森の魔女と王様のおはなし
その森は、深く、木々が生い茂り、昼間でも森の中を見通すことはできません。
そして、森らしからぬ、静寂につつまれています。
生き物の気配がしないのです。
そして、森の奥には魔女が住んでいるのだそうです。
代償を払えば何でも願いを叶えてくれる魔女。
本当に叶えたい願いがあるのならば、森の魔女に会いに行きなさい。
ただし、欲張ってはいけません。
たくさんの人々が魔女に会うために森へ入っていきましたが、無事に帰ってきた者はほとんどいませんでいした。
ある者は片足をなくし、
ある者は頭がおかしくなり、
ある者は大勢の仲間を亡くして、一人きりで戻ってきました。
そして皆「魔女には決して近づくな」と言ったきり、森については口を閉ざすのでした。
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むかしむかし、あるところに、それはそれは栄えた美しい王国がありました。
緑豊かな森、きらめく川、恵み多き海に囲まれたその王国では、
大地は肥え、作物は良く育ち、人々のお腹を満たし、
丸々と実った木の実は、動物たちを養っていました。
家々の前には花々が咲き乱れ、子供たちが元気に遊びまわっています。
市場は、今日も多くの人々が行き交い、にぎやかです。
王国の真ん中には、美しいお城がありました。
お城の建物は、設計家が細部まで心を込めて作ったのでしょう、
どの場所から見てもため息のでる美しさでした。
それだけだはありません。
お城は毎日隅々まで磨き上げられて、いつでも新品のようにぴかぴかでした。
みんなが、お城を大切にしている証拠です。
お城のある部屋で、男の人が窓から街を見ていました。
色とりどりの建物や、
白い石でできた道、
木々の緑や咲き乱れる花々、
お城から見る街は、まるで女の子が喜びそうなかわいらしい砂糖菓子でつくったように見えました。
「やっとだ」
男の人がつぶやきました。
優しい笑顔を浮かべたその人は、この王国の王様でした。
王様というと、たくさんの口ひげをたくわえた、いかめしい顔つきの男の人を思い浮かべますが、
この国の王様は、どちらかというと王子様と言ってもいい、若い王様でした。
どんな人もはっとするような、美しい顔立ちの王様でした。
「ええ、ようやく、ここまで来ましたね」
王様の横にいた騎士が笑顔で王様に頷き返します。
「10年前、この場所ががれきの山で、そこを飢えた人々が這いずりまわるように歩いていたなんて、想像できません」
いいながら、昔を思い出したかのように騎士は涙ぐみました。
「あなたのおかげです。王様」
この国は、美しくなくてはいけない。
森と、川と、海は豊かでなくてはいけない。
人も、動物も、植物も、幸せでなければならない。
誰も餓えることなく、
誰も奪うことなく、
みんなが憧れる国にしなければならない。
戦いで疲れ果ててしまっていた人々の前で、王様は何度もそう繰り返しました。
王様は、そう言うだけではなく、実際に、この国を美しい王国にしました。
王様が王様になったとき、この王国には何もありませんでした。
王様のお兄さんたちが戦って、この王国を奪い合ったせいです。
ぼろぼろになった王国を、王様はたくさんの人たちを励ましながら、みんなで、
まわりの王国がみんなうらやましがるような、美しくて豊かな王国にしました。
みんなが王様をほめたたえましたが、王様は
「みんなのおかげだ」
と笑うばかりでした。
みんな、王様のことが大好きでした。
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魔女は大木に同化するようにそこにいました。
大木は魔女を支えるように恭しく腰を折ったような格好で生え、魔女の座る部分には、そのためにあつらえた椅子のように、柔らかな苔がクッション代わりに生い茂っています。
木々やツタが這いまわり、大木に装飾を施し、上からは白い花が大きなレースのような花弁で天蓋を作っています。
夜の闇を閉じ込めたような長い黒い髪と、瞳。
魔女は美しい人でした。
魔女の前には、一人の青年がひざまずいています。
日の光を編み込んだような金色の髪と、空を切り取ったような、青い瞳。
青年も、美しい人でした。
木々がうっそうと生い茂るこの森は、いつでも薄暗いのですが、
二人がいるこの場所は、森の秘密の場所でしたから、
ぐるりと周囲が蔦で覆われて、さらに光は届きません。
夜空で輝く星や月の代わりに、
半透明な中に、きらきらとした虹の輝きを閉じ込めた水晶や、
ぼんやりと様々な色に発色する茸や花々が、
月と太陽のように正反対な二人の姿を照らし出していました。
魔女が闇に溶け込んでしまいそうなのとは反対に、
青年だけがどこかちぐはぐに、その場所から浮かび上がって見えました。
「森の魔女よ、お会いできたことをうれしく思います」
青年は、自分はある王国の王様であると名乗りました。
