40 世界で一番かわいいから
一時的に40話となるべき内容が38話として掲載されていました
現在は修正し、正しい38話が掲載されています
よろしくお願いいたします
――殺してよろしいでしょう?
――いけません。
――なぜですか。この女はあなたの邪魔をしますよ! 現に今も……!
――いけません。
――そんなに大事なのですか。この私よりも……?
教えてください。あなたの心には一体、だれがいらっしゃるのですか。
私は、いつ、あなたに触れられるのですか。
――とにかく、この子には手を出さないでください。
松緒は目を開けた。
ぼんやりと、かぐや姫と男との会話が思い出せた。
――男。だれ……?
聞き覚えがあるようなと思いながら、体を起こす。
松緒は、六条の邸でかぐや姫の奏でる箏の音を聞き、我を忘れた。油断していたところに、袋のようなものをかぶせられ、そのまま縄で巻かれて、荷物のように背負われてどこかに運ばれたのだ。
ただ、しっかり起きていたはずの松緒は、緊張と疲れと寝不足でいつしか眠ってしまっていたのだった。
「松緒」
背後から聞こえた甘い声に、松緒の魂は震えた。
両腕をつっぱって体を起こし、振り向くと。
「……姫様」
焦がれた再会はあっけないものだった。
「どうしてそのような格好を……?」
かぐや姫は、男が着る狩衣を纏っていた。しかも、あんなに美しかった黒髪は背中の途中で切ってしまったのだろう、烏帽子に髷がおさまっている。
松緒に向ける微笑みだけは、以前のままだった。
「まるで、男のようではありませんか……」
「男のような、ですか」
「……はい」
そうですね、とかぐや姫は告げ、次の瞬間、
「男のようなもなにも、本当に男だったら?」
別人のように冷えた声で言われて、松緒の背筋が凍った。
「え……? 何をおっしゃって」
「『かぐや姫』の言動や振る舞いはすべて演技。体は女だとしても、心は男で、周囲をすべて欺いていたなら、松緒はどうする? ――それでも、地獄までついていく?」
「そ、それ、は……」
やっと会えたかぐや姫。なのに、かぐや姫の言っていることがわからない。
「松緒も東宮から聞いたよね。不死の妙薬のこと。気持ちよくなってしまう薬のこと。庶民ばかりでなく、貴族も狂わせてしまった魔性の薬。あれを流行らせたのはかぐや姫だよ」
「そ、そんなはずは……姫様、嘘だとおっしゃってください……」
「かぐや姫には望みがあった。そのために、必要なことだった。やりすぎて、宮中からお咎めが来そうになったから、逃げた。松緒、君は置いていくことにした」
ふいに「姫様」は顔を歪ませた。
「泣かないでよ。ぼくが泣かせたみたいだ。君が追いかけてきたから知る羽目になったんだよ。知らないままでよかったのにね。幻滅しただろう? 君のかぐや姫は幻想なんだから」
「姫様」が、松緒の肩を優しくさすった。
「それでも」
「うん?」
「それでも松緒の姫様はひとりだけ。あなたさまだけなのです……!」
胸の辺りの衣を縋るように掴み、重ねて懇願する。
「姫様、一緒に帰りましょう……?」
かぐや姫は、慈愛の眼差しで松緒を見下ろしたけれど。
「どこに帰るの」
きっぱりと告げられる。
「大納言家に戻っても居場所はないし、尚侍をやるつもりもない。罪を犯した僕を東宮は見逃すまい」
「それは! それなら……松緒も連れていってください! 置いていかれるのはもう嫌です! 松緒は姫様がいてくださらないと……」
「連れていかないよ」
「どうして!?」
「松緒が世界で一番かわいいから」
松緒の全身から力が抜けた。
――私、今、何を言われた?
混乱した。姫様は姫様だけれども、これまでの姫様は演技だったというし、姫様の心は実は男だったという。男な姫様が松緒をかわいい、と……?
「もう僕を追いかけるのはやめるんだよ。それが言いたくて、ここに連れてきたんだから。これで会うのは最後だし、身代わりもやらなくていい」
「そのようなことを、おっしゃらないでください」
かぐや姫は困った顔になる。
「そうだね。……君なら、きっとそうだろうと思っていたよ」
狩衣姿のかぐや姫は、唐突に動いた。
頬に熱いものが当てられる。姫様の唇だと気がつくまでに何秒もかかった。
幼馴染の女房の目が呆然と見開かれるのを確認したかぐや姫は、すばやく懐から布を取り出し、松緒の口と鼻に当てた。
気を失った松緒の体が、くたりと力を失う。
かぐや姫は松緒の体を横たえて、その寝顔をじっと見下ろして、小さく呟いた。聞こえていないだろうと知りながら。
「椿餅を、一緒に売ってあげられなくて、ごめんなさい」




