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神の計略  作者: 日之本オタ
5/10

5.生存圏拡大の可能性

 神戸から帰った数日後、千草のアレンジで遠隔会議を行うこととなった。相手はケンブリッジ大学の物理学の専門家であるとのことだった。産業総合研究所内の会議室に千草に連れられて入ったセリーヌは、すでに一人の女性が待っていることに気づいた。千草に気づいたその人物は立ち上がって、にこやかに挨拶(あいさつ)した。


「おう、須美っち。元気だったか?」


「ええ元気よ、アイラも相変わらず元気そうでよかったわ。今日は時間をとってくれてありがとう。」


「なに言ってんのよ。須美っちと話ができるなら、オレっちはいつでもOKだよ。」


 明るく挨拶を交わす二人を見ながら、セリーヌは『遠隔会議って聞いていたのに、結局来てもらったのかな。』と思いつつアイラに近寄った。


「始めまして、セリーヌ=ベルナールです。」


といいながら、握手をしようと手を伸ばすと、手が届く直前に何かにぶつかってしまった。面食らっているセリーヌに千草が声をかけた。

「セリーヌさん、そこはホログラムのスクリーンよ。」


 どうやらセリーヌは遠隔地の人物と握手しようとして、ホログラムのガラススクリーンに手をぶつけたようだった。それにしてもリアルな映像だった。本当にそこにいるようにしか見えないのだ。一方のアイラは豪快に笑いながら挨拶した。


「あっはっは、セリーヌ、君は面白い子だね。オレっちはアイラ=ブラウンだ。今、ケンブリッジのトリニティーカレッジで、裏に流れるケム川を(なが)めながらしゃべってんだよ。まあ、よろしくな。」


 セリーヌは赤面しながらも、話しやすそうな相手でよかったと思った。それにしても、AI翻訳の性能の高さには感心してしまう。彼女の雰囲気にぴったりの特徴ある日本語で声が流れてくるのだ。実際はいったいどんな英語を話しているのだろうか。


 三人が席に着くと、千草がさっそく切り出した。


「アイラ、今日会議に出てもらったのは、単刀直入に言うと、光を超えて移動することができるのかどうかを聞きたいからなんです。こちらで今、人類が将来的に生活圏を他の恒星系に広げられるかどうかを検討しているんですが、そのためには光速を超えることが現実的にはどうしても必要になりますからね。」


 これを聞いたアイラは少し言いよどみながら答えた。

「うーん、できるっちゃ、できるんだけどねぇ。」


「なんか、含みのある言い方ね。」


「うん、オレっちはその辺りが専門の理論屋なんで、まさに光速を越えて移動するための手段を検討してんだよ。そんで、最近その方法を発見したんだ。」


「すごいじゃない、アイラ。」


「それが、手放しに喜べねーんだよな。ちょっと問題も見つかってさ。」


「そうなの?それじゃ順を追って説明してもらえないかしら。」


 千草の依頼にうなずき、アイラは説明を始めた。

「知ってると思うけど、今は光よりも速く移動できねぇんだよな。これって、そんな速い乗り物がないということじゃなく、質量を持った物体は光の速度未満でしか移動できないから、そもそも理論的に不可能ということだな。でも、宇宙は広い。太陽から最も近い恒星系のケンタウルスアルファ星まででも、光の速度で4年以上もかかるんだぜ。人類が居住可能な惑星ともなっと、一番近いティーガーデン星系の二番惑星までほぼ10年と、とてつもなく時間がかかることになるんよ。これらの星に行こうと思ったら、空間を移動するのではなく、空間を跳躍する必要があんだよ。俗に言うワープってやつだな。ワープのための実際の理論はすっげえややこしいから、ものすごく大雑把(おおざっぱ)にいうと、不確定性原理を使うんだ。ハイゼンベルクの不確定性原理、知ってっか?」


