思い出の木材
風がそよぎ、古びた木の扉がぎぃ…と音を立てた。嫌な音ではない。ただ、何年も手入れされていないことを物語っていた。錠前も原始的で、錆びた鉄の棒が割れた溝に無理やりはめ込まれているだけだった。
エリザベスはその扉の前に立ち、静かに見つめていた。今は「避難所」とも呼べるこの場所を。
石の床は不規則で冷たく、時の重みが感じられる。壁や階段は木造で、ひび割れた部分や腐った部分が目立つ。窓ガラスは汚れていて, 一部には何の防護もない。ただの布がカーテン代わりにぶら下がっているだけ。
唯一、ほんの少しだけ生気を感じさせるのは食堂のテーブルだった。色も厚みも異なる板を無理やりつなぎ合わせたようなつくりで、まるで木工のパッチワークのようだった。でもそこには希望の欠片が見えた。
彼女は周囲を見回したあと、外で石や棒で遊んでいる子どもたちを見た。
そのとき、ある小さな考えが芽生えた。
「……少しでも、できることを。」
世界を変えるつもりはなかった。ただ、小さな何かなら。背中のマチェーテを握りしめる。戦うためではない。今は――彫刻刀のように使えるかもしれないと思ったのだ。
言葉を交わすことなく、布の袋に乾いた果物と数枚の銅貨を入れ、シスターに軽く会釈して出発した。目指すは町の東側。初めて来たときに見かけた木工所や製材所のあたりだった。
朝日が照らす町の中を、静かに歩いた。空気には焼きたてのパンの香りが漂い、通りもまだ静かだった。やがて、一軒の工房にたどり着く。看板には「木工所 ルッティン」と書かれていた。
扉の枠を、指の関節で軽く叩く。
—あ? 今行くぞ!
中から声がして、しばらくすると、中年の大柄な男が現れた。顔や服には木くずと粉がついており、腕まくりをしていたが、その表情には素朴な笑顔があった。
—おう、嬢ちゃん。どうした?
エリザベスは唇を開こうとしたが、一瞬だけ迷った。それは恐怖でも不安でもない。自分の心が「他人といること」でまだ完全には安らげていないだけだった。 それでも、彼女は言葉を絞り出した。
—……木材を探しています。余ったもの、切れ端……何でも。
男は眉を上げた。
—焚き火に使うのか?
—いえ。彫刻用に。……おもちゃを作りたくて。
—おもちゃ? ほう、彫刻師か?
—まだ勉強中です。子どもたちがいて……彼らにも教えたいんです。
男は鼻で笑った。嘲るようなものではなく、むしろ面白そうという反応だった。
—いい心だな。こっちだ、ついてきな。
彼はエリザベスを作業場の裏へと案内した。そこには欠けた木片や曲がった板、割れた材木の山が積まれていた。
—こいつらは普通、燃やすか捨てるやつだ。でも、欲しいなら好きに持ってけ。
彼女は木材の山をじっと見た。小さなものもあれば、修理にも使えそうなサイズもある。――修理にも、おもちゃ作りにも使える。
—……これ全部で、いくら?
—全部? ははっ、自分で持ってくならタダでいいさ。でもまあ、運び賃ってことで銅貨5枚もくれりゃ十分さ。
—ありがとうございます。本当に。
エリザベスは黙って支払いを済ませ、布袋に木材を詰め始めた。重量はあったが、以前より体が強くなっていた。 作業はさほど苦ではなかった。
そんな彼女に、木工職人は声をかけた。
—おい。……もし綺麗なものができたら、また持ってきな。うちでも売れるかもしれん。町のガキどもにも笑顔が必要だろ?
エリザベスは手を止め、彼の方を見た。そして――ほんの少しだけ、微笑んだ。
言葉はなかったが、その小さな笑みだけで十分だった。




