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銀色の虹の果てに  作者: ぺんぎ
第一章
11/24

第八話:『それぞれの想い』

 翌日の昼が少し過ぎた頃。

「あ、暑い……」

 午前中に何度か魔物に遭遇しながらもキネリキア山脈へと辿り着いていたアレン達は、身を焼かれるような暑さに既に心が折れそうだった。

「き、昨日までと全然違うんですけど……?」

 歩を進めながら、こんな話は聞いてないとでも言うようにアレンが呻いた。

「どっちかっていうと、これが普通なんじゃないかな?ヴァルカノもこんな感じだったし……」

 アクアは弱々しい微笑みを浮かべながら手でぱたぱたと扇ぐが、汗だくの顔に吹き付けるのはただの熱風以外の何物でもなかった。

「ひょっとして、ヴァルカノより暑いんじゃないですか、これ?」

「まぁ、活動は殆どないが、一応は火山地帯だからな」

 流石のノアもこの暑さには参ったようで、リオンに返した言葉にはいつもの鋭さが感じられなかった。

「イリスせん……さん、大丈夫ですか……?………イリスさん?」

 まだ慣れない呼び方で掛けた声に返事がなく、ステラはゆっくりと後ろを振り返った。

「…………」

 一行からかなり離れた場所に、銀色の何か(・・)が落ちていた。

「――きゃああぁあああ!?イリスさん!しっかりしてくださいっ!!」 

「……あ……つい………」

 それ(・・)が何なのか理解して一気に青ざめたステラは、悲鳴を上げて慌てて駆け寄った。

「もう、仕方が無いわねぇ。ステラ?イリスのリュックを貸してちょうだい」

 見兼ねたように、シャルが溜め息を吐いた。

「確か……」

 シャルはリュックを受け取ると、探るように手を突っ込んだ。

「……あった!ほらイリス、飲みなさい」

 差し出されたのは、薄い水色の液体が入った小さな小瓶だった。

「それは?」

「『冷水薬』よ。身体を冷やしてくれる魔導薬。準備期間中にイリスに作らせておいたの」

「う~ん……」

 肩を竦めながらそれを飲ませると、僅かに呻き声が上がった。

「あっ、気が付きましたよ」

「ステラ……?」

 ステラは意識を取り戻したイリスを覗き込むように窺う。

「気分はどうですか?」

「あ……なんか、涼しいかも……っていうか」

 ムクッと身を起こし、確かめるように自分の身体を眺めたイリスは、

「……おぉ~っ!暑くないよ!全然!これっぽっちも!」

 歓喜の声を上げて飛び跳ねた。

 すっかり戻った朗らかな笑顔に、ステラは安堵の息を漏らした。

「……ですが、あんな物があるならどうしてもっと早く使わなかったのですか?」

 それこそヴァルカノに着いた当日に使っても良かったのでは?と首を傾げる。

「あまり時間が無かったからそんなに数が無いのよ。だから本当はもう少し進んでから使うつもりだったの。まぁ、作った本人は存在自体忘れてたみたいだけど……」

 流石のシャルも、倒れられては使わざるを得なかったようだ。

「はーっ!自分で作っといて言うのもあれだけど、すっごい効くよこれ!」

 完全に回復したようで、イリスは満面の笑みを浮かべながらまだピョンピョン跳ねていた。

 その様子に、シャルがニヤリとした笑みを浮かべる。

「じゃあイリス、私達の荷物お願いね?」

「えぇっ!?」

「当たり前じゃない、一人だけ涼しい思いしてるんだから。はい、これ」

 完全に意表を突いた言葉に愕然となったイリスに、シャルは容赦なく背負っていたリュックを突き付けた。

「えっと……ごめんなさい、イリスさん!」

「ステラも!?」

 僅かに逡巡するも、ステラも自分の荷物を手渡して逃げるように先へ進んだ。

「……アクアぁ~」

「ごめんね、イリスちゃん。わたしのはそんなに重くないから」

「そんなぁっ……!?」

 僅かな希望を抱いて微笑みの女神に助けを乞うたが、女神は荷物を差し出しながらにっこりと微笑んだ。

「いやぁ、悪いなイリス」

 それに続いてアレンもリュックを肩から外そうとしたが、

「何言ってんのよ。あんた達は自分で持ちなさい」

「えぇっ!?」

 シャルにピシャリと止められた。

「まさか、ウチの男共は女の子に荷物を持って貰うような情けない連中じゃあないわよねぇ?」

 ボゥッ、と掌に宿った炎に、アレンとリオンの顔から血の気が引いていく。

「……さ、さぁ!先を急ぐかぁ、リオン!」

「そ、そうですね!まだまだ先は長いですしね!」

 即座に方向転換し、二人は足早にその場を離れていった。

「…………」

 特に何を言うでもなく、ノアは常の通りにそれに続いた。



    †   †   †



 キネリキア山は開拓こそ最近に行われたが、実際に人間が足を踏み入れ始めたのはかなり昔のことだ。

 火の大陸の北部と南部を行き来する為にウォール山脈を通らなくてはならないことに起因するのだが、殆どが未開拓地域のこの巨大な山脈にある幾つかのルートのうち、実は相当数がこの山を通る道を選んでいた。

 その最たる理由が、『紅蓮華(ぐれんか)』だ。

 『紅蓮華』は魔草という魔石と同じ仕組みを持つ植物に属し、その根や葉には火属性の魔力が蓄えられている。

 その用途は実に様々で、単純に暖を取る際にも役立つが、薬草や魔導薬の材料として調合される場合が多い。その為市場でもそれなりに価値の高い代物なのた。

 現在では根ごと採取することは禁じられているが、葉の部分は時間を掛ければ再び生えてくるので、今回のようにギルドに採集依頼が舞い込むこともしばしばあるのだった。

「――で、キネリキア山って名前の由来はあれよ」

 歩きながら説明するシャルが、登り坂の一番上で立ち止まって、その先を指差した。

 隣に立ったステラは、瞳に映った光景に息を飲んだ。

 そこにあったのは、一面に広がる薄い灰色の山だった。

「雪……じゃないですよね?」

 リオンは坂を下って灰色の土を少し摘まむ。

「これは……」

「灰、だな」

 継ぐように、ノアが呟いた。

如何(どう)やら火山灰が降り固まって出来た様だな。成る程、『灰色の山』とは良く言ったものだ」

 得心がいったような言葉を聞きながら、アレンはふと道端に生えている少し赤み掛かった野草を見付けた。

「おっ、これが『紅蓮華』じゃないか?でも名前ほど『紅蓮』って感じじゃないな……」

 早速採取しようとしたが、想像していたのと少し違う外見に眉を寄せた。

「あぁ、それはまだ未成熟なやつね。成熟したやつはもっと燃えるみたいに真っ赤よ」

「なんだ、ハズレか」

 残念そうに、声と肩を落とした。

「ですが、三十キロも何に使うのでしょうか?魔導薬を作るのにそれほどの量が必要なのですか?」

「さぁ?私も専門じゃないから詳しい事は知らないわ。得意な子に訊いてみれば?」

 首を傾げたステラに肩を竦めて、シャルは遥か後方に視線をやる。

「イリスー、普通『紅蓮華』の葉って一度にどのくらい使うのー?」

「……ゼェ、ハァ……」

 問われたイリスは、四人分の荷物を背負ったことで完全に息を切らせていた。

「み、みんな……ひどいよ……四人分って……結構、重いんだよ……?」

 アレン達のリュックには空間拡張の魔導技術の他に若干の軽量化(勿論それも魔導技術なので大分軽くなっている)も施されているのだが、流石に四人分を運びながら険しい山道を進むともなれば、それはもはや罰ゲーム以外の何物でもなかった。

