5.カルペディエム
傘に落ちる雨音を、トムはにこにこしながら聞きました。
「雨が上がったら虹がかかる。あしたに会えるのも、もうすぐだ」
お気に入りの音符を彩る言葉も、たくさん増えました。トムの旅は順調に進んでいました。
「雨が上がったら虹がかかる。虹がかかったら空が笑う。空が笑ったら雲が怒る。雲が怒ったら雨が涙を流す」
「もうなに言ってるの! そんなのだれにもわかんないじゃない! ウィッシーはどうしたいの? あたしのことが好きなの? きらいなの? はっきりしてよ!」
明るいトムの瞳を暗くさせる景色を、見知らぬふたりの声が作り出していました。
「リオンのことは好きだよ。でも好きだと言ったら、ぼくたちはどうなるかわからない。ずっとリオンのことを好きなのかどうかわからないし、もしリオンのことをきらいになったら、リオンを泣かせることになってしまう。もしリオンを泣かせたら、ぼくはいったいどうなるんだろう」
「もういや。ウィッシーのことなんてあたしは好きになれない。あたしはブライトと一緒にいる」
「ちょっと待って! ふたりともけんかしないで!」
早足で二人に駆け寄ったトムが言いました。
トムは離れ離れになりそうになったふたつの手をつかみました。
「どうしてけんかしてたの? 君がこの子になにかいけないことでも言ったの?」
トムはウィッシーという男の子にたずねました。
「もしぼくがリオンにいけないことを言ったっていったら、どうなると思う? リオンはとうとうぼくのことを見限るのかな」
「もう、ウィッシーのそういうところがあたしはきらい。どうして、なにもかもその答えを考えちゃうの。そんなのやってみないとわからないでしょ」
トムは今度はリオンという女の子にたずねました。
「ねぇ、いったいなにがあったの? けんかするのは止めようよ」
「ぼくにできることはないの?」と、トムはリオンの怒った瞳に聞きました。
「ウィッシーが全部わるいの。男の子のくせに、なんでもすぱっと決められないからいけないんだ。それをやったらどんなことになるかなんて、考えてやったって、たのしくなんかこれっぽっちもないのに」
「考えないとたのしくなれないことを、リオンは知らないんだ。もしたのしくなかったら、やる意味なんてないじゃないか。それだったら、やらないで別のことをやったほうがいいに決まってるんだ」
「あっ、そう。じゃあウィッシーはそうやってずっと考えてればいいよ。あたしはブライトとたのしくあそんでるから」
トムはブライトという子のことを、ふたりのそれぞれの顔を見ながらたずねました。
リオンが先に答えました。
「ブライトはあたしたちのお友だちの男の子。ウィッシーとちがって、とっても男らしい子なんだ。だからあたしがブライトと一緒にいるって言ったの。でもウィッシーがだめだって言うから、あたしのことが好きかどうかウィッシーにたずねてたの。そしたら……」
ウィッシーは黙ったまま、表情を変えませんでした。
トムはウィッシーの動くものを観察してみましたが、なにも見えてきませんでした。
リオンはそんなトムのことを興味深そうにたずねました。
「あなたはどこから来たの? お名前は? ひとりでどこに向かってるの?」
全部の質問に、トムはリオンの顔をまっすぐに見つめながら答えました。
「ぼくはずっと向こうの町からやって来たトム。あしたを探しに行ってるんだ」
次に言葉を言ったのは、リオンではなく、ウィッシーでした。
「あした? なんだいそれは?」
トムはウィッシーの質問にも、まっすぐにその顔を見つめながら答えました。
「あの星の見える町にある、とてもすごいものだよ。それを手に入れると、なんだってできるようになるんだ。ぼくの住んでる町のおじいさんに教えてもらったの」
その次の言葉を言ったのはリオンでした。
「へぇー、たのしそう。トムは冒険家なんだね。ウィッシーも少しはトムのことを見習えばいいのに」
ウィッシーはリオンの顔は見ずに、小さな冒険家にたずねました。
「あしたを探して、君はそれからどうなるんだい? もしそいつを探せなかったら、君はそれからなにをするんだい? 考えたことはあるのかい? もし考えもせずにここまで来たんなら、それは大きなまちがいだ」
トムは気圧されそうなウィッシーの早口に、だじたじしてしまいました。
リオンはそんなトムのことを、やさしく守ってあげました。
