【四季・冬】君とモニタと溶けかけのチョコレート
カタカタカタカタ。
部屋の中にタイプ音が響いていた。もしかしたら浸食という単語を使った方がいいのではないかというような猛烈な音だった。
部屋には2台のPCがその中心点から同時に操作しやすいように置かれており、そこには部屋の主が鎮座していた。
部屋は遮光カーテンのせいで薄暗く、排熱と空調で空気が澱んでいて慣れないと気持ち悪くなるほどだ。
とどまることのないタイプ音は耳から垂れたイアフォンから漏れるシャカシャカという音と混じり合って、部屋に音量測定器があったらもっと音量を下げろと警告してくることは必至だろう。
あるいは部屋から出て行けと言うのかもしれないが。
2台のPCから同時に紡がれるキーボードの悲鳴はやむことがない。
音の主はマウスを使わないからだ。
以前マウスよりキーボードを使った方が速いとか言っていた。
それに関しては理解できないこともある、と逃げておくことにする。
ヴヴヴヴヴ。
時折混じる作動音が目にモニタだけを移す人間が考えている=人間であることを証明している。
逆にそうでもないと人間であることが証明できないようで僕はそこからも目を逸らす。
3年。
それはあまりにも長すぎる時間。
それだけの時間がこの部屋の主と言う人間の根源たる部分を破壊するのはあまりにもたやすかったはずだ。
その目は相も変わらずにぼんやりと光るモニタを映している。
その目がこちらを向くことはもうない。
その耳がこちらを向くことはもうない。
その体がこちらを向くことはもうない。
もう。
決して。
僕は持ってきた盆を部屋に下ろすと主に向かって言った。
「晩飯、ここに置いとくから」
もう僕に言えることはもうない。
毎日この‘作業’を繰り返すだけ。
部屋の主の目も、耳も、鼻もこちらがいることに気がつかない。
きっとあとで盆がある事に気がついてそこに乗っている料理を食べるのだろう。
この3年というもの、主の食事風景を見た人は皆無だ。
気がつかない癖に人がいると決して後ろを振り向かない。
窓に寄るとモニタの正面あたりに行くことになるが、その時も顔は伏せられていて見えない。
目に写すのはモニタか無人の部屋だけ。
今も目まぐるしく移り変わるモニタをこれでもかと凝視している。
2台のモニタに照らされて、少しだけ露出された肌がその白さを表していた。
僕は言うことも思いつかず、そっと部屋を出る。
開かれた扉をそっと閉める。
今日はもう主に会うことはない。
明日もああしているだろうか。
そうだといいと思う。
僕が壊してしまった彼女に、彼女なりの幸せがやってきますように。
そう願って、僕は部屋を後にする。
キーボードの悲鳴はもう、聞こえてこなかった。
家に帰る途中、雪が降っているのに気がついた。
積り始めたそれは考え事をしていた僕の肩にも薄い層を作っていた。
コートに染みた水滴が僕の意識を強制的に現実へと呼び戻す。
肩を払うととさ、という音とともに地面に落ちた。
地面の雪は既に幾重にも踏まれ、茶色に変色している。
踏まれるのかと思うと少し哀しくなった。
かばんの中から折りたたみ傘を取り出す。
夜と同化しそうな黒い傘は僕の肩よりずっと速く白に染まっていき、時折支えきれなくなった白色の飾りを払いのける。
とさり、とさり。
その音はなんだか切なくて、
これ以上は耐えきれそうになかった。
僕は早々に徒歩での帰宅を諦めるとタクシーに飛び乗った。
後には外を舞い散る雪景色と濡れて雫をこぼす折りたたみ傘だけが残った。
ラジオはのんきに雪が降り続けると言ったようなことをほざいていた。
結局、タクシーの運転手は僕に何も話しかけなかった。
家へはものの5分だった。
家に帰ったら眠くなって深く眠った。
夢を見た。
誰かが泣いている夢。
僕はその人を救ってあげたいけど救ってあげられない。
そんな悪夢。
最後の一瞬、その人の目に青白いモニタが映った気がした。
朝起きると体が冷え切っていた。
外を見ると街を埋め尽くすかのように白色が覆い、車の交通を阻んでいた。
そしてふと思い出す。
ああ、今日はSaint V.Dだったな。
なんだかと今日はても寒かった。
退屈な授業はどうやったって退屈な授業でしかないということはこの十数年でよく知っているからまったく期待なんてせずにゆっくり眠ることにする。
起きていたら嫌なことを思い出しそうだということももちろんあったが。
HR前に寝て、起きたら昼休みだった。
誰にも起こされなかったことは奇蹟に近い。
そして今度はあの夢見ずに済んだなとぼんやりした頭で考えていた。
彼女の部屋から今日はタイプ音が聞こえなかった。
少し、不安になる。この3年というものそれは此処に来るたびにずっと聞こえ続けていたし、それは十数台というキーボードの残骸を無残にも生産し続けていた。環境に悪いったらない。
おばさんも気味悪がっていたじゃないか。
ただ初めてのことであるのは変わりがなく、僕も若干気にかかる。だから今日はノックをしてから入ろうと思った。
コツンッと一回目の音が鳴った瞬間に部屋の中の空気が変わった気がして驚いて手を離す。
中からは猛烈なキー操作音が戻ってきた。
……寝ていたのだろうか?