「ようこそ、お客様。顔を上げてくださいませ」
空の青を思い起こさせる瞳が、魔女を真正面から捉えます。
美しい刺繍の施された衣装に、似つかわしくない使い古された剣を携えています。
優し気な風貌にはこれまた似つかわしくなく、手は古傷だらけでした。
きっと、幾つもの戦いを生き抜いてきたのでしょう。
「あなたはわたくしのもとへ来ることができた。強い願いのあるお方であるとお見受けします」
「ええ。それに釣り合う対価を払えば、どんな願いも叶えてくださるという貴女に、お願いがあって参りました」
穏やかにほほ笑む姿は、明らかに今までの強欲な客人たちとは様子が違いました。
「そう。でも、貴方はいろいろなものを持っているでしょう。美しい王国。美しい城。信頼できる友人たちに、あなたを慕う民。豊かな土地。傾いた国を建て直したという名声。ほかに一体何が欲しいというのです」
魔女のところに来る者が欲しがるものを、王様はみんな持っていました。
「はい、今言っていただいたものは、すべて自分の力で手に入れてきました。一番欲しいもののために、必要だったのです。魔女よ、私が願いのために捧げるのは、僕の王国です」
「王国を?」
「はい。土地は豊かで実り多く、人々はみな幸せに暮らし、みなが羨む、世界一美しい王国です」
「それを対価として、わたくしに渡すというの?それは、あなたのすべてではないのですか」
「そうですね。私の命以外のすべてです。命だけは、欲しいもののためにお渡しするわけにはいきませんが」
「では、あなたは自分の願いのために、あの王国を作ったというの?」
「ええ、その通りです」
「すべて失うことが怖くはないの」
「はい」
魔女は、表情は変えませんでしたが、内心はがっかりしていました。
魔女のところにやってくる人間達は皆、己のためだけに、自分勝手な願いを叶えて欲しいと言うのです。
それに見合う対価を持たずに。
魔女はいつも、そんな人間達を醜いと思っていました。
この王様は、他の人とは違うのではないかと魔女は期待していました。
戦争を終わらせ、
農地を耕し、
家を作り、
人が動物や植物たちと共存し、つつましやかに暮らす平和な王国を作り上げた王様です。
己の私利私欲無欲のためには動かない、立派な人だという噂を聞いていたのです。
しかし王様は、
己の願いのためだけに、美しい王国をつくり、犠牲にするというのです。
無欲で立派どころか、その人間が不幸になることを分かりながら願いを叶える己と同じくらい、容赦の無い、残酷な人だと、魔女は思いました。
「・・・では、そんな美しい王国を犠牲にして、貴方は何を欲しがるの」
森の魔女は正面の床にひざまずく王様を見下ろし、問いかけた。
「はい。森の魔女。私の欲しいものはたったひとつしかありません」
王様は魔女に、本当に幸せそうに笑いかけました。。
「貴女が欲しい。森の魔女。僕が死ぬ最後のひと時まで、僕のそばに居て、一緒に笑い合いながら、生きて欲しい。結婚してください」
「・・・は?」
わたくしはまぬけな声を出してしまった。
「それはいったいどういうこと」
「だって貴女が言ったんだ。結婚してほしかったら、代わりに王国をくれって」
だから僕は頑張りました、と、王様はかわいらしく小首をかしげた。
「貴女に渡すなら、喜んでもらいたかったから、僕、がんばって、貴女の好きな絵本に出てきた王国のようにしたんだ。いろんな人たちが幸せに暮らせて、自然が豊かな美しい王国に。大変だった。でも、貴女のためだから、辛くなんてなかったけど」
「私が誰だかわかって言っているのかしら?」
「もちろん。だいぶ時間がかかったけど、あの時の契約はまだ有効だよね。魔女の契約は、破ることはできないのだから」
にっこりと微笑み、王様は小さな花をわたくしに差し出した。
「あ・・・!」
思わずわたくしは自分の耳もとへ手をやった。
王様の手の平にあるものと同じ花の耳飾りが手に触れた。
ーーまだ、先代の森の魔女が生きていたころの話だ。
わたくしは、森に選ばれてやってきてしばらくした頃に、男の子を拾った。
自分と同い年くらいの、ぼろぼろの男の子だった。
無表情で、言葉も話さない、人形のようだった彼は、森で過ごして、みるみる元気になっていった。
そして、森を出ていく直前、わたくしに結婚してほしいと言った。
『結婚したら、ずっと一緒に、幸せに暮らせるんでしょう?』
『・・・いい?ほしいものがあったら、それと釣り合うだけの価値のあるものを用意しなくてはならないのよ』
『じゃあ、僕が何を用意したら、結婚してくれる?』
森の魔女である自分と釣り合うもの。きっと彼とは結婚できないから、彼の用意できないものがいい。
魔女の約束は、契約だ。破ることができない。
慎重に言葉を使うんだよ、と先代から言われている。
わたくしの目にさっと飛び込んできたのは、さっきまで読んでいた絵本だった。
『じゃあ、あなたが王国を一つ、対価としてくれるなら、結婚して、いつまでも一緒にいてあげるわ』