 セリーヌはいきなり聞かれ、焦りながら答えた。

「名前ぐらいしか知りマセン。」


「まあ簡単に言うと、位置の誤差と運動量の誤差をかけたものが定数以上になるという原理だな。まあ、両者を掛け算したら一定値になると思ってくれな。この一定値は換算プランク定数という、めっちゃ小さな値になるから、位置も運動量も現実的にはかなり正確に観測できるわけよ。でも掛け算ってやつぁあ、片方が0に近づくと、もう片方はものすげえでかくなっちまう。これを利用して、宇宙船の運動量の誤差をものすごく小さくすると、宇宙船は広い範囲のどこにいるかわからなくなるようにできるんだな。つまりこの状態では、宇宙船の存在確率が広い範囲で一様になってるってことで、宇宙船がどこにいてもおかしくないって状態なんよ。この時に、運動量の誤差を通常に戻してやれば、宇宙船の位置もどこかに決まる。その位置は確率的に広がった範囲のどこかに突然決まるから、宇宙船は元の場所からワープしたことになるってことよ。」


挿絵(By みてみん)


 狐につままれたような気になっているセリーヌをよそに、千草がアイラに質問した。

「でも、それじゃ行きたい所にいけないわよね。元の場所を中心にした広い空間のどこに行くかわからないってことでしょ。」


 これにアイラはうれしそうに答えた。

「いい質問だね。オレっちもここまではずいぶん前に気がついてたけど、行きたい方向に行けないことには実用性は無いからさ、そこでずっと悩んでいたんよ。そんで、最近それを解決できたんよ。その話をするためにはさ、時間と空間の等価性を理解してもらわねんといけねんだよ。なあ、須美っち、今いるこの世界は何次元世界だと思う?」


 千草はアイラの質問の意図を測りかねながらも答えた。

「空間は3次元だけど、世界というなら時間も含めないといけないから4次元世界ね。」


「そう、さすが須美っちだぜ。この世界では空間で3つのパラメータとあと時間を指定して初めてものの位置を確定できるから、4次元世界なんだよな。言い換えると、世界における位置を4つのパラメータで指定できるということだから、4つの軸で表現できるってこっちゃね。ただ、時間は秒、空間はメートルという単位を人間が勝手につけているから、これを等価に表すためには時間軸をメートルに換算しないといかんわけよ。この換算係数がc、つまり光速ってことさ。これは偶然でもなんでもなく、光が時間と空間の間を通るものだから、光速は当然この値になるのさ。要するに、1秒と30万kmは同じもんなのよ。話は()れっけどよ、この時間と空間の等価性とこの換算係数を使うだけで、ローレンツ短縮なんて相対性理論を使わなくてもただの三平方の定理で説明できるぞ。」


 もはやセリーヌにはついていけないが、千草には分かっているのか、アイラに同調していた。

「そういえば、そうね。ローレンツ短縮は二乗の差の平方根の形になっているから、あれって三平方の定理の形ね。係数もcになっているし。」


「だろう。そんで、時空を等価に考えると、現在地を原点にして、時空の軸を回転させることで、目的地の方向を時間軸にのせることができるんよ。そこで、時間の不確定性を利用することで、目的地の方向にのみワープできるようにできんだよ。時間は正の方向にしか進まないからな。」


「時間の不確定性?時間とエネルギーの不確定性を利用するってこと?」


 千草の疑問にアイラが弾んだ声で叫んだ。

「ビンゴ!やるねぇ、須美。そのとおりだよ。エネルギーの誤差を0に近づけることで、時間の方向すなわち目的地の方向のみの不確定さを実現できるんだ。しかも1秒の不確定さが30万kmに相当するから、こちらのほうがはるかに効率がいいんだよ。これを元に計算すると、例えば10万トンクラスの宇宙船での実用的な不確定距離は約0.8光年ぐらいになるんよ。」


 一瞬目を見張った千草だが、まだ納得できない様子で聞き返した。

「えっ、でもそれでワープした場合、現在位置から0.8光年までの間のどこにワープアウトできるか分からないってことよね。狙った場所にはいけないってこと?」


「そうよ、でもそれでいいんよ。確かに一回のワープではどこに行くかは分からん。けんど、期待値的には一回のワープで0.4光年進むものと考えてかまわんのよ。つまり、8光年離れた目的地に行くためには、20回のワープをすれば高い確率で目的地近くまでたどり着けるってわけな。目的地に近づくと、ワープの範囲を調整することで、もっと近くまでいき、あとは通常航行すればいいわけよ。」


