1.スターナビゲーション
トムはいつも泣いていました。
みんなで野球をしても三振ばかり、エラーばかり。
木登りだって、こわくててっぺんまで登れません。
得意なものは、なにひとつありませんでした。
「やーいやーい、泣き虫トム。くやしかったらかかってこいよ」
そんなトムのことを、みんなはおもしろがってからかいました。
「ほらほら、泣き虫さんこっちだ。手のなるほうへ」
みんなの冷たい視線が、トムの乾いたほっぺたに、温かいものをこぼさせました。
「また泣いてる。男のくせに、本当に泣き虫だな、こいつ」
みんなの笑い声と比例して、トムの涙はどんどん大きくなっていきました。
「もう行こうぜ。トムとあそんでても、全然たのしくないや」
ひとりぼっちになってからも、トムの涙は止まりませんでした。
いつまでもいつまでも、トムは泣いていました。
リブもまた泣き虫の女の子でした。
みんなと育てたお花も、ひとりだけ上手に咲かせてあげられない。
お絵描きもお歌も下手くそで、みんなに笑われてばかりいました。
「リブはなにをやってもだめだめな女の子だ。トムと結婚して、だめだめ夫婦になっちゃえ」
手をたたいて笑うみんなとは裏腹に、リブはずっと下を向いたまま、そのくやしさをかみ殺していました。
みんなの笑い声が聞こえなくなった公園のブランコの上で、ふたりはその体を揺らしていました。
どちらとも泣き顔のままお家に帰るのが、いやでいやでしょうがありませんでした。
リブが言いました。
「トムはみんなにからかわれてくやしくないの?」
トムは返事を言えませんでした。
「あたしはくやしい。どうしてあたしがこんなことにならなくちゃいけないの。お花を咲かせてあげられないのも、お絵描きが下手くそなのも、あたしがわるいんじゃないんだもん。もっと練習したら、お歌だって絶対みんなより上手になるんだから。トムだってそうでしょ?」
トムはやっぱり、リブになにも言ってあげることができませんでした。
「もういいよ。泣き虫トムに話したのがまちがいだった」
リブはブランコからおりると、ひとりでお家に帰っていきました。
赤い空がその背中をかなしく包んでいました。
トムはうっすらと涙を浮かべながら、小さなこぶしをぎゅっとにぎりしめて、ずっとそれを見つめていました。
空に星が輝き出しても、トムはお家に帰りませんでした。
ぼんやりとした瞳で、きらきら輝く星たちを眺めていました。
「坊や、こんなところでなにをしとるんじゃ。早くお家に帰りなさい」
トムの目の前を通りかかった、のっぽで、長いひげを生やしたおじいさんが言いました。
トムはおじいさんの顔を見ながら、だれにも言わなかった胸の中の思いを、おじいさんに話しました。
「ぼくはなにをやってもだめだめなんだ。みんなからからかわれて、泣き虫で、リブのことも男の子のくせに守ってあげられないなんだ」
トムはおじいさんの目の前で涙をこぼしました。
おじいさんも黙ってそれを見ていました。
「ぼく、本当はこんなんじゃないんだ。ホームランも打てるし、木登りだっててっぺんにも行けるんだ」
みんなになんか負けないんだとも付け加えました。
おじいさんはそんなトムの頭を、分厚い手のひらでなでてあげました。
「ほっほっほ。そいつはすごいな。だけど坊や、それはどうやったらできるようになるんじゃい?」
トムはおじいさんに返事を言えませんでした。
丸まった背中をもっと丸くしてしまいました。
おじいさんは笑いながら、もう一度トムの頭をなでてあげました。
そしてその後で、泣き虫の男の子にこう言いました。
「ほっほっほ。くよくよすることはない。お前たちにはあしたがあるんじゃ」
トムはおじいさんのその言葉に、ぱっと顔を上げました。さっきまでの涙も一瞬に止めて、トムはおじいさんに聞きました。
「あした? おじいさん、あしたってなに?」
おじいさんは、すっかり大きくなったトムの瞳を見つめると、にっこりとほほ笑んであげました。
「なんじゃ、あしたも知らんのか。それならなおのこと。あしたはいいぞ。まったくできなかったことも、なんだってできるようになるんじゃからな」
トムはおじいさんの言葉に、どんどん興奮していきました。今まで聞いたことのない強い声で、トムはおじいさんにたずねました。
「すごい! まるで魔法みたいじゃないか! ねぇ、おじいさん。あしたってどこにあるの? どこに行ったら会えるの? ぼく、あしたに会いたい! あしたがどこにあるのか教えてよ!」
おじいさんは笑いました。
まるで子犬のような顔で自分のことを見上げているトムのことを、おじいさんはとてもいとおしく感じました。
「そうじゃな。あの星が見える町まで行ったら見つかるぞ。坊や、あの町まで歩いて行けるか?」
トムはおじいさんの質問に、首を大きく縦に振って答えました。
「うん! ぼく、あの町まで行ってくる! あの町に行って、たくさんのあしたをつかまえて、リブにもプレゼントしてあげる!」
トムはだれにも負けない笑顔を浮かべました。
「あした。あした。あした。いったいどんなものなんだろう。どんな形をしているんだろう。どんな色なんだろう。早くあしたに会いたいな。リブと一緒にあしたを見に行きたいな」
トムの心の中はあの星たちと同じように、とてもたくさんのきらきらであふれていました。
「リブ! 聞いてきいて! 大ニュースだよ!」