僕はもうそれがいつもどおりであることを確認して部屋に入る。
「寝てたの?」
ぴろりろりん。
僕が尋ねると変な音とともにメモ帳が起動した。
彼女はWindowsとMacXを同時に使っている。その内のWindowsの方だ。
『うん。』
簡潔な受け答えだが、気分が相当いいことがわかる。
昨日のように一切の受け答えを排した日が大半なのだから。
「そうか、……ここ、ご飯置いとくね?」
『……わかった。』
「というか、いつ食べてんの?」
『……。』
「ま、いいか。…じゃ、僕はこれで」
『あ……。』
「なに?」
『…いや、何でもない。』
僕は釈然としない気持ちを抱えながら部屋を出る。
なにか怒らせるようなことでもしてしまっただろうか。
僕は不安になりながらも、特に声を掛けられるということもなかったのでまあいいかと階段を下りる。
階段を下りるとおばさんが心配そうに立っていた。きっと不思議な行動をしている娘のことが心配なんだろうと思うことにした。
僕はおばさんに精一杯の笑顔を作ると、挨拶して家を出た。
昨日降ったばかりの雪は踏まれて溶けてしまったけれど、今日もまた雪が降っていた。
今日も夢を見た。
深々と降る雪が街を覆い尽くしていく夢。
真白に染まった町は誰もいなくて、声も何処かへ消えていく。
僕は必死で探しまわるけど、同じような道に誰もいないのをずっと歩きまわっている。
そんな悪夢ともそうでないとも判別の付かない夢。
少なくともいい夢でないことはわかった。
だから僕は今日もいいことはないだろうなと思いながら家を出た。
学校はやっぱり退屈だった。
放課後になると僕は彼女の家に足を延ばす。
3年も続いていれば習慣のようになって意識せずとも体は勝手に向かってしまう。
ざりざりと言う雪を踏む音は心地いいが、それと共に靴の中に侵入してこようとする水分がこの上なくうっとうしい。
薄茶色く染まった積雪はまるで僕の行進を妨げるかのように時に足をとり、時に深みに足を呑み込んだ。深さがかなりあって靴下はぐずぐずになった。
靴の中の不快な感覚を抱えたまま彼女の家にたどりつくと珍しく彼女のおばさんはいなかった。
代わりにおじさんがいた。
僕はそれに少し顔を曇らせながらもそれを悟られないように、靴下を脱いで急いで2階へと上がった。
靴下は気持ち悪いが持っていくことにする。
今にも水が滴りそうな布切れを洗面所でこころなし絞り、僕は彼女の部屋をノックする。
今日もタイプ音が響いてこない。
何か心変わりでもしたのだろうか。
そんな心配も直後に聞こえてきたダダダという音で杞憂だということがわかると僕は安心して部屋に入る。
薄暗い中を縦横無尽に走るコードが圧迫感を与えてくるが、実質それしかない部屋は別に狭苦しいというわけでもなく中央に鎮座した2台のPCが一種異様な雰囲気を醸し出している。
僕はそのコードを踏まないように気をつけながら彼女に歩み寄る。
どろりと生温かく滞留性を持った空気が僕を迎え入れる。
「今日はおばさん、いないんだな」
今日は返事はない。
おばさんがいない時点で分かっていたことだ。
おばさんがいないということは、おじさんがいるということなのだから。
沈黙の中、いつも荒いタッチ音がより一層の強さになる。
なにかプログラムでも作っているのだろうか。
長いアルファベットの文字列が下に流れていく。
おじさんがいる間は、家に帰る気分にもなれなかった。
そこに申し訳程度に置いてある布団を見つけ、ここで寝ようかと考えて、
「これ、使っていいか?」
答えはない。構わないだろう。
僕は布団を出すと、その上にごろりと寝転がった。
羽毛布団は優しい肌触りで僕はすぐに眠りに落ちた。
僕は今度も夢を見て、僕はあの日のことを思い出す。
それは降りしきる雨が2週間も続くなんていう異常気象じみたことがあった冬の日のことだったと思う。
当時のことで記憶しているのはこれぐらいで、実際僕のこの周辺の記憶は一切消失している。
その日の朝もいつもと変わらず雨にうんざりして雪に変わることを望みながら登校していた。
教室に彼女の姿がないことが少し気になったけど、病院に行ってるのかななんて考えていた。
彼女はいつも遅刻ギリギリの僕とは違って毎日人が増えてくるタイミングでやってきて、そのまま友人としゃべっているような生徒だったから、教師が来たら欠席と言うだろう、としか思っていなかった。
だから僕はそのことに関して考えるなんてことをしなかった。
HRにやってきた教師は彼女のことについて何も知らなかった。
僕は突然、彼女が少し心配になった。
僕は結局そのことについて考えるということをしなかった。
していれば何か解決していただろうか?
