17 顔が熱い
御簾向こうに座る青年は、傍らの灯台に照らされた透き影からも、四角四面を好みそうな几帳面さが伺い知れた。
彼は宿直の最中、休憩を兼ねて、「かぐや姫」の室を訪れた。傍には相模たち女房も控えている。
――き、気まずい……!
近衛少将行春は「かぐや姫」のいる御簾前に腰を下ろし、そのまま何か言うかと思っていたら、黙り込んでしまったのだ。
これには松緒も戸惑った。たいていは殿方の方から「かぐや姫」に話しかけていたからである。しかも、かぐや姫との対面を希望したのは彼の方からではなかったか。
意図しない沈黙の時ができてしまい、松緒は焦った。
――こういう時、姫様なら……。
脳内で「イマジナリー姫様」を召喚する。
松緒の強固な姫様観察の賜物ともいえる彼女は、つい、と行春のほうへ顎を向けると、
『放っておきましょう』
ふふふ、と微笑みながらおっしゃった。
さすが姫様、男に対して辛辣だ、と松緒は感心したものの。
『姫様、姫様。いけません。庚申待ちの行事の危機なのです! どういうおつもりで楽人になるとおっしゃったのか、確かめませんと』
『そうですね……。わたくしならば……』
その言葉を聞いた松緒は、相模に囁いた。
「相模。箏を」
相模は怪訝そうにしながらも、箏を持ってきた。
手元に備えていた紙の仮面をつけてもらい、松緒は顔隠しの扇を脇に避けた。
行春が身じろぎする。
松緒は気にせず傍に引き寄せた箏を爪弾きはじめた。
張られた弦をはじくと、とりとめのない音の粒が軽やかに舞い上がる。
――姫様は、箏の名手だった。
かぐや姫は姫君として一通りの教育を受け、すべからく出来がよかった。美貌と才気の二つを松緒の「姫様」は持っていたのだ。
そして、松緒も、遊び相手としてだけではなく、その教育に付き合わされてきた。一緒にはげむ仲間が欲しかったのだろう、かぐや姫が何かを習えば、松緒も同じように習うことを求められた。
箏も、同じように姫様とともに習った。
松緒は、かぐや姫ほどに器用ではなかったが、仕える主人に恥じないように懸命に練習した。今では、初見の者が聞いただけでは音色の区別がつかないほど、姫様そっくりの音色を真似ることができるようになった(それでもやはり微妙に姫様の腕には劣るけれど)。
――楽人をされるというのなら、この音色に合わせて合奏することなど容易いはずでしょう?
求婚を断る時のかぐや姫はやたら挑戦的な態度を取ることが多かった。だから松緒も同じようにする。
己から話し出すつもりがないのなら、引き出すのみ。
これで察せられないのであれば、それまでだと。
松緒の指は絶え間なく流麗に動いて、虹色の音を奏でた。
ややあってから、松緒はちらりと御簾向こうを見た。透き影に、龍笛の細長い影が加わっている。
――受けて立つつもりということね。
出来がよかったかの判定は、周りにいる者たちがしてくれる。
松緒は、神経を尖らせて、その時を待った。
松緒が、さらに指を走らせたところで、行春が息を吸いこみ、龍笛に吹きこむ音が聞こえた気がした。
龍笛の音が、箏の調べにそっと加わった。
松緒は、意外にも繊細に聞こえる音に驚いた。
彼女自身は耳にしたことがなかったのだが、行春は楽器の扱いも上手いのだろうことがすぐに察せられた。若くしてこの腕ならだれからも称賛されているだろう。
――でも、楽人を申し出た狙いは? 姉の入内を間接的に邪魔している女の顔が見たかったから?
純粋な好意から、かぐや姫に近づこうとしているわけではないだろう。
松緒はどこまで行春がついてくるのか試そうとした。
箏の音がどこまでも駆けていく。一拍遅れて、龍笛もついてくる。
龍笛が箏を先導しようとする。箏は拒む。
競争だ。どちらがどこまで耐えられるか。
かぐや姫は決して自分を曲げなかったから。松緒もそれに従う。松緒が負けたら、姫様も負ける。
やがて、龍笛の音が止む。少しして、箏の手も止めた。
途端に、松緒の指が疲労を訴えてきて、ひそかにため息をついた。
――むきになりすぎてしまったかも。
相模まで呆然とした様子で松緒を見ている。
「やはり……」
何の脈絡もなく、御簾向こうの青年が言葉を発した。
「尚侍さまのお手を煩わせていたようです。楽人の話はなかったことに。当日、お役に立てることがあればお呼びください」
感情が見えない声音で、青年は立ち上がり、来る時よりも早足で去っていった。
蔵人頭長家は、仕事に追われていたため、その日も遅くまで蔵人所で書類と格闘していた。
部下の蔵人たちの中にも残っている者がいたが、たまたま出払っていた。
戸の前に、幽霊のように年下の友人が佇んでいることに気付いた長家は、眉間を揉んで相手を見間違えていないか確認してから、どうされましたか、と声をかけた。
行春はゆらゆらと歩き、長家の前に仁王立ちになった。
「先ほど、かぐや姫とお会いしてきました。何なのですか、あれは」
「は?」
長家は驚きながらも、友人の唇がわなないたのを見た。
「ぼくは、あれが嫌いだ」
「え、どうしたんだい、急に」
再度驚いたので言葉も崩れてしまう。
「長家さまの眼は眩んでおられるのでしょう」
「え、えぇ?」
「考え直されたほうがよいのです。みながみな……騙されている」
それだけ言うと、行春は蔵人所から出ていった。
顔が熱い、とぼやきながら。




