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44 ぐちゃぐちゃ


 近ごろ、行春の周辺は落ち着かなかった。

 元から姉が療養のため、別の邸で暮らしていたが、先日の参詣の折には母まで正気を失い、今も床についている。時折、錯乱して暴れまわるそうだ。


『あの子をどこへやった! どこへ! おらぬ!』

 

 わけのわからぬことをいつも言いながら、手足をばたつかせている。

 そのたびに行春も含めた家人の男たちが総出で止めていた。

 父は本邸に居つかない。妻の変わり果てた姿を見たくないのだろう。新しい愛人の元に通っていると聞く。妻も娘も息子も見限ったのかもしれない。


――もうぐちゃぐちゃだな。


 ばらばらになった家族の有様を眺めて思う。自分もどこかの女へ逃げてしまおうか。

 だが、生来の生真面目さが邪魔をする。女ならだれもよいわけではない。かぐや姫のように評判の高い極上の女がよい。

 ただ、行春にはかぐや姫のこと以外にも気にかかることがあった。

 参詣の際に出会った、姉に瓜二つの女のことだ。

 東宮に素性を聞いてもはぐらかされたが。


――もしや、姉上が東宮とともに……? しかし、病弱だから参詣など難しいはず。


 姉と東宮には接点がない。

 まして、行春は最近の姉の様子を知らない。だから、別人だろうとは思う。ただ。


――確かめたい。

 

 行春は逡巡の上、姉を訪ねることにした。姉に会えば、わかると思ったのだ。

 彼が参詣で垣間見た女に対して感じた、心臓の高鳴りの正体を。

 これまでに、行春は三度、胸が締め付けられるような感覚を味わった。

 一度目は、蔵人所に向かうかぐや姫の姿を目撃した時。

 二度目は、かぐや姫と魂震える合奏をした時。

 三度目が、参詣の際に、笠の布がめくれて、姉にそっくりな女の顔を見てしまった時。

 行春には、女の顔がまるで真珠のように照り輝いているように思えた。知っている顔のはずなのに。

 かぐや姫は絶世の美女との評判だったし、男たちがみな彼女の心を得たいと思っているから、魅了されるのも仕方ない。だが、姉は……。

 彼自身は、姉に対してどうこう思ったことはないはずだ。だから、別人だと確かめたかったのかもしれない。もし、別人だとわかったら、どんな女人か知りたいと思う。そうしていきついた先には、と想像して、行春は顔を赤くした。まだ気が早い。

 姉は都近くを流れる川から少し離れたところにひっそりと暮らしていた。そこは寺院も多く、葬送の地とも言われる鳥辺野からも離れていない。家屋もまばらで、さびれた土地だ。これまで姉を訪ねなかったのも、どことなく薄気味悪さのある土地に近づきたくなかったからでもあった。

 姉の住む邸の前までやってきたが、さすがに左大臣家所有の邸とあって門の辺りは手入れされている。

 主殿がひとつと、川から水路を引いた池と滝がある庭だけの、こじんまりとした邸だった。

 庭木はほどよく剪定され、檜皮葺の屋根もよくき替えられているはずなのに、どこか暗い印象があるのはなぜだろう。

 周囲を眺めていると、主殿から見慣れぬ男が近づいてきた。腰に太刀を身に付けた、貴人を守るさむらいと思われる若い男だった。


「近衛少将の行春様ですね」


 侍といえば、野卑な者たちという印象だが、その男は口調も所作もどこか洗練されている。

 見たことのない顔だ。この邸で新しく仕え始めた者だろうか。眼光にどこか油断ならなさがあった。


「そうだ。姉上に会いに来た」

「なるほど」


 若者は顎に手を当てる。応答の仕方が、主人格に対する「それ」ではない。妙に気に障る男だと感じた。


「少々お待ちください」


 そう言って、男はゆったりとした歩みで主殿へ向かう。まるで行春が客人で、男の方が家の主人と言わんばかりだ。姉のところだからと先触れを出さずにひとりで来たのが悪かったのかもしれない。

 しばらくして、男が戻ってきた。後ろには下人を連れている。


「馬をお預かりいたします」

「わかった」

 

 乗ってきた馬の手綱を下人に預ける。


「太刀もお預かりいたします」

「……わかった」


 腰に下げていた太刀も渡す。

 恭しく受け取った男の口元が歪んだ気がした。


「ではご案内します」

「……待て」

「何でしょうか」

「そなた、名は?」


 男は答えた。


「『あずま』とでもお呼びください」

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