3.ツーショット
海の見える町に、トムはやって来ました。
そこから聞こえる波の音、そこからあふれる潮の香り。
トムの心の中のわくわくは、張りさけそうなくらい、ぱんぱんに膨れ上がりました。
「リブにもこの景色を見せてあげたいな」
自分の帰りを待つ大好きな友だちのことを思いながら、トムは浜辺までの道を歩きました。
「うわーっ!」
間近で見つめるその海は、トムのわくわくを、いともかんたんに張りさきました。
「気持ちいいなぁー。リブが隣にいたら、もっとよかったのに」
トムはここにいないリブのことを思いました。
あしたを手にして、リブが待つ町に帰ったら、ふたりでこの海にあそびに来よう。
お揃いの景色をこの目で眺めよう。
そう強く心に決めたトムは、波打ち際まで駆け足で向かいました。
「ははははは」
笑いながら、砂まじりの靴で海を蹴り上げました。
しぶきが自分の顔に飛びかかると、トムはむじゃきな笑顔で応えました。
「いいねぇ! その感じ!」
トムは聞きなれない声に振り返りました。
「もう、こっち向かないでよ。ほら、続けてつづけて!」
大きなレンズの下から飛び出したその声の主の顔を、トムは探しました。
「いい写真が撮れそうなんだ。モデルの君にかかってるんだよ。ほら、早くはやく」
口だけがぱくぱく揺れるその顔を、トムはふしぎなそれで追いかけました。
「もう、なにしてんの! 早くして!」
でもその口はあっという間に強ばってしまいました。
言われるがままに、わけがわからないままに、トムはさっきの続きを行いました。
「あぁ、もぅ全然だめ! カメラなんて意識しないで、もっと自然にやって!」
「そんなこと言われても……」
トムは弱気な声で言いました。
「君は男の子でしょ。はい、わかりました! って、かんたんにさっさとやっちゃえばいいんだよ!」
カメラを持っていた手が、だらんと下におりました。
「君は女の子だったの?」
トムは長いまつげの、大きな目をしたその子に言いました。
「男の子だと思った? ははは。よく言われるんだよね。髪の毛も短いし、声だってこんな低い声だから。別にもう慣れっこだけどね」
ぺろっと舌を出して笑ったその姿は、とてもかわいい女の子のものだなぁと、トムは思いました。
そして男の自分なんかよりも、よっぽど強い子だなぁと、うらやましく感じました。
「君はカメラが好きなの?」
トムは女の子にあこがれのまなざしでたずねました。
「まあね。この目で見る景色よりも、あたしはこっちのほうが好きだから」
トムは少しだけそのあこがれを疑問に変えて、女の子を見つめました。
「どういうこと? ぼくはこの目で見つめる景色が好きだけどな」
トムの質問に答える前に、彼女はトムの名前をたずねました。
聞いた後で、ルシーダという自分の名前をトムに返しました。
「この目で見た景色がちゃんと存在しているっていうことをあたしは知りたいの。それが写真でならできるじゃない。それを見て、あたしもちゃんとここにいるんだって気づけるから」
トムは風に運ばれて来た海砂を右手で払うと、雲の切れ間からこぼれた光に、たまらずまゆをしかめたルシーダの顔を見つめました。
「ルシーダはちゃんとここにいるじゃないか。写真でたしかめなくても平気だよ」
ルシーダはトムを振り返ると、あやすような大人の顔で笑いました。
「でも、ずっとはいれないでしょ。大人になって、おばあさんになって、死ぬまでここにいるわけじゃないじゃない。トムだってどこか遠くの町から、この海にやって来たんでしょ?」
トムはうなずくと、あの星の下で待つ、あしたを目指しているということを、ルシーダに教えました。
「ほら、そうでしょ。あたしたちはずっと同じことを続けることはできないんだ。トムも上手く海を蹴り上げられなくなったもんね」
声を出して笑うルシーダのことを、トムはもっともっと知りたいと思いました。
その視線の強さに気づいたルシーダのほうから、トムに話しかけてあげました。
「あたしはこの海から旅立って行くの。トムがあしたを目指すのと同じようにね」
トムは聞きました。
「どこへ行くの? もしも同じ方向だったら、少しだけでもいいから、一緒に行こうよ」
トムのわくわくが再開した顔を、ルシーダは右手を大きく開いて止めました。
「きっとトムとは反対の道。だから一緒には行けない」
トムはリブとサン、そしてこのルシーダからも、冒険をともにするのを断られたことを、くやしい顔で表しました。
ルシーダはまた笑いました。
「あははは。ごめんね。でも気をわるくしないで。誘ってもらってうれしかったよ。ここでソーマじゃなくて、トムに出会ったのもなにかの縁だもんね」
「ソーマ?」
