ダンジョン体験
ネイサンとエルの模擬戦から一ヶ月経った頃、仁はミナクルの隣りの領にある低級ダンジョンの受付前に居た。同行するのはエルとイズル。実に贅沢なパーティーメンバーである。
「イズル、お前こっちに来て良かったのか?」
「問題ないよー。イシュアみたく買い物も無いし、こっちのが面白そうだしー」
へにょっと笑って仁を見る。初ダンジョンとは思えないくらいには皮鎧と剣が馴染んでいる。出発前にエルたちに見繕ってもらったのだ。だが、その顔は青く緊張感が漂っていた。
「ジンちゃん、大丈夫よー。このダンジョンのドロップは美味しい食材の宝庫でねー、六階層まではあんまり強いモンスターも出ないからねー」
「だな。そんなに緊張すんな。先生もちょっとダンジョン体験してこいって感じだったろ?」
「そうだけどぉ…」
そう。ネイサンは仁に試練を与えてみたのだ。
仁はごねにごねて回避しようとしたが、「師匠の言う事が聞けないならもう来なくて良い」と言われて泣く泣く頷いたのだった。まあネイサンも鬼ではない。エルの休みを狙って押し付け…指導を頼んでいた。
エルにしても珍しくネイサンが新人に肩入れしているので気にはなっていたし、ネイサンの方から「師匠」という言葉が出ていたのにも驚いた。どんなに優秀そうな冒険者に懇願されても「弟子は取らん。俺はあくまでも新人教育をしているだけだ」と けんもほろろに追い返すのが常だからだ。ちなみにエルもその一人であったので少し複雑だった。
「さー、頑張って行こうねー!」
元気なイズルは仁の腕を取ってダンジョン受付へと誘導するのであった。
さて。ネイサンは何を思って仁を送り出したのか。
エルとの模擬戦を見せてから、仁の動きが明らかに変わってきた。形をなぞらせても内股へっぴり腰が無くなり、次第に一端の剣士の様な鋭さを見せるようになったのだ。時にそれは全く迷いの無い剣筋を引き、良く見ればエルの型をなぞっているのが分かる。最も、仁自身は全くわかっていなかったが。
ネイサンはある日、仁に居残りを命じた。
少しばかり揉んでみたいと思ったのだ。
二人は対峙して互いの動きを待っていた。
仁は動くに動けないで脂汗を浮かべていた。
つい、とネイサンの木剣が舞う。仁の頭には、先だっての模擬戦が過る。二人共、本当に強くて素敵だった。ああ、きれいだわ…。せんせーがこんな風に動いた時にエルさんは…。
ふ、と仁の持つ木剣が動いた。その動きは、エルの剣筋。模擬戦で見たそれを忠実にトレースしたものだった。
ネイサンの笑みが深まる。速度こそだいぶ落としているが、ネイサンは ほぼ完璧に模擬戦の流れをなぞっていた。仁の剣筋が冴える時は、エルの動きを真似た時だと気付いたからだ。エルに基礎を叩き込んだのもネイサンとはいえ、面白いほど正確にトレースしてくる仁。
少しずつ緩急を付けていく。
仁の目はしっかりと剣筋を捉えている。
どこまで行ける?どこまで食いついてくる?
見せてみろ、どうだ!
ガンッ
重たい音がして、仁の手から木剣が落ちた。
「い…たぁい…」
荒い息をしつつ、痺れる手腕を押さえながら膝を付く。
「ありがとう…ございました…!」
掠れた声を絞り出して礼をする。ネイサンから声が掛からないので、顔の汗を手の甲で拭って見上げる。ちょっと怖い顔をしていてビクリとするが、怒っている風ではない。
「お前、ダンジョンに行ってこい」
「はい?」
そして、エルを付けて送り出したのだ。
ネイサンにしてみれば魔力量もあり才能も十分過ぎる程ある奴が、怖いからと萎縮しているのは面白くない。
模擬戦を見ただけでここまで変わったのだ。きっかけ次第で化けるだろう。
うっかり師匠なんて言ってしまったが、それは適当に誤魔化そうと思っている。
「さて…どう転ぶかね」
子供が見たら泣き出しそうなくらいにステキな笑みを浮かべて、今日も生徒たちの指導に向かうのだった。
*
所変わって仁たち一行は順調にダンジョンを進んでいた。
このダンジョンはいわゆる低級の美食ダンジョン。その気になれば一日で全て回れる。何故かボスが滅多に出ないスーパーみたいなダンジョンで、出ても最下層のみ不定期に出現するだけだ。
一階層から三階層までは野菜ドロップがメインでモンスターは小さめの石のモンスター、ロックだけ。
冒険者だけでなく一般人も普通に日々の食材確保に入るレベル。
四階層から六階層が果物ドロップメインで、主にスライムが出てくる。
なかなか活発に動くスライムが多い為、単独で入るなら少なくとも低ランク中位以上の冒険者でないと危ない。ちなみに低ランクの採取依頼としては、そこそこ実入りの良い依頼になる。