神は僕のせいだと言うのだろうか?
そうではないと僕は思っている。
ソウ信ジテイタイダケカモシレナイ。
どちらにしても僕は、
‘彼女’を失った。
無断欠席が3日も続くと教室にも不穏なうわさが流れ始めた。
曰く、夜逃げをしたのではないか。
曰く、一家まるごと殺されたのではないか。
曰く、重大な感染症にかかって隔離されているのではないか。
曰く、……。
日に日に噂は尾ひれ背びれを付け、拡大していった。
僕はもうそんな日々に耐えられそうになかった。
僕と彼女は幼馴染というやつだった。
昔から何をするのにも一緒だった。
昔から何をするのにも一緒でないと気がすまなかった。
だから彼女が学校を何日も休んで覚えたのは、怒りと嫉妬と恨みをこね合わせたような、どうしようもない感情だった。
学校を休むなら僕も混ぜてくれないとムカツクと思っていた。
そのころ僕と彼女は疎遠になり始めていたから、細かい事情がわからなくなり始めていたというのも大きい。
だから今度学校に来たら懲らしめてやろうなんて考えていた。
次第に彼女の姿が学校から消えていくと僕は不安を覚え始めた。
自分の半身が失われていくようで。
級友たちは彼女に対する興味を失い、それとともに彼女の影は薄くなっていく。
僕はそれに恐怖を抱いた。
だからその日、僕は彼女の家に行くことにした。
自分の家とほぼ同義だった、何年も行っていない彼女の家はまるで他人の家のように鎮座していた。
1個の明かりもついていないことをうかがわせる窓は、まるでどこかで読んだホラーみたいだ、と思って少し笑った。
それがどういうことかなんてわかってなかった。
だから僕は躊躇いなくインターフォンを押す。
ぴんぽーん。
静まり切った路上に間抜けな音が鳴り響く。
ぴんぽーん。
ぴんぽーん。
何回か押しても家の人は出てこなかった。
誰もいないのかな……?
