8.リボンの花
涼しい風に吹かれながら、トムはお花屋さんの前で足を止めました。
スミレの花の紫を見て、トムはいよいよ、あしたへの思いを強くしました。
「リブの分だけじゃ足りないや。みんなの分のあたしもつかまえなくちゃ」
トムは風を吸いこんで、高い空を見つめました。
そこにリブの顔が浮かびました。
リブは笑っているのかな、ぼくのことを待っていてくれてるのかな、もしも泣いていたら、あしただけでは足りないから、リブのよろこぶ顔を作ってくれる、このお花たちも一緒に持って帰りたいな。
そんな思いが、トムのわくわくをいっそう大きくさせました。
「君もだれかにプレゼントを贈るのかい?」
急に聞こえてきた声の主を、トムは見つめました。
「ぼくはノエルに贈るプレゼントを探してるんだ」
トムは話しかけてくれた男の子の名前をたずねました。
「ぼくはニコラ。君は?」
「ぼくはトム。あしたを探しに行ってるんだ」
トムはふと、この言葉をもう何人もの人に話してきたことに、気がつきました。
そして、あしたはもうすぐのところまで来ているのだということにも。
ニコラが言いました。
「あしたか。それはだれかにプレゼントするものなのかい?」
「うん。リブと、ぼくが出会ったお友だちみんなにあげるんだ。あしたを手にしたら、なんもできるようになるんだよ」
ニコラはトムのその言葉に、とても興奮しました。
「へぇー。そいつはすごいな。みんなトムにそのプレゼントを頼んだのかい?」
トムは黙りこくってしまいました。
「どうしたんだい、トム?」
ニコラの声が聞こえなかったわけではありません。
でもトムはなにも返事を言うことができませんでした。
考えたことがなかったのです。
だれかに頼まれたわけではない。
自分の意思だけで、みんなにあげたいと思ったプレゼントでした。
よろこぶ顔は自分のものだけだったのではないかと、トムは思いました。
ニコラはそんなトムの顔を見ただけで、トムの胸の内がわかりました。
「ぼくも君と同じことを考えてたよ。ノエルのよろこぶ顔が見たくて、がんばってためたおこづかいをはたいて、プレゼントを贈ろうと思ったんだけどね。この花たちを見ていて気がついたんだ。よろこぶ顔はノエルのものじゃない。ぼく自身のものだったんだっていうことを」
トムもそれだそれだと、口には出さずに、ニコラに知ってもらいました。
「それでぼくはノエルに贈るプレゼントを決めることができなくなってしまった。ノエルに似合うこの黄色い花たちも、本当にノエルのもとに行きたがっているのかどうか、わからなくなってしまった」
トムはなにも話せない言葉を顔に出して、ニコラのそれを見つめました。
「ノエルにはこの黄色い花がとてもよく似合うと思うんだ。でもノエルがそう思っているかなんて、ぼくはなにも知らない。それなのに、ぼくはひとりでこの花をノエルに贈ることを考えていた。トム、ノエルはこんなプレゼントをよろこんでくれると思うかい? ノエルの知らないところで決まったこのプレゼントを、ノエルは笑顔で受け取ってくれると思うかい?」
トムは、すっかり土の色に染まった自分の靴を見つめることしか、できませんでした。
うっすらと涙も浮かべていました。
「考えたらなにもできなくなってしまっていた。ぼくはこの花をノエルに贈りたい。ノエルがよろこんでも、よろこんでくれなくても。だってこの花は、ノエルにとてもよく似合うんだから。生まれてきた意味があるのなら、ノエルと出会うためだと、ぼくは言いきれるくらいにね」
トムはがんばって、ニコラの顔を見つめることができるようになりました。
それでもまだ、その言葉を伝えることはできませんでした。
「ノエルに直接なにがほしいのかを、たずねられればいいんだけどね。でもそんなことをしたら、よろこぶ顔の半分も見れなくなってしまう。そしてぼくは気がつくんだ。よろこぶ顔はだれのものだったのかということをね」
トムは知らず知らずの内に、涙をこぼしていました。
きっとリブのほしいものは、このお花じゃなくて、涙のないぼくの笑顔なんだ。
そう考えると、涙の粒がさらに大きくなってしまいました。
「トム、大丈夫かい?」
気づかうニコラのやさしさにも、応えてあげられない自分のことが、トムはくやしくなりました。
泣いてちゃいけないのに、涙は言うことを聞いてくれませんでした。
ニコラの瞳も、トムのそれが移ったかのように、うっすらと、しずくで輝いていました。
