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神の計略  作者: 日之本オタ
6/10

6.電力送電施設

 箕面の山中にある電力集電施設では、異常事態を示す警報音が鳴っていた。ここは人工衛星による太陽光発電プラントからの電力を無線により受け取る集電施設であると伴に、その人工衛星の管制施設も兼ねていた。こちらで管理する発電衛星からの電力は関西圏の全電力の8割を(まかな)う、近畿電力株式会社の中枢施設である。


 激しく響く警報音の中で、所長の大林は衛星担当の緒方に状況確認を求めていた。

「緒方君、これは衛星側の異常やな。衛星の状況はどうなっとんのや。」


「はい所長。もうすぐ衛星からの自己診断レポートが送られてきます。」


 関西圏のライフラインであるこの発電衛星は極めて重要なインフラであるため、自己診断のデータが10分に一度地上に送られるようになっているが、異常発生時には即時に臨時レポートが送られてくる。


「あっ、来ました。えーと、振動センサが大きく振れています。それに姿勢制御系が極端に大きく動作しています。これは・・、テブリが衝突したものと思われます。」


 スペースデブリは宇宙のゴミである、地球の周りには、破損した人工衛星から細かい(ちり)のようなものまで、様々なものが軌道上を漂っている。軌道上での平均相対速度は秒速十数キロに達するため、例え小さなものであってもぶつかった場合には大きなダメージとなる。このため、21世紀後半からスペースデブリ回収が産業としてなりたっているが、全てを回収することはできず、1つの環境問題となっていた。


「デブリやと。そらまずいな。そんで衛星のダメージはどんな状況なんや。」

大林所長は青くなって、緒方に詰め寄った。


「えーと、幸い姿勢制御系は正常に動いています。制御回路も異常ないようです。それとPVC(太陽電池)も問題ありません。信号的には特にどこも異常はありませんね。あっ、外部カメラの画像を見ると、電力伝送線が切れかかっています。ここにぶつかったんだ。 」


「なんやて、そんで、どの程度のダメージや。」


「はい、この電力伝送線は、衛星から地上に電力を送信する際に、衛星内に蓄積した電力を一気にマイクロ波に変える時に通るパワー伝送線です。これが映像で見た限りでは8割ぐらい断線しています。」


「そんで、それはどういうことなんや。」


「そうですね。6時間後の次の送電時に、この伝送線に膨大な電流が流れますから、それに耐え切れずに焼ききれて、いえ、焼ききれるだけでなく、発熱してショートし、衛星が大きなダメージを追う可能性があります。」


「なんやて。そら、えらいことや。急いで衛星に次回の送電を中止するコマンドを送らんかい。今のダメージぐらいやったらスペースZ社に修理を頼んだら24時間以内に復旧できるけど、衛星全体がダメージを受けたら何ヶ月も復旧にかかる。電力の備蓄は一週間分しかないのに、そのあとは近畿地方には電気がなくなって、大変なことになるがな。」


「はい。送電中止コマンドを送ります。」


 緒方はそう言いつつ、操作卓をたたいた。しかし、衛星から帰ってきた回答はコマンドエラーだった。

「あれ、該当コマンドなしのエラーが帰ってきました。」


「入力を間違えとんと違うか。もっかいやってみぃ。」

「はい」


 緒方はもう一度操作したが、結果は同じだった。

「だめです。受け付けません。」


「しゃあない。そんなら衛星をスリープモードにしてみ。」


 緒方は指示に従ったが、そのコマンドも受け付けなかった。


「どないなってんねん。よーに調べてみぃ。」


 緒方は衛星からの自己診断データと画像をしばらく見つめ、声を上げた。

「あっ、衛星に搭載されている衛星向けコマンド一覧表が入ったROMが破損しています。デブリの衝突で溶けた電力伝送線の銅がROMの足に張りついていますので、このROMからの読み出しデータは全部0000Hになってしまいます。」


