前なんか――」
「ちょ、ちょおっとストーップ! ナニナニ、何なのいきなりっ?」
「フィーナ、やめるんだ!」
ディノと、突然のことに一瞬思考が停止していたミリーが二人の間に割って入った。
「でもッ――」
「いいから!」
「ッ!」
押さえ付けるように両肩を掴んだディノにデルフィナは食って掛かったが、逆に怒鳴るような声で遮られて大きく肩を震わせた。
怯えたような表情にハッとしたディノは、思わず昂ってしまった気持ちを落ち着けて、言葉を選ぶように少しだけ間を置く。
「……こんなとこで暴れたら罰則受けちゃうだろ? フィーナの気持ちは嬉しいけど、それでフィーナが叱られるのは嫌なんだよ」
「でも……」
「僕のことは大丈夫だから。だから、ね?」
「………うん」
滅多に怒鳴り付けるような声を出さないディノに怒鳴られたことがショックだったのか、デルフィナがシュンとした風に小さく頷くと、薙刀は葡萄色の光と共に虚しく消えていった。それに合わせて、ステラも武器を仕舞う。
「ステラ、だいじょぶ?」
「は、はい……」
心配げな顔をしているミリーには声だけを返しながら、ステラはその肩越しに見える背中から視線が外せない。
涅色の髪。ステラよりほんの少しばかり高い背丈。我を取り戻した聞き覚えのある声は、良く言えば優しい、悪く言えば気弱なもので、記憶に刻まれているものと寸分違わなかった。
少年が、振り返った。良く見知った渋紙色の瞳が、端から見れば穏やかな光を放つ。
「……やあ。久しぶり、ステラ」
「……お久し、ぶりです」
半年ぶり以上の再会なのに、二人の挨拶はあまりにぎこちない。ステラに至ってはディノの瞳を直視出来ていなかった。
「ステラ、この人たちは?」
「あっ、と、その……」
その様子には特に言及せずにリオンが訊ねたが、ステラは一層気拙そうに視線を泳がせるだけだった。
「驚かせてごめんなさい。僕はディノ。こっちがデルフィナ。ステラとは……基礎学校の時のクラスメイトなんです」
少し間の空いた言葉に、デルフィナの表情が不機嫌そうに曇った。
「ってことは同じ一年生か。あっ、アタシ、ミリアム。ミリーでいいよっ。こっちはリオン君」
それに気付かなかったミリーは、二人の名前を聞いた途端ディノの眉がピクリと反応したので、不思議そうな顔をする。
「ああ、いや。えっと、まだ通知は見てない……のかな?」
「通知?」
「うん。僕ら、実習で同じ班になったんだけど」
「えっ、ホントに? ステラ、知ってた?」
「………はい」
僅かな間と共に返したステラの表情は、やはり気拙そうだ。
「なぁんだ、アタシたちも一緒だったんなら早く言ってくれればいいのに」
「それは、その……」
軽いイジワルでもされたかのような声に、言葉を濁す。
確かに、二人は基礎学校時代のクラスメイトだ。だがこの再会は、ステラにとってまったく思い掛けないものなのだった。
実はステラは、彼らがガーデンへやってきているのを知らなかった。
三人が通っていた基礎学校は医療学院に付属する形で成り立っているので、殆どの卒業生はそのまま医療学院へ進学する。あの時以来会っていなかったとはいえ、まさかディノ達も自分と同じようにこちらへやってきていたなどとは欠片も思っていなかった為、通知を見た際、そこに二人の名前があったことに二重に衝撃を受けたのだ。
とはいえそれも半信半疑で、もしかしたら同姓同名が偶々二人被っただけなのかもしれないと、微塵も有り得よう筈がない可能性を抱いていたところへ、見覚えのある後ろ姿を見付けて立ち尽くしてしまったのだった。
「あの――」
「どうしてここにいるのか……って顔、してるね」
「…………」
先を読まれて、また視線を逸らしてしまった。そんなに分かり易い顔をしているのだろうか、今の自分は……と思わず確認したくて顔に伸ばした手を胸の辺りで留めて、小さく握った。
だが……。
「どうして……?」
