いつもと違う日
チュンチュンと雀の鳴き声がし、朝の光が差し込む。
ほとんど睡眠はとれなかったが、出勤の為に眠気を押し殺す。
「ん…あぁ…やっぱ夢じゃなかったか…」
チョコンと枕元に座る『そいつ』を見てひとりごちる。
「あ、やっぱりまだ見える?」
「見える見える、クッキリだ」
夜中の残りのピザを咥えながらそう答える。
「そういやお前…飯は?これ食うか?」
「別に何も食べないでも平気なんだけど…いいの?」
「いいよ、冷めてて悪いけど」
「一度食ってみたかったんだー!お前いっつも旨そうに食ってんだもん」
嬉しそうに残り物のピザを口に運ぶ。
その姿を見て、男の顔にも笑顔が浮かんだ。
「うまいか?」
「うんめぇ~!!!これ凄いな!!!こんなの食った童貞オレくらいだよ!!!」
「……そっか」
着替えながらも男の顔から笑みが消える事は無かった。
「さて…そろそろ出勤だけど…留守番できんのか?」
「ムグムグ…いや…モグ、オレも行くよ一緒にモグリ」
「いや…でも…」
「誰にも見えないから平気だって、そもそも30年間ずっとそうしてきたし」
「そうなの!?」
「そうなの、つーか頑張っても5mくらいしか離れられねーの」
「そうなの!?」
「そうなの、だからさっさと性行為して俺を解放してくれな」
「うぐぐ…」
「なははは!冗談冗談!せっかくこうして話せるようになったんだし!仲良く行こうや!」
男がいつも会社に向かう前の陰鬱とした気分でない事に気付いたのはその時だった。
「おぉ…こりゃ本当に認めなきゃならんかもなぁ…」
「どうした?」
家を出て男は感嘆の声を上げる。
「お前みたいなのがそこらじゅうにいる」
「あー、オレ以外の童貞も見えるようになってんのかー」
家の外には隣にいる童貞によく似た、けれどもどこか違う生物が溢れていた。
「あれがみんな童貞か」
「そうだな、あれらがそばにいる奴は童貞か処女ってわけだ」
「結構いるな!!お!あの娘は可愛いのに処女だぞ!!!」
「まぁお前くらいの歳の奴のそばにはあんまりいないけどな」
「……言ってくれるな…これ俺にも見えない童貞とかもいんのかな?お前は全員見えてるんだよな?」
「オレには全員見えてるけど、お前はどうなんだろなー、見えてるとは思うけども」
「でも…あの女の子なんてどう見ても中学生くらいなんだけど…そばにいないよ?」
「最近の中学生はすすんでるからねぇ…」
「ちゅ…中学生で…」
「おい!落ち込むなよ!」
「落ち込むわい!!」
仕事に向かう足が重くなるのを感じながらも
いつも通りの電車に乗り、いつもの会社に向かう。
「おせーんだよ!!」
出社一番、待っていたのは上司、それも年下の上司の叱責であった。
「いや…でもいつも通り30分前には着いてますが…」
「何年やってんだよ!遅刻しなきゃいいってもんじゃねえだろ!」
「すいません…何か…緊急の用事でもありましたか?」
「そういう事じゃなくてだな!年上が先に出勤してねぇと示しつかねえだろが!」
「…すいません」
「アンタ自分より年下にこんな事言われて恥ずかしくないの?」
「…………」
その理不尽な叱責はしばらく続き、男にはいつも通りの陰鬱な気持が蘇っていた。
「営業…行ってきます…」
「………」
周りの人間からもクスクスと嘲笑される中、男はいつも通り、営業回りに向かう。
「情けないとこ見せちゃったな」
会社を出て自嘲ぎみに童貞に向かって呟く。
「いつも見てたよ、心配すんな」
「……そっか…そうだよな」
「お前が悪いようには見えないんだけどなぁ…仕事もちゃんとしてるし」
「それだけじゃ駄目なんだろ…わかんねぇけど…」
「じゃあ帰ったら俺がパンチしてやるよ!」「そりゃいいな…」
「ほれほれ、いつもの事なんだから元気出せって!営業行こうぜ!」
「あぁ…」
「見返してやりゃいいんだよ!んで出世しまくって美人秘書雇うの!」
「美人秘書はいいな」
「だろー!『今日の予定はどうなっとるかね?』とか言ってさ」
「『今日は一日中私とホテルでしっぽりの予定です』なんつってな!」
「なはははは!いいねいいね!!」
男に笑顔が戻る、勿論心から笑っているわけではないが。
でもそれは昨日までの人生では考え難いほどに励みになるものであった。
「そう!その顔!暗い顔してたんじゃ取れる契約も取れないからな!」