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47 帝の心

 やがて朱塗りの高杯たかつきに盛られた餅がひとつ、几帳の向こうからそっと押し出されてくる。


尚侍ないしのかみ。餅は好きか。共に食さぬか」


 帝が「かぐや姫」に尋ねてきた。

 松緒は感慨深かった。蝉の抜け殻と蜥蜴の尻尾という発想から、よくぞここまで。


主上おかみ、お気遣いうれしく思います。せっかくですし、頂戴いたします」


 松緒はいつものようにかぐや姫のふりをして答える。


「うむ」


 帝の満足げな表情が見て取れるような声音だった。


 長時間の頭脳労働で相当疲れていたらしく、松緒の体は餅の素朴な甘みを欲していたらしかった。


「おいしゅうございます」


 おのずと松緒の声が弾む。

 同じように長家や晴明も、帝の厚意に感じ入った様子で礼を述べた。


「不思議なこともあるものだ。ひとときに、各々が示し合わせていたわけでもないのにこうも集まってくるとは。これも尚侍の人徳かな」


 帝がしみじみとしたように言う。


「東宮とも、ついそこで行き合ったのだ。行こうか行くまいか、ぐずぐずしていたようなので、連れてきた」

主上おかみ、わざわざ言わないでもらえますか」

「なぜかね?」

「……いえ」


 東宮は口篭るも、話題を変えるように、

 

主上おかみはよほど尚侍を気にいっていらっしゃるようですね」


 と言った。帝は「うむ」と弾んだ声になる。


「好いておるぞ」


 無邪気な調子で述べた帝の言葉に、なごやかだった空気に緊張が走った。


「そ、それは……どのような意味でしょうか」

「そのままだが?」


 驚き、思わず声をあげた長家を気にしたそぶりもなく帝は返した。

 松緒は頭を抱えた。好かれるようなことをした覚えがない。


「こ、光栄でございますが……」


 このように言葉尻を濁すだけで精一杯だ。


主上おかみ。尚侍が困っていますよ」

「そうか。弟に言われたなら仕方ない」


 帝は東宮の諌めに一度納得しかけたが、ふいに、「東宮のことも好いておるぞ」と言い出した。


「は……?」


 東宮だけでなく、松緒もぽかんとした。帝の中でどのように話が繋がったのかがわからない。


わたしはみなが心安らかでいられるのが一番よいと思っておる。朕は尚侍を好いておるし、東宮も好いておる。あと、長家と晴明はるあきらもとても良い臣下ゆえ、好いておる」

「……恐れ入ります」

「フフフ」


 長家も戸惑った様子だが、ピンク髪陰陽師は意味深な笑い声をあげた。

 松緒は几帳の隙間から扇で顔を隠しつつも、そっと御簾の外をうかがった。


「尚侍もそのうち、だれかと心通わすことになろう」


 帝のふくよかな声が心地よく響く。穏やかな顔つきが、御簾越しにもわかる。気づけば、耳を澄ませていた。


「それはわたしであれば一番うれしいだろうが、東宮かもしれぬし、長家のような男かもしれぬ。だが、結局のところ、だれでも良いと思うのだ。尚侍が幸せに笑えるのであれば。朕は、尚侍が好いた男ごと好くことができるように思うからな」

主上おかみ……」


 正確には松緒に向けられた言葉ではない。そのはずなのに。


 ――「かぐや姫」は私が想定しているよりも深く、広い心で愛されているのかもしれない。


 とてもありがたいことだ。


「そのお言葉、とても……「とても」とは言い表せぬぐらいに、感謝いたします」

「うむ」

「……主上おかみにはかないませんよ。こちらの心が狭いように感じます」

「なに、弟よ。腹の底では多少なりとも違うことを考えていまいか。兄ゆえわかるぞ」


 しばし、みなが談笑し合う。

 その時間は思いがけないほど優しいもので、松緒は久しく感じていなかった安らぎさえ覚えた。


 ――ここに姫様がいてくださったらどんなにか……。


 餅を齧りながら互いに目配せしあい、共犯者めいた微笑みを浮かべていられただろうに。

 この翌日、松緒はふたたび、「姫様」と対峙することになる。

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