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42/53

42 気持ち悪い

 後宮への帰還も、陰陽師の助けもあって何事もなかった。

 しかし、一晩を越えた次の夜に帰ってくることとなったため、松緒は室でまんじりともせず座っている相模さがみを前に、ごめんなさい、と誠心誠意謝って許してもらうほかなかった。

 帰りが遅くなった理由を告げていくにつれ、相模の顔が険しくなっていく……。

 

――ほうら、私が心配したとおりでしょう?


 そう言いたげだ。

 しかし、さすがの相模にも、姫様が不死の妙薬の件に深く関わっていることなど言えるはずもなく、それ以外を省いて松緒は話した。東宮からの間諜であるたつきがいないことを確認した上でだ。


「……そうですか。もう、あの方は帰ってこないのでしょうね。それもまた仕方がないことなのでしょう」

「驚かないのですか。姫様は、自分の心は男だと……」

「そこまでは知りませんよ。でも、昔からお育て申し上げてきたのですから……心を偽っているかもしれない、とは考えました。無理もありません。だって、あんな目に遭ったのなら」

「あんな目?」

 

 相模は、不可解そうな松緒に気付くと、慌てた様子になる。


「松緒が気にすることではありませんよ。それよりも、もっとまずいことがありますよ」

「まずいこととは、なんです?」

大殿おおとのが、昨日の不在について話がある、と」

「あ……」


 大殿、つまりかぐや姫の父桃園大納言は、今もほぼ毎日のように尋ねてきては尚侍ないしのかみのご機嫌伺い……もとい、正体がばれないように釘を刺しに来る。

 桃園大納言ならば、かぐや姫の室にも入れるので、松緒の不在などすぐにばれてしまう。

 そして、桃園大納言は、娘の行方不明時に太刀を振り回して松緒を脅した前科がある。

 全身から血の気が引いた。


「私……殺されちゃう……?」

「松緒が後宮から抜け出さなければこのような事態にはなっていないですよ」


 今回ばかりは相模にも松緒を助けるつもりはないようだ。

 松緒の胃がしくしくと痛みだす。己で招いたこととはいえ、気が重かった。


 


 かぐや姫の室を訪れた桃園大納言は、まずは一言、「人払いをさせよ」と告げ、古株の相模のみ同席を許した。

 桃園大納言は、かぐや姫の父のため、御簾越しでは対面しない。松緒はひたすら平伏しながら、大納言の足音が上座に着席するのを聞いた。


「松緒よ、一昨日の晩は何をしていた? 申し開きはあるか」


 松緒は意を決して、おもてを上げた。


「松緒は姫様にお会いしました」

「な……な、なんと、今、なんと申した!」


 案の定、桃園大納言は目玉が飛び出そうなほどに驚き、松緒の両肩を掴んで揺さぶった。


「まことか、かぐやがいたのか! どこだ、どこにおった!」

「六条にある廃屋でした。しかし、もうそこにはいらっしゃらないと思います。元々は、姫様の手がかりを求めて、六条のお邸に参ったところ、攫われたような形でしたから……」


 松緒は大納言から顔を背けながら答える。

 

「何を話した! わしのことは何か申しておったか!」

「何も……」


 そう告げると、肩に食い込んでいた指がふっと離れた。

 大納言は両膝をついたまま、両腕をだらりと下げた姿勢で固まっている。


「本当に、わしのことなど、一言も言わなかったのか……?」

「……はい」


 大納言は激高や憤怒を見せるわけでもなく、ただ十年は老けこんだ顔で黙り込んだ。

 松緒にとってかぐや姫は、長年仕えてきた「大事な姫様」だけれども、目の前の老人にとっても「大事な娘」に違いない。

 松緒は迷ったけれども、大納言に告げた。


「姫様はおっしゃっていました。ご自身の心は男なのだと。大殿は、ご存知でしたか」

「何をわけのわからぬことを申しておる……」


 片手で顔を覆いながら力なく言う。


「面妖なことを申すでない。姫は女ぞ。末は妃にもなれるように育てさせたのだ。身も心も美しい姫なのだ。それを男などと申すな。気持ち悪い」


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