「ハァッ、ハァッ………つ、着いたぁ……」

「はい、お疲れ様。ここからはみんなで持つから」

 ようやく一行に追い付いたイリスに、アクアが労いを込めて水筒を渡した。

「――プハァッ!……で、なんだっけ?」

 水分補給で生き返ったイリスは、改めて先程問われた内容を訊き返した。

「『紅蓮華』の葉の、一度の使用量はどのくらいなのでしょうか?」

「んー、作る物にもよるけど、一つに対して十グラムもあったら大概の物は作れると思うよ?どうして?」

「いえ、三十キロも何に使うのか気になって……」

「うーん、確かに個人で使うには多いけど、他の大陸の人が依頼したんじゃない?こっちみたいにしょっちゅう採れないし」

「どっちにしろ、ギルドの依頼に詮索はタブーよ」

 肩を竦めたイリスと似たような表情をして、シャルは再び歩き出した。

「はい……」

 まだ納得がいかないようだったが、ステラは表情を曇らせながらも前方を歩くリオンの隣に並んだ。

「で、これからどうするんだっけ?」

「……あんたは黙って付いてきなさい」

「なんでだよ」

 諦めに近い溜め息を吐いたシャルにアレンは納得がいかないようだったが、

「お前に話してもどうせ夕方には忘れているからだろう」

 その理由を自覚していないことに、ノアが短く息を吐いた。

「ちぇっ、なんだよ。いいよいいよ」

 二人の反応にいじけてしまったアレンは、少し足を速めて先頭に立つ。

「二人とも、次は俺が()るから休憩な」

「えっ?ですが……」

「ステラ、言う通りにさせてあげなさいな」

「はぁ……」

 唐突な台詞に戸惑ったステラは、呆気に取られたような声で頷いた。

「……どうしたんですか、アレン先輩?」

 少し歩調を緩めてシャルの傍にやってきたリオンも、ステラ同様不思議そうな顔をしていた。

「ちょっと拗ねてるだけよ。軽く運動でもさせてあげれば気が晴れるでしょ」

「なんか、ペットみたいですね」

 慣れた扱いに、苦笑いが浮かんだ。

「あっ、早速来たよ」

 イリスが指差した先から、翼を持った二本足の赤い蜥蜴のような魔物が三体、こちらに向かって飛んできた。

「あれは……?」

「ドレイクだな。竜族の一種だ」

 誰に言うでもなく訊ねたステラは、ノアの返答に少し慌てる。

「さ、三体もいますが大丈夫なのでしょうか?」

「竜族と言っても下級種だからな。先日のガルムの様な事が無い限り問題は無いだろう」

 淡々とした言葉には、全くと言って良いほど懸念が含まれていなかった。

 その会話が届いていたのかどうかはともかく、前方にいたアレンは剣を召喚する。

「さぁてと、行きますか!」

 金色の光に身を包んで颯爽と駆け出したアレン目掛けて、飛翔する三体のドレイクの口から炎弾が放たれた。

 次々と地面に穴を空けていくそれらを軽々躱し、アレンは左足に魔力を集中させる。

 短く一息入れて膝を曲げると、通常では考えられない高さまでその身を跳躍させた。

「ハァッ!」

 一番上にいたドレイクのさらに上から胴を斬り付け、落下していく背中を踏み台にして別の一体へと跳び移る。

「おっとと……!」

 真上を陣取られたドレイクはアレンを振り払おうと暴れたが、

「でりゃっ!」

 成す術なく、その頭蓋に血に濡れた剣尖が突き刺さった。

 アレンはそのまま残りの一体に再び跳び移ろうとする。

「ラスト……うおっ!?」

 しかし頭を貫かれた一体ごとアレンを焼き払わんと炎弾が放たれ、咄嗟に剣を引き抜いて飛び降りた。

「――にゃろっ!」

 再び地面目掛けて落下していくアレンは、反転しながら剣に魔力を籠め、叫ぶ。

「【三日月(みかづき)】!!」

 横に薙がれた剣閃から、その名の通り弧を描いた光刃が放たれた。

 下から襲い掛かった光刃は易々とドレイクの首を両断し、灰色の地に血飛沫を撒き散らした。

「一丁上がり、っと」

 見事に着地して剣の血を払うアレンの後方で、三体のドレイクの亡骸が次々と地面に激突した。

「凄い……」

 一撃一殺。

 改めて目の当たりにした少年の力に、ステラが感嘆の声を上げた。が、

「まだまだ甘いな。特に最後の一撃は予定外だろう?」

「いやぁ、急に撃ってくるからさぁ」

 どうやらこの二人にとっては、今の戦闘評価は及第点にすら達していないようだった。

「アレン先輩って、確か戦士タイプですよね?正直魔導戦士って感じなんですけど……」 

 ふと、リオンが不思議そうに訊ねた。

「アレン君は、普段は剣を媒介にした魔法くらいしか使わないから。でも、確かに魔法を使いながら戦えるから、魔導戦士とも呼べるのかな?」

 それにアクアが答え、

「ややこしいのが嫌いなんだよ、お兄ちゃんは。だからオリジナルの魔法の名前もわかり易いんじゃない?」

 イリスが朗らかな笑顔で付け足した。

「あー、スッキリした!」

「あっ、お疲れさま」

 そこへアレンが戻ってきた。言葉通りスッキリした面持ちをしている。

「さっきの『技』、新しいやつだよね?」

「ん?……あぁ、【煌龍牙(こうりゅうが)】は空中じゃ使えないからな。前々からそれ用に考えてたんだよ」

 剣に付着した血を拭いながら答えるアレンに、ステラが首を傾げる。

「何故、空中では使えないのですか?」

「創る時にそういう『条件』にしたんだよ」

 しかし、その言葉にさらに不思議そうな顔をした。

「あれ?一年ってまだそこ習ってなかったっけ?」

「確か、『条件』と『特性』はクエストが終わってからじゃないかな?」

 逆に首を傾げたアレンとアクアの言葉に、ステラは益々訳が解らないといった風に顔を顰める。

「『条件』っていうのは魔法を発動するのに必要な約束事みたいなもので、『特性』っていうのはそれによって得られる効果みたいなものなんだけど、」

 その疑問を解消すべく口を開いたのは、イリスだった。

「下級や一部以外の中級魔法にはそんなに意識しなきゃいけないやつはないんだけど、上級以上の魔法にはかなり限定的で特殊なものが多いんだよ。この間わたしが使った上級魔法も、『上空に一定量以上の雲がある時』っていうすごく限られた時しか使えないけど、代わりに『肉体の分解』っていう強力な効果を持ってるし」

「では、先程アレン先輩が使われた『技』も、その一部の中級魔法、もしくは上級魔法だったという事ですか?」

 それには剣を仕舞ったアレンが答える。

「いや、【煌龍牙】も【三日月】もベースは下級魔法だよ。【煌龍牙】は『空中じゃ使えない』代わりに『威力を強化』させたし、【三日月】はその逆の『条件』で同じ『特性』を持たせたんだよ」

「で、二つとも元になった魔法が違うから、それぞれが最初から持ってる『追撃』と『斬撃』の効果が加わってるんだよね?」

「そういうこと」

「???……えっと、『条件』によって『特性』が……あれ?ですがそれとは別に元々の効果があって……」

 どうやらより一層混乱してしまったらしく、ステラの頭上では多数の疑問符がせめぎ合っていた。

 アレンはその様子に苦笑する。

「まぁ、そこんとこは今度ゆっくり教えてやるよ。それよりそろそろ行かないと置いてかれるぞ?」

 気が付けば、他の面々は既に先へと進んでいた。

「今夜も夕飯はお肉を使った料理にするね?」

「一匹はもう丸焼きになってるけど、さすがに持ってけないよなぁ」

 どうやら、今夜のステラはドレイクの肉に挑戦することになりそうだった。



 七人は、ドレイクが放った炎弾とは違うモノ(・・・・)に焼かれた魔物の骨に、気付いていなかった。



    †   †   †



 ことは、その日の夕方頃に起こった。

 山の中枢まで来たアレン達は、いつものように寝床と水場を探す班と薪を集める班に別れて行動していた。

 岩山と言っても所々に枯れ木が点在しているので少し遠出をすればその日分の薪を集めることに問題はなく、この日の担当になったシャル、ステラ、アクアも、例の如く集合場所から離れた場所までやって来ていた。

「これが普通の山なら、果物とかも沢山採れるのですが……」

「無い物ねだりをしても仕方無いわ。さっさと集めて戻りましょう」

 ぼやいたステラに、シャルは肩を竦めて薪を拾う。

 背の低い岩壁で出来た狭い谷間に生い茂る枯れ木を見付けた三人は、そこで今晩使う薪を集めていた。

「今夜はさっきのドレイクのお肉があるから、またシチューかな?」

「この期間って、食事が片寄るのが難点よねぇ。確かに美味しいんだけど……」

「太っちゃう?」

「……言わないでください」

 年頃の女の子にとって最大級の悩みに、三人揃って溜め息を吐いた。

「そういえば」

 不意に、アクアが思い出したように言った。

「山頂に行って『紅蓮華』を採集するのはいいんだけど、もし先にアルベルト君たちがいたらどうするの?」

 二組合わせて六十キロもの量は、流石にその場にはないだろう。そうなれば当然どちらかは採集出来ずに来た道を引き返すことになるのだが、それではクエストが達成出来ない上に評価も付かない。

