学舎で恋する
OKAMA がんばる
一週間の研修を終えた仁は、正直ヘトヘトだった。
なにせ紙は貴重品で買えず、ギルドから貰った石板と石筆を使って覚えながら ただひたすらに頭に叩き込むしかなかったのだ。だが、おかげで知識はしっかり増えたし文字も教えてもらう事が出来た。
初めて自分の名前を書けた時は涙が出そうになった。
日本で言えば小学一年生並みではあるが、ちゃんと読めて書けるのは嬉しかった。
文字を継続して覚えたいと申し出ると、引退した冒険者が安価で教えている学舎を紹介してくれた。
研修で培った知識を使い一所懸命に採取依頼をこなして授業料を貯めながら、仁はホクホク顔で学舎に通っている。共に学ぶのは十一歳から十五歳の新人冒険者ばかりで最初は気恥ずかしかったが、二週間もしたら慣れた。物怖じしない彼らは、大人で 計算は商人並みなのに読み書きが出来ない仁を面白がって絡んできたし仁もそれを楽しんでいた。
紙も獣の皮で作られた羊皮紙のようなものなら束で安く買える所を見つけた。質の良い物ではないので若干の匂いはあるが、それでも記録を残して置けるのが嬉しい。
これでまた、出来る事が増えた。そう思うだけで楽しい。
楽しいと言えば、仁は針と糸を手に入れて自分のシャツやズボンに刺繍をし始めた。針と糸は普通に店で買うと量が多いしとても高かったが、市場で根気良く半端物を探して安く手に入れた。
夜寝る前の時間に一日の出来事を頭の中でまとめながら少しずつ。襟元や袖、裾などに草花や動物の絵柄を入れる。素っ気ないシャツが可愛くなってくるとテンションが上がる。
だんだん華やかになるシャツは宿の女将さんや買い物先の奥さんたちに好評で、最初にバラの花の刺繍を入れたハンカチなどは宿の女将さんに見せていた所に居合わせた冒険者に「嫁さんへの贈り物にするから譲ってくれ」と懇願され、買った値段の十倍で売れてしまった。良かったのかしら、と女将さんに聞いたら「もっと高く売っても良いくらいの出来だったよ」と逆に呆れられたのも良い思い出。
そして今は、学舎に通う事が何よりも幸せな時間だ。
「あ。せんせー、おはようございまーす」
学舎の前を掃除していた男に声をかける仁。
「おう。今日も早いな」
「はい。今日もお勉強の前に仕込みします」
元特ランク冒険者のネイサン。たっぷりした赤髪とがっしりとした風貌が、引退して十年近く経った今もなお現役時代と変わらぬ覇気を感じさせている。実際、引退するにはまだ若く 事が起きれば頼られる為に毎日の鍛練は欠かさない。
特級ダンジョンを一人でいくつも制覇したとか、ドラゴンを倒したとか、精霊の加護を持っているとか、とにかくいろいろな逸話を持っている人物である。
ちなみに このネイサン、初めて仁に会った時は魔物に対峙した時以上に精神力を要した。
何しろ恥ずかし気にネイサンの前に立った仁は、彼の余りの格好良さに胸キュン状態。もじもじと顔を赤らめ 知らず潤んだ瞳が、違う意味で悩殺したのだから堪らない。
そんな訳もあり、仁はネイサンに会いたくて本当に必死に学んでいた。そして
ちょっとくらいご褒美があったって良いじゃない!