「どういうこっちゃ。」


「地上からの何もコマンドを送っても、該当コマンドなしのエラーになります。つまり、この衛星は地上からのコマンドを一切受け付けない状態です。」


「ちょっとまて、そんなら、このまま6時間後に、衛星は予定通り次の送電を開始して、衛星がおしゃかになるしかないんか。」


「あっ、そっ、それと今気づいたんですが、焼ききれる前に一瞬地上にマイクロ波が照射されるかもしれません。その場合、焼ききれる瞬間に照射方向制御回路も機能を失いますので、へたすると、狙いが()れて集電施設以外の地上にマイクロ波が降り注ぐ可能性もあります。」


「そら、えらいこっちゃがな。マイクロ波の強度は300TWもあるんやで。雷どころやあらへんやん。そんなもんが民家に降り注いだらどえらい被害がでるぞ。とにかく、なんぞ対策を検討せぇ。俺もいろんなとこに当たってみるから。絶対になんとかせなあかんぞ。」



 その頃、セリーヌはいつものように千草と一緒に産業総合研究所の食堂で昼食を()っていた。ここに来て既に2ヶ月を過ぎ、いつもだいたい同じテーブルで食事をするため、周りには知り合いもかなり増えていた。ここは若い所員も多いため、セリーヌも楽しくガールズトークに加わり、ファッションやアイドル、セリーヌ得意のアニメなど、毎日話題は尽きなかった。ただ、あれだけ知識の豊富な千草も、この手の話題はあまり詳しくないようで、にこにこと聞き役に徹していた。予鈴が鳴り、話を切り上げて居室に戻ろうとしたときに、千草の携帯が鳴った。


「はい千草です。」


「おっ、私です。近畿電力の大林です。」


「ああ、大林さん。ご無沙汰してい・・」


 千草の挨拶をさえぎって、大林はまくしたてた。

「いやのんきに挨拶してる場合やないんですわ。申し訳ないけど、箕面の集電所まできてくれまへんか。そっからやと、ここまですぐ来てもらえるやろし。」


「はい、大丈夫ですけど、何があったのですか。」


「それは来る道々説明させてもらうわ。とにかく一刻を争うから、早よきてくれまへんか。自分、他にもいろいろ声をかけなあかんから切るけど、この後うちの緒方に電話させて状況を説明させますから。」


 言いたいことだけ言って大林の電話は切れたが、ただならない様子だったため、千草はセリーヌを連れて車で箕面の集電所に向かった。

 わけもわからず車まで引っ張ってこられたセリーヌは、車に乗るなり、千草に質問を浴びせようとしたが、その途端再び電話がかかってきた。千草は車内スピーカモードにして電話を受けた。


「こちら近畿電力の緒方ですが、突然で申し訳ありません。」


「それはいいのですが、一体何があったのですか。」


 千草の問いに対して、緒方は現状を説明した。その内容は、千草とセリーヌの顔面を蒼白にさせるのに充分なものであった。さすがの千草もうわずった声で返答した。


「それは・・、近くの民家に危険が及ぶというレベルの話じゃありませんよ。例えば、近くの箕面ダムに300TWものマイクロ波が照射されたら、一瞬で水が気体に膨張してダムを破壊し、それだけではなく、水分子は一旦活性酸素と水素に別れた後、高熱で再び水素が酸素と結合して大爆発となります。近くの山は吹き飛んで、塵が成層圏まで達し、地球レベルで核の冬が来ることになるかもしれません。」


 千草の説明の後、緒方は無言となってしまったが、千草は緒方にさらなる説明を求めた。

「とにかく今は大変な事態といこうとですね。私はこの分野は専門外で詳しく知りませんから、システムの概要を教えてもらいませんか。」


 千草の言葉に、緒方は気を取り直したように説明を始めた。

「あっ、はい、えーと、この発電衛星は、高度約10,400kmの極軌道で地球を4.8時間周期、つまり一日に5回で回っています。そして、朝と夕方の2回、こちらの上空を通りますので、半日かけて集めた電気エネルギーを5分間かけてマイクロ波でこちらの施設に伝送してくるわけです。衛星は時速約19000kmで移動していますので、その5分間、マイクロ波照射装置は角度を変えながら常に地上の集電施設を狙って打ち込んでくるのです。この制御がとてもデリケートなので、今回の事故でどうなるかが心配なのです。」