 問われたシャルは再び肩を竦める。

「まぁ、その時は勝負するか、諦めて帰り道に生えてるのを集めるしかないんじゃない?」

 随分楽観的に言うが、シャルの性格的にまず後者はないだろう。あるとすれば一行が到着する前にあちらが採集を終えている場合のみか。

「さ、これだけあれば今日の分は大丈夫でしょ。戻りましょう?」

 腕一杯に薪を抱えたシャルに、アクアも頷く。

「ステラちゃん」

「あっ、はい」

 呼ばれたステラは、返事を返すと一度後ろを振り返った。

「……ここ、崖になっていたんですね」

 枯れ木に遮られて気付かなかったが、谷間から少し突き出たその先はかなりの高さの崖になっていた。

 それに自然と息を呑んで、先を行く二人に続く為に再び前を向く。

「ステラ!!」

「!?」

 しかし、突然シャルの叫び声が聞こえたと思ったら、視界の端に影が差して何かに押し倒されてしまった。

「ま、魔物……!?」

 一体のガルムが、ステラの首を喰い千切らんとその牙を剥き出しにして迫っていた。

「くぅッ……!」

 咄嗟に間に割り込ませた薪のおかげでなんとかそれだけは防いだが、伸し掛かられた不利な状況を覆すのは難しかった。

「――ステラを、放しなさい!!」

 薪を握ったシャルの不意打ちがガルムの横っ腹に命中し、崖側の枯れ木まで弾き飛ばした。

「ステラちゃん、大丈夫……!?」

「は、はい……!」

 剣を召喚しながら、ステラの脳裏に不吉な予感が過る。

(精霊の加護があるのに、腕力で押し退けられなかった……?)

「一匹で掛かってくるなんて、良い度胸してるわね」

 体勢を整えたガルムを睨むシャルの掌に、炎が灯った。

「――待ってくださいシャル先輩!そのガルムは――!」

「燃えなさい!」

 ステラが言い切るよりも一瞬早く、ガルム目掛けて炎が放たれた。

 猛る炎は見事命中し、茶褐色の毛で覆われたガルムの肉体を枯れ木ごと包み込んだ。

 が、

「うそっ!?」

 身を包む炎を振り払って、ガルムは怯むことなくシャルに襲い掛かった。

「危ないです!」

 咄嗟にシャルに飛び付いて伏せたステラの頭上をガルムが通過したことで、茶色い髪が強く靡いた。

「あ、ありがとう、ステラ……」

「いえ……ですが、やはり先日の異常な強さのガルムと同じようです」

 予感が的中し、攻撃に備えて身を起こす。

 アレンとノアは苦戦こそしていたものの、それは多対二という不利な状況下での話だったので、この場にいたのが二人のうちのどちらかであればどうにかなったのだが、この三人だけでは一体だけでも厳しい相手だった。

 防御重視のアクアは勿論のこと、シャルの炎が効かないことは実証済み。

 唯一、ステラの巨大な剣と豪腕ならなんとかなるかもしれないが、先日の戦いを見ていた本人は、果たして自分の剣がこの異常な強さの敵に通じるのかと萎縮してしまっていた。

「逃がすつもりは、ないみたいだね……」

 後ろは崖。両脇には岩壁。

 行く手を阻むようにガルムが立ち塞がったことで、三人は逃げ場を失ってしまっていた。

「……ステラ、私とアクアで援護するから、あいつをありったけの力で斬って」

「えっ?」

 突然の指示に、戸惑いを隠せなかった。

「で、ですが……」

「今通用する手はそれしかないの!死にたくなかったら言う通りになさい!」

 一喝して、シャルはステラの前に立つ。

「……ごめんなさい、危険な役を任せて。私が、なんとか出来たら良かったんだけど……」

「シャル先輩……」

 ふと、シャルの拳が強く握られていることに気付いた。強過ぎて、血が滴るほどに。

 シャルの性格から考えれば、危険な役を他人に任せるなど本来なら選択肢にすら入らない行為なのだ。()してやそれが後輩で、一歩でも間違えれば死を伴う行為であれば尚のこと。

 それでも、今はそれに頼るしかなかった。全ては自分の非力さ故に。

 その悔しさを察して、ステラも覚悟を決める。

「……分かりました。お二人に、私の命を預けます」

「……ありがとう」

 僅かに頷いて、シャルは前を見据えた。

「アクア、ステラに向かってくる攻撃は任せたわよ」

「うん。シャルちゃんは、敵の気を逸らすことに集中して?」

 いつもと同じ口調でありながら、アクアの言葉には力強さが感じられた。 

「良い?地属性相手じゃ、アクアの防御魔法は一瞬しか持たないわ。だから敵の魔法が来たら全て躱すつもりで動きなさい。目の前まで近付いたら炎で視界を塞ぐから、その隙を突いて。この前の戦いで思ったけど、あいつは横腹が他の所よりも若干弱いみたいだからそこを狙いなさい」

「はい……!」

 指示に頷いて、ステラは二人の間に立つように巨大な剣を構える。

「……行きます」

 ほんの一瞬間を置くと、濃い茶色の光に身を包み、ガルム目掛けて一直線に駆け出した。

 ガルムが大きく吠え、ステラ目掛けて幾つもの岩の棘が突き出す。

(来た!)

 それを視認したところで、目の前に氷の壁が現れて岩を防いだ。

 すぐさま横に跳び退き、再び前に進む。

 直後、氷の壁が砕けて、先程までいた場所を岩の棘が貫いていった。

 それに息を呑みながら、ただひたすらに前を目指す。

 再び遠吠えが聞こえた直後、今度は炎が隣を駆け抜けていった。

 炎はダメージを与えるまではいかなかったが、どうやらガルムの魔法を中断させることに成功したようだった。

(もう少し……!)

 一歩でも多く、一瞬でも迅く、敵に近付く。

 再び現れた岩の棘を避け、牽制の炎が通過してあと数歩のところまで辿り着いたところで、前を向いたまま叫ぶ。

「シャル先輩!」

「喰らいなさい!」

 掛け声と同時に、ガルムの姿が見えなくなるほどの炎の渦が、一直線に放たれた。

「今よ!」

「――ッ!」

 ステラを見失ったガルムの視界の外から、持てる全ての力を剣に込める。

 そのまま、その横腹を巨大な刃が斬り刻む。

 ――筈だった。

「!?」

 こちらを見失った筈のガルムの岩の槍が、突如炎を突き抜けて襲い掛かってきた。

「ステラ!!」

 完全に勢いに乗ったステラ目掛けて、鋭く尖った先端が迫る。

 あまりに突然過ぎて、全身が強張っていくのを感じた。

(――全て、躱すつもりで!)

 それを頭で認識する前に、ステラは咄嗟に身を捩っていた。

 岩の先端が脇腹を掠めて顔が歪んだが、瞳だけは変わらず敵を捉える。

(ありったけの、力で!!)

 そのまま全神経を集中させ、今度こそ放つ。

 渾身の一撃を。

「――ぁぁああああああああああッ!!」

 肉が裂け、骨が砕ける感触が、両手に伝わる。

 それと同時に、悲痛の咆哮が、鼓膜を貫いていく。

 やがて、脇にあった岩壁が、派手な音をぶち撒けて崩れ落ちた。

「―――ハッ、ハッ、ハッ……!」

 まだ昂る鼓動を抑え切れず、ステラは目を見開いたまま強く短く息を吐き続ける。

 ほんの一瞬の出来事が、無限にも感じられるほど長く、薄皮一枚で首が繋がったような危うさを感じさせる。それほどに死と隣り合わせのやり取りだった。

「ステラぁ!!」

「シャル、先輩……きゃっ!?」

 不意に声が聞こえ、ゆっくりと振り向くと、飛び付いて来たシャルを受け止めきれずに地面に倒れた。

「痛たたた!痛い、痛いですぅ!!」

 その際に先程掠めた脇腹に強烈な痛みが走り、柄にもない叫び声を上げてしまった。

 シャルが慌てて飛び退く。

「あっ、ごめんなさい……!でもやっぱりあなた凄いわ!もし今のをノアが見てたら、絶対あの仏頂面の口が馬鹿みたいに開きっぱなしになってたわよ!」

 再び飛び付きそうな勢いで歓喜の声を上げたシャルに、ステラはゆっくりと目を閉じる。

「いえ……シャル先輩の、おかげなんです」

「私の?」

 援護も結局あまり意味を成さなかったのに、何が自分のおかげなのかとシャルは首を傾げた。

「あの時は無我夢中で、ですが、シャル先輩の仰っていた事が頭の中でずっと響いていたんです。そうしたら考えるよりも先に身体が動いていて、自分でも良く分からないうちに生き延びていました。ですから、シャル先輩のおかげなんです」