もういいや、と振り返る。
疲れたし、もう帰って寝ようと思っていた。
後ろで、何かが倒れるような音がした。
後ろで、何かが倒れるような音がした。
目を覚ますと、椅子から転がり落ちた彼女の姿があった。
どうやら寝てしまったらしい。
僕は彼女に毛布をかけてやると、やっぱり眠たくなって布団に戻った。
羽毛布団の無い布団はかなり寒かったはずだけれど、不思議と寒いとは感じずに僕は再び眠りへと落ちて行った。
後ろで、何かが倒れるような音がした。
僕はきっと彼女が起きてきた音だろうと思って引き返す。
ぴんぽーん。
また間の抜けた音が響く。
だけどやっぱり返答は帰ってこなかった。
僕は誰も出てこないんだから誰もいないんだ、だったら鍵を確認しておかないといけないからドアに行くんだなんて怒られた時の為にいいわけまで用意して門の内側に入った。
門は元通りに閉めておいた。
僕はドアにゆっくりと近づくと、音をたてないようにノブをゆっくりと回した。
きいぃ、と音がして僕の肝を冷やす。
やっぱり僕が来てよかった、一応、誰かいないかだけ見てみよう、なんてことを考えながら僕は家に入る。
「こんにちわー、誰かいませんかー?」
しんと静まり返った家に僕の声は拡がって、ぞっとするような静寂が訪れた。
僕はそれに恐怖を感じながらも、2階への階段を上る。
家には何度も入ったことがあったけど、一番行ったのは彼女の部屋だ。
彼女が心配で来たのだからそこをのぞくのは当然だと思った。
彼女の部屋は開いていて、中に人の気配がした。
僕は彼女が学校に来ない怒りを少しだけ思い出して部屋に入りながら言った。
「何だよ、いるんだったらちゃんと学校来いよ。僕だってさぼりたいのは……」
部屋に入ると、そこには××がいた。
僕はそこで目を覚ました。
体中が寝汗で一杯で気持ち悪かった。
彼女は既にPCの前の定位置に戻っていて、がたがたという振動がいつもどおりであるということを思い出させた。
僕は彼女をそのままに洗面所へと向かう。
ざぱざぱと顔を洗ってすっきりすると、夢の内容は少しずつ零れ落ちていった。
けれどあまりに強い夢を見続けたせいか、とげが今も突き刺さっているような気がして、僕はおじさんがいるはずの居間に向かう。
期待通りそこにはおじさんがいて彼はしかめつらをしてこちらを見ていた。
僕はそれを視界の外に省くと向こうも特に何かを言ってはこなかった。
冷蔵庫から食べられそうなものと2L入りの烏龍茶のペットボトルだけ取り出して僕は部屋に戻った。
部屋では彼女が叩いていた。
まぁキーボードを、だ。
扉を越えて聞こえるような音は、次第に壊れていくキーボードのうめき声を聞いてるようだ、なんて思った。
「飯、ここに置くぞ?」
彼女からの応答はない。
僕はペットボトルから烏龍茶を注ぐと一気飲みにした。
冷蔵庫に入っていたスナック菓子を食べる。
辛みが効いていてそこそこおいしかった。
食べ終わってそろそろ帰ろうかと僕が腰をあげかけた時、下で車が発進する音が聞こえた。
……おじさんが出て行ったのか。
今はおじさんと会いたくないな。
車と歩きとはいえこのあたりは道が入り組んでいて会う可能性がなくもない、だからもうしばらくここにいよう、と考え直す。
ぴろりろりん。
いつもの音がしてメモ帳が立ち上がる。
『行ったの?』
「ん? ああ、どこかに行ったみたいだな」
『そう……』
僕は烏龍茶やスナックなどを差し出して勧めるが彼女は食べなかった。
警戒しているのだろうか。
それも悪くはない。
「だからもう、何も隠すことなんてないんだぞ?」
『…………』
突然メモ帳からメッセージが消える。
『……、そう。まだ駄目なんだ。』
「何の話だ?」
そして突然、語りだした。
『あはははははは、教えないよ。君の罪は君のものなんだから。僕が背負ってやっているのはほんの気まぐれに過ぎないんだよ。それには感謝してほしいぐらいなんだよ? まぁ食事をいつも持ってきてくれるから幾分かは相殺になるんだろうけど……。』
速すぎて読むことができない、そう言うと連打は一気に止まった。
『そうだね、君がもしも思い出せたら私にとっての真実を語ろうか。なぜ学校を休み、なぜ父親を嫌い、どうしてこんなことになったかを』
「……」
真剣っぽさのあふれる文字列はゆっくりと押されたせいでその真実味を増していた。
だから僕にはうなずくしか道は残されていなかった。
『その時は私も話すよ。全部まとめて、ね』
最後に何か言っていた言葉は、あっという間に消えてしまって見ることができなかった。
僕は釈然としない気分を抱えながらも帰宅することにした。
思い出せないわけがないのだ。
現に僕は今もそのことを思い出せる。
そこに一切合財のノイズは混じっていない。
不整合があるわけでも、不明瞭なところがあるわけでも、もちろん不合理なことがあるわけでもない。
だから僕はこんな意味の無い質問をした彼女に若干の苛立ちを覚えながら帰宅し、床に就いた。
眠気はすぐにやってきた。
部屋に入ると、そこには××がいた。
部屋に入ると、そこには彼女がいた。
部屋に入ると、そこには彼女がいた?
いるはずがない、だって彼女は僕の来訪に答えなかったのに?
だからこんなところにいるはずがない。
いるはずがないのにここにいる。
なんで?