「なんで無線伝送なんて危ないことをしているのデスカ。静止衛星軌道上にプラントを作れば、軌道エレベータを使って有線で送れるのではないデスカ。」


 セリーヌの疑問には千草が答えた。

「静止衛星軌道は1本しかないので、ただでさえ通信衛星や気象衛星などで混み合っているところに、軌道エレベータとそれに付属する宇宙港まで並んでいるから満杯なの。かなりの面積が必要な発電衛星を置く余裕なんてとてもないんでしょうね。」


「はい、そうなんです。それに今は静止軌道の体積当たりの使用料はとても高く、発電衛星ではとても採算がとれないんです。」


 そう追加した緒方に、さらに千草がつけ加えた。

「あっそうだ、それと静止軌道はどうしても地球の影に入る時間帯があるから、発電衛星を置くには不利ね。さっき、極軌道で朝と夕方に上空を通るって言ってたから、この衛星は軌道面を太陽に向けているってことね。これなら地球の影に入ることなく24時間発電ができるわね。」


「はい、その通りです。」

 緒方が肯定するのを聞きながら、セリーヌは『千草さんって衛星は専門外って言ってたのに、なんでここまで分かっているの。』と改めて千草の見識の高さに舌を巻いていた。


 そうこうしているうちに車は電力集電施設に到着した。電力集電施設は、直径200mほどのすり鉢状に金網が張ってある黒い集電施設と、衛星との通信用パラボラアンテナと、その横にある衛星の管制室が入った平屋の建物、そして大きな変電所からなるものだった。


 建物に入るなり大林に迎えられ、大林は大急ぎで二人を会議室に向けてエスコートした。

「千草はん、急に申し訳ない。千草はんが一番近くなんで来てもろたんです。状況は聞いてもらえましたやろか。」


「はい、だいたいのところは緒方さんから。でも私はこちらの分野はあまり詳しくないですよ。」


「それはええんですわ。とにかくえらいことですから、知恵を貸してほしいんですわ。今、会議室で遠隔会議で有識者のみなさんとつないでるから、参加してもらえませんか。」


 小さな会議室だったが、モニタ画面には7人の人が写っており、会議を行っていた。千草の知らない顔が3人いた。


「マイクロ波照射まであと4時間ぐらいしかないから皆さんを紹介してる余裕がないんやけど、とにかく入ってください。さっき、衛星管制局の矢田さんからの提案で、軍事衛星で発電衛星の制御回路を打ち抜いてもらえるかを、航空宇宙軍に問い合わせとるんですわ。あっ、航空宇宙軍がつながったみたいや。」


 モニタには新たな顔が浮かび、その人が発言した。

「航空宇宙軍中将の阪脩です。結論から言うとお断りします。お互い高速で移動している衛星間でピンポイントに制御回路のみを打ち抜くのは技術的に困難です。発電衛星そのものを破壊するのでしたら可能ですが、それもお断りします。破壊に伴い、大量のデブリが発生しますし、発電衛星を軍が破壊したことに対する世論の反発が予想されます。地上への被害が未確定な現状では、これを行うことは軍としては許容しかねます。」