トムの質問に、ルシーダはポケットから一枚の写真を取り出しました。
自分とは真逆の、日焼けした黒い顔と、がっちりした腕を持つ男の子でした。
「あたしの好きな人。でももういないの。ソーマとこの海で会う約束をしてたのに、あたしを置いて、もう行っちゃった」
トムはたくさんの疑問がわいてきました。
それをたずねようと思ったけど、ルシーダのどこかさみしい顔を見つめた途端に、その気はすぐになくなりました。
「いなくなったって言っても、死んじゃったってことじゃないからね」
ルシーダは逆にトムのさみしそうな顔に気づいてあげると、とてもやさしく教えてあげました。
「きっとどこかの町で、元気に写真を撮ってるはずだよ。カメラのことをあたしに教えてくれたのも、ソーマだったんだ。ソーマはあたしなんかよりも、うんと上手でね。もっともっと上手になりたいからって、いろんな町に出かけて行ったの」
トムは全然似ていないけど、ソーマの気持ちがよくわかりました。
男の子の歩む道は冒険なんだって、心の中でルシーダとリブにつぶやきました。
「でもあたしと約束してくれたんだ。ルシーダも生まれた町でカメラのことをもっと練習しろ。俺なんかよりきれいな写真が撮れるようになったら、俺に会いに来いって。海の見える町で待ってるから、そこでふたりの写真を撮ろうぜって」
トムはルシーダにちょっと座ろうかと、話しかけました。
にっこり笑ったルシーダの顔を見つめてから、トムは腰をおろしました。
砂浜の熱をおびた感触に、トムはにやっと笑いました。
そんなトムのことを、ルシーダはかわいい子だなぁと思いました。
「あたしもたくさん練習をして、たくさん写真を撮った。パパの写真もママの写真も、ペットの犬の写真だって。ソーマにくらべたら、まだまだ下手くそだったけど、あたしはたのしかった。たのしんで写真を撮れるようになった。だからソーマに会いに行こう、もう会いに行っていいんだって思って、この海までやって来たの。なのに……」
トムは続きの言葉を自分の胸の中でつぶやいて、頭の中で一回転させてから、ルシーダに言いました。
「ソーマはもういなくなっちゃった」
ルシーダは膝に顔をうずめました。
トムは自分のしでかしてしまったことを、くるしく感じて、泣きたくなってしまいました。
それでも懸命な声で、トムはルシーダに言いました。
「ごめんね。ぼくルシーダの気持ちをなんにも考えずに言っちゃった」
ルシーダは顔を上げてくれませんでした。
かわりにトムの瞳からは涙がこぼれ落ちて来ました。
「ぼくももしあの星が輝く町にあしたがいなかったら、もしぼくの町にリブがいなかったら、そんなことを考えたらかなしくなっちゃうよ」
トムはぼろぼろと、砂浜に涙をこぼしました。
泣き声に気づいたルシーダは顔を上げて、泣き虫の男の子に言いました。
「だれがわるいとかあたしは考えたくないんだ。ソーマはなにもわるくないし、あたしはちょっとわるいかもしれないけど、でもそんなのだれにでも決められることじゃないよね。あたしはあたしなりに、とっても練習したんだもん。ソーマだってきっと、もっともっと上手になりたいって思って、写真を撮っていたんだ。そしてあたしのことなんか待っているのがもったいなく感じちゃったんだ。でもそんなソーマのことをあたしは好きになったから、それでいいの」
まだ泣き止まないトムを見て、ルシーダはお尻についた砂をぱっぱと払うと、まぶしい空の光を見つめながら、立ち上がりました。
「ほら、泣き虫トム。立ってよ。一緒に写真撮ろうよ」
トムは泣き顔のまま、ルシーダのたくましいそれを見上げました。
自分もどんな困難や悩みや、どうしようもないと思うようなことがあっても、ルシーダのように強くなりたいと思いました。
「ほーら、こまった子だね。そんなんじゃ、どこまで行ってもあしたなんてつかめないよ」
ルシーダはトムに右手を差し出しました。
トムもそれを頼りにして、立ち上がろうとしました。
でも自分のその手を見つめて、すぐに気づきました。
ぼくはこの手であしたをつかむんだ。
リブにあしたを渡すんだ。
トムはルシーダに断りを入れて、自分の手だけで立ち上がりました。
そしてトムは言いました。
「ルシーダはここにいるよ! ぼくが証明してあげられるもん!」
トムは一度は断ったルシーダの手をつなぎました。
そしてまっすぐにその顔を見つめて、言いました。
「ぼくが見たルシーダの顔は絶対に消えないよ。写真なんか撮らなくたって、ぼくの中で存在しているもん」
トムは続けました。
「この海でぼくとルシーダは出会ったんだ。ぼくの好きなリブも、ルシーダの好きなソーマもいない、この場所で。ぼくがここからいなくなっても、ルシーダがここからいなくなっても、ぼくらには生きている場所があるんだ!」