『おうこく?』
『この絵本みたいな、美しくて、みんなが仲良く暮らす、王国。わたくしは森の魔女だもの。そのくらいのものは用意してもらわなくちゃ』
わたくしは、手元に生えていた花を2本手に取って、ふう、と息を吹きかけた。
花は、きらきらと光をまとって、ほんの少し鮮やかな色味を増した。
『これを、契約のしるしにあげるわ。この花は咲き続ける。それが契約が続いている証拠。ひとつはあなたが持っていて。もう一つは、わたくしの手元に』
彼は花を受け取って瞳をきらめかせた。
今まで、何もかもどうでもよさそうだった彼の顔に、喜びと生気が満ち溢れていた。
『わかった。約束だよ』
小さな、叶うはずの無い、大切な約束だった。
まさか。
まさかまさか。
王様は立ち上がると、こちらへゆっくりと近づいてきて、わたくしの手をとって、花を乗せた。
そして、わたくしの耳もとに手をやって、そっと耳かざりを撫でた。
「おんなじ花だね」
手のひらと耳元で、同じ鮮やかな色をした花がやわらかな光を放った。
それは、この場所に咲いているどの花よりも眩しくて、温かい、
太陽の光のような輝き。
王様みたいだな、とわたくしは思った。
約束を交わした時から、この花はいつでも見ているとふわりとわたくしの心をあたためた。
「・・・わたくしのために、たくさんのものを手放すというの?無欲ね」
「ううん。僕は無欲なんかじゃないよ」
王様は首を振った。
「本当に無欲なのは、君と出会う前の僕だ。周りの人のことも、世界も、僕自身も、どうだってよかった。僕は、君と一緒にいるだけじゃ足りなくて、できるだけ長く、君と穏やかな時間を過ごしたかった。君が気兼ねなく、当たり前のように僕の隣にいて、一緒に幸せに生きて欲しかった。僕は、強欲だよ」
たしかにそう聞くと、王様はわがままだった。
「不思議ね。無欲な人が美しいと思っていたのに。あなたは、自分の願いのためだけに動いて、たくさんの人の願いも叶えてしまった。そうして今、わたくしの願いも叶えてくれようとしている」
「君の願いって?」
「・・・さようならも言わずに居なくなった男の子が、わたくしとの約束を守ってくれること」
絶対に叶うはずがないと諦めていたわたくしは、きっと、今までここにやってきた人達と同じ。
誰かに叶えてもらおうとするくらいなら、諦めてしまう方が良いと思っていた。
本当はどちらも同じようなものなのに。
「行こう」
王様がわたくしへ手を差し伸べた。
さわさわ
森が小さくゆらめいている。
「うん」
わたくしは、王様の手を取った。
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むかしむかし、あるところに、対価を渡せば、なんでも願いを叶えてくれる、森の魔女がいました。
人々は、対価にそぐわない大きな願い事をしては、大切だったはずのものを失って苦しみました。
とある国の王子様は、何も持っていませんでした。何も必要ではありませんでした。
ある時、王子様は、何よりも欲しくて、大切なものを見つけました。
それは、王子様の生きる意味になりました。
王子様は、大切なものを手に入れるために、どうしたらいいのか、考えました。
王子様は、がんばりました。
たくさん、失敗しました。つらい思いをしました。
でも、王子様は、自分にとって本当に大切なものがわかっていたので、あきらめませんでした。
いろんな方法を試しました。
王子様の大切なもののためには、たくさんの人を幸せにする必要がありました。
人々は、自分のことをそっちのけで他人に尽くす王子様を褒めたたえました。
王子様は実際は、自分のために、自分の一番大切なもののことだけを考えていました。
王子様は、決して立派な人間ではありませんでした。
王子様にわかっていたのは、自分の大切なものと、それを手に入れるためには、自分が頑張らなくてはいけない、ということだけでした。
もし、王子様が自分の大切なものを見つけなかったら。
何も始まりませんでした。
もし、王子様がうまくいかないことを誰かのせいにしていたら。
すべてが無くなっていたかもしれません。
もし、王子様が大切なものが何なのか、忘れてしまっていたら。
すべてを壊してしまったかもしれません。
たったひとりの願いと、強い意志が、美しい王国を作り上げました。
本当に叶えたい願いがあるのなら、森の魔女に会いに行きなさい。
そして、魔女と契約をしなさい。
ただし、願いを叶えるためには、対価が必要です。
対価を示すまで、魔女は決して願いを叶えてくれません。
魔女との契約は、自分との契約でもあるのです。
対価を手に入れるまで、自分の大切なものが何か、
忘れないように。
自分以外の誰も、対価を手に入れることができないのだから、
諦めないように。
欲張ってもいいのです。
すべてのことは、誰かの願いから生まれるのですから。
この世界は、誰かの願いの連なりが、動かしているのですから。