何でそばにおじさんが立っているの?
何で君はそんなに傷だらけなの?
何で? なんで? ナンデ?
「あ……」
彼女の言葉に僕ははじかれたように彼女の家を飛び出した。
もう何も考えたくなかった。
彼女の声を聞いたのはそれが最後だったかな、と後で思った。
そのとき、心の中で何かがうずきだした。
それは僕の中で次第に大きくなり、声高に叫び続ける。
違う。その記憶は、違う。
一体これの何が違うというのだろう。
違う。違う、違う違う違う。
違うところなどないのに……。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
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違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
心の底で何かが違うと叫んでいる。
それが何か分からない。
こんなにも違うのに。
こんなにもおかしいのに。
気づきそうで、気づかなそうで、光に手を伸ばすように、闇に助けを請うように、手を伸ばして。
掴めそうなそれに必死にすがって、
そして、
僕は彼女の家に走っていた。
全てを思い出して、僕は彼女の家へと走っていた。
肺臓がこれ以上運動するなとやかましい。
手足が鉛になって僕の動きを制限しようとする。
でも走らずにはいられない。
1秒でも早く、1歩でも節約して。
僕は必死で駆けた。
思えばおかしなことだった。
彼女がそこに傷だらけでいるのを見た時、そこにおじさんがいるなんてありえない。
もしもそうであるならおじさんは今日、家に帰ってはこれないはずだ。
警察もそこまでは馬鹿ではないはずだ。
だから最低でもあの日のおじさんが今日のおじさんと違わなければならない。
でもあの日僕が見たのはおじさんで間違いない。
だから彼は彼女に何かをしてはいない。
だから、僕は思い違いをしていた。
家にたどりつく。
もう、彼女を救ってあげなければならない。
そう、心に誓って。
彼女の家にたどりつくとどなり声が聞こえてきた。
「なんてことを……! これじゃ……じゃないか!! この××が!」
どなり声はやはり2階、彼女の部屋から聞こえてきていた。
僕はなりふり構わずに階段を駆け上がると彼女の部屋の扉を開ける。
そこには大体予想どうりの光景が紡がれようとしていた。
そこにいるのは2人。彼女と犯人。
そして振り上げられ、今にも彼女の頬を叩きとばそうとしている犯人の腕を必死につかみ、押しとどめる。
落ち着いたところで、僕は探偵が犯人を追いつめるときのように、一字一句あたわずに言う。
「やっぱりあなたが犯人だったんですね」
反応はない。
「おばさん」
おばさんはふんと鼻息を荒くしながらもうなずいた。
おばさんは特に抵抗らしい抵抗をしなかった。
推理小説だとしたら最低レベルの筋書きになるのかな、なんて不謹慎なことも考えた。
おばさんはめったに帰ってこないおじさんに対してストレスがたまっていたらしい。
そういうおじさんはおばさんの暴力に嫌気がさして帰ってこなかったというのだから報われない。
おばさんはこの家から去って行った。
あとはどうなろうと知らない。
「こういうことだったんだな」
僕が呟くとメモ帳が起動する。
ぴろりろりん。
この音をこんなに聞くのはこの3年で初めてだった。間抜けな音が空気を弛緩させる幻影。
『そう、これがあなたが思いだせなかったこと。あなたは思い出した。一応、合格』
「あの時部屋におじさんがいたのは様子を見に来ただけだったんだな」
『そう、それをあなたは勘違いした』
「おばさんの作った食事を食べなかったのも」
『毒が入っているかもしれないから、食べなかった』
「食事はどうしてたんだ?」
『夜中に買いに行ってた』
「あの日階段の下でおばさんが待っていたのも……」
『……?』
「あ、ああ。知らないんだっけか。V.Dの日だったか、おばさんが階段の下で待ってたんだよ。心配そうに見上げてたんだけど……、あれもばれないようにってことか」
『たぶん、そう』
「そうか……」
同士がいなくなったような気がして少しだけ寂しいと思った。
そして長い沈黙に導かれるように僕の口から言葉が抜け出てくる。
「なあ……」
『なに?』
「もう、いいんじゃないか?」
『……何が?』
「それだよ」
『…………』
彼女のPCは唐突に止まった。
『………………』
「……もう、終わったんだ」
『………………』
「君がそうし続けている意味なんてないんだ」