先に言われて、それでも訊かざるを得ない。
何故、彼らは医療学院ではなくこちらへ来たのだろうか。
ディノの家もデルフィナの家も、それなりの名家だ。地の大陸に於ける名家とは多くが医療方面での功績を認められた家系を指し、二人の実家も、ステラほどではないがそれに当たる。
そんな二人が医療学院ではなくガーデンへやってきている理由が、ステラには解らなかった。ガーデンにも医学部はあるが、必修の実習で同じ班ということは二人とも魔法学部なのだろうし、他学部の授業も受講出来るとはいえ、医療学院付属の基礎学校に通っていた彼らが態々こちらで医学を学ぶ必要性はないのだ。
それに、ディノだ。彼が今この場にいることこそが、ステラには最も信じられなかった。
「どうして、ですって?」
震える声で、デルフィナが訊き返した。
熱と冷気を同時に帯びた葡萄茶色の瞳が、ぞっとするような眼差しでステラを見る。
「……最近調子がいいらしいじゃない。聞いたわよ、新入生クエストの話。いいご身分ね。何も知らずにのうのうと、もう新しい生活に溶け込んでる」
「……フィーナ」
「でもね、どんなに『今』を取り繕ったって、お前の『罪』は決して消えない。お前がしたことを、わたしは絶対に赦さない」
「フィーナ!」
「だってディノッ!」
再び噛み付いたデルフィナに、ディノは小さく首を横に振った。
「……ッ!」
まだ何か言いたげだったが、デルフィナは下唇を噛み締めて納得いかないとばかりに顔を逸らした。その様子に、ミリーが困惑したように眉を寄せた。
「……どうしてって話、だったよね」
少し息を吐いて、先程の問いにディノが答える。
「別に、たいした理由なんかないよ。ただこうなるべくしてなった、ってだけで、誰が何を言ったってどうしようもないことなんだ。それに、これは僕自身が選んだ結果でもあるんだ。だから、君が気にするようなことじゃない。それが僕の答えだよ」
穏やかとは違う。どこか諦観したような、しかし別の何かを表情と言葉に秘めていた。
もう一度、何かに対して、ディノは首を振る。
「……もうこの話はやめよう。それより実習だけど、準備は各々で整えない? まだ実技が残ってるから集まるヒマもあんまりないし、フィーナもこんなだし」
「こんなって何よ。言っとくけど、わたしは端からディノと二人で準備するつもりだったんだから。何が悲しくて学園の外でまでコイツと会わなきゃいけないのよ」
ステラには視線を一切向けずに返したデルフィナに、ディノは「ほらね?」とばかりに肩を竦めてみせた。
「そっちの二人はどうかな。まぁ君たちにとっては訳のわからない状況だと思うけど……」
「うん、ぜんっぜんわけわかんないよ。どうする、リオン君?」
困惑した表情のまま、ミリーは投げやりぎみに訊ねた。
「僕は別に構わないよ、その方が円滑に進むなら。ステラは?」
「……大丈夫、です」
だってさ、といった風に、リオンの視線がディノへと移る。
「うん、ならそういうことで。それじゃお互い次の試験もあるし、そろそろ。誰かさんの所為で集まった視線もいい加減きついし」
「あ、はい……」
言われて初めて、ステラは自分達が廊下にいた生徒達から一斉に注目を浴びていることに気が付いた。
こんなところで斬り合って大声で怒鳴り散らしていたのだ、当然だろう。寧ろそろそろ移動しないと、騒ぎを聞き付けた風紀委員が駆け付けてくるかもしれない。
「それじゃ」
ステラの横を通る形で、ディノが歩き出した。その背中にしがみ付いたデルフィナが、敵意剥き出しの眼をしながらわざとらしく顔を背ける。
「あのっ!」
通り過ぎて少し経ってから、ステラは遠退く背中を呼び止めた。
振り向かず、ディノは歩みだけを止めた。
止まった後ろ姿に向けて、口を開く。
「っ、……」
だが、声が出ない。掛ける言葉が見付からない。自分が何を言いたいのかが解らない。