七階層と八階層は肉ドロップメインで、オークやミノタウロス、ボアやロック鳥などの高ランクモンスターが出てくる。ここは低ランク冒険者が入ると大変な事になる。
なる、わけだが…。
「いぃいいいやあぁぁぁ!」
低ランク下位の冒険者、仁の悲鳴が空気を引き裂く。
仁は今、二本足で武器を持ったデカい豚…オークに遭遇して驚きのあまり気を失いそうになっていた。耳がキーンとして初動の遅れたエルとイズル。
「お前…」
「仁ちゃん、見ててー!」
立ち直りが早かったのはイズルだった。すすっと仁に寄り、オークを倒そうと剣を構えた。普段は弓を使うイズルも、狭いダンジョンでは剣を使うのだ。
「……あれ?」
「ん…?どうした、イズル」
「オークが、気絶してる…」
「は?」
エルが見ると、なるほどオークは立ったまま動かない。イズルは実に複雑な顔で前に出るとオークの首を一太刀で切る。ぽうっとオークが消えドロップした肉をエルが拾い袋に入れる。
「ジンちゃん、すごいね。声でモンスターを気絶させちゃったみたい…」
仁は冒険者二人の 淡々とした作業っぷりに当てられて呆然としていた。
六階層に来るまでにも、モンスターはいたし仁も何とか倒していた。でも、それは小さなロックやスライムやキャタピラーで「生き物感」が少なかったからだ。
たった今、対面したそれは歩く豚。モンスターだと理解はしても感情が付いて来なかった。
「ジン、いいか良く聞けよ」
「ごめんなさい!ごめんなさい!やっぱり、あたしには無理なのよ!怖い!怖いのよ!」
溜め息混じりに言葉を紡ぐエルに、仁はとにかく謝った。呆れられ、嫌われたくは無かったが どうしようもなかったのだ。
そんな仁に、エルとイズルは顔を見合わせて苦笑した。
「私も、怖いよ?」
「オレだってモンスターは怖いぞ?」
エルが仁の頭をポンポンする。感情の持って行き場を失っていた仁はエルに質問した。
「怖い?本当に?」
「おう。怖くなけりゃ、油断する。油断すれば隙も出来るし手際も悪くなる。パーティー組んでりゃメンバーにも迷惑かけるしな。まあ確かに低ランクモンスターなんかは気負わずいけるが、それだって何度も戦った経験の賜物だし同じ低ランクでも上級種や変異種だとケタ違いに強い事もある」
だからな、とエルは続ける。
「モンスターと対峙したら、大声を出したりがむしゃらに向かって行ったりはするな。いいか?」
「……はい」
いくつもの修羅場をくぐり抜けて来たのだろう、エルの言葉は重く聞こえた。
「ちゃんと状況を見極めるんだ。今回のダンジョンは、怖がりのジンに力の使い方を解らせたいってのもあると思うぞ?」
「そうよー。今回は私たちがメンバーでしょ?私たちがジンちゃんを守るように、ジンちゃんも自分だけでなく私たちも守らなきゃなのよー」
なんて言いながらも、エルは「なんで、こんなんでダンジョンに?」とネイサンの意図をつかみかねていた。もっと無難な採取依頼を積み重ねて、自信を付けてからでもいいんじゃないか?
エルの表情を読んだイズルが呟く。
「ジンちゃんは…背中を押さないと成長しないタイプだと思うよー。自分の中で小さく纏まりたがるっていうか…性格だろうねー。人より前に出るのが怖いから、何でも怖くなっちゃう」
「…なんだよ、それ…?」
イズルの謎解析に眉をしかめたエルは、大きく息を吐いて次に出てきたオークを見据えるのだった。
結局、五体のオークと一体のミノタウロスを倒したエルたちは まだ日が暮れない内にダンジョンから戻っていた。ドロップしたのはオーク肉塊五個、ミノタウロスからはドロップは二つ出て、肉塊一個とミルク一瓶。
最初のオークで慣れたのかエルたちの言葉のおかげなのか、あの後の仁は文句も言わずに二人の後ろに付き従い その動き方や連携の仕方を真剣に観察していた。
倒したオークにとどめを刺せと言われた時は泣きそうだったが、仁王像の吽形のような顔で首を落とした。
続けざまにミノタウロスが出現して、それをエルがサクッと倒す。もう、無理…と心身共に疲弊した仁であったが…。
ダンジョンから出てきたエルとイズルは ずっとクスクス笑っていた。仁が手に持った陶器を撫でたり擦ったりしているものだから、必死に堪えても吹き出してしまう。そのせいで今日のダンジョンは終了になったのだ。
ミノタウロスを倒した後、ドロップしたミルクがちゃんと陶器に入っていたのに驚いた仁。怖さも疲れも忘れて その瓶を上から下からとまじまじと眺めて「?!」な顔を二人に向けたり、突っついてみたりと実に忙しく百面相していた。
言われてみれば不思議ではあるが、ダンジョンとはそういうモノだと普通に思っている二人にとっては実に新鮮で面白い反応だった。