 会議の参加者に落胆の空気が漂ったが、大林は必死だった。

「皆さん、他になんかアイデアはないですか。どんな手でも構わんのです。最悪、発電衛星を失ってもええですから、何かないですか。」


 大林の呼びかけに、衛星メーカの技術者が応えた。

「衛星の制御ファームウェアが正常に動いているんでしたら、マイクロ照射部分をスキップしたファームウェアを作って書き換えたらいいんじゃないですか。」


 これには緒方が即答した。

「いえ、今は衛星へのコマンドが全て受け付けない状態なのです。このため、ファーム書き換えのアップロードコマンドも受け付けませんから、書き換えはできないです。」


 その後いくつかのアイデアが出されたが、どれも実現性に乏しかった。最後に千草がしばらく考えた後に発言した。

「あの、日本の実験用宇宙ステーションにOMVがありましたよね。」


「OMVってなんでっしゃろか。」


「宇宙遊泳のできる無人ロボットです。これで発電衛星を引っ張って、軌道を変えることはできませんか。発電衛星が集電施設の上空に来なければ、マイクロ波の照射は起こりませんよね。」


「おおっ、それはいけるかも。」


「その方法なら発電衛星のダメージもないですね。」


 参加者から口々に賛同の声が上がったが、千草は付け加えた。

「これはただのアイデアですので、実行できるかどうかいろいろ調べないといけません。宇宙ステーションから発電衛星まで、時間内にOMVを移動できる軌道があるのか、あと、OMVの推進力が発電衛星の軌道修正力を上回れるのかとか。」


 このアイデアに希望を見出した大林は張り切って、それらを確認するための指示を管制局や衛星メーカに、OMVの使用許可をJAXAに、てきぱきと行った。指示が一段落ついた段階で、千草は大林をつかまえて依頼した。

「大林さん、この方法についてはあとはお願いね。私はこのシステムのことが分かっていないから、どうしてもアイデアが机上の空論になりかねないわ。だから、システムをちゃんと知るために設計資料をみせて欲しいの。宇宙機分野だから、資料はそろっていますよね。」


「はい、この施設の書庫に資料が全部揃っとります。緒方君、ちょっと案内したってや。」


 大林の指示で、千草とセリーヌは書庫に連れられてきた。書庫は10mほどの長さの壁両側に5段でずらっと膨大な数の書類がならんでいた。


「これ、全部紙の資料なんデスカ。」


 度肝を抜かれたセリーヌに緒方が説明した。

「はい、宇宙分野では伝統的に書類を全部紙で残すんです。ここにはこのシステムの全ての資料があります。」


「こんなのとても読めませんネ。あと3時間もないんデスヨ。」


「セリーヌさん、まず情報を集めるのが情報統合学の基礎なのよ。緒方さん、PDRの資料はどこですか」


 千草の質問に、緒方が指差して答えた。

「ここがPDR関連書類です。こっちが説明資料で、こちらが議事録です。」


「千草さん、PDRってなんデスカ。」


「Preliminarily Design Reviewつまり、概念設計審査のことね。システムの基本的な設計思想が決まった際に、そういうものを作るための開発を続けていいかどうかを審査するための会議なの。この資料に基本的な考え方が全て詰まっているわ。ただ、最終設計のときに変更になっている場合もあるから、CDRの際の変更管理一覧表も必要ね。」

そういいながら、千草は3冊の分厚いファイルをかかえ、会議室に戻っていった。


 千草が会議室に戻るなり、大林が千草に明るい声で叫んだ。

「千草さん、OMVは1時間45分後に発電衛星にたどり着けそうやということです。それと、OMVの推進機は移動用のもんなんで力の強いプロペラント推進やけど、発電衛星は姿勢制御のためのもんでイオン推進やから、スペック上はOMVのほうが少し勝ってて、なんとかなりそうです。この作戦はやってみる価値があるから、とにかく実行に移してみますわ。」


「希望は持てそうね。私はここで技術資料を見ていくから、継続してお願いします。」

 千草はそう言って、資料に没頭し始めた。


「はい、こっちはまかしといて下さい。」

 大林は胸をたたき、隣の管制室に向かった。セリーヌはこの作戦の行方(ゆくえ)が気になり、大林についていった。


 管制室には大きなスクリーンがあり、地球の地図とそれに重ねて発電衛星の軌道が表示され、赤い光る点で現在の衛星の位置が示されていた。そこに、大林の指示により、OMVの現在位置と、発電衛星との邂逅(かいごう)予想地点が示された。OMVは青で表示されていた。大林はセリーヌのために表示内容について説明してくれた。