いや、言いたい言葉はあるのだ。訊きたいことはあるのだ。ただそれを伝えるのが、訊ねるのが怖くて、喉の筋肉が攣ってしまうのではないかと思えるくらい強張ってしまっていた。
そのうち、ディノがまた歩き出した。デルフィナは相変わらずこちらを見ようともしない。
何も言えないまま、二人の姿は廊下の角へと消えていった。
「うーん、なんだか前途多難の予感?」
「……みたいだね」
困ったような顔のミリーに返しながら、リオンはステラへと視線を注ぐ。
息の詰まったような表情を俯けた少女は、胸に手を置いたまま動かない。まるで息と一緒に時間まで止まってしまったかのようだ。
それを見ながら、ある言葉が頭に浮かんだ。
(『罪』、ね……)
† † †
「ディノ……ねぇディノったら!」
「………」
七度ほど呼んで、ようやく前を行く背が立ち止まった。
いつの間にか早歩きになっていた所為で少し乱れた呼吸を整え、デルフィナは窺い見るように訊ねる。
「無理、してない?」
「……してないよ」
振り向かないまま返してきたが、肩の震えは隠せていない。少し下側に移した視線の先で右腕がきつく掴まれているのを見て、眉を寄せた。
(嘘ばっかり)
納得いかない。何故ディノがこんな辛い想いをしなければならないのだ。それはあの女の役割の筈なのに、あいつはいけしゃあしゃあと新しく出来た友人達と楽しい学園生活を過ごしている。こっちにあのことを知っている奴がいないのを良いことに、自分の『罪』を忘れて新しい生活に溶け込んでいる。それがこれ以上ないくらい心の中を引っ掻いていた。
(ムカつく……ムカつくムカつくムカつくッ)
入学してまだ一月半だというのに、同学年ではあの女(と緑髪のチビ)の噂が蔓延している。噂の元は新入生クエストでSクラスを成功させたというものだが、そこから拡がってやれ可愛いだのやれタイプだだのと話題になっているのだ。必修のクラスでも鬱陶しい男子どもが顔を寄せ合って話しているのを見掛けたが、顔が赤くなっているのがバレバレで、見ていて気持ち悪いったらない。
(何よ、ちょっと顔とスタイルがいいからって……)
確かにあの幼いながらも整った顔は、この年頃の男の子にとって好み易いのかもしれない。背丈だって同年代にしてはスラッとしているし、胸は……言葉にしたら負けだと思うので詳細は省くが、まあそこそこだと思う。これら外見に関しては、私情を挟んだうえで、美少女に類されることは認めてやる。
けど! それでも! クラスの男子どもはあいつがどんな奴なのか知らないから、だからあんな間抜けな顔が出来るのだ。あいつの本性を知ったら次の瞬間から苦虫を噛み潰したようになるに違いない。
いや、まあクラスのバカな男子どもが誰に現を抜かそうが、そんなことはどうでも良いのだ。どうぞ思う存分好きなだけ呆けていてくださいさようなら、とバッサリ切り捨てて、デルフィナは一番ムカつくものへと思考を戻す。
ディノだ。ディノが辛い想いをして、ディノが苦しいのを我慢して、ディノが嘘を吐いてまであいつを庇うのが、最も不愉快なのだ。不快なのだ。まるでゴミ溜めに顔を突っ込んだような感じがするのだ。
「ねぇ、もう一度先生に班替え頼みましょうよ。あんなのと一緒だなんてわたし……」
ディノが、という部分を省いた言葉に、当人はやはり、首を横に振る。
「もう一度言っても個人的な理由には変わりないよ。それに、やっぱりきちんと向き合わなきゃ」
そう言って、また歩き出した。
言葉は返さずに、デルフィナも追い掛ける。
「……ねぇ、フィーナ」
「?」
徐に掛けられた声に、首を傾げた。
少しの間、言葉を待つ。変わらず前を向いたままの口が何やら言い掛けては閉じる様を、背後から顎の動きだけで見て取る。
結局、何かを諦めたように小さく息を吐き出して、
「………ごめん」
「ッ……!」
何が、が省かれた謝罪をしてきたので、下唇を噛み締めた。
(ムカつくッ!!)