「ウィッシーみたいな男の子は、どんなに考えてもトムのようにはなれないよ。トムだって、きっとそわそわしたり、びくびくするようなことがあったと思うよ。でもちゃんと決めたことを続けてるんだ。ウィッシーにはそんなこと、絶対できっこないでしょ。なにをするにも、ああだこうだと考えてばっかりで。結局そのどれもできないままなんだ。まちがってるのはウィッシーだよ。あたしのことをずっと好きかどうかなんて、わからなくてもいいじゃない。わからないことがたくさんあるから、たのしいんじゃない。あたしはそうだけど、ウィッシーはちがうんだもんね。だからあたしはウィッシーのことをもう好きじゃない。あたしはブライトや、トムみたいな男の子が好き」
リオンの大きくなった瞳を見て、トムはさっきとはちがう意味で、だじたじしてしまいました。
「トムは好きな女の子いるの? その子のことをきらいになるのかなぁって、考えたことある?」
トムはたじたじを少しだけ残しながら、リオンに言いました。
「ぼくはリブのことが好きなんだ。でもリブは泣き虫の男の子がきらいで、ぼくのこともきらいになっちゃった」
リオンはリブのことにも興味を持ってたずねました。
トムもリブのことを、その顔を見たことのないリオンに教えてあげました。
「ぼくもリブも、泣き虫の子だった。リブはみんなにからかわれて、くやしがっていたけど、ぼくはなにもすることができなかった。強くなりたかった。だからおじいさんに教えてもらったあしたをつかまえて、リブのことを守れる男の子になろうって決めたんだ」
リオンはトムのことを、尊敬のまなざしで見つめました。
「トム、かっこいい。リブはきっと強くなったトムに会いたがってるはずだよ。女の子はみんな、トムみたいな強い男の子のことが好きだからね。トムはずっとリブのことを好きでいれそうだよ」
トムとリオンはふたりだけで笑いました。
大きな笑い声は、雨音を小さくさせていきました。
「それで、あしたを探せなかったらどうするんだよ?リブのことをほったらかしにしているのか?」
ウィッシーが強い声で、トムに言いました。
ウィッシーの瞳があの町での自分のものに似ていることを、トムは黙って見つめていました。
「そんなの、考えたことがなかったからわかんないよ。考えなくたっていいことだもん。だってぼくはあしたを探してるんだ。探せなかったらどうなるかなんて、そんなの考えてる意味のほうが、ぼくにはわからないよ」
すっかりトムのことを好きになったリオンが、トムの腕に抱きつきました。
それでもトムのたじたじは、さっきよりも少なくなりました。
トムはウィッシーに続けました。
「でもぼくもここに来るまで、泣いてばかりの男の子だった。なにをやってもだめだめだった。どうやったら強くなれるんだろうって考えたこともあったけど、なにもできなくて、リブの前でも泣いてばかりだった」
知らないことが増えるトムのことを、リオンは大きな瞳で見つめました。
「トムが泣き虫だったのはもうわかったよ。でもあたしは泣き虫じゃないトムのことしか知らないよ。それでいいじゃない。それがいいんじゃない。知らないことを、いろんな思いで見つめるのが、たのしいんじゃない。そう思うよね? トム」
トムはすぐそばにあるリオンの顔を見ながら、うなずきました。
リブはなにをしているんだろうということを気にしながら、もう一度ウィッシーのほうを見つめました。
「ぼくもリオンの言う通りだと思う。あしたを探せなかったらどうなるかなんて、そんなことを考えたら、とってもこわくなるよ。とっても不安になるよ。でもぼくはあしたを探して、ぼくのこの手であしたをつかまえるんだ。だからあしたを探せないぼくなんていないんだ。そんなのぼくじゃないんだ」
ウィッシーはその瞳に涙を浮かべました。
トムもリオンも、すぐにそれに気づきました。
抱きつく力を強くしたリオンの腕を離して、トムはウィッシーに言いました。
心にぽっかり穴が開いた感じを受け止めたリオンがいました。
雨の音は三人の耳からなくなりました。
「ウィッシー、君はなにをしたいんだい? リオンのことが好きなのかい? リオンと一緒にいたいのかい? ブライトに負けたくないのかい? ねぇ、考えないで思ったことを、ぼくたちに教えてくれよ」
トムもリオンも、ウィッシーのこぼれる涙を追いました。