 ありがとうございます、と頭を下げるステラに、シャルは慌てて両手を振る。

「よ、止してよ!私なんか、結局目眩ましも意味無かったし、アクアの方がよっぽど役に立ってたわよ!」

 そう言って立ち上がり、逃げるようにその場を離れた。

「シャル先輩?」

「薪、拾ってくるわ」

 声のみが返ってくると、その背はステラが落とした薪を拾うべく崖の方へと遠ざかっていった。

「照れてるだけだから大丈夫だよ。それじゃあ、治療するね?」

 苦笑混じりの微笑みを浮かべて、アクアはステラの脇腹に手をやる。

「……アクア先輩」

「どうかしたの?」

 不意に訊ねられて、首を傾げた。

「シャル先輩は、座学も実技もトップクラスの方なのですよね?」

「……うん」

 ピクリと、その手が止まった。

「この期間に何度か見せて頂きましたが、実際シャル先輩は難無く魔物を倒していました」

 相手が下級種だったとはいえ、驚くほど圧倒的に、思わず見惚れてしまうほど華麗に、緋色の炎は敵を蹂躙していた。

「なのに、どうして今回も前回も、あの凶暴化したガルムには、私の剣より明らかに強力な上級魔法レベルの炎ですらも効かなかったのでしょうか?それに、アレン先輩達はシャル先輩があのガルムと戦う事を避けているように思えるのですが……」

「それは……」

 言葉に詰まり、暫しの沈黙が流れた、その時だった。

「「!?」」

 突然轟音が鳴り響き、地面が大きく揺れた。

 二人が顔を上げると、今まで見たのとは比べ物にならないほど巨大な岩石が地面に突き刺さっていた。

「なっ――!?」

 それは不吉な音と共に身を沈め、灰色の地に亀裂を刻んでいく。ステラ達がいる場所と、シャルが向かった崖とを隔てるように。

「シャルちゃん!」

 隣から、普段では決して耳にすることのないアクアの叫び声が上がった。

 その視線の先、巨大な岩の脇から見える遥か後方で、緋色の髪が地面に横たわっていた。

「――っ!」

「ステラちゃん!?」

 考えるよりも先に、否、考える時間すら貰えず、ステラは土色の光に自らを包んで駆け出していた。

 亀裂が走る地面を全速力で駆け抜け、みるみる沈んでいく岩の脇の、僅かに空いた隙間を擦り抜ける。

 その先に倒れ伏している少女の元に辿り着いた時には、既にそこは支えを失って空中へと放り出されていた。

「シャル先輩!しっかりしてください!」

 意識を失っているシャルの肩を担いで、ステラは崩壊していく瓦礫を跳び移っていく。

「っ、……!」

 宙を跳び、瓦礫に足を着ける度に、負傷した脇腹から血が滲み、痛みが身体を走り抜けた。

「もう、少し……!」

 ようやく、あとほんの数メートルという距離まで到達し、安堵が心の中を先行く。



「――えっ?」



 しかし、無情とはいつも、そういった隙を突くものだった。

 全く突然、先程の岩石に比べれば小枝のような大きさの岩の槍が、シャルを支える腕を掠めた。

 その拍子にバランスを崩し、支えていた身体ごと、再び宙に投げ出される。

「――ッ!」

 遠ざかる崖を見送る絶望の眼が、不意にその両脇の岩壁の上に、幾つもの影を映し出した。

(そんな……アクア先輩……)

 二人は、成す術もなく奈落へと落ちていった。



    †   †   †



 翌早朝。

 シャル達が落ちた崖に、霧の中から一つの影が現れた。

「……ここか」

 僅かに白い息を吐いて、ノアは正面を見据える。

 その先には、地面の所々がひび割れて崩れ落ちた崖があった。

 そこに近付きながら、自分の周囲に視線を向ける。

 両脇にある背の低い岩壁はあちこちが崩れ、熾烈な戦いの痕跡が刻まれていた。

 そのまま、今度は身を乗り出すように崖下を覗き込んだ。

 眼下に広がっていたのは、霧に包まれた深い谷底だった。

 ノアは無言のまま目を閉じて身を翻し、再び歩き出してその場を立ち去った。

 しばらくすると陽が昇り、誰もいなくなったそこに光が差し込んでいく。

 立ち籠める霧が徐々に晴れると、朝陽が何かに反射し煌めいた。

 そこには、無数の魔物達が、透き通った氷塊の中で悠久の時を刻んでいた。



 場所は移り、キネリキア山脈中枢にある渓谷の、とある場所。

「あっ、戻ってきた」

 岩壁が削れて出来た奥行きのある空間にて、朝食の乾パンとスープを口にしながら、リオンがふと足音に気付いて振り向いた。

「……如何だ?」

 何がとは言わず、ノアが訊ねた。

 パンを掴む腕を止めて、リオンは首を横に振る。

「まだ寝てますよ。もう昨日みたいに(うな)されたりはしてないみたいですけど」

「そうか……」

 返した声には、本人の意図とは裏腹に僅かながら安堵の情が滲み出ていた。

 それに気付かず、ノアは岩壁が作り出した日陰へと足を向ける。

 少し進むと、地面に敷かれた布の上で、紺青色の少女が小さく寝息を立てていた。

 余程怖い夢を見たのだろう。魘されていたという少女は今は安らかに眠っているが、目尻にはまだ僅かに涙が溜まっていた。

 それを逞しくも細い指先で、舞い散る羽根に触れるようにそっと拭う。

「ん……」

 少女はほんの少しだけ身動(みじろ)いで、再び小さな寝息を立てた。

 それに常の無表情を崩し、他者には決して見せることのない小さな微笑み向けると、再び表情を戻してさらに奥へと視線を移す。 

 そこには同じく地面に敷かれた布に金髪の少年が仰向けに横たわり、その隣に座った銀髪の少女が覆い被さるように身を預けていた。

 まだ寝ているようなのでそっとその場を立ち去ろうとすると、

「………どうだった……?」

 不意に呟くように訊ねられた。

「……霧に包まれて見えなかったが、かなりの深さの崖だった。彼処から降りるのは無理だろう」

 常に何事にも動じない漆黒の少年が不覚にも驚いてしまったのは、突然声を掛けられたからではなく、普段自分が話し掛けても逃げるように誰かの後ろに隠れてしまうこの少女が、自ら話し掛けてきたからだった(無論表立って表情や言動には出さなかったが)。