声には出さずに思い切り吐き出すことで、今すぐ来た道を駆け戻ってやりたい衝動をなんとか抑えることが出来た。
† † †
放課後。
時間割の都合で一足早く試験初日を終えたアレンは、商業区へと繰り出していた。
「えーっと……?」
食料品店が犇き合う中を、メモを片手にさ迷う。内容は、今晩と明日の献立だ。
品揃えの豊富さは多少劣るが、五桁もの学生が暮らしているので、学区にも生活に必要な物を揃える為の商店はある。それに路線電車で移動出来る学区内と違い、周辺四区は本数の少ない路線馬車と徒歩しか移動手段がない為、態々こちらへ出てきてまで食材を買う必要はないのだが、偶々『外』(学生達の間では、学区と中央区を『中』、周辺四区を『外』と呼称している)に用事があったのを幸いに、イリスからお遣いを頼まれたのだ。
手製の買い物袋を提げてメモに目を通しながら進む雑踏は、夕飯前の買い物客で少し込み合ってきている。ところどころで、家事に勤しむ御婦人方の井戸端会議に談を咲かせている姿が目に入った。
イリスも用事で遅くなると言っていたので今晩は簡単な料理で済ませるようだが、専用のスパイスなどが含まれているところを見るに、明日の夕食はカレーらしい。多分夕食後に仕込んでおいて、一晩寝かせるのだろう。
「…………」
考えただけで腹の虫が呻きそうになって、思わずお腹を摩った。とっとと済ませて帰ろうと大袈裟に決意する。
と、
「――んんッ!?」
つい今し方通り過ぎた道にあった違和感に、振り返った。
振り返った先に映ったのは、井戸端会議真っ盛りの主婦達だ。別段、変わったところはない。
「まあ、そうなのですか? それは私、存じ上げませんでした」
そこに、明らかに歳の離れた栗色の麗女が加わっていること以外は。
「あら?」
呆然としていると、ルナがこちらに気付いた。
「……何してるんですか、こんなところで」
「経験豊富な人生の御先達から、色々とお話を伺っておりました。ためになるお話を沢山教えて頂きました」
陽気な笑顔で去っていった御婦人方にお礼を言って、アレンの問いに答えた。会釈一つ取っても所作が流麗に過ぎるのは、シャルが紅茶を啜るだけでも気品を感じさせるのと同じで、大貴族の娘が故なのだろう。
「それで、貴方はどうしてこちらへ? えぇと……」
「アレンです。アレン=レディアント」
手助けしてやると、ルナの表情が思い出したような笑顔から困った風の微笑みに変わる。
「そう、アレン様。申し訳ありません、どうも人の名前を憶えるのが苦手なものでして。アレン様は何故こちらへ? 確か学区内にも商店はあったと思いますが……」
「ちょっと用事があったんで、そのついでですよ。あの、何でもいいですけど『様』ってのはやめてくれませんか?」
なんだか背中がむず痒い感じに苦い顔をすると、ルナは今度は何かを思い付いたような笑顔で両の指を合わせた。
「でしたら、アーくんなどいかがでしょう? それともレンレン?」
「いや、普通にアレンにしてください……」
「ところでアーくん、実は私、少々困っておりまして」
「…………」
抗議虚しく、どうやら彼女の中ではアーくんで固定されてしまったらしい。それにしても、相変わらず困っているようにはまったく見えない。
「私とマルスは自治区の宿に宿泊しているのですが、どうにもこの辺りの地理がわからなくて」
「迷ったんですね?」
「そうとも申します。もっとも、先程の御婦人方から行き方は教えて頂いたので、自力で帰る事は出来るのですが」
「なら、何に困ってるんですか?」
帰り道が解るなら困るようなことなどないだろう。まっすぐ帰路に着けば良いだけだ。それとも別の件で問題が発生したのだろうか。
ルナは頬に手を当てる。やはり、困ったように。
「道はわかるのですが、やはり一人孤独に帰るのもどうかと思うのです。勿論、久方ぶりに訪れた街の風景を眺めながら帰るというのも乙なものですが、陽が傾き始めたこの時間に女性が見知らぬ土地を一人歩いていて、悪漢にでも襲われたらと思うと……。ですが、偶々もう一度お逢いしただけの殿方に態々遠回りして頂くのも少し気が引けまして……」