トムは興奮をおさえきれないまま、おじいさんから教えてもらったあしたのことを、リブの耳にも届けてあげました。
「リブ、どうしたの?」
でも、リブの顔にはトムと同じような、きらきら輝くものがありませんでした。
「なんだかここから逃げているみたいで、いい気がしない」
トムはリブのその言葉に、むっとしてしまいました。
「逃げてなんかいないもん! あしたを探しに行くんだよ! みんなやったことのない冒険だよ! ぼく、たくさんのあしたをつかまえて、リブのことをみんなから守ってあげるんだ!」
それでも、リブはトムの顔をまっすぐに見つめることができませんでした。
「ごめんなさい。あたしはトムと一緒に行けない」
トムは燃えるように熱かった顔を一気に冷まして、とてもさみしい、しゅんとした顔に変えてしまいました。そしてつないでいたリブの手を、だらんと下におろしました。
そんなトムにリブが言いました。
「トムは本当にあの町まで行けるの? 泣き虫のくせに泣かないでいられるの?」
リブのその言葉に、トムの瞳からは、いつもの温かいものがこぼれ落ちてきそうでした。
「ほら。トム、もう泣きそうな顔してるじゃん。泣き虫で弱虫で、みんなにからかわれてばかりいるトムに、そんな冒険なんてできっこないんだ。みんなトムのことなんか知らないんだよ。こわくて泣いてしまっても、だれも助けてくれないんだよ。トムは本当にあたしのことを守れるの? どんなことがあっても、泣かないで笑っていられるの?」
トムの瞳からは、温かいものがいつこぼれ落ちてきてもおかしくない、そんな状態でした。
「トム、むりはしなくていいんだよ。きっとあたしたちだって、みんなと同じように元気になったり、明るくなったり、笑ったりできるようになるはずなんだから」
トムはひとりぼっちのブランコでしたのと同じように、そのこぶしをぎゅっとにぎりしめました。
そして歯を食いしばって、心の中で自分自身に誓いました。
かならずリブのことを守ってあげる。
かならず強い男の子になってみせる。
かならずリブにあしたをプレゼントしてあげる。
トムはもう一度リブの手を、自分の両方の手でやさしく包みました。
「ぼく、泣き虫だけど、本当は泣き虫じゃないってことをみんなに証明するんだ! リブのことも、ぼくがみんなから守ってあげるんだ! どんなことがあっても、ふたりで笑っていられるように、ぼくはなりたいんだ!」
トムはうつむいたリブの瞳を見つめながら、あの赤い空の下で言えなかった言葉を、リブに言いました。
リブの瞳からは何度も見つめてきた温かいものが、静かにこぼれていました。
「リブ、ぼくもみんなにからかわれてくやしいよ。男の子のくせに、リブのことを守ってあげられないぼくのことがいやになるよ。だけどぼくはこんなぼくでいたくないんだ。リブから頼りにしてもらえるような、そんな強い男の子になりたいんだ」
「ぼくの気持ちわかってくれる?」と、たずねたトムの顔を、リブはおそるおそる見上げました。
とてもきらきらしたまぶしいものを、リブのそれは見つめました。
ふたりのそれとそれが重なりあった後で、トムはもう一度リブに大きな声で誓いました。
「ぼく、行ってくるね。あしたを探しに行ってくる。リブはここで待ってて。かならずすぐに帰ってくるから。約束だよ!」
リブは赤い目をこすると、小さくうなずきました。
そしてトムに包まれていた両方の手を離して、右手の小指をトムのそれにからめてあげました。
「リブ、ありがとう」
にっこりとトムがほほ笑んであげた次の瞬間でした。
トムの瞳がとっても大きく開きました。
涙を拭き取ったリブが、トムのほっぺたにキスをしてあげました。
トムのそれはみるみるうちに、まん丸な真っ赤々のリンゴのように膨れ上がっていきました。
はずかしがるトムに、リブはお姉ちゃんのような強いまなざしで言ってあげました。
「トム、行ってらっしゃい。あたしここで待ってる。みんなに負けない強い男の子になったトムのことを、ずっとここで待ってる」
トムはくちびるを結びなおして、大好きなリブの顔をまっすぐに見つめました。
「うん! 強くなってリブに会いに行く! リブ、さようなら」
トムはリブのほっぺたにもキスをしてあげました。
トムとはちがって、リブのそれは、ピンク色の桃のような形になりました。
トムは笑ってリブに手を振りました。
「リブ、行ってきます! 絶対にまたここで会おうね!」
地図も荷物もなにも持たないまま、あのきらきら輝く星だけを頼りにして、トムはその足を、あしたのあるあの町へと向けました。
「強くなってリブに会いに行く」
トムはその言葉を、何度も何度も、お気に入りの音符に乗せて口ずさみました。
「強くなってリブに会いに行く。みんなからリブのことを守ってあげる。どんなことがあってもふたりで笑えるように、ぼくらはなってみせるんだ!」
トムの決意は揺るぎないものへと成長しました。
「ぼくはかならず、あしたをこの手でつかむんだ。それまでどんなに泣いたって、傷ついたって、迷ったって、ぼくはリブとの約束を守り通すんだ」
トムの瞳にもう涙はありませんでした。
あるものはあの星の向こうと同じ、きらきら輝くものだけでした。
「リブ、行ってきます!」
振り返って見つめたリブの小さくなった顔に、トムはもう一度手を振りました。
そしてトムはそれに背中を向けて歩き出しました。
泣き虫トムの冒険が、今始まりました。