「転移の魔石があるから即死ではない限り最悪の事態にはならないだろうが、あの高さだ。まず無傷では済まないだろう」

「………そう」

 それだけ言うと、俯いたままの少女は再び沈黙した。

 そのまま、二人の間に何とも言い難い空気が流れた。

 耐え兼ねたノアが(彼にしては珍しく)心なしかおずおずと口を開く。

「………イリス」

 返事はない。ただ聞こえてはいるだろうと考え、そのまま続ける。

「……その、もっと気の利いた事を言うべきだった。済まない。アレンの事に関してももう少し――」

「謝らないで」

 突き刺すように、言葉が被せられた。

「……さっき言ったことも、お兄ちゃんのことも、あなたがやったことは間違ってない。だからそれを自分で否定するのはやめて」

 言葉はノアに向けられていたが、まるで自分にそう言い聞かせようとしているかのように聞こえた。

「………あぁ」

 そこにある感情を察して、しかしノアは、そんな単純な言葉しか返せなかった――



    †   †   †



「――アクア!どうしたの!?」

 いつまで経っても集合場所に戻ってこない三人を心配してまさにこれから捜しに行こうとした矢先、アクアがボロボロになった身体を引き摺りながら帰ってきた。

 駆け寄ったノア達に囲まれて倒れるように寄り掛かったアクアは、制服にしがみ付きながら嗚咽を漏らす。

「……ごめ、なさい………わたし……何も、できなかった……!」 

「何があった?シャルとステラは如何した?」

 しがみ付かれたノアは、あくまでも冷静に、錯乱しているアクアの耳にしっかりと聞こえるように訊ねた。

「魔物、出て……二人とも……崖、落ちて………わたし……助けられ、くて」

 途切れ途切れに話ながらより一層強く制服を握り締めたアクアは、ノアの顔を見上げる。

「ノア君……わたし、助けられなかったよぉっ……!」

 涙と灰でぐちゃぐちゃになった顔が、嗚咽を漏らしながら上げた声が、二人を救えなかった自身の無力さを呪っていた。

「……何処だ?」

 訊ねると、アクアは顔を(うず)めながら来た道を力なく指差す。

「……向こうの……小さな、谷……」

「解った……」

 頷いて、すっかり乱れてしまった頭に手を置いた。

「【親愛の揺り籠(ディアクレイドル)】」

 掌の先に顕れた漆黒の魔方陣から光が放たれ、その下にある身体を優しく包み込んだ。

「あ………ノア、く……」

 抵抗するように名前を呼びながら、アクアの意識は深い闇へと落ちていった。

「ノア先輩……?」

「眠らせただけだ。これ以上起きていても自分を責め続けるだけだからな」

 眉を寄せたリオンに返しながら、ノアは制服の上着を地面に敷いてアクアをそっと寝かせた。

「イリス、治療を頼む」

「うん……」

 重苦しい声に、普段とは違い小さく頷いたイリスは、アクアの傍らに腰を降ろして治療を始めた。

 それを確認して、ノアは言葉を探るように口を開く。

「さて、これからどうするかだが……」

「そんなの二人を助けに行くに決まってんだろ!」

 決まり切った答えに、アレンが怒鳴るように言った。

 しかし、

「……いや、今は駄目だ」

 ノアは常の通りの声色でそれを却下した。

 瞬間、アレンが今にも殴り掛からん勢いでノアの胸倉を掴んだ。

「……お前、暑さで頭がどうかしちまったのか?仲間が崖から落ちたんだぞ」

 睨み付けてくるアレンに、ノアも怒気を孕んだ瞳を向ける。

「お前こそ頭に上った血を下ろせ。(じき)に陽も沈む。夜の捜索が危険を伴う事ぐらい解るだろうが」

「わかんねぇよ!今こうしてる間にも死に掛けてるかもしれねぇんだぞ!助けを求めてるかもしれねぇんだぞ!自分の危険なんか知ったこっちゃねぇんだよ!!」

「お前一人の為に、此処に居る全員に危険が及ぶと言っているんだ!アクアが負傷している以上イリスと二人で置いていく訳にはいかないんだぞ!良い加減頭を冷やせ、阿呆が!!」

「ふ、二人とも落ち着いてくださいよ!」

 今にも怒鳴り合いが殴り合いに変わりそうで、リオンがとにかく落ち着けようと間に割って入った。

「……クソッ!」

 胸倉を乱暴に突き放すと、アレンは背を向けて歩き出した。

「待て、何処へ行くつもりだ」

「二人が落ちた崖だ。お前らはそこで待ってろ、俺一人で行く。それなら文句ねぇだろ」

「駄目だ、許可出来ない」

「―――っお前は……ッ!?」

 キレて振り向いたアレンの鳩尾(みぞおち)に、ノアの拳が減り込んだ。

「この、やろう……!」

「お兄ちゃん!!」

 悪態を吐いて睨みながら、アレンは意識を失って地面に倒れていった。

「……悪く思うな」

 それを支えながら呟いて、ノアは再びリオンとイリスに向き直る。

「今は兎に角、安全な場所で朝が来るのを待つしかない。陽が昇り次第俺が現場を見に行く」

 気付けば、茜色の空が深い闇に覆われ始めていた――



    †   †   †



 ――その後すぐに予め見付けておいたこの場所へ移動したノア達は、眠れない夜を過ごして時が経つのを待った。

 アクアの治療を終えたイリスはそれっきり黙り込んでしまって、意識を失ったアレンの傍を片時も離れようとはせず、リオンが何度か時間を置いて念話の魔法を使ってはみたが、距離が遠過ぎるのか意識がないのか、結局二人との連絡は着かず終いだった。

 強めの結界を張りながらアクアの傍に付いていたノアは、空が白むと同時にそこを離れてシャル達が落ちた崖に向かった訳だが、結果は全くと言って良いほど予想を裏切ってはくれなかった。

(せめて俺かアレンが一緒に行くべきだったか……。全く……)

 気を抜き過ぎていたと、心中で自らを叱責する。

 ほんの三日間例の凶暴化した魔物が一度も現れなかっただけで、完全にそれと遭遇する可能性を失念していたのだ。

 本来なら殴られるべきは自分だと言いたいところだったが、生憎今はそんな愚痴を吐くことは許されない(許されたとしても決して吐かないのだが)。

 今はとにかく、二人と合流する為に最善の道を示さなければならなかった。

 そして、実は崖の様子を見に行ったノアには、懸案事項が一つ増えていた。

 谷間の崖に広がった、あの異常な光景。

 群れの数からして恐らく例のガルム達なのだろうが、その全てが氷漬けにされていたのだ。

(あれは、状況から察するにやはりアクアか?あいつがあれほどの事を出来るとは思えないが……)

 そもそも、彼女は積極的に他者を傷付けることを嫌うだけで攻撃魔法が使えない訳ではないのだが、ノアが知る限りあれほどの力を有している訳でもなかった。

 だからこそ、あの場を目の当たりにした時に推測と疑念が思考の渦を描き、それが今でも彼の頭に凭れ掛かっているのだった。

 再びそれに囚われそうになり、ノアは心中だけで頭を振る。

(何れにせよ、今は他の奴らに報せるべきではないな。そういう意味では、無理矢理にでもアレンを止めたのがある意味功を奏したか……)

 流石のノアも、この状況では他の事柄に廻す気は残っていなかった。

「ノア先輩」

 ふと、声を掛けられてそちらへ視線を向けた。

「これから、どうするんですか?」

 どうするか、とは生きているかも定かではない二人を捜すのか、それともクエストを続行して山頂を目指すのか、その二択に限られていた。

「……今の所、転移が発動した形跡は無い」

 言って、首に提げた魔石に視線を送った。

 ギルドで渡された転移の魔石には、離れたところにいる仲間の意識に転移が発動したことが伝わるよう仕掛けが施されている。

 しかし昨晩は仮眠も取らずにいたが、一向にその気配は感じられなかった。

「この魔石は生死に関わらず致命傷以上のダメージに反応する。その形跡が無いという事は、十中八九、二人は生きている筈だ」

「じゃあ……」

「だが、ここから山を下るつもりは無い」

 首を横に振られて、リオンは顔を曇らせた。

「此処から二人が落ちた場所に行くには、来た道を戻らなければならない。だがそれでは時間が掛かり過ぎる」

「なら、放っておくんですか?」

「そうは言っていない。入り組んだ山を迂回するのは時間を無駄に浪費すると言っているんだ。二人が其処に留まっている保証も無い。だから……」

「どうして、そんなに冷静でいられるの?」

 不意に、イリスが呟いた。

「時間を無駄にするとかいる保証がないとか、そんなのどうでもいいよ!もう充分待ったじゃない!わたしもリオンも二人を――」

「待ってくれ、イリス……」

 糾弾にも似た声を制したのは、その隣で横たわっていたアレンだった。

「……お兄ちゃん」

 アレンは身を起こすと、息巻くイリスの背後に身体を向け、

「!!」

 そのまま、勢い良く頭を下げた。

「……昨日は悪かった。つい焦って周りが見えなくなっちまってた」

 その姿に、イリスは再び、今度は目の前の光景を否定するように声を荒らげる。

「――でも!お兄ちゃんは二人を捜したかっただけじゃない!何も悪くなんかないよ!」

 しかし、アレンは首を横に振った。

「それはノアだって同じなんだよ。でもな、それで俺たちが怪我して、シャルとステラが喜ぶわけないだろ?」

「それは……!」

 まっすぐに見据えてくる黄金色の瞳に、イリスは言葉を詰まらせた。

「ノアはそれをわかってたから、みんなが反対するのもわかってて止めてくれたんだよ。本当はボロボロになったアクアのために、すぐにでも飛び出していきたかったはずなのにさ」

 何よりも大切な人が傷付き、大粒の涙に頬を濡らしながら縋り付いてきたのだ。それに耐えることがどれほどの苦痛を伴うか、頭の冷えた今のアレンには容易に察することが出来た。