と、いう訳で二回目の授業からは何故か学舎の台所を借りて昼食の賄いをしている仁。ネイサンが独身で食事の殆どは夜の一回、酒場で賄っていると聞いたら止まらなくなった。
元々、料理好きな仁。だが、宿で厨房を借りる事も出来ないし食べたい料理もあってウズウズしていたところなので遠慮もしなかった。ネイサンも条件付きで許可した。というか押し切られた。
共に授業を受けている生徒たちにも懇願された結果、材料費だけで作ると言ったら定番化した。毎回違うのも面倒だと生徒たちで相談し、一回鉄貨六枚に落ち着いた。
「今日はオーク肉の揚げ物作りますね」
「揚げ物?」
「ええ。シンプルな味付けのが食べたくてぇ。お店のって、味が濃いでしょう?」
ハートマークが浮かぶような言葉尻でクネッとしなを作る仁。
「料理屋でもないのに大量の油なんか勿体ないだろうが?」
「うふふ。大丈夫ですよぉ!少し多めの油で焼き揚げするんです。ちゃんとカリっと香ばしくて美味しいんですよぅ」
ごくり
後ろから生つばを飲む音がした。おや?と見れば、今日の生徒たちが集まっていた。以前は休みがちだった者も、今や仁の賄い目当てに皆勤である。安くて美味いのだ。ヘタな飯屋には行けなくなる。
ネイサンはやれやれと頭を振って皆を学舎に押し込んだ。
*
午前中の授業が終わり、お待ちかねの昼ごはん。
「オネエサン、今日はなに?何を手伝う?」
「うふふ。今日はね、トンカツと野菜スープなの」
「トンカツ?」
「そ。オーク肉の筋切りをしてー、粉付けてー卵を付けて、パン粉を付けてー」
歌うような調子で、手順を確認していく仁。
この世界にはフリッターみたいな食べ物はあるが、サクッと食感の揚げ物が少ない。元の世界で言う強力粉が主体になっているようだ。仁は片栗粉を見つけたので薄力粉代わりにもなるし…と買い込んでいた。芋も主食の一つとして出回っている割には片栗粉の人気は今一つみたいで、捨て値で大量に売られていたのだ。
見よう見まねで肉に衣を付ける者、その隣でキャベツのような野菜を細く切る者、食器を揃える者などなど。とにかく手伝える事は手伝って、少しでも早く食べたい生徒たち。
ジュワアー
「二度揚げがカリッサクッジュワーの決め手よぉ」
「おお、良い匂いだな…」
ネイサンもしっかり餌付けされている模様である。皆と同じ様に、若干そわそわと待ち構えている。
「おまちどうさまー!パンに野菜と一緒に挟んで食べても美味しいわよぉ!」
テーブルに皿が並べられると、ネイサンが開始の合図をして食事が始まる。「いただきます」や「神への感謝の祈り」などはこの世界にはない。そもそも”神”という概念がなかった。
「うめー!」
「オネエサン、最高っす!」
「オネエサン、これおかわりないの?」
「このスープ、店で出せる!うまい!」
いつの間にか、仁は「オネエサン」と呼ばれるようになっていた。
仁の料理を食べた一人が「アニキ!おれ一生ついてく!」と叫んだのに対し、仁が無表情に笑みを浮かべながら菜箸を突き付けて「あたしは乙女なのよぅ?せめて〝おねえさま〟と呼んでねぇ?」と答えたのがきっかけだ。既に胃袋をガッツリと掴まれていた彼らに選択の余地はなかったし、何よりも仁の気迫が怖かった。この時の気迫にはネイサンも引く程だった。
そんな風にわいわいガヤガヤと食事を終えたら、その後には武術指導が少し広めの裏庭で行われる。ネイサンは若い冒険者が無謀な挑戦はしないように、「自分を守れなければ死ぬだけだ」と基本の剣術や体術を教え込んでいるのだ。
そして、仁がネイサンに出された条件が ”必ずこの指導を受ける事” だった。
実はネイサン、ギルドの方から「ジンは真面目で気遣いも出来る。実に良い子なんだが、臆病で武器を怖がり護身の術を持たないようだから何とかしてやってくれないか」と頼まれていた。
事前にそう言われていたから、想像していたのはヒョロリとしたモヤシっ子。なのに現れた新人は なんとも実戦向きの良い身体をした丈夫そうな男だ。
…最も初対面でモジモジされて違う意味でも面食らったのだが…それはさておき、ネイサンは単純に これだけ良い身体付きをしているのに勿体無いと思ったのだ。
最も剣を持たせても直線的な動きしか出来ずへっぴり腰の隙だらけ。見た目とギャップがあり過ぎる。まあ、性格も素直で向上心もある。あとは上手く舵取りしてやればいいと思っていた。
軽く身体をほぐし終えた生徒たちは訓練用の木剣を持ち、ネイサンが教える形をなぞって右に左に上から下へと素振りを始める。
学生時代の剣道の授業を思い出しながら、仁は剣を振るう。防具の匂いが苦手だったので あまり真面目にやらなかったが、剣道の形は直線的な動きが多かった気がする。けれどこの剣術は踊っているみたいで面白い。
三十分ほど経って、ネイサンがストップをかけた。
「おーし。そこまで。今日は模擬戦を見てもらうぞ」
生徒たちは荒い息をしながらネイサンを見る。隣りには、いつから居たのか仁の見知った顔があった。
「エルさん!」
仁が嬉しそうに駆け寄る。エルも「おう、久しぶりだな」と気軽に答える。周りの生徒は憧れの高ランク冒険者の出現に驚き、仁と知り合いだった事に更に驚く。
「ギルドで会ってな。ちょっと頼んだ。さて、時間が勿体無い。始めるぞ」