35 対価は甕ひとつ
東宮から「会いたい」という文が来た。望むところだ、と迎え打つ覚悟の松緒だった。
夜、相模も先に下がらせて、自分の室で待っていると、御簾をあげてするりと男の影が入り込む。
「待ったか」
「お待ちしておりましたヨ」
「んん!?」
東宮がぎょっとしたようにのけぞった。
そりゃそうだ。目当ての姫君を抱き込んだと思いきや、相手が実は、女ものの装束を頭にかぶった「野良陰陽師」などとは思うまい。
屏風の裏に隠れていた松緒は、大いに笑った。
松緒があらわれると、途端にむすっとなる東宮。すぐさま晴明から離れた。
「何の真似だ」
「悪戯です。いつもやられっぱなしだったもので、いつか意趣返しがしたかったのです」
「男の純情を踏み躙られましたネ」
共犯の陰陽師もからかった。
「おまえたち……」
東宮は何か言いたかったようだが、やがてため息ひとつで済ませた。
「松緒、まずは状況を説明してもらいたい。なぜ晴明がここにいる?」
「協力を申し出てくれたのですよ。陰陽師は人ならざる力を利用する者ですし、味方になれば心強いでしょう?」
「晴明が? まさか。その男から申し出が? 信じられないな。対価はどれくらいだ? 松緒には用意できないだろう」
「対価はいただきましたヨ。とても大事なものをいただきました」
「とても大事な……!」
東宮が愕然とした顔で、松緒と晴明を交互に見やる。晴明は飄々としていた。
「晴明……!」
東宮はなぜか激高している。対価を支払ったのは松緒なのに。
「甕をひとつ、いただきました」
「か、甕……?」
怒った次は惚けた顔。めまぐるしく表情が変わる。
どうやらとんでもない勘違いをしているらしい。
「ええ、大事にしていた甕です。……あの中に、姫様と老後に営む予定だった椿餅売りの資金がありました。私の全財産です」
「は……?」
「全財産を引き換えにしてでも、取り戻したいものがありますから、惜しくありません」
姫様のためならそれでいい。翁丸の件も、姫様の件と関わりがあるように思えてならないのだ。もう、なりふり構っていられない。
なおも東宮は不思議そうに陰陽師のほうを見ていた。
「かぐや姫の秘密も、存じ上げておりますが、他人には漏らしませんヨ」
ピンク髪の陰陽師はにこにこしているので、東宮は疑問を飲み込むことにしたらしい。
閑話休題。松緒が口を開いた。
「たつきが文を持ってきました。『そういうこと』ですよね?」
寺院参詣で別れた際、今後の連絡は『信頼できる者』の手で文でよこすと東宮が言っていた。
その後、東宮からの文を持ってきたのは、ともに大納言家で仕えてきたはずの「たつき」だった。
たつきはかぐや姫に仕えはじめて日が浅かった。
最初から、東宮の間者だったのだろうか。
後宮の「かぐや姫」が偽者だと言い、室への手引きをしたのか。
松緒は大納言家を裏切った者がいるとは考えたくなかったのに。
「たつきからは聞き出さなかったのか?」
「聞けませんよ。あの子なりに罪悪感があるようでした」
文を渡した手は氷のように冷たく、震えていたのだから。
「たつきの兄弟は俺に忠実な臣下でね。……だが、たつきは自ら言い出さなかったぞ。俺が気づいて揺さぶりをかけたのだ」
松緒は黙り込む。東宮の言葉をどこまで信じたらよいのかわからなかった。
「松緒、嘘ではない。もう俺に隠し事などないのだ」
東宮がなおも言葉を重ねる。その声は真摯なものに聞こえたけれど……。
松緒は迷っている。結局のところ、東宮は姫様の敵、なのだから。
「フフフ……」
唐突に、ピンク髪の陰陽師はあやしげに笑って、膝で二人の間にすり寄ると、失礼、と言いながらほとんど強引に松緒と東宮の手を繋がせて、その上に自らの右手を重ねた。
「晴明、何がやりたい?」
「ともに謀を為す仲、かぐや姫の秘密を共有する仲間ですからネ。仲良しですヨ、仲良し」
繋がれた二人の手をぶんぶん揺らしてみせる陰陽師。
そのついでのようにぶつぶつと何かを唱えている陰陽師。空いた左手で空に何かを描いている陰陽師。……あやしさ満点である。
「おい、晴明。聞きたいことがある。今、何をやった?」
「……呪いなんて、やっておりませんヨ?」
白々しく明後日の方向を見る野良陰陽師に、やがて東宮は責めるのを諦めたようだった。
「それでは改めて陰陽師の見解を聞きたいのだが……今の状況をどう見る?」
すっと陰陽師の顔つきが変わる。
「混沌としておりますナ。占いでは大きく道はふたつ。死人は一人か、大勢か。失せ物探しは、六条のあたりが吉と出ております」
晴明は、松緒のほうを見ていた。
「失せ物探しは六条のあたりが吉」。
六条。六条と言えば……。
「六条でしたら。昔、姫様と住んでいたことがあります。……もしかしたら何かあるのかも」
もちろん大納言家で調べていないはずがないだろう。
でも、松緒自身の目で確かめたわけではない。
「まずは、そこからか……」
東宮は呟く。
松緒はもう六条に自ら赴くつもりだった。
かぐや姫が失踪して、日数が経っている。どんな手がかりでもすがりつきたかった。
「私も参ります」
そう言えば、わかっていたのか、東宮は頷いた。
そして、なぜかうきうきと懐から暦を書きつけた紙を取り出す陰陽師。
「三人にとって良き吉日をすでに選んでおきましたヨ! 忍び込むならこの夜が良いカト!」
「……来るつもりなのか、晴明」
「当たり前ですヨ。アァ、尚侍サマとの逢瀬のつもりでいらっしゃったのですネ。だめですヨ、仲間なのに仲間はずれはよくないですヨ。尚侍サマもそう思われますヨネ?」
「……そうですね。三人で参りましょう」
信頼できる人手は多いほうがいい。
全財産も差し出したのだ、何があろうとこのピンク髪陰陽師を信じると決めている。
それに、東宮とふたりきりではとても気まずい。実は昔馴染みだったことがわかり、身の置き所に困ることがあるからだ。その理由で陰陽師を巻き込んだところもある。
こうして、良い日取りを選び、六条の邸に向かうことが決まった。