「なにも考えることができなくなって、じゃあもういいや、なにも贈らないでおこう。そう決めたとしても、すぐに撤回されるんだ。ノエルのことをその程度にしか思えなかったんだ、冷たいやつだなって、そんな言葉がぼくの口から耳へと、どんどんどんどん、流れこんでくるんだ」
トムは泣きながら言いました。
「ぼくだって、リブのことが好きなんだ。リブにもぼくのことをもっと好きになってほしくて、リブのよろこぶ顔を考えていた。でもニコラの言う通りだった。リブの笑顔は本当のものじゃない。ぼくが勝手に作った、にせもののやつだったって」
トムもニコラもくちびるをかみしめました。
そうすることしかできませんでした。
やさしさの意味や、温かいものの在りかを、ふたりは小さな心で考えました。
「ぼくらはどうすればいいんだろう」
ニコラの悩みをなんとか自分の手で解決させたい。
トムは強くそう思いましたが、いらないものだけが先行して、なにも手に入れることができませんでした。
お花屋さんから離れて、ふたりは歩きました。
歩いたらなにかが見えてくるからと、トムがニコラに話したのです。
その途中で、ニコラはトムにたずねました。
「君はあしたを探していたよね。それはリブのためかい? それとも自分のためかい?」
トムは答えました。
「リブのためでもあるし、ぼくのためでもあるよ。ふたりのためなんだ。ぼくが笑って、リブのことを守ってあげて、どんなことがあっても、明るいふたりでいたいから、あしたを探しているんだ」
さっきよりは強くなった声で、トムは言いました。
ニコラもそれに誘われて、高い声で、トムとの続きの話をしました。
「そうか。それならあしたを探す意味があるよな。トム、ぼくは君とは全然ちがうんだ。本当によろこびたかったのは、ぼくだけなんだ」
トムはニコラの顔をただ見つめるだけで、その続きを待ちました。
ニコラも自分で気づくよりも早く、トムにそれを話しました。
「もちろん、ノエルのよろこぶ顔をぼくは見たいよ。でもそれだけじゃないんだ。ノエルのよろこぶ顔を見て、よろこぶぼくの顔が見たかったんだ。そのためのプレゼントを、ぼくは探していたんだ。そんなものをもらっても、ノエルはちっともうれしくなんかないよね。そんなに変な色のついたプレゼントなんて、ぼくだって、これっぽっちもほしくなんかないもん」
ニコラの瞳のしずくの生まれた場所を、トムは考えました。
きっとノエルという女の子は、とてもかわいい子なんだ。ニコラの瞳にそれ以上のものが映らないくらいに、まぶしいものなんだ。
ぼくが見つけたあの光に負けないくらいに、輝いているんだ。
トムは自分の隣を歩く新しい友だちのことを、リブと同じように守ってあげたいと思いました。
あしたがまだそこになくても、この手で、トムはニコラのことを守ってあげたいと思いました。
「プレゼントって、もらう人だけがよろこぶものでなくちゃいけないよね。それをあげる人は、自分の望みをつめこんじゃいけないんだよね」
悟りを開いたようなぼそぼそとした口調で、ニコラは言いました。
「ぼくはなにがしたいのかわからなくなったよ。ノエルにあの黄色い花をプレゼントして、それによろこぶノエルの顔を見たいと思っていた。それだけなら、ぼくはもうその願いをかなえているはずだった。それなのにかなえられなかったのは、ぼくにはもっともっとの望みがあるからなんだ」
「それがニコラの自分の望みってやつ?」
一滴こぼれ落ちたニコラの涙を見ながら、トムはそうたずねました。
「そうだね。そういうことになるね。ぼくはつくづく自分のことがきらいになったよ。こんなことをトムに言いながら、頭の中ではやっぱり、あの花をノエルに贈りたい、もしもあの花でなければ、ノエルもぼくもよろこぶ、別のプレゼントを贈りたいって考えているんだから」
トムは自分も、リブに対して同じことを考えていたから、ニコラの気持ちが痛いほどにわかっていました。
「トム、でも君はリブと約束したんだろ。あしたをプレゼントするって。それなら、君は堂々とリブにそれを渡せばいい。リブもあの町で、君のことを待っているはずだよ」
本当にそうなのだろうかと、トムは考えました。
「君の贈るプレゼントはとてもまぶしい光なんだ。きっと、どんなきたない色にも染まらないだろう。でもぼくのはちがうんだ。あの黄色も自然の色ではない。ぼくが思いをこめすぎて、つけた色なんだ」
トムはニコラの見ていたあの花の色を、まぶたの内側で思い浮かべました。
