探偵レモンと桜の手紙6
「『桜』を見つけたよ」
「へ?」
焦りと興奮と、その他様々な感情が入り交じった僕の言葉に、レモンは始め理解が追いつかないようだった。しかし、言葉を咀嚼して理解すると「な、な、何がどうなってそんなことに!?」とスマホからおもわず耳を離すほどの大声で僕を問い詰めた。
「ただただ幸運が重なった結果だよ。それに、見つけたとは言ったけど、これが本当に正しいのかはまだ分からない。だからまずは僕が今考えていることと、君が推理したことが一致しているかどうか確認したい」
「分かりました。あ、でもちょっと待って下さい」
レモンの返答にかぶせるようにして、「お風呂はいらないのー?」という遠くからの声が聞こえる。早く伝えたくて時間も気にせず連絡したけれど、タイミングが悪すぎたらしい。「やっぱり明日にしようか?」と伝えてみるけれど、「ここで切られたら生殺しですよ!」と断られる。気持ちはよく分かる。それは、ミステリ小説を読んでいて、探偵が推理を発表するシーンの直前で帰宅しなければいけない時間になったときなどは、とんでもないストレスを抱えたまま自宅まで帰らなければいけなかった経験があったからである。
レモンは少しの間どうしようか悩んでいた様子だったけれど、最終的には「五分後にかけ直します!」といって電話を切ってしまった。そのためお行儀良く五分間待っていると、約束通りレモンから電話がかかってきた。
「もしもし、先輩?お待たせしました!」
その一言目に強烈な違和感を覚える。明らかにくぐもった声、微かに聞こえる水音、それらが現在のレモンの状況を明確に物語っていた。
「ねえ、レモン。今何してるの?」
「え、お風呂はいってますけど」
「君は、どこまで馬鹿なの!?風呂で異性と電話するやつがいるか!」
「馬鹿とはなんですか!そもそもお風呂の時間に電話してきて、私の最も興味のある話題を提供した先輩が悪いんです!それに会話だけなら裸も見えないからセーフです!」
「アウトだよ!バカレモン!もっと恥じらいを持ちなさい!あと、このアプリ、ワンタップでビデオ通話になるんだからそこんところ考えろ!」
この子はもう少しまともな男女の付き合い方を学ぶべきではなかろうか。出会って二日の男を自室に上げ、風呂で通話をするのはいかがなものだろう。劣情を催すどころか、むしろ心配が勝ってしまう。どうにも恥じらいという感情は女の子をより魅力的にするらしいと知った。
「じゃあ、そうなったら責任とって下さい!」
「……冗談は大概にしなさい」
少し空白の時間があったけれど、断じて「それもまたいいな」などと考えていたわけではない。ないったらないのである。
「まあ、見られて困る身体だとは思ってないですから。それより『桜』の話ですよ。先輩、私の家から帰るとき全然分かってなかったじゃないですか。一体何があったんですか?」
「さっきも言ったけど幸運が重なっただけだよ」
「幸運って……」
「まずは結論から話そうか。あの手紙を僕はずっと『話したいことがあります。桜の下で待っています。』だと思っていた。けれど、それは間違いだったんだ。本当の読み方は『話したいことがあります。桜の下で待っています』だったわけだ」
つまりあの手紙には、口語表現ではなく文語表現だからこそできる叙述トリックのようなものが用いられていたのだ。『桜』という言葉と『下』という言葉の組み合わせはどうしても『櫻の樹の下には』を想起させる。だからこそ僕は『下』の読み方が「した」であることを疑わなかったのである。
「そうなると僕はもう一つ勘違いしていたことになるよね。それは手紙の中で書かれていた『桜』とは植物の名称ではなく、人名だったということ。つまり手紙が伝えていたのは『どこかの桜の木の下で待っています』ってことじゃなくて、『桜さんのもとで待っています』ってことだったってわけだ。ここまでの推理はどうかな?」
「全く一緒です。私もそうだと考えていました。もちろん植物の可能性もゼロではありませんでしたから、先輩にはそちらで推理を進めてもらおうと思って、敢えて推理を伏せさせて頂きました。生意気な真似をしてすみません」
「ああ、いや。全然気にしてないから、そっちも気にしないで。でもかなり前から気づいてたみたいだけど、一体どのタイミングで気づいたの?」
「先輩と浩さんの最初の会話を先輩に再現してもらったときです。あの時浩さんはこう言っていたんです。『それに内容の『桜』だって何を指しているかすら不明だし、困っちまって』と。でもこれちょっとおかしくないですか?」
「おかしい?」
「この場合『桜』を表す疑問詞は『何』ではなく、『どこ』が普通ではありませんか?」
目から鱗とはこのことを指すのかもしれない。浩はこの手紙をラブレターだといっていたのだから、この手紙の中の『桜』も場所であると考えるのが普通である。しかし、浩にとって『桜』とは一概に植物だけを指す言葉ではなく、人物をも表す言葉だったから、気づかないままに『何』という言葉を選択してしまったのではないかと考えられる。
