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51 松緒の選択

 握っていた手から力が失われ。

 呼吸が止まる。

 衣を血まみれにした松緒は、かぐや姫の、最期の一息まで泣きじゃくりながら見守っていた。

 姫様、と名を呼び、体をかき抱き、頬に触れて、かぐや姫の言葉に耳を澄ませていたのだ。

 だれも寄せ付けなかった。場を指揮していた東宮でさえ、声をかけるのを憚られた。


 ――かぐや姫の後を追わないだろうか。


 渓谷の川辺に座り込む悲壮な背中を見つめながら思う。

 かぐや姫は崖から落ち、夜明けまで見つからなかった。にもかかわらず発見された時に虫の息でも生きていたのが奇跡だと言えた。

 あんなに美しさを謳われたかぐや姫でも、その顔はもはや見る影もなく。片目は潰れ、鼻も陥没していた。

 あのあずまでさえ、彼女の顔を見た瞬間にその場でえずいたほどに醜い姿に変わり果てていたのだ。

 しかし、松緒は涙を流しながらも、迷わず倒れるかぐや姫を助け起こして、姫様、姫様、と……おそらく昔からそうしていたように、主人を呼んでいたのだ。


 ――俺はあなたが羨ましいな、かぐや姫。


 わずかに垣間見えた死に顔は、いっそ満足げに見えたのだった。

 不死の妙薬にまつわる騒動は、これより静かに収束していった。





 相模は、ぽつりとこぼした。


「松緒が邸に来る前。幼い姫様は何者かに犯されました」

「どうしてそんな……!」

「おそらくは、左大臣家のさしがねでしょう。確証はありませんが、当時東宮だった今の帝の妃として、左大臣家とこの大納言家の姫君の名がさかんに取り沙汰されていましたから。そして、かぐや姫の美しさはそのころから評判だったのです……。姫様のご様子が変わったのは、その時からでした」

「私が出会った姫様は……もうそのころには」

「ええ……」


 まだ十歳にもなっていなかった姫様の身に起きた悲劇に身が潰れそうになる。

 姫君を失い、桃園大納言も引退した。今の桃園第は静かなものだった。風光明媚として知られた邸も、これからゆっくり朽ち果てていくのだろう。

 今の松緒は、もう身代わりをしていなかった。その必要もなかった。


「もしかしたら、姫様はすべてをご存じの上で、市場で売られていたあなたを買ったのかしら……」

「まさか、そのような偶然が」


 松緒は曖昧に笑うが、腑に落ちないところもあった。

 昨日出会ったばかりの「姉」を思い出す。彼女の命もまた、そう長くなかった。苦しそうな息の中で、松緒の顔を見た途端、はっと目玉をこぼれそうなほどに見開き。


「あぁ……! あぁ……!」


 さめざめと泣き出した。

 病で様変わりをしていたけれど、松緒には元の顔がありありとわかった。水面に映る己の顔と、そっくりだったからだ。


「わたくしが選ばれてしまったから、あなたは外に出されてしまって……生きていてくれてよかった……!」


 双子は不吉だという迷信がある。そのために生まれたら引き離すことがままあるそうだ。

 左大臣家の大君が松緒の双子の姉だとすれば、松緒もまた血筋では左大臣家の姫君ということになる。

 姫様を傷つけた左大臣の血を引いているのに、松緒は姫様に拾われた? ……いや、ただの縁の問題かもしれない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最期のうわごとを耳にした時にそう決めた。


「松緒はこれからどうするの?」

「さぁ……。私にもわかりません。もう、姫様を追いかけるしかないかなって」

「いけません!」


 真っ赤な目をした相模が松緒の体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。


「こんな年寄りより先に死のうとするなんて許しません! 姫様に続いてあなたまでいなくなったら……もう」


 相模はこの一月ほどでずいぶん老け込んでしまった気がする。無理もなかった。いろいろなことが、ありすぎたのだから。

 姉と松緒の顔がそっくりだと初めに気づいたのは、行春で、行春から説明を受けた大君が松緒に事情を話してくれた。

 その行春からは、実母だという人に引き合わされ、左大臣とも面談した。

 左大臣からは、松緒を引き取りたいという申し出を受けたが、松緒は固辞していた。


 ――あの人は、あんまり好かない感じがしたから。


 おおかた、松緒を入内するための駒にするつもりなのだろうと察しがついていた。勘弁してもらいたかった。

 かぐや姫がいなくなってさほど日も経っていない。何かを考える気力もなかった。

 日がなぼうっと桃園第で過ごしていると。

 庭からひょっこりとピンク髪が現れた。


尚侍ないしのかみサマ」


 久しぶりに見る陰陽師だった。


「私はもう、尚侍じゃないですよ。東宮さまからお話を伺いませんでしたか?」

「フフフ」


 晴明はるあきらはただただ微笑んでいた。


「晴明殿はどうしてここに?」


 しびれを切らして尋ねれば、晴明は後ろ手に組んで、「久方ぶりに出仕しましょう」と言った。


「出仕? まさか。身代わりはもう終わったのに」

「尚侍サマにお会いになりたい方がいらっしゃるのです」


 晴明は三つの文を出した。

 ひとつはきっちり折り畳まれた白い紙の折文。

 ひとつは桃色の色紙で包まれたかわいらしい結び文。

 最後のひとつは、実は文ではなくて包み紙。くるまっていたのは、椿餅だった。


「どれかおひとつ、選んでくだサイ」

「ひとつだけですか?」

「選んだものが、尚侍サマの運命ですヨ」


 占いでもするつもりなのだろうか。

 よくわからなかったが、松緒は一番気になった椿餅を手に取った。

 すると、陰陽師はにっこりした。


「ではお連れします。あ、その椿餅は着くまでに食べといてくださいネ」


 陰陽師は有無も言わさず、松緒を牛車に乗せた。


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