 そして、今こうして憤慨するイリスの想いも。

 だからアレンは、泣きそうな顔をしているその頭に、そっと手を置く。

「もちろんイリスの気持ちもわかってる。俺だって昨日は二人を助けに行くことで頭がいっぱいだったしな。でも、やっぱり今は後先考えずに行動しちゃいけないんだと思う」

「………うん」

 顔を伏せて、イリスは呟くように頷いた。

 それで本当に納得したのかは判らなかったが、ひとまずどうにかなったと判断したようで、再びノアに視線が向く。

「ノア、何か考えがあるんだろ?」

 確信に近い問いに、やはりノアは首を小さく縦に振ることで答えた。

「あぁ。実は……」



    †   †   †



『――どうして……わたしだけ、こんな……』

 ―――あぁ、またこの夢なの。

 何も見えない深い闇の底。そこにポツンと、一人の少女が膝を抱えて泣いている。

『――ほら、あの子じゃない?例の……』

 するとどこからか、啜り泣くのとは別の声が聞こえてきた。

『なんでまだいるんだろ?何回やってもダメなのに』

『ほら、やっぱり貴族のプライドってやつじゃない?』

 ―――違う、そんなんじゃない。

『いやだよね、実力もないのにプライドばっかり高くて。そりゃ、最初の頃はすごかったけど……』

『なんて言うんだっけ、そういうの?フタを開ければってやつ?』

『そうそう、それ!あはは!』

 幾つもの笑い声が、水面(みなも)に広がる波紋のように、闇の中に響き渡る。

 ―――やめて!

 思わず耳を塞いでも、隙間をすり抜けるように入り込んでくる。

『……わたし……やっぱり、駄目な子なのかな……?ここにいちゃ、いけないのかな……?』

 ―――そんな事無い!そんな事言わないで!

 闇の中に膝を着いて、必死に否定の言葉を叫ぶ。

 まるで自分に言い聞かせるように。 

 (あたか)もそうあって欲しいと願うように。

 その先に待っている、言ってはいけない言葉を、消し去ることの出来ない過去を、否定したいが為に。

 だが、少女の言葉は止まらない。



『もう……いなくなった方が……いいのかな……?』



    †   †   †



「―――やめて!!」

「きゃっ!?」

 叫びと共に勢い良く身を起こすと、すぐ傍で小さな悲鳴が聞こえた。

「……ステ、ラ?」

 隣で尻餅を搗いている少女を見て、シャルはキョトンとした声を出した。

「痛たたた……き、急に起きないでくださいよぉ……」

 腰の辺りを擦りながら、ステラが恨めしそうな声を上げた。

「ですが、目が覚めて良かったです。だいぶ魘されていましたから」

「アクアは?……っていうか」

 もう一人の少女の姿が見えずふと周囲を見渡すと、薄暗い影に覆われたそこは、どうにも記憶にない場所だった。

「ここは……()っ!?」

 身体を動かそうとすると、所々から痛みが電気のように全身を駆け巡った。

「あっ、駄目ですよまだ動いては!昨夜は熱も出ていましたし、安静にしていてください!」

 それを慌てて寝かし付け、ステラは手拭いを水筒の水に濡らして額に乗せた。言われてみれば、少し身体が火照っていたようで汗も掻いている。

「ここはキネリキア山の下部の、岩壁が削れて出来た小さな洞穴(ほらあな)のような所です。とにかく安全に治療出来る場所が欲しかったので、かなり移動してしまいましたが……」

「ま、待って!どうして私達だけそんな所にいるの?確かガルムを倒して……!」

 状況が理解出来ずに慌てるシャルに、ステラは表情を曇らせる。

「その後、恐らく別のガルムが放った魔法で足場が崩れて、崖から落ちたんです」

「崖から……?」

 途端に、薪を拾って戻ろうとした時に突然巨大な岩が顕れて吹き飛ばされた光景がフラッシュバックした。

「そうだったわ……私、それで意識を失って……」

「すみません……私があと少しの所で油断したせいで……」

 額に腕を乗せたシャルに、ステラが申し訳なさそうに俯いた。

「な、何言ってるのよ!元はと言えば私が気絶なんてしたからこうなったんだし、寧ろステラがいなかったら今頃とっくに死んでたんでしょう?ありがとう、助けてくれて」

「シャル、先輩……」

 自責の念に駆られる少女を慰め、命を救ってくれたことに感謝を述べて微笑み掛けると、少女の幼い顔が辛そうに歪んだ。

「ちょ、ちょっと、泣く事無いでしょう?」

「……すみ、ません」

 またしても謝ってきたので、ホントに泣き虫なんだから、と苦笑を漏らした。

「っ、治療は一通り終わったので、もうしばらく休めばとりあえず歩く事くらいなら出来ると思いますよ」

 そう言って、ステラは柔らかい微笑みを浮かべた。まだ鼻を啜りながらだったが。

「それにしても、よくあの高さから落ちて無事だったわね。普通死ぬわよ?」

「あ、いえ、肉体強化を限界まで高めながら魔法でクッションを作ったんです。地面が一緒に落ちてくれたのが幸いしました」

「そうだったの……」

 あの窮地で良くそれだけの芸当が出来たものだと、感心せざるを得なかった。

「……アクア先輩、無事でしょうか?」

 少し間を空けて、ふとステラが呟いた。

 崖から転落する際、ステラは確かに何体ものガルム達が岩壁の上に立っているのを見ていた。

 先日の群れほど多くはなかったが、アクア一人であの数を相手取れるとはとても思えなかった。

「大丈夫よ。あの子はあれでしっかりしてるし、一人なら隙を突いて逃げるくらい出来るわよ」

 励ますように言葉を掛けるシャルも、やはり不安は拭い切れないようだった。

「とにかく、これからどうするかを考えないとね。最悪、転移で戻る事も考えないと……」

「あの、その事なのですが……」 

 ステラが何やら言い難そうな声を返してきた。

「その、崖から落ちた際に、魔石もどこかに落としてしまったみたいで……」

「うそ!?痛たたたっ……!」

 思わず身を起こしてしまい、痛みでまた地面に倒れた。

「……はぁ、仕方無いわ。そっち方面は諦めて、皆と合流する事だけを考えましょう」

「ですが、どのように?」

 不安を隠せない表情のまま、ステラは首を傾げた。

「方法はあるわ。一番手っ取り早いのは念話の魔法で連絡を取る事ね。って言っても私は使えないんだけど……」

「私もです……」

「じゃあ向こうからの連絡を待ちましょう。多分リオン辺りが使えるわよ」

 最終手段でイリスが使うという選択肢もあるが、光属性しか使えないという設定上それは望み薄だろう。

「それで、念話はあまり距離が遠すぎると使えないから、当初の予定通り山頂を目指すのがベストだと思うの」 

「そうですね。それなら遅かれ早かれ皆さんに追い付けますし」

 それに賛同して、ステラはシャルのリュックから地図を取り出す。

「昨日私達がいた崖がこの辺りで、移動する際にちょうど陽が沈むのが見えたので、現在地は西のこの辺りだと思います」

「結構離れたわね。皆を追い掛けるなら大きく迂回しなきゃならないわよ。……待って」

 横になりながら地図を見たシャルが、不意に何かに気付いて指差した。

「ここ、山頂付近に繋がってるんじゃない?」

 そこは、二人の現在地からもう少し西へ行ったところにある渓谷だった。

「そう言えば、マスターさんも山脈の所々に抜け道があると仰っていました!もしここがそうなら、半日も掛からずに皆さんに追い付けそうです!」

「行ってみる価値はあるわね」

 希望の光が射し込み、二人の周囲に群がっていた陰鬱な空気が晴れていく。

「じゃあ早く出発しましょう」

「い、いけませんよ、まだ安静にしなくては!」

 早速身を起こして発とうとしたシャルを、ステラが慌てて止めに入った。

「もう大丈夫よ。ステラのおかげでね」

「ですが……」

 先程まで身すら起こせなかったのに、信じろという方が無理だろう。

 しかしシャルは安静にするつもりなど毛頭なく、 

「それにほら、善は急げって言うじゃない」

 と言って、陽の光の下へとその身を晒した。

「……急がば回れとも言うと思うのですが」

 ステラは半ば諦めたように項垂れた。こうなってはもう自分では止められないと、この短い期間に理解したのだろう。

「心配しなくても無茶はしないわよ。それよりも魔物と出遭わない事を祈りましょう」

 まだ疲労の色が窺えたが、シャルは努めて常の通りに力強い微笑みを浮かべた。

 それに溜め息を吐いて、ステラも立ち上がるべく膝を立てる。

「はぁ、そうですね――ッ!?」

 しかし、立てた膝が突然力なく崩れ落ち、地面に身体を(なげう)った。

「ステラ!?」

 振り返ったシャルは慌てて駆け寄る。

「あ……れ……?体が……」

 事態を把握出来ていないようで、濃い茶色の瞳には動揺の色が加わっていた。

「――あんた、凄い熱じゃない!ちょっと仰向けになって!」

 先程までの様子が嘘のように息を荒らげる少女に触ると、思わず手を引っ込めてしまうほどに熱く、シャルは俯せになった身体を返させた。

 その時、気付いた。

 ステラの制服の脇腹に生じた裂け目と、暗がりに出来た血溜まりに。

「――ッ!!」

 驚愕し、すぐに上着を脱がせてシャツを捲り上げた。

 肉が大きく裂け(ただ)れ、抉れた部分から血が湧き水のように溢れていた。

「……っ、とにかく止血しないと!」

 グロテスクな光景に思わず口を覆ってしまったが、すぐに込み上げてくるモノを飲み込んで自分のリュックから治療道具を取り出した。

「まず消毒して、それから……」

 以前アレンから教わった応急処置の方法を思い出すように呟きながら、水に濡らしたタオルで脇腹の血を拭っていく。

 その最中、シャルは下唇をきつく噛み締めた。

(迂闊だった……!)