何が言いたいのかは大体解ったが、アレンはとりあえず敢えてツッコんでみる。知り合ったばかりなので、少々柔らかめに。
「大丈夫ですよ。ここは治安がいいから悪漢なんて出ませんよ」
「そうでしょうか? 男性はみな野獣だと伺ったことがありますよ」
一体この人は普段どんな人物から知識を植え付けられているのだろうか、とアレンは乾いた笑いを零した。
「でも、なら俺も野獣ってことになりますけど?」
「いえいえ、貴方はその点に関しては問題ないと思っておりますので」
何を根拠に……と思ったが、野獣扱いされるよりはマシだと思ったので反駁はしなかった。
代わりに、溜め息を吐き出す。
「……わかりました、お供させてもらいますよ」
「よろしくお願い致します、アーくんっ」
ご機嫌よろしく、ルナは歩き出した。
「………はぁ」
どうやら、夕飯は遅くなりそうだ。
自治区方面行きの馬車は残念ながら時間が遠かったので、茜色に染まりつつある街を、二人は歩いて北へと向かっていた。
商業区のこの辺りは、軒並み続いた食料品店から、酒場や飲食店へと趣が変わっている。住人の半数以上が学生を子に持つ親とはいえ、街で働く者達の半数以上が自宅で食事を摂ったところで、この時間帯の喧騒は衰える気配を見せない。
「活気があって良い所ですね、この街は」
周囲から飛び込んでくる笑い声に、ルナが感慨深げに呟いた。
「これでもまだ大人しい方なんですよ? ほら、今試験中だから」
「ああ……」
そう、今は仕事を終えた大人達が殆どだが、普段は授業を終えた学生達が主役なのだ。なにしろここは、学園都市なのだから。
青春を謳歌し、自らの力で、自らの望む者になるべく、自らを練磨する。それはとても平凡なことであり、同時に非凡なことでもある。だからこそ、それを当然のように出来るこの場所は、掛け替えのない場所なのだ。
「……本当に、良い所ですね」
呟いた言葉に乗せたのがどのような感情だったのか、乗せたこと自体に気付かなかったアレンが知る由はない。
「地の大陸……っていうか、ルナさんたちの故郷はどんな感じなんですか?」
「あら、私の事でしたら、どうぞルーちゃんとでもお呼びくだ――」
「ルナさん」
問答無用で被せると、ルナの笑顔が固まった。
「……ルーちゃ――」
「ルナさんっ」
「もうっ、アーくんは案外融通が利きませんのね」
「ほっといてください……」
膨れっ面を傍目に、アレンは溜め息を吐いた。後輩の姉と「アーくん」「ルーちゃん」で呼び合う仲になったなどと知れたら、いったいどんな目に遭うか解ったものではない(誰に、かは敢えて伏せておく)。
ルナはしばらく剥れていたが、やがて頬の膨らみを萎ませた。
「……私達の故郷は、首都アルドハイナという街です。他の街からは『機械都市』などと呼ばれておりますが、御存じでしょうか?」
「いや……」
地理は暗記系なので、苦手科目の一つだ。もっとも、他大陸の首都くらい憶えるというほどのものでもない筈なのだが。
とはいえ、ルナは特に気にした様子もなく続ける。
「街の至る所で機械が利用されているのです。機械だけで動く物もあれば、魔導機械もありまして、それらが移動手段や教育施設、商店などに用いられ、市民の生活をより便利なものとしているのですよ。その技術の一部はこちらへも流れておりまして、例えばこの街でも使われている電話という通信手段は、元はアルドハイナで開発された技術なのです。都市外への通信に専用の物を使う必要のあるこちらと違い、首都圏内だけとはいえ一般の電話機でも他都市との通信が可能など、運用出来る技術力に差はありますが」
「へぇ、いいとこなんですね」
アルドハイナで使われている機械がどんなものなのかはイマイチ想像出来なかったが、電話という身近な物を例にすれば、魔導科学に詳しくないアレンでもある程度技術力の差は解った。それほど技術が発達しているのなら、街での暮らしは一層快適なものなのだろう。