「なるほど、それだと充分に使えるわね。すごいわ。」


 今度は千草も手放しで感動していた。セリーヌも理論は分からなくても、ワープが実現可能となったことは理解でき、声を上げた。

「素敵デスネ、それじゃ人類の生存域が広がるから、絶滅を回避できる可能性があるってことデスネ。進化による絶滅の因果律は成り立たないことになりますネ。」


 しかし、その時アイラの表情は急に暗くなった。

「いや、ちょい待ち。ただこれにゃ重大な問題があるんよ。」


 水を差された二人がアイラの顔を覗き込む中、アイラは説明を続けるのをためらっている様子だったため、千草は思いついたことを言ってみた。

「もしかして、犯罪者がワープしても後を追跡できないってこと?」


「そいつぁ気づかなかったな。いやたしかにそうだ。犯罪者自身もどこにワープアウトするかわかんねぇもんな。けんど、そんなことよりももっと深刻なことよ。」


 少し間をおいてアイラは続けた。

「この方法をいろいろ検証した結果、まずいことがわかったんよ。ワープした後の空間は、直前まであった物体が空間ごと消滅すっから、一瞬ものすごい空間の歪ができて特異点になるんよ。要するに、そこに一瞬ブラックホールの種ができるってこったな。ただ、そこにはもう何も無いから、ブラックホールへと成長できずにすぐに消滅しちまうことになっけどよ。でも、このワープはどこに出てくっか分かんねぇだろ、で、たまたま同じ場所にワープアウトした場合には、ブラックホールに餌をやることになんだよ。」


 千草はこらえきれずに続きを口にした。

「宇宙船はブラックホールに飲まれ。航路上にブラックホールが残るわけね。」


「そうなんよ。で、そんだけならまだマシなんだけどさ、ワープのために不確定になった範囲には空間の歪ができてて、それがしばらく残ってんだ。ブラックホールができた瞬間には猛烈なガンマ線バーストが発生すっから、それが特異的にそれら歪方向に向かって進んでいき、航路全体に強力なガンマ線が拡散されないまま照射されるってこった。」


「ちょっと待って、すると、ワープに失敗したら、その宇宙船がブラックホールに吸い込まれるだけではなく、その宇宙船の航路に沿ってガンマ線が降り注ぐってことなの?」


 叫ぶ千草にアイラはうなずいた。

「そういうこった。そんでよ、たぶんそんときにゃ、地球からいろんな恒星系に定期航路ができてっからよ、その航路に沿って定常的に空間の歪が蓄積されてるってこったろ?そんな中で、一箇所でやらかしちまったら、ガンマ線バーストは連鎖的に蜘蛛(くも)の巣を伝うように広がって、人間の生存圏が全部おしゃかになっちまうんよ。」


 セリーヌは目の前が真っ暗になる思いだった。せっかく進化と絶滅の因果律は断ち切れるものだと期待したものが、脆くも崩壊したのである。

「そんな危険なものなら、実用化することはありえまセン。」


 声を荒げるセリーヌにアイラはかぶりを振りながら言った。

「それがそうとも言い切れねんだよな。例えば、全長1000mの宇宙船が0.8光年の幅のワープをする場合だと、元の場所に引っかかる確率は7.6兆分の一になる計算だ。仮に一日一万回のワープが行われるとすると、破局が生じる可能性は一日につきだいたい7億分の一ということだな。まあざっと200万年に一回の可能性ということなんよ。この200万年に一回というリスクと、広い宇宙から得られる資源や開拓地とを天秤にかけた場合、この禁断の果実を人類は我慢することができるもんだろかねぇ。」


「それでも人類絶滅かかっているマス。そんな危険デスものは・・。」


 熱くなって日本語がおかしくなっているセリーヌを千草がたしなめた。

「セリーヌ、気持ちは分かるけど、落ち着いて。アイラの心配は決して杞憂(きゆう)じゃないと思うわ。実際、過去の冷戦時代に、人類絶滅数秒前と言われながらも核配備は増強され続けていたのよ。そのときの人類絶滅の可能性はこの件よりもずっと高かったのにもかかわらずね。」