 治癒魔法は、術者本人には使用出来ない。

 だからこそ昨日の戦闘で負傷したステラの治療にはアクアが当たっていたのだが、その前に新手が来たのだ。治る訳がなかった。

 崖から落ちた時も無傷でいられたとは思えない。それがこの傷をより悪化させたのだろう。

 そして恐らく、シャルの意識が戻った時には心配を掛けまいと血溜まりを隠して、必死に痛みを押し殺していたに違いない。

 意識を失っていたとはいえ、それに全く気付かなかった自分の頭を疑った。

「……すみません、シャル先輩」

「しっかりしなさい!謝る気力があるんなら生きる気力に廻しなさいよ!」

 弱々しい微笑みに懸命に呼び掛けるが、想いとは裏腹に息切れは激しくなり、熱も上がっていく。

 考えて見れば、昨日の戦闘からかなりの時間が経っているのだ。今の今まで倒れずにいられたことが信じられなかった。

「……やっぱり、私って……駄目ですね……迷惑掛けて、ばかりで……」

「馬鹿、何言ってんのよ!そんな事無いわよ!」

 必死に否定するシャルに、ステラはやはり微笑を浮かべる。

「……ありがとう、ございます……っ、少し……休みますね……」

 そう言うと、短く呼吸しながら眠るようにゆっくりと目を閉じた。

「ちょっと!ステラ!!」

 再び叫ぶように呼び掛けたが、反応はなかった。

「……何か、何か無いの!?」

 必死にリュックを漁ったが、すぐにそもそも医術の心得がないので応急処置が出来る程度の物しか入っていなかったことに気付いた。

 ふと、拡張された空間に詰め込まれた荷物の中から、一つの小瓶が目に留まった。

「これ、確かイリスがくれた……」

 随分奥に仕舞われたそれを取り出し、なんともなしに呟いた。

 そして、小瓶の中で揺れる透き通った緑色の液体に、昨日の出来事を思い出す――



「――シャル、一応これも渡しとくね?」

 キネリキア山に入ってすぐに『冷水薬』を全員に二本ずつ配っていたイリスが、ついでにとシャルに別の小瓶を差し出した。

「……何、この見るからに怪しげな液体は?」

 小瓶の先を指先で摘まんだシャルは、澄んだ緑色の液体を疑わしげに眺めながら訊ねた。

「いいからいいから。もし負傷した時に治療できる人が傍にいなかったら、騙されたと思って飲んでみて?」

「騙されたと思って、ねぇ……」

 全力で拒否したいが、気にもなるので一応取っておくことにする。後でそこらの枯れ木にでもやってみようなどと考えながら。

「まっ、そんな事態にはならない事を祈るわ――」



「――そんな事態、なっちゃったわね……」

 あの時の自分の台詞を思い出して、つい先日のやり取りなのにまるで何年も昔のことのように感じられて嫌気が差した。  

 同時に、怪しげな笑みを浮かべていた少女の言葉を再び思い出す。

「騙されて、やるわよ……」

 今は藁だろうが何だろうが縋り付きたい思いなのだ。怪しげな薬品だろうと試してみないことには始まらない。

 小瓶を握り締め、今も尚小さく息を荒らげている少女に向き直る。

「皆と合流したら、アクアに謝らなきゃね……」

 飲み易いように頭を膝に乗せ、意外と緩く塞がれた小瓶の栓を引っこ抜いた。

「それからとっととクエストを終わらせて、もう一度皆で温泉に入りましょう」

 そのまま、少しだけ開いた口に小瓶の口先を宛がい、ゆっくりと傾ける。

「絶対に、死なせるもんですか」



    †   †   †



「という訳で、俺達はこのまま山頂を目指す」

 襲い掛かってきたドレイクを左手に持った刀で斬り倒し、ノアが再度確認するように言った。

「抜け道か。確かにそれなら山を下るより早いかもな」

「ついでに『紅蓮華』も集められますしね」

 納得しながら、アレン達は進む足を速める。

「でも、二人とも気付きますかね?地図を見た限りじゃかなりわかりづらかったですけど……」

 もし気付かずに山を迂回してしまえば、近付くどころか遠ざかることになってしまうだろう。

「いや、シャルなら絶対気付く」

「あぁ、まず間違い無い」

 しかし、アレンもノアもそのことに全く疑いを持っていなかった。

 断言した二人に、リオンは驚きにも似た不思議そうな顔をする。

「シャルは昔っからそういうの見付けるのが得意なんだよ。あんなの見逃すわけないって」

 幼いあの日に神殿の隠し扉を見付けたことを思い出しながら、アレンは苦笑するように言った。

「それに、あいつはあれでそれなりに頭も回る。此方の思考を推測すれば、必ずあの抜け道を通るだろう」

「褒めるんならもっと素直に褒めてやれよ」

 そして、対照的に無表情のまま続けるノアにやれやれと溜め息を吐いた。 

「別に褒めたつもりは無い。それに向こうも俺にだけは褒められたくないだろう」

 ノアはそれにも変わらず無表情のまま、しかし短く鼻を鳴らした。

「まぁ、そりゃそうだ。下手したら発狂するんじゃね?」

 少なくとも全力で悲鳴は上げるだろうなと、アレンは苦笑した。

「……なんか二人とも全然普通ですね」

 昨日の殺伐とした雰囲気はどこへ行ったのか、リオンがふと呟いた。

「まぁ、過ぎたことをいつまでも引き摺るほど俺たちはガキじゃないしな」

「そんなものですか?」

 首を傾げると、ノアが視線を向けた。

「今重要なのは、迷う事でも喧嘩をする事でも無いという事だ。それに仮に引き摺るとしても、それはこいつだけだ」

「あっ、何自分だけ外してるんだよ!」

 全く以て普段通りに接する二人。

 そこから、リオンは視線をほんの少しだけ後ろに移す。

(こっちも一晩で治ればいいんだけど……)