なので、決して相槌を打った訳ではなかったのだが、
「そう、思いますか?」
返されたルナの声は、再会した時より一段も二段も低かった。表情に、それらを誇る色は見えない。
「ルナさん?」
何だろう。微笑んでいるのには変わらないのに、どうして……。
眉を寄せていると、ルナはゆっくりと頭を振る。
「……いえ、何でもありません」
再び視線が交わった時には、表情の違和感は消えていた。
「ところで、あの子はどうですか? こちらで上手くやっているのでしょうか」
「ステラですか?」
「はい。聞けば、初めての野外実習で同じ班だったとか」
一体誰に聞いたのだろうか、と思ったが、そういえば昨日ステラの家に行くと言っていたのを思い出した。
ぶら下げた買い物袋の持ち手を握り直して、アレンは中空へと視線を漂わせる。
「上手くやってるのか、ってのはわかりませんけど、シャル……同じ班だった奴はステラのおかげで助かったって言ってました」
「そうですか……」
言いながら今度はアレンの表情が曇ったが、視線を地面に移したルナに気付かれることはなかった。
「……あの、ステラって向こうでも今みたいな感じだったんですか?」
「え?」
「いやだから、あっちでも無茶ばっかしてたのかなぁって……。あいつ自分をいじめるみたいに頑張るから、仲間の一人なんか特に心配しちゃってて……」
勿論アレンを含めた全員が(あのノアでさえ)心配しているのだが、他人の辛さを自分の辛さに換えてしまう紺青色の少女は、特に胸を痛めているのだ。
「そうですか……あの子が……」
何か思うところがあったのか、ルナは少し物憂げに眉を下げた。
「……アーくんは、あの子がこちらへ来た理由を知っていますか?」
「いや、詳しくは……」
アレンが聞いたのは、向こうで誰かが死に掛けるような事故を起こしてしまい、それが原因で医療学院ではなくこちらへやってきたということだけだった。
それを受けて、ルナは思い出すように語り始める。
「……あの子は生まれつき、とても才能に溢れていました。自分で言うのも何ですが、私はこれでも、長い歴史を誇る医療学院の中でも百年に一度の逸材と言われておりましたし、弟のマルスも十年に一度の秀才と周囲から期待されております。ですがあの子は、千年に一度、あるかないかの才能を、確かに内に秘めて生まれてきたのです」
なんだか仰々しい物言いだなと思ったのが伝わったのか、弱々しい微笑みと共にクスリと笑われた。
「大袈裟だと思われるかもしれませんが、決して針小棒大ではないのです。あの子の腕力が異常に強いのは、授かった加護が強過ぎて、自然体でいても肉体が強化されてしまうからですし。腕は最も感覚が鋭敏ですから」
人間の肉体は、腕部が最も魔力を捉え易く、脚部へ近付くにつれて捉え難くなっている。肉体的な構造の問題もあるが、意識を司る脳に近いほど捉え易いというのが一般的な見解だ。
なるほど、確かにあの腕力は肉体強化並みのものだし、それを幼少の頃から自然体のまま発現出来る者など、まずいないだろう。
「勿論、加護の強さだけではありません。あの子は本当は、とても聡明な子ですから。ですが、あの子自身を含め、その才能に気付いた者は殆どおりませんでした。私やマルスという、先に現れた才能に目が眩んでしまっていたのです」
(………?)
またしても、僅かにルナの微笑に違和感を覚えた。だがその正体が、アレンには解らない。
「良い成績を修めても比較され、決して認めて貰えない。それでも基礎学校の一般科目では常に学年のトップであり続けました。気の弱いあの子なりに、必死だったのでしょうね」
けれど……と続けて、一拍間を置く。
「……けれどあの子にとって、それが余計に自身を追い込む結果となってしまったのです。そしてその結果が、あのような事件を引き起こした銃爪となってしまったのでしょう」
黄昏時の街を通り過ぎた風が、栗色の髪を弱々しく薙いだ。