43 「恋心」
桃園大納言は信じていない様子だった。実際に目にしなければ、信じないものかもしれない。納得した相模や松緒のほうが珍しいのだろう。
――姫様は、父君の反応がわかっていたから、普通の姫として振る舞っていたのかもしれない。
本当の自分の心を見せたら、拒まれる。そのような恐れを常に抱いていたら……。
松緒には想像するしかないけれど、本人は辛かっただろうと思う。
「ああ、姫よ。わしの姫……いとしい、いとしい姫」
桃園大納言が意気消沈しているが、松緒にはさらに言わなければならないことがあった。
「姫様はもう大殿の元に戻るつもりもないようです。私にも、身代わりをしなくてもよいと……。大殿、もう、「かぐや姫」は病を理由に宿下がりをしてしまって、そして、いずれは……」
死んだことにしましょう、とは言えなかった。
だが、大納言は「だめだ」と唸った。
「まだ、『おまえ』がいるではないか、松緒……! 姫には戻る場所が必要だ。守らなくてどうする! え? おまえがいるなら、また姫は姿を見せるやもしれぬではないか……!」
「いやっ……!」
「大殿、おやめください!」
大納言が掴んだ腕で松緒の身体は後ろに倒れ込む。大納言もその拍子で松緒に馬乗りになった。
松緒は恐怖で身動きがとれなくなった。昔から知っているはずなのに、まるで別人のように思えた。
見かねた相模も大納言の背中にすがりつくも、大納言は血走った眼で松緒の身体を揺さぶりつづけた。
「松緒、松緒、松緒よ。ほかに何か隠しているのではないか。わしのことを本当は申していたのではあるまいか。それをおまえは口にするのが恐ろしくて黙っているのではないか?」
「ち、ちがいます……!」
「大殿! これ以上はもう……!」
「黙れ! そなたは下がっておれ!」
突き飛ばされた相模がどん、と床に体を強く打ち付けた。
「相模! ……もうおやめください、おやめください、大殿!」
こらえきれずに叫んだ松緒。
次の瞬間だった。
「何をしている!」
別の声が割り込んだ。松緒の身体に乗っていた重みがふっと軽くなり、視界が明るくなる。
松緒は助けを求めて手を伸ばした。
「松緒! 無事だな」
「は、はい……」
身体を引き起こされる。
「ありがとう……ありがとう、ございます。東宮さま……」
東宮は複雑そうな顔で松緒を見下ろしていた。
彼が、桃園大納言を力づくで引きはがしたのだ。
「女房の方にも怪我はありませんヨ」
いつの間にかいた晴明も、相模を助け起こしていた。
桃園大納言で俯せになったまま、動かない。
東宮は近づき、片膝をついて老人に告げた。
「大納言とも話をしたいと思っていたところだ。……その取り乱しぶりからして、何を聞いたかは想像がつく。大納言、そなたこそ、私に言うべきことがあるまいか」
「……存じませぬ」
「この状況から見れば、明らかだと思うがなあ……? 大納言よ、何を隠しておる?」
「言えませぬ……」
「ならば、この東宮から言ってやろうか」
「あ……」
「よし、言うぞ。そなたには秘密がある。その秘密とは」
「言わないでくれえ……!」
「ならば話せ! 東宮の命である」
蚊の鳴くような声になる大納言に、東宮はさらに追い打ちをかけつつも、ふいに柔らかな声になる。
「こちらとしても大事にはしたくないのだ。話次第ではよいように取り計らってやろうではないか」
「……それはまことでございますか」
「ああ、それに、おおかた、こちらも予想がついておるからな」
「さようですか……」
老人はもごもごと口を動かしていたけれども、やがて。
「申し上げます。わたくしめは、血の繋がった実の娘である姫に……姫に、恋をしておりました……」
その言葉に、本人以外、場にいた者すべてが、言葉を失った。話を促した東宮でさえ、予想外の話が飛び出したからか、信じられないような眼で老人を見下ろしている。
「馬鹿な……」
松緒にしても同じ気持ちだったけれども。
――ああ、姫様はこのことをご存知だった?
知っていたらなんと残酷なんだろう。
「恋」という美しい言葉を大納言は使ったけれど、内実なんてそれとかけ離れていたに違いない。
かぐや姫は絶世の美女だった。絶世の美というものは、肉親の情をも狂わせてしまうのだろうか。
唯一頼るべき肉親が「そう」であったなら。
邸に帰れるはずもない。
――私は、何も見えていなかった。
かぐや姫の気持ちも、周囲の思惑も。姫様が本当に好きだったら、見えていなければならなかった事柄をいくつも取りこぼして。
――なにが、「かぐや姫の一の女房」なのよ。知らなかったでは済まされない。姫様の御心を守ることができないで。
今、かぐや姫のために松緒は何ができるのだろう。そう考えたけれど――この場で答えは出なかった。