トムの力強い言葉に、ルシーダは瞳に涙を浮かべました。
「ルシーダがここにいなかったら、ぼくはルシーダに出会えなかったんだね。でも出会えてうれしいよ。リブにも報告したいな」
にこにこを繰り返すトムとは正反対に、ルシーダの瞳は、この海のようにたくさんの涙に満たされていました。
「トムはあたしよりも泣き虫だと思ってたけど、やっぱり男の子なんだね。ソーマとよく似ているよ」
トムはあのソーマに肩を並べられたことを、誇りに感じました。
「ねぇ、トム。あたしはソーマと会えることをたのしみに、この海までやって来た。でもソーマはもうここからいなくなっていた。そしてトムと出会った。変だよね。おもしろいよね。笑っちゃうよね」
ルシーダはほっぺたにこぼれ落ちた海の水を、その手で拭き取りました。
そしてくちびるをぎゅっと結びなおして、トムに言いました。
「あたしはあたしの生きたい場所で生きていこう。ねぇ、それはどこだと思う?」
トムは考えることもせず、返事を言いました。
「ルシーダが生まれた町? それともソーマがいる町?」
ルシーダはふたつともブブーと言って、両腕でバツ印を作りました。
「あたしがいたいのはここ。この海の見える町。ソーマがもういなくても、トムもいなくなってしまっても、あたしはここにいたい。あたしはこの場所が好きになったんだ」
トムはほほ笑ましく、ルシーダを見つめました。
「あたしはここにいるよってことを、ソーマにもトムにも伝えたい。写真だけでは伝わらないものでね」
ルシーダはおもむろにカメラをかまえると、トムにそれを向けました。
「トム、ツーショットの写真撮ろうよ。ここであたしたちが出会ったんだよって、証拠を残そうよ」
トムはルシーダの横に顔を並べました。
そして飛びきりの笑顔で言いました。
「ぼくがここからいなくなっても、写真の中にしかいないわけじゃないからね。ここからは見えないかもしれないけど、ぼくもぼくの生きたい場所で生きているから」
ルシーダはほほ笑みと一緒にうなずきました。
「ここにソーマもいたんだよね。あいつどんな顔をして、この海を見てたんだろう。あたしのことを考えたりしてくれたのかな」
トムは答えました。
「ルシーダはソーマのことを考えたんだから、きっとソーマもルシーダのことを考えていたはずだよ。本当はぼくなんかより、ソーマと一緒にお話したり、写真撮ったりしたかったよね?」
ルシーダは正直に言いました。
「まあね。でもあたしはトムとこの海を見ることができてしあわせだよ。泣き虫だけど、たくましいトムに出会えたから、できたことじゃん。くらべることもしちゃいけないと思った。あたしはトムとこの海と一緒に、写真を撮りたいの」
男の子だと思ってしまったルシーダのことを、トムは口には出さずに、申しわけないなと思いました。
とてもやさしくて、温かいこの女の子のことも、精一杯守れるように、必ずこの手であしたをつかむんだと、トムは改めて決意しました。
「はい、笑ってー」
ルシーダは右手を伸ばして、大きなレンズをふたりに向けました。
ふたりのほっぺたがくっつきそうなくらいの距離でした。
「はい、チーズ」
シャッターの音が青い海に響いたように、トムの耳には聞こえました。
「あしたをつかめたら、この海にも寄って行ってよ。この写真も持って、リブに会いに行きな」
「うん! リブと一緒にこの海にあそびに来るよ!」
ふたりは固い握手をしました。
「もしもあたしがいなくなっていても、この海は消えていないから。あたしのことが見えなくなっていても、あたしは消えていないから。ちゃんと強い男の子になってくるんだよ」
ルシーダはトムの手を、ぎゅっとにぎりしめました。
痛がるトムの顔に、信頼の表情を感じました。
「じゃあね。あしたを探しに行っておいで」
「ルシーダ、さようなら。かならずルシーダにも、この海にも、会いに来るからね。ぼくもカメラの練習をして、ルシーダの写真をたくさん撮りたいよ」
「浮気しちゃだめだよ。君はリブが好きなんだから。ほら、早く!」
うっすらとほっぺたを赤く染めて、トムはルシーダに背中を向けました。
青と白が作る空の向こうに見えるあの星を、トムは目をかすめながら見つめました。
ひとりとひとりの、ぼくとリブにも、さようならを言いたい。
ふたりの顔を並べた写真をリブと撮りたい。
それができる道をぼくは歩いて行くんだ。
トムはよごれた靴を脱ぎすてて、熱い砂浜の道をはだしで歩きました。
熱いことすらたのしくてしょうがない、そんな冒険をぼくはしているんだと、トムは満面の笑みで、お気に入りの音符とともに歌いました。