「軌道の高さを色で表しとるんですわ。実験用宇宙ステーションは高度400kmの低軌道にあるから、OMVはだいぶん高いとこまで昇っていかなあかんわけです。ほら、ちょっとずつ色が変わっていきよるでしょ。そやけど、この移動のためにOMVは推進剤を3/4以上使こてしまうから、発電衛星をずらすんにはあんまし余裕はないんですわ。うまいこといったらええんやけど。」


 OMVの光点はだんだん赤くなっていき、発電衛星に近づいていった。


「さあ、OMVがいよいよ発電衛星を捕まえるで。こっからランデブー・ドッキングや。」


 大林の掛け声に続けて、緒方が解説を加えた。

「かつてはランデブー・ドッキングはかなり困難な作業でしたけど、今では経験の蓄積で優れたAIモジュールができていますら、安心して見ていられます。」


 しばらくして、スピーカーからJAXAの報告が入った。

「OMVのスネアがターゲットのグラップルフィクスチャを固定しました。」


 どうやら、ドッキングが成功したらしい。セリーヌは会議室に戻り、千草にそのことを伝えた。

「千草さん、ドッキングが成功しましタ。今から軌道変更をしますが、見にこなくていいデスカ。」


「ありがとうセリーヌさん。でも私はもうちょっと資料を見ているわ。軌道変更がうまくいけばそれでいいし、でも、うまくいかなかったときの準備はしておかないといけないから。」


「わかりましタ。ではまた結果を報告しにきまス。」

 そういってセリーヌは管制室に戻った。


 管制室では、軌道変更のための確認作業が進められていた。OMVの推進剤が発電衛星の太陽電池等を汚染しないように、噴射方向など確認事項が多かった。そもそも本来と異なる運用をしようとしているので、慎重にことを運ぶ必要があった。


「軌道の方向をずらすとともに、低軌道に向けて移動させます。そうすることで、OMVの推進剤を節約できますし、発電衛星が元の軌道に戻るためにはより強い力を必要としますから。」


 緒方の解説の後すぐに、JAXAから報告が入った。

「それではOMVによる推進を開始します。」


 全員が固唾(かたず)を呑んで見守るなか、OMVの推進が始まった。管制室スクリーン上のOMVのライブ映像ではOMVからまぶしい噴射光が出ているのが写っていた。その横に、本来の軌道からのずれ量が数値で表されており、その値が徐々に大きくなっていった。ずれ量が100mを超え、皆が安堵しかけたとき、緒方が叫んだ。

「発電衛星から異常レポートが入ってきました。軌道のずれを検出したようで、軌道補正のためのイオン推進が始まりました。」


「さあ、こっから相撲の始まりですわ。ほんまやったらうちの子を応援したいとこやけど、今回はうちの子には負けてもらわんと困るからな。」


 大林が画面を見つめながらつぶやいているうちにも、軌道のずれ量の増加速度がゆっくりになっていき、ついには減少に転じた。


「発電衛星の推力がOMVのそれを上回っているようです。」


 緒方のレポートに対して、大林が叫んだ。

「なんでや。スペック上はOMVの方が強いのんと違うんか。」


「おそらくOMVは推進剤を無駄遣いしないように推進力の上限をスペックを超えないように制限しているんでしょうが、うちの衛星はイオン推進のエネルギーの電力は無尽蔵にありますから、回路に負担のかからない範囲で余裕を持たせてあるんだと思います。結果、実力的にはうちの衛星の方が力が強かったということです。」


 そうこうしているうちに、OMVは推進剤を使い切り、その頃には発電衛星は本来の軌道に戻っていた。


「この作戦は失敗です。こんなことなら、OMVをうちの衛星にぶつけて壊してしまえばよかったですね。」


 緒方の言葉に大林はかぶりを振った。

「そんなんJAXAが許してくれへんよ。航空宇宙軍とおんなじ理由で。さて、これはもう覚悟せなあかんかな。緒方君、社員以外は全員パートも含めてできるだけ遠くに避難させてもらえるか。気休めかもしれへんけど。」