 感情的には認めたくなかったが、たしかに充分ありえることだと、セリーヌも納得せざるを得なかった。セリーヌの葛藤(かっとう)をよそにアイラは続けた。

「現実的には、この宇宙船は進行方向に短い扁平な形状に設計することで、ワープに失敗する確率を下げることができるだろうし、ワープそのものを公的な機関が管制して、できるだけ回数を抑えるなどのしくみができるだろうから、破局に至る確率はもっと抑えられるだろうけどな。」


 千草はそこには納得できないようで、異論を唱えた。

「でも、ワープの範囲を半分にすると、ワープに失敗する確率は倍になるわよね。ということは、目的地が近くなった場合はワープ範囲を狭くする必要が出てくるから、その場合はリスクはずっと大きくなるわ。例えば、木星の軌道から地球までは、通常航行なら数日かかるからワープしたくなるけど、その範囲でワープするとリスクは1万倍ぐらい高くなるわ。火星からなら10万倍よ。違法に短距離ワープを行う人もきっとでてくるわ。だとすると、全体的な破局の確率はかなり高いものとなるんじゃないかしら。」


「ふむ、そりゃそうだわな。」

そう言いながら考え込むアイラを見ながら、セリーヌは思った。ここには環境問題と同じ構造があると。個人個人が勝手な行動で微小なリスクを積み上げていくことで、それが最終破局に至るという点はなにも変わらないのだ。


 アイラは意を決したように千草に向かい、こう言った。

「なあ、須美っち。オレっちはよ、このワープの方法は危険なんで、お蔵入りにしようかと思ってたんだよ。でも、脳みそはオレっちの頭蓋骨の中にだけ入ってるんじゃねえから、そのうちきっと誰かが思いつく。そんなら、そうなる前に、危険性を充分に示した上で自分で発表して、技術を管理しとこうかと思うんだが、どんなもんだろう。」


「私もそれに賛成ね。とにかくアイラ、きょうはどうもありがとう。とても参考になったわ。」

「いや、むしろこっちもいろいろと勉強になったよ。また今度ゆっくり雑談しような。セリーヌも頑張んなよ。」


 通信が切れて、会議室のアイラは突然消滅した。唐突な消滅なので、アイラがまだその辺にいるような錯覚を感じていたセリーヌに、千草が声をかけた。

「なんというか、予想外の内容だったわね。セリーヌさん。」


「千草さん、私、今とても怖いデス。人類の生存圏を増やそうとしたら、その生存圏全体を網羅して破滅させるような可能性があるなんて。とても偶然とは思えまセン。やっぱり何者かの意思を感じてしまいマス。これって、神様が世界をそう作ったとしか私には考えられまセン。」


「そうね、神様のせいにするのはともかく、私も同じような気がしてきたわ。これは慎重に分析していく必要がありますね。」


二人は、人の力の及ばない大きな力に自由を奪われたような気がして、顔を見合わせていた。


以下、蛇足の追記:


●立体ホログラム <ホント>

 ホログラムは光の干渉を記録したものですので、それを再生するためには光の干渉縞が再現できるほど細かいデバイスが必要となり、現状ではモノクロの静止画しか実用化できていません。ただ、これはデバイスの問題ですので、将来的にはカラー動画化は可能なはずです。ホログラムは実際の光と同じものを再現するため、眼鏡なしの立体が再現できますし、見る位置を変えると変えた方向からの対象を見ることができるなど、自然な映像が得られます。ただし、手前には干渉を起こすためのガラスが必要となります。


●不確定原理を用いたワープ <ウソ>

 もちろんこんな理論はありません。不確定原理は量子レベルの極小の世界の話しで、宇宙どころか、一般生活レベルのスケールでも無視できる話です。


●四次元世界 <ホント>

 この世界は3次元空間ですが、世界としては4次元です。位置を示す3つの次元に時間を加えた4つのパラメータで、物の運動を定義できるからです。怪しげな番組で「四次元世界」という言葉が理解されずに使われていますが。


●ガンマ線バースト <ホント>

 ブラックホールができたときに出されるとされています。実際には距離の二乗に反比例して弱くなるので、遠くで発生した場合は問題がありませんが、本作品では、航路に沿って拡散なく進むという設定にしたため、破滅的なものだとしています。


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