 視線の先、暗澹(あんたん)とした空気の中に身を置く少女は、輝く銀髪を前に垂らしながら最後尾を務めていた。

 どうしたものかと思案するが、アレンが何もしないことから今はこれが次善の処置なのだろうと結論付け、再び前を向くことにした。

「……なぁ、ノア」

 不意に、アレンが周囲を見渡しながら呼び掛けた。

「さっきからやけに魔物の骨が多くないか?」

「……確かにな。地面まで焦げているという事は火属性の魔物の仕業なのだろうが、数が多過ぎる。また群れか?」

 アレン達が急ぎ足で進む灰色の山道の至るところに、朽ち果てた魔物の骨が散らばっていた。そして、そのどれもが所々で黒ずんでいる。

 それは紛れもなく、炎が灰色の土ごと襲い掛かった跡だった。

「どうする、今のうちに無理矢理にでもアクアを起こすか?大勢で来られたら背負いながらじゃ戦えないだろ」

 警戒心を強め、アレンはノアの背中に視線を送る。

 そこには、まだ眠りから醒めないままのアクアが身体を預けていた。

「……いや、このままで良い。いざとなったら降ろして戦う」

 少しだけ逡巡して、ノアは首を横に振った。

「それに、そうしている間にあいつらが魔物に襲われる可能性もある。二人とも負傷している筈だから今は一刻を争うべきだ」

「……そうだな。特に今のシャルじゃ、あの強いのはヤバいか……」

 納得しながら、アレンは眉を寄せて呟いた。

「疑問だったんですけど、なんでシャル先輩の炎は効かないんですか?威力的には充分なはずですよね?」

 その呟きが聞こえ、リオンはそう言えばと疑問に思っていたことを訊ねた。

 属性の相関関係では、火属性と地属性は同程度の強さの筈だ。しかし通常の強さのガルムにさえ、シャルは全力の炎で挑んでいた。

 否、挑まなければ勝てなかったのだ。

 共に戦ったリオンがそれに疑念を抱くのは当然だった。

「……これを知っているのは、基礎学院から一緒の連中と教員のみだが」

「ノア!」

 徐に話し始めたノアに、アレンが即座に割って入った。

「流石にこの状況では話さざるを得んだろう。それに、最初から成果が見えなければ話す予定だった筈だ」

「……あぁもう、わかったよ!俺から話す!」

 しかし、結局刺すような言葉に観念したように、頭を掻き毟った。

「えっと、話が見えないんですけど?」

 益々訳が解らないといった風に首を傾げるリオンに眉を寄せながら、アレンは口を開いた。



「……あいつは、シャルは、魔法が使えない(・・・・・・・)んだよ」



 その言葉を、リオンはすぐには理解出来なかった。

魔法が使えない(・・・・・・・)?だって現に……」

 シャルは何もないところから炎を生み出し、操っている。

 それは紛れもない事実で、もしそうでないのならリオンは幻覚でも視ていたことになる。

 しかし、顔を顰めるリオンに、アレンは歩を進めながら首を横に振る。

「あれは、言ってみれば炎を垂れ流してるだけなんだよ。魔法の定義、憶えてるよな?」

「魔法の定義……」

 魔法とは、魔力の性質が変化することで引き起こされる現象を指す。

 そして、魔力の性質変化は、属性と効果の二つに分類される。

「シャルは、その内の属性までしか完璧に変化できないんだ」

 後天性不完全魔法症。

 後天的に属性、効果のどちらか、或いは両方を性質変化出来なくなる病で、大概は大きなトラウマが原因となっている。

 トラウマを克服しても治らない症例もあることから、今のところ明確な治療法は判明していない。

「最近は火の玉とか槍みたいな簡単な形状変化なら出来るようになったけど、最初の頃は属性変化も出来なかったから一時期は学園自体辞めるかって話になってさ。上級学院に上がる時も魔法学部はやめとけって言われたぐらいなんだよ」

 魔法が使えない。

 この世界では全ての人々がアレン達のように自在に魔法を使える訳ではないし、魔法を使わない職業も数多く存在する。

 しかし、『火の一族』たる大貴族イグニス家に生まれた者にとって、その事実は翼をもがれた鳥に等しかった。

「魔法での攻撃は剣等の物理的な物とは勝手が違うからな。中身の伴わない不完全な魔法では、下級の魔物ならまだしもあのレベルの相手に通用しないのは当然だ」

「じ、じゃあSクラスなんて受けること自体無茶じゃないですか!」

 ノアの淡々とした言葉に、リオンは思わず声を上げてしまった。

「それでも無茶をやる価値はあったんだよ。火の加護が強いこっちなら、何かの切っ掛けぐらいにはなってくれる可能性があったからさ。だから教官や学園長も許可してくれたんだと思う」

 精霊の加護は、人間に様々な影響を与えている。

 自身の授かる加護が特に強い土地では、普段よりも魔法の威力や自己治癒力が上がり、重い病が治った例もあった。

 だからこそ、今回のクエストはシャルの治療という名目も兼ねていたのだ。もっとも、アルベルトが挑発などしなければ受けることもなかったのだが。

「……それでも、やっぱり無茶ですよ。そんな状態で魔物と戦うなんて……」

 疑問は解けた。それでも敢えてここに来た理由も判った。

 しかし、やはりリオンには、危険を犯してまでそうする意味は理解出来なかった。

「……あいつはさ、リオン」

 まだ納得していないリオンに、アレンは視線と声だけを向けて話す。

「一回完全に魔法が使えなくなって、こうやって話しても伝わらないぐらいすげぇ辛い思いをしたんだけどさ」

 突然失った力に、戸惑わない筈がない。

 幾度も呼び掛け、喉が千切れるほどに叫んだ。

 それでも、(あか)の灯火は応えてくれなかった。

「ある事件が切っ掛けでまた炎を出せるようになって、それでも魔法学部の先生にウチには入れないって言われた時に、どうしたと思う?」

「……どうしたんですか?」

 訝しむ少年に振り向いたアレンは、ニヤリと笑った。

「『入学試験で魔法学の実技以外全てSランクを取ったら入学を許可して下さい』って条件突き出したんだよ」

「それって、首席レベルじゃないですか……!」

 数えるのも馬鹿らしくなるほどの数の新入生の中でトップの成績を修める。そんな生徒を、学園側も逃す手はないだろう。  

「しかも今魔法学部ってことは……」

「もちろんオールSランク。実技ですらあの状態でAランクだったよ。あり得ねぇだろ?」

 楽しそうに、アレンは苦笑する。

「あいつはそういう奴なんだよ。無茶だろうがなんだろうが、やると決めたら必ずやり抜く。不完全魔法症だっていつか必ず治してみせるって、入試の時の面接官に宣言したらしいしな」

「……命の危険を伴っても、ですか?」

 まだ顔を顰めたまま、リオンは呟いた。

 何故、そこまで出来るのか。

 魔法が使えないなら、使えないなりの生活をすれば良い。

 確かに大貴族である以上何かしらの不都合は生じるだろうが、それでも死ぬよりはマシな筈だ。

「だって、たった一つの命なんですよ?魔法が使えなくたって死ぬわけじゃないのに、わざわざ死に急ぐような真似しなくたっていいじゃないですか!」

「たった一つの、命だからだよ」

 いつの間にか荒らげていた声に被せるように言い放ったアレンは、立ち止まって今度は身体ごと振り返った。

 そしてそのまま、何かを思い出すように目を閉じた。

「あの時の、魔法が全く使えなくなった時のシャルはさ、死ぬより辛そうな眼をしてたんだ」

 瞼の裏に浮かんだのは、暗い部屋に閉じ籠もり、膝を抱えて俯いている幼馴染みの姿だった。

「確かにさっさと諦めて魔法を使わない生活に入っちまえば、今回みたいに命を危険に晒すこともなかっただろうな。でもさ、あいつにとってそれは生きてるって言えないし、俺もあれ(・・)をそうとは思えない」

 再び現れた黄金色の瞳が、暗緑色の瞳をまっすぐに捉える。

「たった一度の短い人生で、もうあんな思いはしたくない。だからあいつは、たった一つの命を削って、今を必死に生きてるんだよ」

 ほんの少しだけ、風が弱々しくその場を横切った。

 それに合わせて、暫しの沈黙が訪れる。

「……って、最後のはほとんど受け売りみたいなもんなんだけどな」

 風が止むと同時に、アレンは表情を崩した。

「受け売り、ですか?」

「そっ。大体俺がそんな『人生説く』みたいなこと言えるわけないだろ?まだ十六だっての」

 先程までの真面目な雰囲気はどこ吹く風、アレンはいつもの気楽な笑顔で手をヒラヒラさせた。 

「それに、不完全な魔法しか使えないあいつを護る為に俺たちがいるんだし……ってまぁ、説得力ないか」

 今度は苦笑いを浮かべながら、無言を貫いていたノアに視線を向けた。

 それを受けて短く鼻を鳴らしたノアは、止めていた足を目の前にある坂道に向けて進める。

(そもそも)、本来この山の魔物程度なら問題は無かったんだがな」

 Sクラスと言ってもそれはあくまでも学生用に指定されたレベルであり、殆どの魔物が下級と中級のこの山は、実際にはBクラスの上位程度に指定されている。

 そのランク付けも上級の魔物が確認されたからであって、それさえなければせいぜいCクラス、学生用ならBクラス上位程度の物だった。

 ところが、例の凶暴化した魔物達だ。

 予想を遥かに上回るあの強さは、もはや一般用のSクラス近い危険度を持っていた。

「まぁ凶暴化のこともあるし、さっさと二人と合流しますか。もうすぐ山頂だしな」

 気を取り直して、アレンは先へ進むノアに続いて坂道を登っていった。



「……やっぱり、僕にはわかりませんよ」

 その後ろで物憂げな表情をしたリオンは、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。



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