 大林はそう言い残して、セリーヌを連れ、まだ資料を読み漁っている千草のいる会議室に戻ってきた。


「千草さん、あかんかったわ。あと30分ぐらいしかないから、念のためセリーヌさんと避難してください。社員以外にはさっき避難指示を出しましたんで。」


「えっ、社員の皆さんはどうされるのですか。」


 千草の問いに大林は複雑な表情で答えた。

「自分らはこのままここにおります。もし、近隣住民に被害が出たとき、当事者の自分らだけ避難しとったことがばれたら、えらい非難されることになりますから。ここで、おおごとにならんように祈ってますわ。」


「私もこのままぎりぎりまで道を探ってみます。セリーヌさん、あなただけでも避難して頂戴。」


「いえ、私も最後まで見届けさせてくだサイ。なにかのお役に立てるかもしれまセン。」


 セリーヌの決意の表情を見て千草はうなずいた。

「分かったわ。それより大林さん、マイクロ波照射開始の正確な時間を教えてもらえませんか。」


「はい、ここは日本標準時より南中時間が2分早いですし、マイクロ波照射は衛星の南中の±2.5分の間で行いますから、5時55分30秒に照射開始です。」


「ありがとうございます。あと23分ね。」

 そう言って、千草は再び資料に目を落とした。


 たったの23分がセリーヌには異常に長く感じられた。何度か会議室と管制室を往復し、管制室のスクリーンの光点が日本に着実に近づいて来るのをはらはらしながら確認した。セリーヌは真剣に神に祈っていた。

 照射まであと2分を切ったとき、千草が叫んだ。

「これだわっ!」


 千草は猛烈な速度で別の資料をパラパラとめくり、もう一度叫んだ。

「うん、間違いないわ。変更もない。」


千草は資料が机から落ちのも構わず立ち上がって、管制室に駆け込み、そこにいた緒方にまくし立てた。

「緒方さん、すぐに衛星への通信を完全に遮断して。」


 緒方は千草の剣幕に恐れをなしながらも応えた。

「えっ、いえ、システムダウンには時間がかかります。アンテナの電源も非常用電源があるので、簡単には切れません。」


 ちらりと時計を見た千草は、

「あと、30秒ね。ごめんなさい。」

と叫ぶと、操作卓にあった所員の私物であろうダンベルをつかんで外に飛び出した。外に出た千草は、走って通信用のパラボラアンテナに向かい、アンテナの手前10mからダンベルを投げつけた。手を離れたダンベルは一直線にアンテナに向かい、その中央にある一次放射器に命中し、これをなぎ払った。その直後に予定の時間がきた。しかし、なにも起こらなかった。衛星はマイクロ波照射を行わず、無言で上空を通過していき、危機と共に去っていった。


挿絵(By みてみん)


 ダンベルを投げた後、地面にへたり込んでいた千草の元に、セリーヌを初め、残っていた所員が集まってきた。大林も息せき切って駆け寄ってきて、千草に尋ねた。

「これは、どないいうことですか、千草さん。」


 千草はまだはげしく息をつきながら答えた。

「え・・衛星の仕様の、あ・・安全対策の項目で見つけたの。はぁはぁ・・。マ・・マイクロ波照射は・・安全上絶対に・・集電施設以外で行っては・・いけないから、・・マイクロ波照射の0.1秒前に、・・まず信号レベルの弱いマイクロ波を照射して、・・集電施設が間違いなくこれを受信できたら、地上から照射許可の信号を衛星に返して、・・それでやっと実際のマイクロ波照射を照射する仕様になってたの。だから・・アンテナを壊して地上からの許可信号を返さないようにしたから、衛星は集電施設ではないと判断して、何もせずに通り過ぎたというわけ。ごめんなさい、アンテナを壊してしまって。でも反射面は傷つけていないから、放射器の交換だけで直ると思うわ。」