もちろん言い間違いの可能性だってある。けれど、僕の経験上、浩は会話の中で間違った言い回しをしたと気づいたら、言い直して訂正をするはずだ。つまり今回の『何』を訂正しなかったということは、浩にとってみれば間違えた表現ではなかったというわけである。
ここまで考えて、次に感じたのはレモンへの驚愕の気持ちであった。たったあれだけの情報から、『桜』が人名であることを推理したというのだから、驚きである。正直、僕も一ミステリ好きとして手紙の謎をといてみたいという気持ちは少なからずあった。しかし、ここまでの格の違いを見せつけられると主役は僕ではないのだと嫌でも理解させられた。
「だから、私はその『桜』さんは中学時代の知り合いだったのではないかと考えました。だから南中へ名簿を見せてもらおうと思って伺ったんですが……はずれでした」
「確かに南中に行ったのははずれだったかもしれない。でもそれは結果的な話だ。レモン、君の推理はほぼ全て合っていたんだよ!」
「どういうことですか?先輩」
「その『桜さん』は南中じゃなくて東中にいたんだよ!」
その後僕は母が偶然浩のことを見たことがあって、それは僕の同級生であった鈴木さんのお父さんの経営していた個人塾でのことだった、ということ。そして母が鈴木さんの下の名前を忘れていたため、偶然自分の卒業アルバムを手に取ったことを伝えた。
そして、そこで見た名前が『鈴木桜』であったことも。
「幸運に幸運が積み重なったような結果ですね。信じられません」
「それは僕だって同じだ。そこで『鈴木桜』なんて名前を見られるとは思っていなかったよ。それを見た瞬間今まで理解できなかった様々な疑問点が一気に解決して勢いそのまま電話しちゃったんだよね」
「そっか、私の推理はほとんど合ってたんですね!それは良かった。じゃあ、明日はその桜さんを探して会いに行けば事件解決!ですかね?」
「どうだろうな、結局僕たちは部外者以外の何物でもないし、会いに行ってもどうにもならないかもしれない。どうせ痴情の縺れとかだろ?」
「そうなんじゃないですか?差出人の目的は分からないですけど」
「行ってみるしかないか」
「そうですねー……正直こればっかりはどうなるか分かりませんけど」
「じゃあ、伝えることは全部伝えたから。風呂の時間にごめんね」
「いえいえ、教えて下さってありがとうございました。あと、今更なんですけど……」
「どうした?」
「……裸で電話するって恥ずかしいですね」
「おつかれ!また明日!」
明日あったときお互いの顔をまともに見られない未来が確定していた。特にレモンはこれで見た目が美少女なのがたちが悪い。
もうすぐ手紙の謎が解けようとしている。そんな風な希望を抱いていた僕たちはまだ気づいていなかった。この手紙に込められた本当の気持ちに……
◆◇◆◇◆
「先輩。個人塾でしたよね。ここ。それにしては子どもの声が一切聞こえませんが……」
「そうだな。小学生の一人や二人いてもおかしくないもんだけどな」
翌日の放課後、僕とレモンは鈴木学習塾の場所を調べ訪れた。年季の入った一軒家でその分住宅街に建てられているような量産型の家に比べ造りが大きい。二階建ての母屋部分と、そこから突き出た平屋部分に分かれているようで、玄関には『鈴木学習塾休業中』との注意書きがあり、どうやら営業はしていないらしい。結局現状、用があるのは鈴木桜さんなので、玄関の呼び鈴を押すのが正解だろう。
呼び鈴を鳴らしてから十数秒後、木製でスライド式の玄関から「何か御用ですか」と一人の男性が現れた。この人が桜さんのお父さんだということは一目で分かった。昨日卒業アルバムで見た写真によく似ている。彼は見るからに痩せ細っており、その痩せ方はどこか見ていて不安になるほどだ。やつれていると言い換えられるかもしれない。乱雑に跳ねている頭髪や、剃られていないひげ、何より目元に深いくまがあることも踏まえると、体調はあまり良くなさそうだった。
「すみません。僕は東野健介と申します。こちらは後輩の梶本です。本日は桜さんに会いに来ました」
「そうか、桜に……君たちは桜とはどんな関係だったのかな?」
「僕は中学校時代の元同級生です。彼女は僕と桜さんの後輩です。本日は桜さんにお願いしたいことがあって来たのですが今いらっしゃいますか?」
「いらっしゃる……お願い……?ああ、そうか、君は知らないんだね」
僕の言葉に彼は不思議そうに呟くと、やがて納得したように何度か頷いて微笑を浮かべた。その微笑みには強い哀愁が漂っているように見えた。一体何があったんだろうと考えている間もなく、桜さんのお父さんは続けて言葉を発する。
「桜はね、去年亡くなったんだ」
あまりに予想外の展開に僕たちは顔を見合わせて固まった。