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19 姫様につく「悪い虫」

 身に付けるのは桃色の狩衣。袴は藍色。髪はひとつにまとめ、女のように薄布を巡らせた笠をかぶる。薄布でも顔は透けてしまうので、紙の面もつけている。

 男のような、女のような。

 異様な恰好をしている。しかし、今宵の喧騒では、それがかえって自然と言えるだろう。

 実際、丹羽局の後ろをついて回っても、「だれかしら」と思われる眼差しを向けられるだけで、特に目立ちもしなかった。

 姫君は、姫君たる恰好をしているから姫君だとわかるのであり。

 ならば、今の異装の「かぐや姫」は、中身が「松緒」なのだから、「かぐや姫」と見られることもないのかもしれない。

 本来の松緒は、後宮にはいない人間である。


 ――今の「私」は、いったいだれだろう?


 燈籠や灯台から少し離れれば、いくら後宮内でも闇が広がる。こころもとない気分になる。闇が松緒という存在を呑み込んでしまうのではないかと……。


尚侍ないしのかみさま」

「はい」


 先導する丹羽局の声に反射的に応えたことで、胸に生まれた疑問が霧散した。

 今は、後宮内で、丹羽局による案内を受けている。

 尚侍ないしのかみとして、後宮のことをもっと知りたいと思っていたのだ。

 丹羽局が、行事の合間に見回りをすると聞き、ついていこうと決めた。

 普段は重い立場にあることと、かぐや姫の秘密があるためになかなかできないが、庚申待ちで大勢の者が普段と違う装いをする今夜ならば、人目も避けやすいのが決め手となった。

 丹羽局は、「かぐや姫」の申し出に渋々了承し、今に至る。

 実際のところ、仮装した者たちを眺めるのは楽しかった。どさくさに紛れて、丹羽局も松緒も、もらった菓子で、袖が重たくなってきた。松緒はおまけだろうが、丹羽局は女官たちに信頼されているのがよくわかる。


尚侍ないしのかみさまをはじめ、なぜみながわたくしめに菓子を渡すのでしょうか」


 本人が一番困惑していた。

 池の舞台近くに差し掛かった辺りに、人が大勢集まっていた。

 楽の音がゆったり流れる中、舞姫たちが舞を披露している。

 もっともよい席には御簾が下げられていた。帝が鑑賞する席だ。

 松緒たちは、それらにこれ以上近づくことなく、人が楽しんでいる様子だけ眺めて、見回りに戻ろうとした。

 ところが。


「丹羽局さま。こちらで碁を指してください。助っ人が必要なのです」

「そんな。ずるいです。左方の味方はなさらないでくださいまし。右方の助っ人に」


 それぞれに両腕を掴まれた丹羽局が困惑していた。


「だめですよ。わたくしめは行事を見回る必要があるのです」

「ちょっとだけ! ちょっとだけですから!」

「そうですそうです。丹羽局さまも楽しんでくださいませ」

「い、いえ。ちょっと……」


 珍しく押され気味の丹羽局が有無も許さず連れていかれた。

 松緒はひとりきりになった。

 先ほどまでの丹羽局の案内によれば、控室まではそう遠くないはずだと思い直し、記憶を頼りにひとりで歩き出す。

 ひそかな話し声が聞こえたのは、その時だった。

 女の声。

 忘れもしない、松緒が願ってやまない声が。


「姫様……!」


 松緒は声のある方向へ夢中で駆け出した。廊を渡り、妻戸をのぞきこみ、几帳の裏を見る。


――どこ。どこ、どこ! 姫様、ここにいらっしゃるのですか……?


 唐突に、胸に衝撃が走る。よそ見をしながら早足になっていたため、だれかとぶつかったのだ。

 松緒はよろけた。笠が拍子に落ちてしまう。


「だいじょうぶか」

 

 それでも、紙の仮面があるから平気だと思った。たとえ、月明りがそそぐ濡れ縁であっても、松緒の顔を見る者はいない。

 ただ……。

 松緒は傍らにその仮面が落ちているのを見て、頭が真っ白になった。

 笠が取れた拍子に落ちてしまったのだ。

 ……遠くで、丹羽局の声が聞こえた。尚侍ないしのかみさま、いらっしゃいますか。


尚侍ないしのかみ……?」


 震える松緒は、自分を抱きとめている男の顔を見上げることはできなかった。ばっと袖で顔を隠しても、もう遅いだろうが。


「ち、ちがいます。……べつじんでございましょう」

「『ごみ虫』か……」


 ぽろっと零した言葉に、松緒の頭は猛烈に回転した。

 ごみ虫。以前、松緒は自分自身をそう言ったことがなかったか。

 今度は、別の足音が聞こえてくる。廊ではなく、地面の砂利を歩く音だ。

 

「東宮さま、いずこにおわしますか、東宮さま……!」


 ああ、面倒なことになった。

 男はひとりごとを言いながら、松緒の頬に手を這わせ、そっとその方向を外ではなく、己に向けるようにした。


「人に見られたら嫌だろう? あなたは今、名もなき姫に過ぎない。逢瀬のふりでもするのが妥当だと思わないか?」

 

 松緒は堅く瞑っていた目を開いた。

 相手がだれかはもうわかっていたものの、信じられない気持ちでいっぱいだった。


「東宮様」


 男の顔は月影に隠れて、細かい表情は見えない。自分の方はそうでないのに。


「身分の尊い方が、姫様につく『悪い虫』とは思いませんでした」

「あなたこそ、大胆なことをしているのでは。今のあなたを丹羽局の前に出せば、あなたをだれと呼ぶと思う?」


 東宮だ。

 この男が、かぐや姫の殿舎に入りこんだ、不届き者なのだ。

 松緒は精一杯、東宮を睨みつけた。気持ちの上だけでも負けてたまるか。その思いだった。


「さあ、互いの正体がわかったところで、腹を割ってこれからのことを話し合おうじゃないか。……かぐや姫の秘密について」


 そう言いながら、東宮は手近な殿舎の暗がりに松緒を連れ込んだのだった。


 

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