「そうか、信号レベルの弱いマイクロ波なら、電力線を焼ききることもないから、衛星側はなにもダメージを受けていないんですね。」

と満面の笑顔で喜ぶ緒方を押しのけて、大林は千草の両手を握り、半泣きになっていた。


「千草さん、ありがとうございます。ありがとうございます。パラボラなんか10個でも20個でも壊してもろて構いません。」



 電力送電施設所員からの嵐のような感謝の洗礼を受けたあと、千草とセリーヌは車で帰途についた。車の中でもセリーヌは千草の活躍を賞賛したが、千草はそれには取り合わずに話題を切り替えた。

「ねえセリーヌさん、今回の件も知恵が絶滅を引き起こすことの1つになるんじゃないかしら。」


「えっ、そうですカ?」


「事故自体はどのような状況でも生じますが、技術が発達すると事故による影響は大きくなりますよね。」


「あっ、そうですネ。高度に発達した技術の下では、事故は絶滅を招きかねないデスネ。今回の件も、千草さんが指摘したように、もしかしたら核の冬を招いて絶滅につながったかもしれませんからネ。」


 そう考えると、千草の機転がなければ今頃人類絶滅の歯車が回りだしていたかもしれないのだ。少なくとも、近くで核爆発に匹敵する爆発が生じていたら、今頃はセリーヌの命はなかったのである。改めてそこに思い至って、セリーヌは身震いを禁じえなかった。これも神様の創ったしくみかと思うと、余計に恐怖が増す思いだった。



 翌日大林から連絡があり、発電衛星はスペースZ社のサポートで修理を終え、集電が2回行えなかっただけで復旧できたことが分かった。ORU(軌道上での交換を想定したもの)となっている回路部分のユニットを交換するだけで、簡単に修理ができたとのことである。結局、電力は備蓄分だけで賄え、今回の事故による影響はほとんどなかったことになる。ついでに、発電衛星に張り付いたままになっていたOMVは、充分にお礼を言ってJAXAに返却したとのこと。大林はその連絡の際にも長々と千草に例を述べ、さすがに千草も苦笑いをしていた。セリーヌにとっては、これが解決できたことが神様に祈った結果なのか、そもそも神様がしくんだことなのか判断がつかず、複雑な思いだった。


以下、蛇足の追記:


●発電衛星 <ホント>

 コンセプトだけですが、実際に検討されています。宇宙では天気や大気の影響がないため、安定した発電が期待できます。ただ、マイクロ波での無線伝送の技術がまだ確立できていないため、実用に至っていません。


●スペースデブリ <ホント>

 すでに宇宙開発上の障害となっています。とにかく宇宙では相対速度が速いので、小さなごみでも脅威になります。それに1つのごみが衛星にぶつかって破片をまき散らしたら、それがまたごみになって他にぶつかってと、指数関数的に増えていくのです。


●OMV <ホント>

 Orbital Maneuvering Vehicleの略で実際にボーイングなどで検討中です。元々はTRWというアメリカの衛星メーカのアイデアです。ちなみに筆者は30年前にTRWにもらったOMVのマグカップを今も愛用しています。


●イオン推進 <ホント>

現実の人工衛星にすでに利用されている推進法です。動力は電気ですが、噴出するイオン材が必要ですので、電気だけあっても無限に動作するものではありませんが。


●PDR/CDR <ホント>

 航空宇宙分野では、システムが複雑で、さらに空や宇宙での運用となるため、完成品に対して全ての試験を行うことができません。このため、開発の手順を厳密に決めておき、正しい手順できちんと作られているものであるなら信頼できる、という立場をとります。PDRやCDRはそうやって定められた手順のうち、チェックポイントとなります。今はこの考え方は、ほかの分野でも一般的になりつつあり、例えば医療機器などでISO13485で、一般の民生機器もISO9001で定義されています。

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