「ノエルは黄色が好きなんだ。洋服も、靴も、かばんも、ノエルがまとうものは黄色ばっかり。だから花だって、黄色が好きに決まってるって、ぼくはそう覚えたんだ。それであの花屋に行って、ノエルが好きそうな花を選んだんだ。それがぼくの見ていたあの花だったってわけだ」
トムは、瞳のしずくを何度も拭き取るニコラのほっぺたに目がけて、言いました。
「なんだ。ノエルの好きな色を、ニコラはちゃんと選んであげてたんじゃないか。それなら、全然大丈夫だよ。ぼくはてっきり、ノエルのことをなにも知らないくせに、あのお花をプレゼントしてあげようと思っていたのかと思ったよ」
トムは少し明るい声を出して続けました。
「ニコラはやさしいんだね。ノエルのことをちゃんと理解してあげてるよ。黄色が好きだから、きっとこの花のことを好きだろうなってことを考えて、あのお花を選んだんだもん」
ほっぺたにしずくを何滴か残したまま、ニコラはトムの話を聞きました。
「よろこばれないプレゼントなんかよりも、全然いいと思うよ。少なくとも、ほかの色よりは、ノエルのよろこぶやつなんだから。ちゃんとノエルのことを考えてあげてるじゃないか。悩まなくたって、全然へっちゃらだよ。ノエルにあのお花を渡して、ノエルがどんな反応をしてくれるか、ねぇ、どう思う? ニコラ」
ニコラはすっかり明るくなったトムの顔を、びっくりしたまま見つめました。
そして、さらに明るいそれでうながす答えを、ニコラはしずくを拭き取ったこぶしを見つめて考えました。
「よろこんでくれれば、それでいい」
ニコラはそのひとことに力をこめて言いました。
そしてトムはにこっと笑いました。
「そうだよね。それだけでいいよね。ノエルがニコラになにをあげるかは、ノエルが決めることだよ。ノエルはやさしいニコラが好きな女の子なんだから、ニコラへのプレゼントを絶対になくしたりはしないよ。ニコラ、やっぱりあのお花を買いに行こうよ」
トムはニコラの手をつかんで、歩いて来た道を引き返そうとしました。
でもニコラはすぐに足を止めました。
不安げに見つめるトムに、ニコラは言いました。
「やっぱりあの花は贈れない」
トムは不審な表情で、ニコラを見つめました。
ニコラは笑ってトムに言いました。
「もうあの花はぼくの色でよごれてしまった。だからちがうものを、ぼくはノエルにプレゼントするんだ」
トムはそれがなにかをたずねました。
「ノエルのほしいものを、ぼくはなにも知らなかった。だからそれをノエルに聞いてくる。でもそれをそのまま贈ったりはしないよ。きっとノエルはノエルで、それを手に入れる努力をしているはずなんだから。だからぼくは、ぼくにしか贈れないものをノエルに渡すんだ。それがなにかは、ノエルもぼくもわからない。ノエルのよろこぶものであるということには、まちがいないけど、ぼくはこの手で、ノエルへのプレゼントを探してみるよ」
トムはニコラから肩をつかまれました。
こんなに大きな手の中に入るプレゼントは、いったいなんなんだろうと、くすっと笑いました。
「よろこぶ顔よりも、それを受けとってくれたノエルのふたつの手を、ぼくは見てみたい。それだけでいいや。よろこんでくれるとか、笑ってくれるとか、そんなものは、ぼくはもうどうだっていいよ。ぼくのよろこぶ顔もどうでもいい。ノエルがぼくにくれたプレゼントのプレゼントをできれば、ぼくはそれでいい。それがしたいんだ」
にかっと、白い歯を見せて笑ったニコラのことを、トムも笑って返しました。
「ぼくもリブのよろこぶ顔も、ぼくのよろこぶ顔も、どうでもいいや。ううん、どうでもよくはない。ぼくもニコラと同じ。リブにもらったもののお返しをしたいだけ。あしたをつかまえて、ふたりで笑っていたいだけなんだ」
ふたりは飛びきりの笑顔で、おたがいを見つめ、握手をしました。
「トムがくれたものにも、たくさんお返しをしなきゃいけないな。あしたをつかまえたら、ここにも寄って行ってくれよ。ノエルのことも、トムに紹介してあげるから」
「うん。かならずニコラとノエルに会いに来るよ。ニコラとノエルの分のあしたも持って、ここに帰ってくるからね」
トムはニコラの手の中から、自分のそれを引っぱりました。
この手であしたをつかむんだと、改めて覚えました。
「ニコラ、ありがとう! さようなら!」
トムは温もりだけが残った手のひらをぎゅっとにぎりしめて、たしかに近づくあしたのある町を、その足で目指しました。