41 焦がれるまなざし
まるで悪夢のような一夜だった。
かぐや姫‥…「彼」をそう呼んだらいいのかわからないけれど、松緒の主人は、松緒を眠らせ、その場を立ち去ったらしい。
松緒は六条の邸宅近くにあった別の廃屋で仰向けで眠っていたところを、東宮から頬を軽く叩かれるようにして目を覚ました。
「あれ……。東宮さま?」
「そうだとも。松緒、自分のことはわかるか、痛いところはないか」
「ございませんが……」
ならよかった、と東宮はほっとした顔をして、軽く息を吸いこんだと思うと、
「何をやっているんだ! こっちがどれだけ心配したかわかっているのか! 肝が冷えたし、散々探し回ったのだ、少しはこっちのことも気にかけろ、勝手に動くな、このあほう!」
唾を吐きかけられるような勢いで怒られた。怒りの形相で東宮が仁王像に見える。
まだ寝ぼけ眼の松緒は、その様をぼんやりと眺める。
――この方はどうして怒っているのかしら。
「私がどうなろうと私の責任なので、東宮さまに面倒はおかけしないかと思いますが……?」
「それを本気で言っているのか? 人の気持ちをなんだと思って……!」
東宮の声はますます低くなるも、そこへのんきな顔が割って入った。
「マァマァ、東宮サマ。尚侍サマに怪我もなくてよかったですヨ」
陰陽師が松緒の傍らに腰を下ろした。なぜか右手に矢を持っていた。
「晴明、これはおまえの職務怠慢だろう。松緒を助けると言っておいて、まざまざとさらわれるような真似を許すとは……」
「肉体労働は専門外ですヨ。尚侍サマにも凶相は出ておりませんでしたしネ」
東宮の指摘をひょうひょうといなすピンク髪の陰陽師は、矢を手でくるくると弄んでいた。
よく見れば、矢には紙が括りつけられていた。気になってしまう。
「晴明殿、それは……」
「尚侍サマを探す我々の目の前で突き刺さった矢ですヨ。矢文もついていますネ」
そう言いながら、晴明は矢文を外して、松緒に渡す。
「尚侍サマを見つけてもらうために、矢文で居場所を知らせてきたのデショウ……」
文の内容は、この廃屋の場所を示すものだったが、だれの筆跡か一目でわかった。
――姫様の、手蹟。
昨夜の出来事が、ありありと蘇る。自ら罪を犯したと告白し、松緒は置いていくと宣言したとおり、ふたたび、松緒の姫様はいなくなってしまったのだ。
松緒は文を胸に抱きしめた。そうしないとまた嗚咽を止められなくなりそうだったからだ。
「やはり、会ったのだな」
東宮の問いに松緒は目を瞑ったまま首を振った。
「会っておりません……」
「嘘をつくな。表情でわかる」
「……申し上げたでしょう。私と東宮さまでは目的が違うと」
「会えたから、もう満足だと言いたいのか?」
満足か、と問われれば、満足ではない。しかし、この先どうしたらよいのかわからないことも事実だった。
ただ、かぐや姫が罪を犯したというのなら、東宮と共闘もできない。
松緒が縋るような眼を向けたのは、陰陽師の晴明だった。
「いいですヨ」
何も言っていないのに、陰陽師は察したように告げた。
「尚侍サマは、代えがたい『夢』をワタクシに差し出したのですのですカラ」
「夢……?」
「尚侍サマが蓄えていた甕ですヨ。あそこには尚侍サマの『夢』が詰まっていましたカラ。だからこそあれは対価となりうるのですヨ」
松緒がどれだけあの甕を大事にしているのか、晴明はわかっている。松緒は安堵した。彼なら、松緒の願いに応えるために尽力してくれる。松緒は改めてそう信じることができた。
松緒は、東宮の腕から身体を起こし、正座となった。
「晴明殿、感謝いたします」
「イイエ」
陰陽師はにっこりと笑った。
一方で、東宮は松緒のぬくもりがわずかに残ったままの両手を見つめる。
――松緒から、かぐや姫との会話を聞きださなければならない。
わかっているのに、そうしたくない。臆病になっている。
嫌われて、憎まれたくないからだ、彼の初恋から。
――どうして、いつも間違えてしまうのだろう。
小さい松緒を怒らせたあの時からまるで成長していない。本当は優しくして、笑顔にしてやりたいのに、いつもそれは手の中をすり抜けてしまう。
松緒が、東宮からの焦がれるような眼差しに気付くことはなかった。