ふたりとも、やさしくそれを見つめました。
ウィッシーの涙が大きくなって、そしてだんだん小さくなるまで、ふたりはそれを見つめました。
「ぼくはリオンのことが好きだ。リオンと一緒にいたい。ブライトになんか負けたくない」
からっぽの手のひらに、力をこめてリオンが言いました。
「本当にそう思ってる? これからどうなるんだろうって、考えて言ってない? 本当にあたしと一緒にいたい? 正直に教えてよ、ウィッシー」
ウィッシーは一回くちびるをかみしめてから、リオンに言いました。
「本当にそう思ってる! 考えてなんか言ってない!」
トムはふたりの会話を、黙ってその耳に聞かせました。
「あたし、ウィッシーはあたしのことなんか好きじゃないって思ってた。本当に好きなら、なにも言わなくてもあたしと一緒にいるはずだもん。でもそれができないウィッシーは、あたしがいなくても平気なんだって思ってた。あたしもあたしのことを好きじゃない人と一緒にいても、たのしくないもん。だからあたしのことが好きだって言ってくれたブライトと一緒にいようって思ったの。あたしの気持ちわかってくれるよね」
ウィッシーはリオンの手をつないで言いました。
どきどきをかくそうとしながら、リオンはその言葉を聞きました。
「ぼくもトムと同じように、だめだめな男だった。そんなぼくがリオンと一緒にいていいのか、こわかったんだ。リオンのことを好きな気持ちよりも、きらいになられる気持ちのほうがこわくて、なにもできなかったんだ。でも……」
トムもリオンも、ウィッシーの本当の気持ちを待ちました。
そしてそれは、待つ必要のないものだということを、すぐに知りました。
「ぼくはリオンのことが好きだ! リオンがどう思うかわからなくても、ぼくはリオンが好きだ!」
ウィッシーはつないでいたリオンの手のひらに、自分の思いを届けました。
温かくなるそれを、心の奥でも感じました。
リオンが言いました。
「ウィッシーの気持ち、あたしはちゃんと受け止めたから。もう大丈夫だよ。なにも考えなくても平気。ウィッシーはウィッシーのままでいてくれたら、それでいい」
トムはリオンの言葉を借りて、ウィッシーに言いました。
「うん。考えたって、やってみなくちゃわからないことだらけだよ。ウィッシー、君は君のやりたいことをやればいいんだ。考えないでやっちゃえばいいんだ。こわかったらやらなければいい。こわくなくなって、やりたいって思ったらやればいい。ぼくはあしたをつかまえたいから探しに行ってるんだ。それ以外に理由はないよ」
ウィッシーは笑顔をこぼして、ふたりに言いました。
「ぼくはなにがやりたいことで、なにがやりたくないことなのかわからなくなっていた。でもトムとリオンから全部を教えてもらった。ぼくのやりたいことは、リオンと一緒にいることだ。なにがぼくらを待っているのか、なににぼくらは出会うのか、考えることのないたのしみが、ぼくは待ちきれなくなったよ」
三人を見守る空に、虹がかかりました。
とてもきれいな七色を、三人はそれぞれの思いを抱いて見つめました。
「虹がかかったけど、かからないこともあるんだよね。それがたのしいから、ぼくもウィッシーもリオンもやりたいことをやっていくんだ。リブとも早くそれをたしかめたいから、ぼくはあしたを探しに行くんだ」
リオンがウィッシーの手を強くつなぎなおして、言いました。
「トム、あなたはとても強い男の子だよ。リブのことも、トムならかならず守ってあげられる。あたしもウィッシーのことを守ってあげる」
「ぼくもリオンのことを守ってあげる」
三人はあの虹のように、七色の笑みをこぼしました。
三人にはきらきら輝くものしか見えませんでした。
「ふたりが仲よくなってくれてよかったよ。ぼくもリブと仲よくなりたいな。だからもう行くね。ふたりに会えてうれしかったよ」
トムは一番まぶしい星を見つめました。
ウィッシーとリオンは、それを温かく見つめました。
「トム、ぼくたちに会いたくなったら、会いに来ておくれ!」
「もちろんだよ! さようなら。ぼくはあしたを探しに行ってくる」
トムは水たまりの残る道の上を飛びこえました。
なにも考えなくても、トムの胸の中には、あしたに会うことと同じくらいに輝くものだけしかありませんでした。
あしたに会いたいから、トムはあしたに会える道を歩きました。