今まで投稿した作品を振り返っての感想
私は7月10日に、投稿数が100作品に到達したため、その記念として7月15日から「今まで投稿した100作品をただ語るだけのエッセイ」という作品を連載形式で投稿することにしました。
https://ncode.syosetu.com/n3824jf/
その作品を投稿し終えての感想が長くなりそうなので、新たなエッセイ作品として、ここに投稿しようと執筆しております。
語る作品と同じく、こちらのエッセイではその作品についてただ思いのまま語るだけの完全な自己満足エッセイなので、ご閲覧にはご注意ください。
実はあの作品を投稿しようと考えていたのは、なろうを登録してから1年経った少し後の4月頃でして、この時の投稿数がすでに90作品以上ともう少しで100作品達成するなと思い、100作品投稿した暁には何かしたいなと考え、思いついたのがこのエッセイでした。
と言いましても、実際に投稿しようと決めたのは95作品投稿した時で、5月中旬ぐらいでした。
そこからストックを作っておこうと、少しずつ書いていき、投稿を開始する時に溜まったストックは30作品以上でした。
本来はこの時点で50作品と半分以上を執筆する予定でしたが、思った以上に熱が入って進みは悪かったです。
その時にすでにそれぞれ思い出があって書きたいことが多くあるのだなと沁み沁みしておりました。
その一方で、本当に書くことが何も無くて、そのまま200文字を越さずに文字数制限が引っかかって、投稿出来ないものもあったので、途中から作品情報を書いて文字数を稼いで誤魔化したりもしました。
勿論思い出があるもののも多いのですが、その一方でやはり詩やエッセイはその場の勢いで書いているみたいな作品も多く存在するところもあって、その時は少し寂しい気持ちになってしまいましたね。
折角投稿した作品なのに勿体ないな、愛していない作品もあるのだなって。
その時、私はふとこんなことを思いました。
――思い出が無い作品って価値がないのかな
こんなマイナスな思考になってしまったのは、やはり自作品への自信の無さが1番だと思います。
率直に申しまして、私は自分の作品が完璧だとか、素晴らしいと思ったことはどの作品に対してもありません。
そこに存在するのは、自分がその作品に対してどれぐらい愛着があるのかそれだけです。
だから、自分好みに書くことが出来た作品はとことんその作品を愛し抜きますし、好きでも無ければ本当にそのままずっと放置します。
しかし、連載エッセイを書くこと上では、やはりどの作品でもそれぞれの作品に向き合う必要があって、全て1度は目を通しました。
そうするとどの作品でも、ここの部分は必要なかったなとか、ここまで書く必要は無かったのではないかとか、そこまで堂々と投稿する作品でもなかったのではないかとか、様々な想いが飛び交うのですね。
そんな中で、こんな作品をなろうに残しておいて良いのだろうか、削除した方が良いのではないかと考えてしまうほどネガティブに考えが陥っている時がありまして。
せめて消さないのであれば、書き直すべきとも考えることもありました。
実際に加筆や修正をした作品もいくつかはありましたが、それでも殆どは直しませんでした。
何故なら、そこまで手を加えてしまったら、別作品になるかもしれない思うと恐怖を感じてしまったからです。
それと同時に私はふとこんな気持ちが湧きました。
――作品を出来るだけそのままに残しておきたい
今までずっと投稿した後で手を加えるのに抵抗があったのは、その想いからだとこの時ようやく気づきました。
そして、その時にやはりそれぞれの作品に愛を感じていたのだなと実感しましたね。
本当に嫌なら全部直すなり、作品を消すなりしたら良いだけですから、それをしないならきっとその時作品を愛しているからだと思います。
そもそも、私は日々変わっているのですから、その時に最高の出来だと思って投稿したとしても、今の私が見れば違うように受け取るのは当たり前なのですよね。
それを否定するのは、何だか過去の自分を否定するような気がして、自分的にはやはりこのまま作品を残しておきたいと思いました。
勿論、そんなの逃げているだけだろうという反抗的な意見も想定はしておりますが、私はこのように解釈しております。
"過去の自作品は、今の自分が認めたい"
"過去の自作品は、これからの自分で愛したい"
やはりもうこれにつきますね。
確かに自作品への自信は現時点でもなく、代表作すら設定出来ておりませんが、だからこそ、これから自分は自作品を大きさは違うとはいえ、どれも愛していることを誇りたいと強く思いました。
せめて、自分が自作品を愛することで、作品の価値を保ちたいと。
そして、これからも自分で愛せるような作品を投稿したいと思います。