『………………』
「………………」
『………………』
「………………」
かたりとも音をたてない。
きっと互いに正面を見ていたらにらみ合っていただろう、という緊張感。
『そうかな、本当に?』
「本当だよ。たとえ君がそうしていなければ身を守れないとしても、僕はそう言う」
『………………』
「君はこんなところにいるべきじゃない」
『………………』
その無言は一体何を意味するのだろう。
呆れでなく木工であることを望む僕には、胃を重たくするだけの効果しか生まないけれど。
僕は言葉を重ねる。
「僕が守るから。だからもう、終わりにしよう?」
『………………』
「もう君は此処から出るべきなんだよ。このPCしかない部屋から」
僕はここで説得を失敗したらもう二度と彼女が外に出ないのではないかと心配していた。
だから説得に妥協をしたりなんかはしなかった。
「だから僕は、」
『………………』
「君を迎えにきたよ」
『………………』
「君をここから引っ張り出すために」
『…………いよ』
「え……?」
『怖いよ……』
思えば、彼女が引きこもりだしてから初めて見せた感情だな。
僕は苦笑すると言った。
「そのために僕がいるんだろ?安心しなよ。怖いことなんて何もない」
『嘘』
「…………」
『でもいい。信じてあげる』
「…………」
『だからさ、ちょっとだけ』
「泣かせてよ」
彼女の声を聞いたのも3年ぶりだ。
その声はまるで時が流れ方を忘れたようにしわがれていた。
それが、彼女の罪。
それが、僕の罰。
僕はいつまでも声をあげて泣き続ける彼女を胸元に抱き、その声を聞きながらずっと謝っていた。
遅れて来て、ごめん。
もう二度と手放したりはしないから。
ただそれだけを、いつまでも。
いつまでも、謝っていた。
泣き疲れたのか彼女は眠ってしまった。
寝息を立てる彼女の脇、PCの上にチョコレートを見つけた。
丁寧にラッピングされたそれは、一見した限りではV.Dのチョコレートにしか見えなかった。
僕はそれを手に取ると容赦なくラッピングをはがす。
彼女に好かれるような奇特な人間はこの家に出入りする人間だけで、きっとおじさんではない人だ。
僕はそこに挟まれていた手紙に予想通りの名前を見つけると、包まれていたチョコレートを取り出して一口かじった。
ほんのりと甘いそれはPCの排気熱で少し溶けかかっていて、ファットブルームの白っぽい塊があちこちについていた。
だけどそれは今まで食べたどのチョコレートよりもおいしい気がして、いつまでも噛んでいた。
溶けきると、甘い味が舌の上で囁いていた。
僕は彼女の頭に手を伸ばす。
さらさらとした手触りが特徴だったその髪は、何日か洗っていないのか脂でべたついていた。
僕はその髪をそおっとなでる。
いつまでも彼女の幸せが続くようにと願いながら。
そしてもしできるならばずっと彼女と共にいることがますように、なんて思っていた。
もしこれを見ている人がいたら、どうか祈ってください。
僕と彼女がこれからもうまくやっていけることを。
END
おまけ
「なあ、途中で人格変わってないか?」
「演技」
「……」
「……」
作品解説
【冬】はブログサイト「ごった煮のにぢる」にて執筆されたもので、これまでの四季シリーズとは一変して小説の形態をとっています。
別にこだわっていたわけではないのですが、今考えてみると揃えてもよかったかな、という気はしますね。
【冬】は四季シリーズで唯一ハッピーエンドに辿り着く作品です。ただしこのハッピーエンドは酷くバッドエンドに近いものでしかありません。
彼と彼女がどうなるかはこれまで同様私にはわかりませんが、出来るなら幸せになってもらいたいところです。
また【冬】は四季シリーズの中で唯一書き直したいと思っている作品でもあります。
書き直すとは思えませんが後半は作りが雑になり、諦めた感が漂っています。
このあたりは今後の課題を示唆していると言うことができると思います。
この作品、個人的には駄目なところばかりが目立ってしまうのですが、モニタの上で溶けかけているチョコレートと言う発想だけは過去の自分を素直に評価したいです。
*
個人的には【春】【夏】【秋】【全】【冬】と書いてきて、四季シリーズは閉幕しました。
5つの作品に共通するのはそれぞれの四季という描写だけ。
書いていたときも、これを伝えたい、という強い思いがあったわけではないこの5つの話ですが、読んでいただけたのならこれ以上の幸せはありません。
ここまで読んでいただき、真にありがとうございました。
それでは。